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17. 英雄の証明

寺院の広間は、ひび割れた天井から滴り落ちる水音だけが響く、墓場のような静寂に包まれていた。石と苔に覆われた床からは、冷たく湿った、鼻をつくような悪臭が立ち上っていた。壁に灯された松明の炎が揺れ動き、祭壇を囲むフード付きの人物たちの影を不規則に揺らしていた。十人──その円陣はゆがんでいた。


緒方太絆(おおがた たいき)は、錆びついた金属の台の横に直立していた。そこには、薄く擦り切れた絹の布に包まれた短剣が置かれていた。刃からは、淡い紫色の光が微かに脈打つように漏れ出しており、まるで古代の生きた力がそこに宿っているかのようだった。太絆(たいき)はそれを聖なる遺物のように両手で持ち、狂信的な光を宿した目で見つめていた。


「この短剣は……」と彼は敬意を込めた声で語り始め、黒い刃を這う文字に視線を落とした。「この世界と……我らの主の玉座をつなぐ鍵だ。」


逆さまの太陽が刻まれた柄を撫でながら、彼の指は微かに震えていた。(りゅう)は椅子に座ったまま、毒のせいで身動きが取れず、両手首は太い縄で縛られていた。


(何を言ってるんだこいつは……? その短剣で何をしようとしてる? 一体、何を企んでるんだ……?)


(まさか、本当にそんなことを──?)


(りゅう)の思考は、嵐のように混乱し、止めどなく巡っていた。胸の奥で冷たく乾いた恐怖が、固く絡まった結び目のように締めつけてくる。


彼はかつて、ネットの裏フォーラムで「雄蓮(ゆうれん)」という人物について読んだことを思い出した。百年以上前に消えた、冷酷な犯罪者。迷信に包まれた曖昧な存在。都市伝説のようなものだと、当時の(りゅう)は思っていた。ただの噂話だと。


だが、今は違う──


その時、あの予言が脳裏をよぎった。呪われたゲノムが、子孫に種として植え付けられ、ある継承者の肉体を通して怪物が蘇るという話。


(りゅう)の体がこわばった。


(まさか……俺がその継承者……?)


(そんなはずない……俺はただ……美山(みやま)で生まれただけの普通の……ただのガキだろ……?)


足元の地面が崩れ落ちるような感覚に襲われ、自分という存在の全てが崩れていくのを感じた。自分は何者なのか。血に何が流れているのか──


その答えを知りたくなかった。


だが、それは確かに彼の中で脈打っていた。


太絆(たいき)はゆっくりと、周囲の信徒たちの方へと振り向いた。全員が頭を垂れていた。短剣を直視することすら恐れているようだった。全員──ただし、一人を除いて。


「大会の日……名誉ある“客人”がその力を惜しみなく披露していたあの瞬間。無知な群衆の前で戦っていたその時……我らが“高貴な指導者”の一人は、秘密の部屋からそれを眺めていた。」


「指導者」という言葉には、怒りの毒がにじんでいた。


「俺はその時、影のようにあいつに仕えていた。従順な犬だったよ。」


太絆(たいき)は侮蔑の表情で地面に唾を吐いた。


「だが、その瞬間すら……俺は気づいていた。あいつらには資格がない。あの馬鹿には、何を見ているかすら理解できなかった。目の前に“帰還”の証があったのに。選ばれし者が。あの手首の印が。」


彼は短剣を両手で掲げるように持ち上げた。まるで神に捧げる儀式のように。


「俺にはわかった。」


俺には、確かに感じられたんだ。


その瞳が、(りゅう)を真っ直ぐ射抜いた。信仰と野心が混じった危険な輝きを放ちながら。


「この小さな集団を任されたとき……それが運命だと悟った。命令に従うためじゃない。本物の予言を成就させるためだ。俺はあいつの手から、この短剣を盗んだ。誰にも気づかれずにな。あいつらを盲目にしてやった。馬鹿どもには、再臨と昇華の瞬間を見せるつもりはない。雄蓮(ゆうれん)さまの、その時を──」


(りゅう)はごくりと、喉を鳴らした。


(こいつ……自分の指導者を裏切ったってことか?)


