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19. 交差する銃声

「臆病者の圭哉(けいや)が言っていた通りだ……神生(しんせい)流だ。高度な呼吸法とミアズマの流れを利用し、使用者のMSIをほぼ二倍まで高めることができる」


と、太絆(たいき)が戦太鼓のように脈打つ体を揺らしながら説明した。

「肉体は極限まで緊張状態に入り、力、速度、感覚……すべてが人間離れした領域に達する。代償は大きいが、その力は……言葉にできない」


乃愛(のあ)の目が大きく見開かれた。離れた場所からでも、その変化の重みが伝わってきた。太絆(たいき)の血中ミアズマは生き物のように混沌と震え、(りゅう)は半歩だけ後退した。恐怖ではなく――敬意のために。


神生(しんせい)流については読んだことがあるけど、持続できる使い手を見るのは初めて……」

と、乃愛(のあ)は意識を保とうとしながらつぶやいた。(何かが変わろうとしている――)


太絆(たいき)が一歩を踏み出した。


足元の地面が震えた次の瞬間、(りゅう)の視界から太絆(たいき)が消え、まばたきの間にその拳が少年の腹部に突き刺さった。

鈍い音が響き、(りゅう)は内臓が押し潰されるような衝撃を感じた。体が反射的に折れ曲がり、唾を吐き出しながら肺の空気を失った。


反応する間もなく、太絆(たいき)は体をひねって上方向に蹴り上げ、(りゅう)の頭部に命中させた。彼の体は数メートル吹き飛ばされ、地面を転がりながら岩や根にぶつかり、林の縁近くで止まった。


(りゅう)!」

乃愛(のあ)が叫んだ。痛む足を顧みず、彼を止めるために太絆(たいき)へと突進した。


だが、犯罪者はその動きを予測していた。残酷な笑みを浮かべながらその攻撃を軽くかわし、片手で彼女の頭を掴んだ。

重さを感じさせずに持ち上げ、寺の端にある古びた石の井戸へと力強く投げつけた。乃愛(のあ)の体は縁にぶつかり、地面に激しく倒れ込んだ。


「邪魔するな、このアマが」

と、太絆(たいき)は軽蔑のこもった口調で吐き捨てた。

「お前とあのジジイのために、面白いオモチャをいくつか用意してあるんだよ」


寺を囲む森の中から、次々と影が現れた。根の上や木々の間から、十数人のフードを被った者たちが姿を見せた。刃物を持つ者、バットを持つ者、さらには銃を手にした者もいた。多くは民間人で、強制的に、あるいは盲目的な信仰により集められた。少数は下級のポートユーザーだった。


彼らは乃愛(のあ)に殺到した。彼女はやっと立ち上がることができたが、足の傷が動きを鈍らせていた。それでも彼女は踏みとどまった。

脇腹をかすめるナイフをかわし、低い回転でその持ち主を拳で顎に打ち込んで倒した。


弾丸がかすめて飛び、負傷した腕を裂いた。乃愛(のあ)は叫び声を上げたが、すぐに体を回転させて攻撃者の武器を奪い、それを使って別の者を殴った。

呼吸は乱れ、視界もかすみ始めていたが、彼女の意志は折れなかった。


(止まれない。倒れてはいけない。(りゅう)くんが戦っているんだから。圭哉(けいや)は傷を負ってる。誰かが立ち向かわなきゃ――)


そして、体が悲鳴を上げても、乃愛(のあ)は再び拳を構え、一歩を踏み出した。


(りゅう)は苦しみながら体を起こした。呼吸は荒く、唇の端から血が流れていたが、足はまだしっかりと地を踏んでいた。

彼は顔を上げ、鋭い視線で太絆(たいき)を見据えた。その目には本能的な覚悟の炎が宿っていた。拳を握りしめると、彼のミアズマが呼応するように震えた――まるでその意志に応えるかのように。


太絆(たいき)が嘲笑を漏らした。


「ああ……これはアカデミーじゃ教えてくれねぇよ、如月(きさらぎ) (りゅう)

