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3. 光の街での目覚め

「すごいよな! この歳でMSI が上級レベルって、正気の沙汰じゃない! マジでカッコいいって!」


教室中がその話題で盛り上がり、質問攻めにされた龍は、すっかり頭が混乱していた。

高いMSI値というのは、普通はエリート兵士――つまり、重要な任務をこなすために特別な訓練を受けた者たちだけに許されるもの。

だが、新入生で、しかも学園はおろか 江戸(エド) 国全体 を 見渡しても、前例のないケースだった。


「如月くん、座ってくれ」

後藤校長が彼を自らの執務室へと案内し、静かに語りかけた。


「国家試験のことですよね、校長先生」

龍は椅子に腰を下ろしながら聞いた。


後藤は小さく微笑むと、コーヒーを二杯用意した。


「一杯どうだ?」


その問いに、龍は一瞬戸惑った。


「ええ…ありがとうございます」


校長は机に肘をつき、落ち着いた目で龍を見つめた。


「なあ、如月くん……俺が子供の頃、祖父が古い懐中時計を大事にしていたんだ。価値のあるものじゃなかったが、彼にとっては特別だった。ある日、君くらいの歳の頃、壊れたチェーンを直そうとしてな……」


後藤は、当時を懐かしむように静かに笑った。


「結局、仕組みも分からずにバラバラにして、元に戻せなくなった。祖父は怒るかと思ったが、こう言ったんだ――『仕組みが分からないまま直そうとしても、壊すだけだ』ってね」


校長はコーヒーを一口すすり、続けた。


「人は何でもできると思い込みがちだ。でも、本当に大切なものほど、理解しないまま触れると壊してしまうんだよ」


その言葉とともに、校長の視線は真っ直ぐ龍の目を捉えた。


「……分かるかい?」


後藤はカップを置き、背筋を正した。


龍の胃がキュッと締め付けられる。

手の中のカップが温かい。だが、まだ一口も飲めていない。

彼はもう察していた。この話は、時計のことではない。


「……俺のMSIのことですよね」


「その通りだ」


校長は一枚の資料を机から取り出し、龍の前に差し出した。


「これが君の評価だ。正式に、君は“高飽和・上級レベル”と認定された。新入生としては前代未聞だ」


龍はごくりと喉を鳴らした。

教室で聞いた時より、こうして紙面に書かれているのを見る方が、はるかに現実味を帯びていた。


【評価書 抜粋】


氏名:如月 龍

年齢:16歳

出生地:北方県・深山村

血液型:AB / S-Type3

MSI分類:高飽和・上級(758.3 mg/L)

タイプ:遺伝性・安定型

観察された異常:記憶逆行、神経過敏反応

現在の状態:観察下(レベル2)

エネルギー適合性:確認済み

勧告:継続的なモニタリング、瘴気刺激技術へのアクセスは制限下に置くこと


「これって……どういう意味なんですか?」


校長は指を組みながら穏やかに答えた。


「つまりね、君には、極めて希少な力があるということだ……だが、それを理解しないままでは、自分を壊してしまう可能性もある」


「……壊す?」


「MSIというのは、ただの数値ではないんだ。如月くん。君の身体がどれだけ瘴気と干渉できるかを示している。その値が高いほど、身体への負荷も大きくなる。そして君の場合……」


校長は一呼吸置いてから言った。


「この年齢で、君のレベルに達した者は過去に存在しない。つまり、今後どうなるかは、誰にも分からないんだよ」


龍の鼓動が速くなる。


「……まるで、実験台みたいですね」


後藤は、苦笑を漏らした。


「……そんなふうに考えないでほしい。如月くんが理解すべきなのは、自分の体の限界をまだ知らないということなんだ。祖父の時計と同じさ。仕組みを知らずに無理をすれば、壊れてしまうかもしれない」