(この男、自分の意思だけで……あの怪物を復活させるために動いたのか?)


「……完全に狂ってる……」(りゅう)はかすれた声でつぶやいた。


「そうさ、俺たちは完全に狂ってるんだよ、大導師様」太絆(たいき)は歪んだ笑みを浮かべ、短剣から視線を外さずに答えた。「だがな、この腐った時代を超える大義のために狂ってる。黒き炎は、もう抑えきれない……その再誕は、新たなる時代への第一歩に過ぎないんだ。」


その声は決して大きくはなかったが、(りゅう)の血を凍らせるような奇妙な確信に満ちていた。


信徒たちは誰一人として動かなかった。中には石像のように硬直している者もいれば、明らかにそのローブの下で冷や汗をかいている者もいた。その中で、圭也(けいや)は蒼白な顔で地面を見つめ、今にも崩れ落ちそうだった。唇がわずかに動き、祈りのような、あるいは自分への呪詛のような言葉を呟いていた。


そんな圭也(けいや)の動揺にも気づかず、太絆(たいき)(りゅう)に近づいた。そしてその目の前に跪き、短剣を胸元にそっと置いた──直接触れることなく。


「如月龍、大導師様。思い出せとは言わない。受け入れろとも言わない。ただ……身を委ねてくれ。我らの主の炎は、もうお前の内で燃えている。」


(違う……俺の中には、あんたたちのものなんか何もない。

何を言われても、俺はあんたらの使いじゃない。)


「俺は……あの雄蓮(ゆうれん)の子孫なんかじゃない。俺は……」


──思考が止まった。


手首の印が、再び熱を帯びて脈打つ。まるで、未だ語られていない真実の余韻に呼応する鐘のように。


圭也(けいや)は拳を握りしめ、汗が頬を伝い、呼吸が乱れていた。短剣は(りゅう)の胸元で鈍く光っていた。


(違う……こんなこと、絶対に許されない……ここまで来るなんて……)


「……もう、やめろ……」圭也(けいや)が呟いた。かすかな声だった。


一人のフードの男が、わずかに頭を傾けた。疑問の気配を見せる。


「もういいって言ってるんだ!」圭也(けいや)は叫び、円を破って太絆(たいき)のもとへ真っすぐ歩き出した。


太絆(たいき)は眉をわずかに上げたが、動こうとはしなかった。


「何をしてる、圭也(けいや)……?」低い声で問う。短剣はまだ手にある。


「もう、これ以上……こんなのを正しいふりなんてできない!」


圭也(けいや)……? あいつは……光春(みはる)の兄貴じゃないか)(りゅう)は顔を上げ、ようやく彼を認識した。


(助けようとしてるのか……?)


圭也(けいや)……本当に俺のことを……それとも、ただ怖いだけか?)


圭也(けいや)太絆(たいき)に向かって突進し、腕を伸ばした。まるでその意志だけで短剣を奪い取ろうとするかのように。


だが──その手は届かなかった。


フードの一人が、他の誰よりも高く、そして屈強だった。影のように滑るように動き、その拳が空気を裂いた。次の瞬間、圭也(けいや)の脇腹に拳がめり込み、衝撃音が広間に響き渡った。彼は地面に叩きつけられ、身体をよじって苦しそうに息を吐いた。


「裏切り者め!」フードの男が唾を吐くように叫んだ。「貴様の弱さが、この円陣を汚した!」


太絆(たいき)は微動だにしなかった。圭也(けいや)のそばにしゃがみ込み、短剣の刃を彼の首筋へと近づけた。わずかに皮膚に触れるか触れないかの距離で──


「……贖い、だと?」太絆(たいき)は皮肉げにささやいた。「疑う者に贖いなどない。あるのは、罰だけだ。ただし……今日は慈悲を与えよう。お前の終わりは、今日ではない。」