と、ゆっくりと歩み寄りながら吼えた。

「殺しはしねぇけど、ちょっと遊んでやるよ。ムカついたからな……ほんのちょっとだけな」


(りゅう)は、太絆(たいき)の表情が変わっていくのを見ていた。

――それは、血を求める者の顔だった。


「お前はただの反抗的な器にすぎないが、それでも 雄蓮(ゆうれん)さま の復活には役に立つんだよ!」と、太絆(たいき) は怒鳴り続けた。


「くだらないこと言ってんじゃねぇ!」と、(りゅう)が怒鳴り返し、咆哮と共にまっすぐ突進した。


衝突は凄まじかった。拳がぶつかり合う度に、空気が震えた。太絆(たいき)は狂ったような笑みを浮かべながら、粗削りでありながらも圧倒的な力で一撃一撃を返していく。その力は爆発的に増していた。まるで巨人が振るうメイスのような重さだった。


「それで終わりかよ?」と、太絆(たいき)は唾を吐くように言い放ち、右の拳を避けながら(りゅう)の脇腹に打ち込んだ。「訓練してきたって? 何のために? 他人を守るバカのままでいるためか?」


(りゅう)は腹部に一撃を食らい、血を吐きながら膝をついた。しかし、すぐに地面を蹴って反撃に転じ、太絆(たいき)の顎にフックを叩き込んだ。その衝撃に太絆(たいき)はよろめいた。


太絆(たいき)は一歩後退し、意外そうな表情を浮かべたが、笑みは消えなかった。


ふたりは再び激しくぶつかり合った。今度はさらに激しく、空気はミアズマの圧で震えた。拳が風を切り、地面の土や枯葉を巻き上げた。(りゅう)は傷を負いながらも、太絆(たいき)の動きを次第に読み取れるようになっていた。源三(げんぞう)との訓練は無駄ではなかった。


(りゅう)は一歩下がり、荒く息を吐いた。口の中に広がる鉄の味など気にしない。目を閉じ、一瞬だけ意識を内に向けた。ミアズマの流れが腕を巡り、温かい力となって彼に活力を戻していく。浮かび上がる血管に沿って、淡い青い光が拳を包んだ。


(集中しろ。焦るな)と、源三(げんぞう)の声が頭の中に響いた。(本当の一撃とは、速さではない。相手がもう避けられない瞬間に届く拳だ)


太絆(たいき)が再び攻めてきた。速かったが、(りゅう)の反応はもはや本能ではなく、完全な読みだった。敵の一歩、体重の移動、すべてが情報として彼に伝わる。(りゅう)は上へ突き上げる拳をかわし、次に来た横殴りの一撃も避けた。足運びは正確で、傷ついた身体も、鋭く反応していた。


その時、隙が生まれた。太絆(たいき) が勢い余って回転し、右の脇腹を晒した。


(りゅう)はそれを見逃さなかった。


右腕にミアズマを集中させる。拳が低く唸るように振動し始める。(りゅう)は踏み込み、太絆(たいき)のこめかみに強烈な一撃を叩き込んだ。その音は森の中に響き渡った。太絆(たいき)の身体は吹き飛ばされ、地面を転がりながら数メートル先へと弾き飛ばされた。


(りゅう)は容赦しなかった。


同じミアズマの流れを脚に送り込み、叫びを抑えながら地を蹴った。跳躍し、太絆(たいき)の勢いを乗せた回し蹴りが太絆(たいき)の胸に炸裂した。太絆(たいき)の身体は石造りの植物プラントに叩きつけられ、乾いた音と共にその一部が砕けた。


土煙が再び舞い上がる中、(りゅう)は肩で息をしながらも、構えを解かなかった。


その瞳に、迷いはなかった。


太絆(たいき)の身体は数秒間、砕けたプラントの瓦礫の中に横たわっていた。額を一筋の血が伝い、砕けた石の上に滴り落ちる。呼吸は荒く、胸が激しく上下している。ミアズマに蝕まれた皮膚の下で、脈打つ血管がまだ動いていた。