沈黙が落ちた。


龍はもう一度、手元の用紙に目を落とした。

自分の名前があり、その横には“上級クラス”と記されていた。

それは疑いようのない事実だった。

だが、彼の脳裏に浮かんでいたのは――あの時、自分の腕が黒く染まった瞬間と、激しい痛みだった。


「……もう壊れてるとしたら?」


後藤はその言葉に目を細めた。まるで、それこそが期待していた問いであるかのように。

「だからこそ、私はここにいるんだよ、如月くん」

彼の瞳には、龍には読み取れない何かが宿っていた。

「君がそうなっていないと、確認するためにな」


龍は胸の奥に、奇妙な重さを感じた。


「……俺に、何か問題があると思ってるんですか?」


後藤はわずかに目線を逸らし、少し間を置いてから口を開いた。


「正直に言えば……分からない。それが一番の懸念材料だ」


龍は何も言えなかった。

頭の中は情報の洪水でいっぱいだった。

そんな中、後藤が机からもう一枚の書類を取り出し、何かを書き始めた。


「君のために、特別なプランを作成するつもりだ。如月くん」

声の調子が一段と真剣になる。

「君を普通の学生と同じ訓練に放り込むわけにはいかない」


「……特別なプラン?」


「そうだ。君の身体を極限の状況に晒す前に、その特性をしっかりと理解しなければならない。それが、君が最大の力を発揮しながらも無事でいられる唯一の道だ」


その言葉に、空気がさらに重くなった。


「近いうちにまた呼ぶ。それまでは通常の授業に集中してくれ。ただし、呼ばれたときは――すぐに動けるように、覚悟しておいてほしい」


龍はごくりと唾を飲んだ。

“動けるように”――その意味は曖昧だったが、校長の目を見れば、それが簡単なことではないと察せられた。


後藤は書き終えた紙を封筒に入れ、慎重に封をした。


「今日はもう戻っていい。ただし、忘れないでくれ。如月くん――」


校長の視線が再び龍の目をまっすぐ射抜いた。


「君の身体に少しでも異常を感じたら、どんな些細なことでも……必ずすぐに知らせてくれ」


龍は静かにうなずき、校長室の扉を閉めた。


その表情は、考え事をしていた先ほどよりも明らかに険しくなっていた。


彼は〈ポータ〉――特別な力を持つ人間。

そこまでは納得できた。

この力に適応すれば、普通に生活できると思っていた。

確かに困難はあるだろうが、なんとかなると信じていた。


だが今――


彼は“特別”の中でも、さらに“特別”だった。


胸の奥が苦しくて、思考がまとまらない。

頭の中を整理しようとするたびに、何かが引っかかってくる。


記憶逆行? 神経過敏?