彼はゆっくりと短剣を黒い鞘に収めた。その目には、なおも病的な光が宿っていた。


「立たせろ。見せてやれ。お前が避けようとした運命を、しかと目に焼き付けさせろ。藤名村様の御意志は、臆病者の叫びで揺らぐものではないと──思い知らせてやれ。」


圭也(けいや)……お前は、よくやった。でも……足りなかったんだ。

そして今から……もっと酷くなる。)


円陣が再び閉じた。詠唱が始まった。


(りゅう)は、まだ鎖に繋がれたまま、胸の奥で何かが目覚め始めるのを感じた──それは、今までずっと眠っていた“何か”だった。


太絆(たいき)は両手で短剣を掲げた。まるで聖なる遺物でも持つかのように。彼の目は、不気味な信仰に染まり、床に灯る赤い光の中で異様な輝きを放っていた。


「この短剣は……殺すために鍛えられたものではない」彼は敬虔な声で語った。刃を指で撫でながら、どこか愛おしむような仕草を見せた。「これは目覚めのためのものだ。継承者の血で鍛えられ、古のルーンで刻まれた……この刃の役目は、“継子”の肉を裂くこと。そのために存在している。破壊ではなく、“準備”のために。」


(りゅう)は床に倒れたまま、肩で息をしながら、疲労と恐怖、そして胸に燃える怒りに満ちた目で太絆(たいき)を睨んだ。


「何を……わけわかんねぇことを……」(りゅう)はかすれた声で唸るように言った。「何のために……?」


太絆(たいき)は微笑んだ。


雄蓮(ゆうれん)さまの魂が、器としてお前を認めるために。呪われた血で満たされたお前の肉体が、完全に屈するために。痛みが必要なんだよ、分かるか? 痛みこそが魂の言葉──そしてこの短剣は、帰還の序章を記す筆だ。」


彼は(りゅう)の背後に回り、二人のフードの男が(りゅう)の体を押さえつけ、上半身を無理やり前に倒させた。背中が露わになった。


「……やめろ……」圭也(けいや)が地面から声を絞り出した。腕は震えていた。


太絆(たいき)はその声を聞いていないのか、あるいは無視したのか──そのまま言葉を続けた。


「この一閃で……血の道を開く。遺産が流れるように。」


その刹那、太絆(たいき)は短剣を肩甲骨から肩甲骨へと滑らせた。深く、だが致命傷ではない。まるで外科手術のような正確さで──


刃が燃えているように感じた。


「うあああああああああッ!!」(りゅう)の叫びが、拷問室のような空間を切り裂き、幾人かのフードの男たちの血の気を引かせた。


血があふれ出し、濃く熱く、床の印を染めていく。


「このクソ野郎……ッ……ぶっ殺してやる……」


太絆(たいき)の頬に、ひとしずくの深紅が跳ねた。彼は目を閉じて深く息を吸い込んだ。まるで神の香りでも嗅いだかのように。


「そうだ……そうだ、これが始まりだ。身体が開き、血が呼び……そして“印”が応える。」


円の隅で、圭也(けいや)は身をよじっていた。ただの痛みではなかった。決断の重み、自分の弱さ、そして……かつてこれが“正しい”と信じていたその罪が、彼を縛っていた。


「……ごめん……(りゅう)さん……」彼は涙を落としながら、かすれた声で呟いた。「……本当に、ごめん……」


太絆(たいき)は、まるで恍惚の祈りの中にいるかのような顔で、もう一度短剣を動かした。今度は、(りゅう)の背骨の中心に沿って、腰の辺りを斜めに深く裂いた。


口元の猿轡が、彼の悲鳴を押し殺した。


血がじわじわと溢れ出し──まるで、短剣が眠る何かを深淵から呼び覚ましたかのようだった。


──その瞬間、(りゅう)の世界が傾いた。


猛烈な吐き気が胃をかき回し、視界の端が暗く染まり始めた。呼吸は乱れ、胸の奥が締めつけられる。周囲のフード姿の声は歪み、水中のように聞こえた。だがその人間のざわめきの中に、別の音が紛れ込んでいた。