そのとき、乾いた笑い声が彼の喉から漏れた。


最初は囁くように小さな声だった。しかしそれは徐々に大きくなり、やがて痙攣するような狂気に満ちた笑いへと変わった。森の中に響き渡る、不気味な残響だった。


太絆(たいき)はゆっくりと起き上がった。震える手を地面につきながら。身体は傷で軋み、痛みで満ちていたはずなのに、その表情は完全に混沌に身を委ねた者のものだった。


「すごかった……すごかったよ、如月(きさらぎ) (りゅう)……それが我が主の力か!」と、息を切らしながら叫んだ。顔は引きつった笑みで歪み、目は見開かれ、どこか焦点が合っていなかった。「やっと……やっと面白くなってきやがった!」


「……次の段階に進む時だ」

太絆(たいき)はそう囁いた。


何の前触れもなく、彼は右手を胸の高さまで上げ、まるで真言のような形を作った。そして、しっかりとした構えを取る。目を閉じた瞬間、世界が静寂に包まれた。

太絆(たいき)は大きく息を吸い、胸を膨らませた後、ゆっくりと吐き出した。それはまるで、ただの息ではなく、内に秘めた何かを解き放つかのようだった。奇妙な静けさが彼の周囲を包み込む。


その時だった。


彼の周囲に漂っていたミアズマが激しく振動し始めた。空気が震え、彼のオーラが不規則な渦を巻きながら脈動を始めた。それはまるで、彼の体内に流れるエネルギーが暴走し、より速く、より深く流れ出したようだった。


太絆(たいき)は目を見開いた。瘴気に染まった虹彩が、不気味な光を放つ。


生き流(いきりゅう)

その声は囁きにも満たないほどの静けさだったが、その一言には重みがあった。


(りゅう)は無意識のうちに一歩後ろに下がった。その違いは明白だった。

ただの力や速さの向上ではない。

(これは……何だ?彼のエネルギーが……まるで意識を持っているみたいだ)


神生(しんせい)流、それだけでも基本形は凄まじかった。だが今の太絆(たいき)は、生き流(いきりゅう)の効果によってただ昂っているだけではなかった。彼は瘴気と完全に同調していた。それは融合と呼ぶべき境地だった。


(りゅう)は歯を食いしばる。

(ここからが……本番か)


(りゅう)は黙ってその姿を見つめていた。心臓が喉元で鳴り響くほど高鳴っていた。震える手は、疲労のせいではない。もっと深いところからくる震え。生き延びるための戦いは、これが初めてだった。勝つためでもなく、鍛錬のためでもない。ただ、生きるための戦い。恐怖は現実だった。不安が心を食いちぎっていた。それでも——彼は退かなかった。退くわけにはいかなかった。背負っているものが大きすぎたから。


「これの何が最高か、わかるか?」と、頭を傾けながら続けた。「苦しめば苦しむほど、確信できる。お前は完璧な器だってな。雄蓮(ゆうれん)さま はお前の中で咲き誇るだろう……干上がった森に燃え広がる炎のようにな」


その言葉は毒だった。狂気だった。信仰に染まりきった妄信だった。


それでも、(りゅう)は一歩も引かず、ただ黙って見つめていた。ミアズマが体の中でまだ震えていた。まるでその脅威に魂そのものが応えているかのように。


再び、緊張が高まっていく。


戦いは、まだ終わっていなかった。


太絆(たいき)が血走った目を光らせ、狂気に歪んだ笑みを浮かべながら、野獣のごとく突進してきた。(りゅう)は拳を握り締め、迎え撃つ構えだったが、それでも最初の一撃は避けられなかった。肩からぶつかってきた 太絆(たいき) に押され、何メートルも後退させられ、ひび割れた地面を引きずられた。


「来いよ、(りゅう)!俺を生かしてみろォッ!」と太絆(たいき)が咆哮し、滅茶苦茶ながらも凄まじい連打を繰り出してきた。


(りゅう)は二発、三発を受け止めたが、やがてその動きを読み取り、体をひねって四発目をかわし、反撃のストレートを腹に叩き込んだ。太絆(たいき)はそれをもろに食らったが、まるで何も感じていないかのように、さらに笑い声を高めた。口の端には泡が浮いていた。