意味も分からない単語が並ぶ。

処理すべき情報が多すぎて、理解するには時間が足りなさすぎた。


龍は拳を握りしめた。


まだ、学園に来て二日目だ。


もう、すべてが手に負えない気がしていた。


彼は早足で訓練教室に戻った。

まだ皆が彼の噂で盛り上がっている最中だった。


扉を開けた瞬間、無数の視線が一斉に向けられた。


ざわめきが広がり、一部の生徒が彼のもとへ駆け寄ってくる。

まるで、有名人にインタビューでもするかのように――


「ちょっと! もういい加減にして、授業に集中しなさい!」

教師が眉をひそめて一喝した。


龍の周囲に集まった生徒たちは散っていき、ようやく教室に落ち着きが戻った。


彼は内心、ほっと息をついた。


最初の戦術訓練では、人間の急所や、動きを封じる攻撃法などを学んだ。

面白い技術ではあったが、クラスメートの質問攻めや大量の知識で頭がぐるぐるして、正直それどころではなかった。


「如月くん! 如月くん!」


声。質問。叫び声。


廊下のあちこちから呼びかけられていた。


龍は、まるで有名人のようにクラスメートに囲まれて、もう二歩も歩けなかった。


MSIの数値が高いというのは、この学院の生徒たち全員にとっての夢だった。それを最初から持っていたのだから、こうなるのは当然だった。


だが、だからといって、それを喜べるわけではなかった。


彼は振り返って、走り出した。


計画なんてなかった。ただ、騒がしさから逃げたかっただけだ。


目の前に「図書館」と書かれた両開きのドアがあった。


龍は迷わずその中へ飛び込み、扉を閉め、背中を木の扉に預けた。


数秒間、息を殺して耳を澄ませる。


……静かだった。


廊下の騒音は完全に遮られていた。


ようやくの静寂。


龍は頭を後ろに倒し、しばらく目を閉じた。


「この調子じゃ、ここでやってくのは大変そうだな……」


図書館は広くて落ち着いた空間だった。まさに理想の隠れ場所。


だが、群衆が去るまでの時間を潰すために、何かをしないといけなかった。走ってきたばかりで息も上がっていた。


彼はため息をつき、本棚の間を歩きながら、読むものを探し始めた。


「うーん……何も見つからないな……」髪をかき上げながら、ぼそっと呟いた。


「ここで何してるの?授業中だよ?」


無邪気な口調に、龍は思わず立ち止まった。

彼の後ろに、ひとりの少女が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


金髪の髪は肩まで優しく垂れ下がり、淡い緑色の瞳は、誰でも魅了してしまいそうな輝きを放っていた。

だが、彼女の魅力は外見だけではなかった。どこか人を惹きつけるような、不思議な落ち着きと色気があった。

自分が人に与える影響を、完全に理解しているタイプだ。


『うわ、こっちにも美人がいるんだな』


少女は首をかしげ、興味深そうに彼を見つめた。

そしてすぐに、龍の学生証を目ざとく読み取った。


「へえ……」

少女は小さく呟いた。


「なるほどね。高いMSI値の持ち主を間近で見るなんて、みんな初めてなんでしょ?だからそんなに好奇心丸出しなわけだ」


その軽い口調に、龍は反射的に振り返った。


「なんでそれを知ってるんだ?」


少女はくすっと笑った。


「看護師さんたちと仲良くしてるの。あの人たち、打ち解けたらすっごくおしゃべりなのよ」


『あのおばあさんたちは……』


少女は考えるように腕を組み、優雅に一歩前へ進み、机に腰を預けながら彼を興味深そうに見つめた。


「でも、不思議じゃないでしょ。ここにいる全員が、高いMSIを目指してるんだから。それを最初から手に入れたなんて……奇跡みたいなもんよ。」


彼女の視線が龍に向けられたとき、その強さに彼の身体が自然とこわばった。


「しかも驚きなのは……新入生のくせに、初日からそれを持ってるってこと。」


一歩、彼女が近づく。


龍はごくりと唾を飲み込んだ。


「な、なにしてんだよ? ちょ、近すぎ……」


彼女はくすりと笑った。


「ふふ、顔赤くなってるよ。」


「こんな可愛い子にこんなに近づかれたら、そりゃ緊張するって……」龍は息を吐きながら、どうにか平静を保とうとした。


「へえ~」彼女は少し驚いたように反応した。「龍くんって、意外と素直なんだね。」


彼女は優雅な動きで一歩下がり、軽くお辞儀をして自己紹介した。


「水原 乃愛、二年生。図書室のボランティアをしてるの。よろしくね」

そう言って、彼女はどこか飄々とした口調で微笑んだ。


「如月 龍。」


龍が名乗ると、彼女はくすっと笑いながら、指先で彼の名札をちょんと指した。


「知ってるよ。そこにちゃんと書いてあるし。」


「ああ、だから試験のことを知ってたのか……」


少し気が緩んだのか、龍はそう呟いた。


「よろしくね、龍くん。」


彼女は身をかがめ、顔をぐっと近づけた。


思わず龍は後ろにのけぞり、棚にぶつかってしまい、本を何冊も床に落とした。


乃愛は手で口元を隠し、品のある笑いを漏らした。


「でも、質問攻めにしてこなかっただけマシかも。」


龍はため息をつきながら、本を拾い始めた。表情には完全な敗北感がにじんでいた。


乃愛はまだ楽しそうな表情を浮かべたまま、スマホを取り出して龍に画面を見せた。


「ねえ、内緒なんだけど……私の父もMSIが高いの。」


龍は画面を見た。そこには、鋭い眼差しをした年配の男性と家族が写っていた。


「若い頃はすごく強くて、結構有名だったの。でも、今は家族との時間を大切にしてるの。」


彼女はスマホをしまい、再びやわらかく微笑んだ。


「だからね……注目されるのは大変だけど、それで開ける道もあるんだよ、龍くん。」


「……同じレベル……彼なら、俺に何か教えてくれるかも。」


その考えが、自然と頭に浮かんだ。何もせずに待つだけじゃいけない。すべてが初めてのことだった。学園長が何か手を打ってくれてるのかもしれない。でも、自分自身も動かなきゃいけない。