もっと古い。もっと深い囁き。


言葉にならない囁き。まるで霧の中で折れる枝のように、不気味に、軋みながら響いてくる。


『……いれろ……われを……』


背骨を伝って冷気が走った。それは古代の氷のように冷たく、刃のように鋭かった。


如月 龍(きさらぎ りゅう)の目が見開かれた。囁きはもはや外からではない。内側から、脳の奥底から直接響いてきていた。そして、彼は“それ”を感じた。


影。


夢の中だけの存在ではなかった。今、ここにいる。すぐ背後で息を吹きかけるように、確かに存在していた。黒炎に包まれ、背に止まった時計を抱くその姿──彼の悪夢を支配していた存在。だが今は、言葉を発していた。何かを伝えようとしていた。その声は遠く、濁っていて、何世紀も閉ざされた亀裂から漏れ出るようだった。


(お前は……何だ……)(りゅう)はよろめきながら、意識を繋ぎとめようとした。


だが、返答はなかった。ただ、さらに深い残響だけが返ってきた。


『……おまえのすべて……おまえの未来……』


そのとき、(りゅう)の手首に刻まれた印が再び脈打った。だが、それはかつての灼熱ではなく、空虚な鐘の音のような警鐘の脈動だった。


儀式の間に漂う空気は、鉄と生血の匂いで満ちていた。二度目の切り傷はまだ背中に生々しく、(りゅう)の呼吸はすでに限界を迎えていた。革の帯で祭壇に縛りつけられた身体が、意思に反して痙攣する。


「……う、ああああああああっ!!」


苦痛と怒りの咆哮が、古びた石の壁に響き渡った。魂が砕けるような絶叫だった。


血が濃く赤く流れ出し、開かれた肌の上を奇怪な紋様のように滑っていく。だが、彼を引き裂いていたのは傷だけではなかった。右手首の印が灼熱のような輝きを放ち始め、まるで呪われた電流が体内を駆け巡るかのようだった。


印から伸びる血管が黒ずみ、皮膚の下で乾いた枝のように浮き出し始めた。それは腕から肩へ、そして背中へと這い上がっていく。まるで内部に潜む何かが、痛みに呼応して目覚めていくように。ミアズマそのものが儀式に抗って暴れ出すように。


見えない囁きは石の壁の間を踊り、世界の均衡が崩れ落ちる直前のような錯覚を与えていた。


太絆(たいき)は恍惚とした笑みを浮かべ、両手で儀式用の短剣を高く掲げた。目は狂信に濁っていた。


「この血で……雄蓮(ゆうれん)さまはお戻りになる……」と陶酔したように呟く。「器が整い……魂が目覚める……」


そして、ためらいなく三度目の切り裂きを振るった。今度は深く、正確に、そして残酷に。


「ぐっ……うおおおおおおおあああああああっ!!」


(りゅう)の絶叫は、もはや人のものではなかった。脊髄から絞り出されたような、獣のような咆哮。その体は激しく震え、筋肉は今にも千切れそうなほど張り詰めた。縛られた手は意志の力だけで革の帯を引きちぎろうとしていた。


血が激しく噴き出し──だが、それだけではなかった。


印が一瞬、黒紫の光を放った。そこから広がる黒い血管は、背中に向かって一つの模様を描き出していた。それは偶然ではなかった。記号だった。(りゅう)の肉体が本能で応えるように、彼の血に眠る古代の機構が作動していた。