「手加減すんなァ!殺すつもりでぶん殴れッ!」


一方で、戦場のすぐそばでも、混沌は続いていた。


乃愛(のあ)は荒い息をつきながらも、立ち続けていた。負傷した脚はうまく動かず、切られた腕からは再び血がにじんでいた。それでも、彼女は退かなかった。地面に落ちていたナイフを拾って正確な一撃を放ち、銃撃の間を跳ね回り、フード姿の敵の攻撃をギリギリでかわしていた。服は破れ、血で染まっていたが、その瞳にはまだ炎が灯っていた。


倒した敵はすぐに新たな敵で埋められる。まるで終わりのない波と戦っているかのようだった。そして、彼女の脳裏にはただ一つの映像だけがあった。


(耐えて……お願い、負けないで。(りゅう)くん……)


背後から、フードの男がナイフを振りかざして迫ってきた。乃愛(のあ)はとっさに反応し、肘を喉に叩き込んだが、その反動でバランスを崩し、地面を転がった。周囲に複数の敵が迫る。彼女は立ち上がろうとしたが、脚が言うことを聞かなかった。


そのとき、地面が震えた。


空気を裂くような轟音。


「うわああああっ!」と叫び声をあげながら、フードの男の一人が空へ吹き飛ばされた。


木々の間から、まるで人間戦車のように現れたのは、源三(げんぞう)だった。その姿は圧倒的な威圧感を放ち、筋肉は鋼のように引き締まり、その顔には激しい怒りが浮かんでいた。