本当にこの世界に馴染みたいなら、まずは動くことから始めよう。


「……あの、いつか……あなたのお父さんとお話しすること、できるかな?」龍は慎重に言葉を選んだ。「俺、この世界のこと、何もわかってなくて……全部が初めてで……」


深く息を吸い、拳を握って、ためらわずに言葉を続けた。


「今の状況を受け入れるなら、もっと知っておきたいんだ……」


乃愛は片方の口元だけで、意味深な笑みを浮かべた。


「ふふっ~ そんなに早く、私のお父さんに会いたいの?」


そのいたずらっぽい口調に、龍の身体がぴしっと固まった。


「ち、ちがっ……誤解するなよっ!」と、必死に前のめりになって叫ぶ。


乃愛は唇に手を添えて、くすくすと笑った。


「落ち着いて、落ち着いて。お父さんに会わせるくらい、全然いいよ。」


「からかわないでくれよ……」龍はホッとしたようにため息をついたが、顔はまだ赤かった。


乃愛の笑い声は小さかったが、龍には妙に響いた。彼女の存在感が、何か異質なほどに強い。


自然と、彼女の姿に目を奪われた。


乃愛は、他の誰とも違っていた。


周囲を包み込むような、不思議なエネルギーが彼女にはあった。


「……じゃ、行くよ。もう騒ぎも収まったかも。」


そう言って、そっとドアの方へ向かい、少しだけ顔を出して辺りを確認した。


乃愛は楽しそうに微笑んだ。


「またね、お父さんの件はそのうちね、龍くん。」


図書館の扉を静かに閉め、龍は長く息を吐いた。


この短時間で、あまりにも多くのことがあった。


少し頭を冷やしたかった。


気がつけば、当てもなく歩き出していた。そして、校舎の裏手の静かな場所にたどり着く。小さな噴水が陽の光を反射しながら、静かに水を流していた。


その音は心地よく、癒されるようだった。


何も考えず、近くの柱に背を預け、そのまま体を倒した。まるでベッドのように。


「……まだ次の授業があるのに。」


目をそらしながらつぶやく。どうにも体が動く気がしない。さっきの乃愛とのやり取りが、頭の中で何度も再生された。


『ああ……完全にガキ扱いされた。完全にペース握られた。』


女の子に、ここまでペースを乱されたのは初めてだった。


「……明日、久しぶりにひまりに会いに行こうかな……」


疲れた声でつぶやく。


瞼がだんだん重くなっていく――


◇ ◇ ◇


20分後。


授業はすでに始まっていた。全員が席に着いている。


龍は教室の前で立ち止まり、どうやって入ろうかと思案していた。


時間にルーズなところが、少しだけ彼の欠点だった。


『気づかないうちに入れないかな。』


小さく深呼吸をし、そっとドアを押す。できるだけ静かに、そして素早く自分の席まで――


「如月くん?」


ピタッと動きが止まる。


「今入ってきたようですが、何か事情でも?」


「……くっそ。」


教室は静まり返っていた……そして彼は、思いっきり声に出してしまった。


教室のあちこちで、クスクスと抑えた笑い声が漏れる。


龍は咳払いし、できるだけ平静を装おうとした。


「は、はい……ここまで走ってきました。すみません、先生。」


先生は腕を組んだまま、じっと龍を見つめた。数秒の間が空いた後、静かに口を開いた。


「今回は見逃しますが、クセにならないようにしてくださいね。」


「ありがとうございます、先生……」龍はホッとしたように小さく息をついた。


そしてそのまま、自分の席に腰を下ろした。


もっと厳しく叱られると思っていた分、胸をなでおろした。


歴史の授業はすでにかなり進んでいた。他の生徒たちは真剣にノートを取っている。


龍はノートを開いていなかったが、耳だけはちゃんと使っていた。


歴史――


数式や公式とは違って、歴史には「重み」があった。過去の出来事ひとつひとつが、今の世界を作っている。


そして、今の自分に必要なのは――この世界を知ること。


ポーターホルダー(能力者)。瘴気ミアズマ。変異した血。


すべての始まりは何だったのか?