祭壇が震えた。微かに、しかし確かに感じられる振動だった。儀式は知らぬ間に、危険な境界を越えていた。

そして——


(りゅう)は、まだ最後の叫びを上げていなかった。


その時だった。一人のフード姿の男が、前へと踏み出した。


その足音は、血の滴る音にかき消されるほど静かだった。中肉の男は無言で進み、そのたびに黒いローブが揺れた。


太絆(たいき)は眉をひそめ、その男を睨みつけた。


「何をしている!持ち場に戻れ!」そう厳しく命じたが、視線はそのフードの奥にある顔から離れなかった。


近くにいた別のフード姿が一歩前に出て、そいつを押し戻そうとした。


「おい、貴様!命令に従え、さもなければ——!」


その言葉は最後まで届かなかった。一瞬にして、男は肘を振り上げ、相手の顎に打ち込んだ。乾いた音が鳴り響き、男は骨の塊のように崩れ落ちた。


Oneワン」と、フードの男が英語で低く呟き、倒れた仲間のナイフを抜いて構え直す。


別の敵が銃を構えた。しかしその瞬間、フードの男は影のように動いた。壁を蹴り、宙で回転し、その勢いで銃を蹴り上げる。相手の腕を捻じ曲げ、武器を奪い取り、床に叩きつけた。


Twoツー」——彼はそのまま銃を構える。


場にいた者たちは、混乱しながら一歩また一歩と後退した。


そして——


男は太絆(たいき)に向かって一直線に歩み寄った。太絆(たいき)は驚愕して一歩後ずさったが、反応する間もなかった。


その手が伸び、彼の首を掴み、数センチ空中に持ち上げる。そして銃を向けながら、その目で睨みつけた。


太絆(たいき)の目が大きく見開かれる。驚きと、呼吸の苦しさが交差した。


「ぐっ……おまえ……何者……っ!」と、顔を真っ赤にしながら呻く。


男は答えなかった。ただ、静かにフードを脱いだ。


短く刈り込まれた金髪が揺れ、黒いマスクが口元を隠している。その鋭く緑の瞳は、刃のように鋭く、静かな怒りと揺るがぬ決意を宿していた。


Threeスリー」と、冷たく呟いた。


そしてそのまま、太絆(たいき)を石の床に叩きつけるように投げ捨てた。


ガッ……!


部屋中に、乾いた衝撃音が響いた。太絆(たいき)は呻き声を漏らしながら、苦痛に身をよじった。


その様子を、床に倒れていた圭也(けいや)が目を見開いて見つめていた。恐怖と困惑に凍りついたまま。


「女……?どうして……」


乃愛(のあ)は答えず、マスクを外して(りゅう)のもとへ駆け寄った。彼はまだ縄で縛られ、傷にまみれている。


彼女はすぐに膝をつき、彼の首に二本の指を当てた。


「……まだ息がある」


立ち上がった乃愛(のあ)は、腰の後ろから隠していた短いクナイを引き抜く。そして周囲のフード姿たちを鋭く見据えた。


「一歩でも近づいたら……これを喉に突き立てる」


その静かな声に、幾人かがたじろいだ。太絆(たいき)が呻きながら転がる姿が、彼らの士気を砕いた。


だが、全員が退くわけではなかった。奥から短い合図が飛び、曲刀を構えた狂信者たちが乃愛(のあ)に殺到した。


彼女は動かなかった。最後の瞬間まで。


そして水のように滑らかに身をかわし、一人目の斬撃を紙一重で避けると、足払いをかけた。相手が崩れる間に、その武器を奪い、次の攻撃を受け止めた。


もはや一振りの刃ではない。彼女の手には、奪った二本の刃があり、それらが鋭い稲妻のように舞い踊る。


動きは速く、無駄がない。一人、また一人と、敵は地に倒れていく。


恐怖に駆られた一人が銃を構える。


しかし——


ドォン!!


寺院の扉が爆音とともに破裂し、無数の木片が宙を舞った。


「ナメんなよ、バカ野郎ォオオオ!!」雷鳴のような怒声が響き渡る。


源三(げんぞう)が嵐のごとく突入した。その巨体は怒りの塊のようで、一人が銃を放とうとした瞬間、彼は壁に押し付け、そのまま身体を回転させて反対の拳で地面を打ち砕いた。


ドゴォン!!


