第5話 黒幕か? セバスティアン登場①
宮廷へは用事があったわけではないけれど、情報収集がてら少し様子を見に来た。そんな私に運命のいたずらが仕掛けられていたのかもしれない。
薄暗い回廊を歩いていたところ、ふと曲がり角から現れたのは絵画の中から抜け出してきたような美形の青年。ゆるやかなプラチナブロンドの髪が月の光を溶かし込んだみたいにきらめいていて、それでいて瞳は冷酷な瑠璃色を宿している。まるでこの世のものではない美しさ。私は思わず息をのんだ。
「あら、ごめんなさい。通りますわね」
軽くお辞儀をしてすれ違おうとしたが、なぜか彼は私の顔をじっと見ている。妙な視線を感じて、少し居心地が悪い。
「……お前か。なるほど、確かに面影はあるな」
初対面のはずなのに、どういうわけか私のことを知っているような口ぶり。しかも、どこか見下すような響きが引っかかる。
「失礼ですが……なにか?」
「お前があの“悪女”だな?」
「はあ? ちょっと待って……悪女って、誰のことを言っているんですの?」
この一言に私は瞬時にカチンときた。似た言い回しを王太子からぶつけられたこともあって、過敏になっているのかもしれない。とはいえ、少し礼儀を弁えてほしいものだ。美貌は文句なしなのに態度は最悪だなんて、いくらなんでも許せないわ。
「お前の名はリリエッタ・フォン・グラディス。先日、兄上――アルフレッドが『ひどい女に痛めつけられた』とかなんとか言っていたが、その女というのがどうもお前らしい。そもそも“悪女”呼ばわりされるのは珍しくもないそうだな」
「……正直、初対面の私にそこまで失礼な物言いをしてきた方は初めてですけど?」
見た目がいくら整っていても、この性格の悪さではもったいないとしか言いようがない。気づけば私は彼の顔を睨みつけていた。私の無言の圧力を感じたのか、彼はふっと唇を歪めて笑う。
「おや、どうやら相当気が強いようだ。兄上の話と矛盾はないな。俺はセバスティアン・イグナシオ。王太子の弟――第二王子だ」
「……! なるほど。それはどうもご挨拶が遅れましたわ、セバスティアン殿下」
ここでようやく正体が判明。いや、むしろこの圧倒的な美貌と雰囲気、最初に見た瞬間にただ者でないと感じたのは当たっていたのね。王太子の弟だというのに、兄の名前を出してこうも辛辣に言うなんて、相当歪んでいる気がする。
「で、“悪女”と噂されるお前が、わざわざ何の用事で宮廷に? 兄と再会でも望んでいるのか? あるいは他の男に色目を使ってやろうと?」
「……はあ、そこまで言われると、こちらとしても黙っているのが馬鹿らしいわね。私はただ、状況を少しでも理解しておきたいから見に来ただけです」
「状況? 兄との婚約破棄に関してか? ああ、確かに。あれは酷かったな。……お前が悪いのか、兄が悪いのか、俺には興味がないが」
なんという言い方。こっちは勝手に婚約を切られた被害者なんだけど。興味がない、などとあっさり言われると腹立たしさがこみ上げてくる。が、彼は私の内心などお構いなしに言葉を続ける。
「ただ、お前が本当にどうしようもない性格だったとしても、兄ほどの馬鹿には見えない。そういう意味では少し気になる。あの兄上を追い詰める程度には強かなんだろうからな」
「……お褒めの言葉と受け取っておきましょうか。でも、その毒舌どうにかなりません?」
「はは、毒舌だと思うなら気をつけたほうがいい。俺は本当のことを言っているだけさ。聞く耳がないなら仕方ないが」
なんとも言えないイライラと、妙な惹かれが同時に胸を突く。相手は美しい外見をまとった冷笑家。人を翻弄するのが得意そうなこの態度に、王太子とは違う恐ろしさを感じる。やり方次第では、手強い相手となりそうだ。
「王太子とは違う意味で、あなたは怖いですね。お兄様みたいに単純に振り回される感じはないけど、こっちがいつの間にか丸め込まれていそうで」
「ふむ、意外とよく見えているじゃないか。確かに、兄上ほど単細胞でもない。それが怖いと思うなら気を引き締めておけ。俺はお前をどう扱うか、まだ決めていない」
「扱う……ですって?」
あまりの発言に思わずヒートアップしそうになるが、私はぎりぎりの理性で自分を抑える。この相手に乗せられたら負けだ。軽々しく応じたら、いつの間にか手のひらで転がされる可能性もある。
「私は誰にも扱われるつもりはないの。あなたが王太子の弟であれなんであれ、従う必要はないわ。必要な情報だけ得られればそれでいい」
「……ほほう。なるほどな。さすが噂通り、肝が据わっている」
セバスティアンがゆるく微笑む。その笑顔は美しいけれど、刃を内に忍ばせた薄氷のようにも見える。きっと彼はこのやり取りをどこか楽しんでいる。私がどんな反応をするか、試すように観察している気がしてならない。
「なら、気をつけることだな。俺を甘く見ていると、いつか痛い目に遭うかもしれない」
「そっくりそのままお返ししますわ、殿下。私はもう、王太子にも他の誰にも踏みにじられる気はないの」
言葉の端々に火花が散るような緊張感が漂う。こんなに美しい人なのに、胸に広がるのは冷たい疑念。絶対に信用してはいけない――私の勘がそう告げていた。
「……いいだろう。お前の度胸は買ってやる。今度機会があれば、ゆっくり話でもしようか」
「遠慮しておきます。あなたと仲良くするつもりはないので」
「そう言うなよ。もしかしたら、お互いに利益を得られるかもしれない」
そう言って目を細めるセバスティアン。その姿を前に、私は喉の奥に不安の塊が引っかかるような感覚を覚える。彼は本当に何を考えているのか読めない。私を利用するつもりなのか、それとも単に面白がっているのか。
「もし何かあったら、いつでも声をかけろ。兄上を出し抜きたいなら、俺が手を貸してもいい」
「申し訳ありませんが、あなたに貸しを作るなんてごめんですわ。王太子と同じくらい、もしくはそれ以上に怖い人だと確信しましたから」
冷ややかに答える私に、彼はさらに満足げな笑みを浮かべた。どうやら断られたことさえ、彼にとっては一種の遊びのようだ。その様子を見て私の心はざわつくが、ここでこれ以上絡むと危険な香りしかしない。
「では失礼。私、急ぎの用があるものですから」
「ご勝手に。次に会うときまでに、せいぜい王太子をどうにかできる力でも身につけておけ」
セバスティアンの声を背中に受けながら、私は早足でその場を立ち去った。固く握り締めた拳からは、じんわりと汗がにじむ。あのイケメン第二王子とのやり取りは緊張感に満ちすぎていて、呼吸を忘れそうになるほどだった。
「なんて人……王太子よりはマシかと思ったら、別の意味で最悪。厄介だわ……」
思わず独り言をもらしながら、廊下を曲がる。美貌に惑わされる気はないとはいえ、あれほどの容姿と毒舌を併せ持つ存在はやはり要警戒。今後もし彼と関わらざるを得ない場面が出てきたら、かなり苦労しそうな予感がしてならなかった。




