16 クレイ
私――クレイ・ペンゼルトンは苦悶していた。
「あっ、公爵様!おかえりなさいませ!」
「……」
屋敷に戻ると側近が私を出迎えたが、今は返事をする余裕なんてない。
「思っていたより早いお戻りですが、どうでしたか?久しぶりに会った奥様のご様子は!」
「……」
「やはり泣いてすがられたりしましたか?」
「……」
「まぁ、そりゃそうですよね。でもちゃんと離婚届にサインはもらえ」
「……さい」
「はい?今何か言いま」
「うるさい!」
「わっ!ど、どうしたんですか!急に大きな声を出して」
「どうしたもこうしたもじゃないんだよぉ!……あああぁ、私はなんて愚かなことをしてしまったんだ!」
「……え?本当にどうしたのこの人……?」
側近の男が何か失礼なことを言っているが、そんなことを気にしている場合ではない。本当に私はなんてことをしてしまったのか。
(まさか彼女が、ずっと探していたあの子だったなんて……!)
私は頭を抱えるしかなかった。
◆
私が結婚したのは今から十年前、二十歳の時。
当時の私は隣国の王女からしつこく結婚を迫られており、焦っていた時期だった。この国と隣国の国力はほぼ互角。今まで何度か王家を通して断りを入れてもらっていたが、いよいよこれ以上は断るのが難しくなっていた。
このままでは隣国の王女と結婚することになってしまう。これが野心のある人間なら、その選択肢も有りなのかもしれない。だけど私は野心なんてこれっぽっちも持っていない。これ以上の権力は不要だった。それよりも私は、長年想いを寄せている女性と結ばれることを夢見ていたのだ。
けれどその女性とは幼い頃に一度会ったきりで、ずっと探し続けているが、いまだに見つけることができていなかった。
できることならばその女性と結婚したい。しかし私を取り巻く状況によって、そんな悠長なことを言っていられなくなってきていたのだ。
だから私は、急いで都合のいい人間を探した。お飾りの妻となってくれる女性を。そして見つけたのが彼女、メルト伯爵家の娘フローリアだった。
メルト伯爵家は借金によって家が傾いているせいか、社交界で姿を見たことがなかった。今回調べてみて、初めてメルト伯爵家に年頃の娘がいることを知ったくらいだ。
貧乏な家の誰にも知られていない娘。
それはわたしにとって、非常に都合のいい存在。だから私はすぐに縁談を申し込んだのだ。
【縁談を受け入れれば資金援助を約束する】
そう言葉を添えて。
本当に金に困っているのであれば、すぐにでも受け入れてくれるだろう。私だってできることならこんな手は使いたくない。だけど私はあのわがまま王女と結婚を迫られていて、悠長なことを言っている場合ではなかった。
あの王女と結婚なんてしてしまったら、これからの未来が真っ暗になるのは目に見えている。それに王女と結婚してしまえば、もう二度と、あの銀色の彼女に会うことは許されない。それは絶対に嫌だった。
いまだに彼女を見つけることはできていない。それでも私は彼女を忘れられないでいる。だから申し訳ないと思いつつも、私は自らのために、無関係な一人の令嬢の人生を奪うことに決めたのだ。
そして数日後、私の予想した通り、あちらの家から縁談を受け入れる旨の返事が届いたのだった。