衝撃波が床を走り、石片が宙を舞い、五人の敵が吹き飛んだ。


「まとめてかかってこいやァアア!!」


源三(げんぞう)の目が燃えるように輝く。


乃愛(のあ)は静かにうなずいた。言葉は要らなかった。


彼女は再び、刃の舞へと身を投じた。鋼の閃光が、空気を裂くように走る。


地面を這っていた圭也(けいや)は、まだ半ば意識を失っている(りゅう)のもとへ這い寄っていた。


(りゅう)さん……!行くぞ、ここを出ないと!手を貸せる!」


(りゅう)は苦しみながらも圭也(けいや)の肩に体を預けた。


「んぐ……なんで……助けてるんだ……?」


「もう誰かを裏切るのは……嫌なんだよ」


二人が寺の側面にある出口へと向かっていると、乃愛(のあ)はその姿を目にした。ためらうことなく、彼女はナイフを圭也(けいや)の胸に向かって投げた。


「待って、先輩!!」(りゅう)が叫び、圭也(けいや)の前に飛び出した。


ナイフは圭也(けいや)の顔すれすれの壁に突き刺さり、振動した。源三(げんぞう)が顔をしかめ、二人に近づこうと足を踏み出す。


「こいつらのこと、信じられるわけないだろ、(りゅう)くん!」


「大丈夫だ……」(りゅう)は息を切らしながらも圭也(けいや)に体を預けて言った。「彼が……俺を助けた。あいつらとは違う」


源三(げんぞう)乃愛(のあ)を見た。彼女は一瞬ためらい、唇を引き結んでからうなずいた。


「……ちゃんと戻ってきなさいよ。もしアンタに何かあったら、そいつを探し出してただじゃおかないから」


(りゅう)はうなずき、圭也(けいや)に支えられながら寺の壁に隠された通路へと姿を消した。


―――


(りゅう)は岩に背を預けていた。背中は血で染まり、左肩から右の肩甲骨にかけて大きな切り傷が走っていた。全身が痛みに脈打っていた。


「我慢してくれ……これなら効くはずだ」圭也(けいや)は小さな黒い瓶を取り出した。そこには黒炎の教団の印が刻まれていた。


「それは……?」


「止血剤だ。出血を止める。でも……激痛が走るぞ」


(りゅう)は歯を食いしばりながら、ただうなずいた。


圭也(けいや)は瓶の蓋を開け、緑がかった液体を傷口に注ぎ込んだ。


痛みはすぐに襲いかかった。焼けるような激痛が(りゅう)を突き上げ、彼は叫び声を上げた。岩を握りしめ、全身を震わせながら、泡立つ薬液が裂けた肉に沁みていった。


「うあああああああああああッ!!」


圭也(けいや)は黒い布で傷を強く押さえた。焦げた薬草のような匂いがあたりに広がっていった。


「ごめん…もう少しで終わる!」


徐々に出血が止まり、(りゅう)の呼吸は荒く、全身が汗に濡れていたが、彼は意識を保っていた――生きていた。


圭也(けいや)は罪悪感に満ちた眼差しで彼を見つめた。


「お前にされたことをなかったことにはできない…でも、ここからは連れ出せる」


(りゅう)は涙で濡れた顔をかすかにうなずかせた。


一方、寺院の中では、乃愛(のあ)が敵の群れの中で舞うように動いていた。吊るされた提灯のちらつく光の下、彼女のナイフが閃きを放つ。その中で、何かが彼女の意識をかすめた――不在。


「…緒方 太絆(おおがた たいき)?」乃愛(のあ)は息を切らしながら呟き、動きを一瞬止めた。


しかし、太絆(たいき)の姿はすでになかった。


風が木々の梢を激しく揺らし、乾いた葉がひび割れた石畳の上を渦を巻いて舞っていた。(りゅう)は苔むした岩に背を預け、荒い息を吐いていた。圭也(けいや)は震えながら、彼の背の傷を確認していた。


「…よし、止まった…もう少し頑張って…」


その時だった。


空気の中に重苦しい圧力が走った。背筋を撫でるような悪寒。そして、闇の中から一つの影が現れた。


「もう帰るつもりか?」憎悪に満ちた声が響く。


太絆(たいき)がゆっくりと姿を現した。髪は乱れ、目は怒りで燃えていた。その右手には画面がまだ光る携帯電話がぶら下がっていた。誰かに…電話をかけていた?