「誰だァ……俺の娘に手ェ出したのはァアアアア!!」と怒号を放ち、敵二人をぶつかりざまに木へと叩きつけ、まるで人形のように粉砕した。


乃愛(のあ)は驚きながら叫んだ。


「お父さん!」


源三(げんぞう)は、ベテランの如き正確な動きで拳を振るいながら、ガンと回し蹴りの合間に叫び返した。


「死ぬなよ、乃愛(のあ)!俺はお前を埋めに来たんじゃねぇ!」


フードを被った男たちは、その凶暴な戦闘スタイルに一瞬たじろいだ。

源三(げんぞう)は生ける壁のように、止まることなく前進し、小さな攻撃をものともせず、敵を紙のように打ち倒していった。


乃愛(のあ)は、父の姿を見て、胸の奥で何かが燃え上がるのを感じた。

その衝動が、彼女をもう一度立ち上がらせた。


「置いていかれるわけにはいかない…」と、歯を食いしばって呟く。


そして彼女は源三(げんぞう)とともに再び戦場へと身を投じた。


──その戦場から離れた場所。

地域の警察署の緊急電話が甲高い音を響かせた。


時刻は午前1時47分。仮眠中だった当直の警官は、半ば寝ぼけながら受話器を取った。


「首都警察です」

彼の声には慣れた日常の響きがあった。


しかし、受話器の向こうからは、焦った早口の声が飛び込んできた。


「銃声が…! 第四地区の古い寺で! 爆発音と叫び声も聞こえたんです…! 戦争みたいで何が起きてるのか分からないけど、とにかく誰かを送ってください!!」


警官は目を見開き、体が瞬時に緊張した。

彼はすぐに住所をメモした。


「あなたは安全な場所にいますか? どこからかけていますか?」


だが、通話は既に切れていた。


警官はインターホンに手を伸ばし、ボタンを押した。


「注意。第四地区の廃寺付近で武装事件の可能性あり。即時確認を要請する。石井(いしい)巡査、対応可能か?」


「こちら石井(いしい)。了解」

低く渋い声が返ってきた。


「座標を送信する。応援を連れていけ。深刻な衝突の可能性がある」


数分後、石井(いしい)巡査──風に晒されたような顔立ちと無表情な表情を持つ男──はジャケットを羽織り、駐車場へ向かっていた。

そこに現れたのは、少し若くて痩せ型、落ち着いた動作をする上原(うえはら)巡査だった。


「一人で行くのは危ないっすよ、石井(いしい)さん。俺が運転します」


すでにパトカーの鍵を手にしていた上原(うえはら)がそう言った。


石井(いしい)は頷いた。「行こう。ただし慎重にだ。もしも通報通りなら…地獄かもしれん」


パトカーはエンジンを鳴らし、第四地区へと向かった。

最初の数分間、車内の空気は重く張り詰めていた。


その空気を和らげようと、上原(うえはら)が口を開いた。


「娘さんは元気っすか?」


「大学に通ってる」

石井(いしい)は微笑みを浮かべた。「環境工学を学んでいる。誇りに思ってるよ。いろいろあったが…あいつは立派に育った」


「元奥さんとは?」

上原(うえはら)は道から目を離さずに尋ねた。


「六年前に離婚した。お互いのためにはそれが最善だった。だが娘とはもう連絡を取っていない。残念だよ」


さらに二十分が経過した。

石井(いしい)は眉をひそめた。


「いつもの道と違うな…近道か?」


「ええ、数年前の作戦で使ってたルートです。より直線的に行けるかと」


だが、上原(うえはら)の声にはどこか違和感があった。

石井(いしい)はカーナビを確認し、周囲の景色を見回した。


暗い通り。第四地区からは明らかに外れていた。


上原(うえはら)さん…なぜまだこんなに離れてるんだ?」

石井(いしい)の声は低くなった。


──車が停まった。


上原(うえはら)はエンジンを切った。

静寂が車内を包む。


返事もせず、彼はゆっくりとドアポケットからサイレンサー付きの拳銃を取り出し、しっかりと構えた。


「個人的なことじゃないんだ、石井(いしい)

穏やかで、どこか申し訳なさそうな声だった。

「本当に…すまない」


石井(いしい)はわずかに顔を向け、目を見開いたまま、手を銃に伸ばそうとした——


パスッ。


こめかみに一発。すべてが止まった。


続けざまに二発、胸と首。彼が二度と息をすることはなかった。


石井(いしい)の身体は地面に横倒しに崩れ、最後の痙攣とともに指先がかすかに動いた。


上原(うえはら)は銃をしまい、ため息をついてタバコに火をつけた。長く煙を吸い込み、死体を見つめた。


「娘さんが前を向いて生きていけるといいな……お前には、それくらいの価値はあったよ、じいさん」

死者に届くはずのない声で、呟いた。


彼は携帯電話を取り出し、番号を押して待つ。


やがて、慎重そうな男の声が応答した。

「……はい?」


上原(うえはら)は挨拶すらせず、


「第4地区で何が起きてる? 地元警察にバレたぞ」

怒りを抑えた声で言い放つ。


「さっぱりわかりません……」

声は不安げだった。


「だったら今すぐ調べろ、このバカ野郎!