どうして、自分の体には「何か」があるのか?


――もしかしたら、答えは歴史の中にあるのかもしれない。


気がつけば、自然とノートを開いていた。


ベルの音が、もうすぐ鳴りそうだった。


無意識のうちに、龍は集中してノートを取り続けていた。まるで手が勝手に動いているかのように。


そのとき、誰かに腕を軽くたたかれた。


「なあ、如月、このあと予定ある?」


顔を向けると、数人の男子がこちらを見ていた。


話しかけてきたのは、背が高くて細身の、茶色のくしゃくしゃ髪をした少年だった。どこか気の抜けた笑みを浮かべている。


「俺、石川 蓮(いしかわ れん)。よろしくなー」気楽そうに名乗った。


その隣で、黒髪をきちんと整えた、真面目そうな少年が軽くうなずく。


西村 隼翔(にしむら はやと) です。俺たちも一年です。」


「え、あ、如月 龍 です……」突然の自己紹介に戸惑いつつ、名乗り返す。


蓮はニッと笑った。


「よしっ!じゃ、これから 新京(しんきょう) の中心街まで行こうぜ。気分転換にもなるしさ。お前、転校してきたばかりだろ?」


「せっかくだし、街のこと少しでも知った方がいいと思ってな。」と、隼翔が落ち着いた声で続ける。


龍は目を丸くした。まさか、誰かが自分を誘ってくれるとは思っていなかった。


というか――誰かが、わざわざ自分を“仲間に入れてくれる”なんて、想像すらしていなかった。


一瞬、断ろうかと思った。


普段からあまり出歩くタイプではない。


でも――ここ数日の出来事を思い返して、ふと考える。


……少しくらい、気晴らししてもいいかもしれない。


小さく笑って、ため息を吐いた。


「……うん、行くよ。」


電車を降りた瞬間、龍がまず感じたのは――街の喧騒だった。


人、人、人。


通りは人の波で埋め尽くされていた。行き交う群衆、交差点ごとに光るネオンサイン。カフェ、レストラン、ショップの広告が次々と切り替わり、まばゆい光を放っている。

ビルは高く、近未来的なデザインの中にもどこか懐かしい伝統の香りを残していた。


屋台の料理から漂う香ばしい匂い。ゲームセンターやカラオケの前にたむろする若者たち。


「こんなに人多いの、いつもなのか?」龍はあたりの光景に圧倒されながら尋ねた。


蓮が笑った。


「うん、この辺りは特にね。新京 は眠らない街だよ、如月。」


「すぐ慣れるさ。」と隼翔が言って、近くのコンセプトカフェを指差す。


龍は周囲をじっと見回した。


ここは、自分が慣れ親しんだ世界とはまるで違う。


美山(みやま) では、通りは静かで、空気は澄んでいて、毎日が変わらない安心感に包まれていた。


ここは――混沌だ。けれど、ただの混沌ではない。


生きていた。ざわついて、きらめいて、熱を持った混沌。


「行こうぜ。見せたい場所があるんだ。」蓮が龍の背を軽く押す。


龍はそのまま二人のあとについて歩き出す。目に映るすべてが新鮮で、心がざわつく。だが、どこか心地よい。


こんなふうに――何の違和感もなく人の中に混ざれているのは、いつぶりだろう。


ネオンが照らす路地裏を歩きながら、様々な店を通り過ぎる。人混みの中をすり抜けながら歩いていく。


途中、大型スクリーンが目に入り、ポーターホルダー 関連のニュースが流れていた。


「見て、龍。」と、隼翔が画面を指差して足を止める。


スーツ姿の男が複数のエージェントに囲まれて歩いている映像だった。


「特殊クラスのポーターホルダーであり、異能対策局(いのうたいさくきょく) の国内指導者である星川 一真 (ほしがわ かずま)氏 が、今朝政府施設に現れました。その動向から、エリートポーターホルダーに関する新たな展開が示唆されます。」