「くそっ…」と圭也(けいや)が呟き、(りゅう)の前に立ちはだかる。両腕を広げ、まるで人間の盾のように。


「今さら勇ましいふりか、圭也(けいや)太絆(たいき)は冷笑を浮かべた。「まずはお前だ…その次は妹。住所はもう手に入れた。親の所にも行ってやるよ。お前が俺を裏切ったことを…死ぬほど後悔させてやる」


圭也(けいや)は歯を食いしばった。


「…絶対に…触れさせない!」


太絆(たいき)は何も言わなかった。ただ、突進してきた。


瞬間、拳が圭也(けいや)の顔面と腹部に連続して叩き込まれる。一撃、また一撃。太絆(たいき)の口から罵声が飛び出す。


「クズがッ!」ドンッ。「裏切り者ッ!」ドンッ。「腰抜けがッ!」


圭也(けいや)は抵抗しようとしたが、体はすでに限界に近く、立っているのがやっとだった。必死の思いで太絆(たいき)の腰にしがみつき、木に押し付けて動きを封じようとする。


「…お前なんかに…好きにはさせない…!」


しかし、太絆(たいき)は肘を圭也(けいや)の背中に容赦なく叩き込んだ。


「うあああああっ!!」


圭也(けいや)の悲鳴が響く。


「哀れだなッ!」太絆(たいき)が怒鳴りながら拳で彼を殴り飛ばす。数メートル吹き飛ばされ、石の壁に背中から激突した。


鈍い音が響き、圭也(けいや)の体は地面に崩れ落ちた。


動かない。


しかし、意識はあった。


脚が…動かなかった。


世界がぐるぐると回っていた。口から血と唾液が混ざり落ちる。涙が勝手にあふれてきた。


「…ごめん…光春(みはる)…」圭也(けいや)がかすれた声で呟く。「…姉ちゃんの夢…手伝えなかった…守れなかった…」


木々の枝の隙間から見える空を、ぼんやりと見つめていた。


「お父さん、お母さん……兄として情けない姿を見せて、ごめん。苦しめて、ごめん……」


足音が響いた。


太絆(たいき)がゆっくりと近づいてきた。その一歩一歩を楽しむかのように。その影が、地面に横たわる圭也(けいや)の前に長く伸びていく。圭也(けいや)は顔をわずかに持ち上げることしかできなかった。


「見ろよ……」と、太絆(たいき)は軽蔑を込めて呟いた。「儀式を台無しにしやがって。幽蓮さまが永き眠りから目覚めようとしていた、あの神聖な瞬間を邪魔して……何のために?英雄ごっこでもしたかったのか?」


その足音は、石の床に打ちつけられる葬送の鐘のように鳴り響いていた。ゆっくりと、無情に。


「お前は哀れだ、圭也(けいや)。昔からずっとそうだった。闇に這いつくばる寄生虫。場違いな場所に入り込んで、持ちきれないものを握ろうとした間抜けなガキ……そんな奴が、俺を裏切るなんて、思い上がりにもほどがある」


太絆(たいき)圭也(けいや)のすぐ目前で立ち止まり、まるで靴の裏についた汚れでも見るような目で見下ろした。


「俺はお前に道を示してやった。二度目の人生を与えてやった。罪に溺れて朽ち果てるだけだったお前を……見つけてやったんだ。目的を与えてやった。居場所を作ってやった。惨めな運命から救い出してやった」


そう言って、太絆(たいき)は首を少し傾けた。本気で理由を聞こうとしているかのように。


「なのに、この仕打ちか?尻尾巻いて逃げ出して……あの小娘まで連れていこうとして……俺に逆らえるとでも思ったのか?」


彼はゆっくりと儀式用の短剣を持ち上げた。その目には抑えきれない怒りの光が宿り、唇には冷たい笑みが浮かんでいた。


「最後の言葉は?虫けら」


圭也(けいや)は目を閉じた。


「やれ」


太絆(たいき)が腕を振り上げ、止めを刺そうとしたその瞬間――


轟音が響いた。


稲妻のように、(りゅう)が右側から現れた。泥と血にまみれながらも、その目は燃えていた。その拳が太絆(たいき)の頬を強打する――破壊的な一撃だった。


バキィン!