お前らのどっかのクソ寄生虫が火遊びしてるに決まってる。

俺が現場にいなかったら、異能対策局(いのうたいさくきょく)の装甲部隊が三人は突っ込んで掃除してるところだったんだぞ。

“目立つな”って言葉の意味、まだ分かんねえのか?」


「……すぐに対処します」


「いいや、いますぐやれ。それから終わったら連絡しろ。

こっちは死体の処理がある」


一方的に電話を切り、彼はタバコの吸い殻を窓から投げ捨てた。


そして、石井(いしい)の遺体に最後の一瞥を向ける。

「頭にも撃っといた。任務中の死に見えるだろ。せめてもの情けだ」


エンジンをかけ、静まり返った通りを反転して闇の中へと消えていった。


——


最後のフード付きの男たちが、森の根元に呻き声を漏らしながら倒れた。

源三(げんぞう)は荒い息を吐き、戦いの終わりを示すように息を整えた。


乃愛(のあ)は即席の包帯を腕に巻き、足には乾いた血。よろめきながら父に近づいた。


「大丈夫か?」と源三(げんぞう)が問いかけた。まだ警戒を解かずに。


「うん……なんとか」乃愛(のあ)は息を切らしながら答える。

「でも……もう残ってないと思う」


二人は辺りに転がる気絶した敵と、その一部が所持していた武器を見つめた。

源三(げんぞう)は地面を顎で示した。


「武器を集めるぞ。まだ動けるやつがいたら面倒だからな」


無言で、二人は銃火器を集め始めた。

素早くマガジンを抜き取り、弾を裂けたコートの布切れで即席の袋に入れていく。

空にした銃はまとめて、開けた場所の隅に積み上げられた。動ける者の手が届かないように。


乃愛(のあ)は額の汗をぬぐい、遠くから聞こえる衝撃音と叫び声に目を上げた。

ミアズマの震動が響く。あれは——間違いない。


(りゅう)くん……」


二人はその声の先へと視線を向けた。


木々の間、(りゅう)太絆(たいき)がぶつかり合っていた。

激しい衝突。ミアズマのうねり。空気が切り裂かれ、怒りと速さが交錯する。

地面が、二人の足元で震えていた——。


乃愛(のあ)は一歩前に出た。筋肉が本能的に緊張していた。声が震える。


「助けなきゃ……」


だが、しっかりとした手がその肩に置かれた。源三(げんぞう)だった。


「駄目だ」低く、しかし落ち着いた声で言った。「彼に戦わせてやれ。あいつは覚悟を決めてる。今、お前が出ていけば……彼が求めてるものを奪ってしまうことになる」


乃愛(のあ)は歯を食いしばった。身体は動きたがっていたが、父の声の中にあった何かがそれを止めた。視線を落とし、深く息を吸い込む。


——そして、思い出した。


如月(きさらぎ)(りゅう)と出会ったあの日のことを。


正直な目をした少年。まだ癒えていない傷を抱え、それでも恐怖も痛みも隠そうとしない姿。むしろ、それを奇妙な誇りを持ってさらけ出していた。


(強がってるんじゃない……)


最初から、(りゅう)は彼女が築いてきたものすべてに痛みを伴う対比を与えていた。


彼女は、捨てられるのが怖くて、強くなった。


彼は、他人を守るために、たとえ自分が壊れても、強くなろうとしていた。


彼女は、壁を築いた。


彼は、橋をかけてきた。


乃愛(のあ)は拳を握りしめた。あの頃は、なぜ彼の脆さと決意の共存が自分を苛立たせるのか、理解できなかった。自分にとっては弱さでしかなかったそれが、(りゅう)の中では……勇気に見えたのだ。


そして、いつの間にか——どうしてかも分からないまま——彼を尊敬するようになっていた。


力のためじゃない。


彼の「愛し方」のために。


何もかも失ってもなお、(りゅう)は「守る価値がある」と信じていた。


その想いが……彼女に希望をくれた。


胸が痛むような、そんな希望。


密かに、でも確かに、自分も欲しいと願った希望だった。


(りゅう)の打撃は、どんどん正確さを増していた。ミアズマを巧みに操り、動きの一つ一つに強烈な力を宿らせていた。太絆(たいき)ですら追いつけないほどに。その呼吸は荒くなっていたが、目は決して揺らがない決意を燃やしていた。(りゅう)は、彼を超えようとしていた。


(りゅう)が見せるその闘志は、戦場で磨かれた兵士そのものだった。身体は痛み、手足は鉛のように重く、それでも彼の意志は折れることなく、前進だけを見据えていた。


神生(しんせい)流……すごい……動きがほとんど見えない)と、(りゅう)は心の中で思った。太絆(たいき)が何度も立ち上がるのを見ながら。その身体は見えない炎のような気配に包まれていた。


神生(しんせい)流は、太絆(たいき)を前進させていた。MSIは高水準を維持したまま、生き流(いきりゅう)の術式によって彼はトランス状態に入り、速く、強く、ほぼ止められない存在と化していた。エネルギーは血管を駆け巡り、痛みをかき消し、常人の限界を超えさせていた。——だが、代償は、徐々にその表情に現れ始めていた。


体は正確に動いていたが、顔は誤魔化せなかった。汗で濡れた肌、開いた口元、張り詰めたまぶた。呼吸は乱れ始め、短くなっていく。かつての傲慢さを宿していた瞳には、疲労の影が差し始めていた。まるで一秒ごとに、崩壊の淵へと近づいているように。


太絆(たいき)は、顔面へ向かってきた拳をかろうじて避けたが、脇腹の一撃は防ぎきれなかった。大きくよろめく。歪んだ笑みがその瞬間、砕けた。ほんの一瞬、その瞳に恐れのようなものが浮かぶ。それは痛みのためではなく、内側から忍び寄る限界の気配に対する恐怖だった。


「クソが……」と吐き捨て、後退しながら体勢を立て直そうとする。


だがその時、不意に、空気を裂く乾いた音が響いた。


——バンッ!