龍は眉をひそめた。


「……ポーターホルダーって、有名人扱いなんだな。」


「うん、MSI が高い人は、すぐ注目されるからな。」と隼翔が当然のように言う。


蓮が腕を組む。


「まあ、そう考えると……如月、お前も注目されてる側なんじゃね?」


龍はゾクッとした。良い意味なのか、悪い意味なのか――答えは出なかった。


「なあ如月、その手首のマークって……タトゥーか?」

隼翔が指差して尋ねてきた。


「え?ああ、これ……生まれつきなんだ。」龍は肩をすくめながら答える。


「へぇ、なんか狙って入れたみたいだな。妙に印っぽく見えるぜ。」蓮が言う。


「違うよ。意味なんか、ない。」


その瞬間、ポケットの中でスマートフォンが振動した。


取り出して画面を確認すると――そこには、ある名前が表示されていた。


陽葵。


いつの間にか、その表情が和らいでいた。


誰? 彼女 か?


蓮 が茶化すように笑った。


龍は鼻で笑い、

「うるさいよ」


──でも、その日初めて、心から笑った気がした。


日が沈み始めると、新京 の中心街はまるで光の祭典のように変貌した。

ビルの上空には浮遊するデジタルサインが光り、家電やエナジードリンクの広告が流れていた。

ドローンが規則正しく街路を掃除し、歩行者が通るたびに反応するインタラクティブな映像がスクリーンに映し出される。


龍は二人と共に歩きながら、頭の中を整理しきれずにいた。


「ここは……まるで別世界だな」


空を見上げると、ビルの合間を巨大なホログラムの龍が飛んでいた。


そのときだった。


周囲のスクリーンが突如、赤く染まった。

低い警告音と共に、異能対局(いのうたいきょく)のロゴが表示され、上空から合成音声が響き渡る。


「速報です。本日午後、新京第4区にあるサンテック製薬の支社にて強盗未遂事件が発生しました。過激派組織『黒炎の教団(こくえんのきょうだん)』の関与が疑われております。被害者は確認されておりませんが、犯人たちは未だ逃走中です。」


「またあいつらかよ」

隼人 が眉をひそめる。


「最近、異能対局(いのうたいきょく)も手一杯らしいな」

蓮が腕を組んだ。

「教団の動きが活発になってきてる」


何か言おうとした龍だったが、突然、右手首に鋭い痛みが走った。


焼けるような感覚。

──痣 が、脈打っている。まるで何かに反応しているかのように。


『またか……?』


本能的に視線を向けた先、薄暗い非常灯だけが照らす細い路地に、"それ" はいた。

夢の中よりも鮮明で、なお不気味。

長い外套をまとった影。顔は見えない。

だが確かに、龍を見つめていた。


そして次の瞬間──頭の中に声が響いた。


外からではない。

自分の内側から、反響するように。


『……感じ始めたか、継承者よ』


龍は動けなかった。息すら止まった。


「おい、如月?」

蓮が心配そうに声をかける。


ハッとして、もう一度路地を見た。

だが、そこには誰もいなかった。ただの暗がりが残るだけ。


「……なんでもない。ただ……何か見間違えたみたい」


蓮は疑わしげに見たが、それ以上は聞かなかった。


しかし──龍の中では、確信が芽生え始めていた。


あれは、"何か" ではない。

"何か" が目覚め始めている。


再び歩き出す三人。背後のビルに映るスクリーンが、再びニュースを流していた。


「黒炎の教団のさらなる動きが予想されます」


龍はまだ知らなかった。

あの時、痣が反応したのは──初めて、教団の一員が近くを通ったからだった。


そしてそれは、始まりに過ぎなかった。



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