太絆(たいき)の体がボロ人形のように吹き飛び、地面を二度弾んでから、枯れ木に激突した。その衝撃で木が今にも折れそうになる。場に、一瞬だけ静寂が訪れた。


(りゅう)の呼吸は荒く、胸が激しく上下していた。まだ傷は癒えていない。まだ痛みは残っている。それでも、その瞳には揺るがぬ決意と怒りが燃えていた。


「ここでお前を死なせるわけにはいかない、圭也(けいや)(りゅう)はゆっくりと敵に向かって歩きながら言った。


光春(みはる)に、約束したんだ」(りゅう)は続けた。


圭也(けいや)は地面から(りゅう)を見上げた。涙がまだ頬を伝っていた。その唇が震える。


「……(りゅう)さん……?」


「俺はここにいる」(りゅう)は答えた。その視線はずっと、前方でうめきながら身をよじる太絆(たいき)を見据えたまま。「もう、誰にも俺の代わりに犠牲になんてさせない」


空気が、張り詰めていた。


遠くで枝が軋む音、そして血の雫が石に落ちる音だけが響く。寺院での戦闘の叫びが、かすかに風に乗って届いてくる気がした。太絆(たいき)は数メートル先の地面に倒れ、顔は腫れ、呼吸は荒かった。何とか立ち上がろうとするも、目の前のその存在から目を逸らすことはできなかった。


如月 龍(きさらぎ りゅう)――


若者はわずかに前傾姿勢で立ち尽くしていた。まるで襲いかかろうとする捕食者のように。息は荒いが、制御は失っていない。血管が首や肩、胸の一部を走り、破れた服の間からはっきりと見えた。腹部は血に染まっているが、本人は気にしていないようだった。


周囲の空気は震え、彼の存在感は重く、威圧的だった。


太絆(たいき)は目を見開き、唾を飲み込んだ。


雄蓮(ゆうれん)さま……?」と、嘲笑と困惑が入り混じった声で呟いた。「なぜ自分の最も忠実な僕を殴るのか?」


(りゅう)は頭を下げた。髪が一部、目を隠した。しかしやがて顔を上げ、太絆(たいき)の目をまっすぐに見据えた。


抑えきれない怒りが声を強張らせる。


「くだらねぇことを言うな、クズ野郎。」


一歩踏み出した。口調は確固として乾いていた。言葉の一つ一つが重みを持って響く。


「俺には僕も奴隷もいない。ましてや俺の名を使って他人を傷つけるお前のようなクズなんてな。」


太絆(たいき)は反射的に一歩後退した。


風が再び冷たく、ゆっくりと吹き抜けた。


(りゅう)は細めた目をさらに細めた。声はより低く、さらに鋭くなった。


「俺が誰に仕えているか、知りたいか?」


両腕を軽く広げ、手のひらを下に向ける。


「俺は自分に誓った約束に仕えている……守れない者を守るってな。」


間を置いた。


その目に宿っていたのは単なる怒り以上のものだった。炎だった。決意だった。


「そしてお前……このクソ野郎……もう二度と誰にも触れさせない。」


場面は一瞬、静止したかのようだった。灰色の空の下で、(りゅう)の威圧的な姿が際立つ。彼のオーラは激しく揺れていた。


後ろで、圭也(けいや)はまだ地面に倒れたまま動けず、涙に濡れた目で見つめていた。



闇に染まった名を拒み、少年は己の正義を貫いた。


ここまで読んでくださり、心より感謝いたします!

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