銃声。


即座に衝撃が走った。


(りゅう)は咄嗟に身体をひねり、くぐもった悲鳴を漏らしたまま膝をついた。左脇腹に手を当て、そこから溢れ出す血がシャツを赤く染めていく。


(りゅう)くんっ?!」

乃愛(のあ)が心臓を凍りつかせるような叫び声を上げた。


暗闇の中から、優雅な雰囲気を纏った人影が静かに現れた。右手にはまだ煙を上げるリボルバーを持ち、長いコートが風に揺れている。暗いサングラスに隠された瞳には、一片の感情も浮かんでいなかった。


太絆(たいき)は眉をひそめ、その姿を認めた。


「|(あさひ)《あさひ》…?何してんだ、ここで」


(あさひ)はゆっくりと銃を下ろした。


「上層部は、お前がやらかしてる茶番に気づいたんだよ」

その声は穏やかだが、刃のように鋭かった。

「それに──誰を巻き込んだかってこともな。今回の件で、お前はただじゃ済まないぞ、太絆(たいき)


「俺は状況を把握してた!」

太絆(たいき)は唸るように言い返した。


(あさひ)(りゅう)のすぐ傍まで歩み寄った。彼はまだ血まみれの手で自分の腹を押さえ、何とか意識を保っていた。


「そうは見えなかったがな」

(あさひ)太絆(たいき)に目もくれずに言った。

「安心しろ。殺すつもりはない。まだ熟していないからな。今は、必要な段階じゃない」


彼はコートのポケットから金属製の小型装置を取り出し、スイッチを入れた。細く光るコードがゆっくりと伸び始める。


「家の専属医に預ける。ここよりはマシな環境で手当てできるだろう」


そのときだった。林の端から、ひときわ速い影が走り出た。


「そいつから離れろ!」


怒声と共に、加納(かのう) 祐介(ゆすけ)が姿を現し、重い蹴りを(あさひ)の顔面に向かって放った。


だが──(あさひ)は並の相手ではなかった。


まるで何事もなかったかのように、彼は狙撃銃を片手で持ち上げ、その蹴りを受け止めた。強烈な衝撃で後ろに二歩退いたが、地面が軋んだだけで倒れることも、銃を落とすこともなかった。そのサングラスの奥の眼差しは、依然として冷徹だった。


加納(かのう) 祐介(ゆすけ)か」

(あさひ)は軽蔑のこもった声で銃を下ろした。

「あの老司令の忠犬……貴様まで首を突っ込むつもりか」


加納(かのう)(りゅう)(あさひ)の間に着地し、闘う覚悟を込めて構えた。


「もう二度と、そいつに手を出させない」


膝をつき、血を流しながらも、(りゅう)はその声に顔を上げた。


「……加納(かのう)……来てくれたんだ……」


加納(かのう)の視線は一瞬たりとも(あさひ)から逸れなかった。


「もう少しだけ耐えろ、(りゅう)。今度は──俺が守る」


(りゅう)は奥歯を食いしばり、血に染まった衣服の下で、なおも燃える意思の炎を絶やさなかった。


(あさひ)は銃を肩に担ぎ、舌打ちをした。


「戦いに来たわけじゃない。だが、これ以上邪魔するなら……その口、後悔することになるぞ」


二人の間に漂う空気は、一触即発の緊張を孕んでいた。


(あさひ)は細めた目で睨みつける。その瞬間、風が一時的に止んだように感じられた。


「──なら、血を流す覚悟を決めろ。忠犬」


彼が一歩踏み出したとき、地面が軋んだ。


そして──嵐が始まった。

夕暮れの光が薄れていく中、二つの影が交差した。

一発の銃声が、全てを変えた。

その瞬間、誰もが気づいていなかった。

これは、ただの始まりにすぎないということに──。


読んでいただき、本当にありがとうございました。

次回も、どうぞお楽しみに──。

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