帰還後
隠れ家に戻るなり、ベルゼブブは叫ぶようにニュクスに言う。
「主!! なぜ、なぜあそこで戦いを止めたのですか!? 主のお力なら、ジャガーノートを始末し人間どもを一掃できたのでは……なぜ、百日後などと」
「んー……まぁ、たぶんできたと思う。でもねぇ……」
ニュクスはそっと左腕を持ち上げると……左腕がボトリと落ちた。
蒼白になるベルゼブブ。
「実は、あたしもまだ完全じゃないんだよねぇ。『第三の瞳』の酷使、ドレッドノートの無茶ぶり……作り立ての身体じゃまだ無理っぽかった。あっはっは」
「な、なんと……」
「ま、安定させるのに百日くらいかかると思う」
「おおお……!!」
ニュクスは腕を拾い、接合部にぐりぐりとくっつけた。
それだけで、左腕は問題なく動く。
「とりあえず、今は身体を完全にさせないと。栄養もいっぱいとって、あたしの軍団を召喚しないとなー」
「主。どこまでも付いていきます」
「ん、ありがとね。さーて……まずは手駒かな」
ニュクスは左手を巨大化させ、空間に亀裂を生み手を突っ込む。
「いろいろ召喚獣を召喚したり、魔人を作ったりしたけど……下手な意志を持たせるより、欲望のままに大暴れする強いやつがいればいいかなーって思うんだよねぇ……ちょっと試してみるね」
ニュクスは、鼻歌を歌いながら左手を動かす。空間に突っ込んでいる状態なのでベルゼブブには見えない。
「とりあえず、二匹……ほいっと」
引き抜かれたニュクスの手には、二匹の召喚獣が握られていた。
巨大な黒狼、そして鈍色の怪鳥。
『グオルルルルルルルルゥ!!』
『キィィエェェアァァァァ!!』
二匹は唸り、口から涎をダラダラ流している。
正気とは思えない様子だった。
「意志を消して、破壊衝動を増幅させてみた。とりあえずあたしの指示には従うから、百日後にアースガルズ王国で大暴れさせる。檻に閉じ込めて飢えさせておいて」
二匹の召喚獣こと、黒狼『ファフニール』と怪鳥『フレーズヴェルグ』は檻に入れられた。
そして、魔帝はもう一度空間の亀裂に手を突っ込む。
「主? 今度は何を」
「ん、意思のない獣は準備できたけど、やっぱりベルゼブブの話し相手は欲しいでしょ?……試作品は無駄が多くて失敗作だったけど、今度はちゃんとしたの作るから」
試作品とはテュポーンのことだ。
無駄や粗悪品を多く組み込んだせいで、醜悪なバケモノとなったテュポーン。意志や容姿を可愛らしくしてごまかしたが、やはり失敗作だ。
ニュクスは、左手を細かく動かしながら舌をぺろっと出す。
「うし……これで、こう!!」
亜空間から引き出された左手に、一人の男性が握られていた。
褐色肌に長い白髪の男性だ。男性は床に落とされると立ち上がり、全裸のままニュクスに跪く。
「我が主。ご命令を」
「ん、じゃあ。服着てカッコよくなって! ……うん、イケメンの裸っていいわー……」
「かしこまりました」
「ベルゼブブ、よろしくね」
「はっ!! ではあなた、こちらへ」
「はっ、我が同胞ベルゼブブ」
「…………」
新たな魔人の青年は、今までの誰より従順だった。
ベルゼブブは別室に案内し、自分とデザインの違う執事服を着せ、髪を梳かし紐で縛る。
外見年齢は二十代くらい。見ようによってはベルゼブブの兄にも弟にも見えた。
ニュクスの元へ戻ると、ニュクスは「おおー」と喜ぶ。
「うんうん。イケメンいい!! ベルゼブブと……あー、名前かぁ」
「我が主。我に名前をお付け願いたい」
「うん。そうだなぁ……」
ニュクスは少し考え、ベルゼブブを見た。
「ベルゼブブって『強欲』の魔人だよね?」
「人間が付けた名前はそうなっています」
「そっか。じゃあ、それっぽく考えよう。キミの名前は───」
こうして、新たな魔人───最後の魔人が誕生した。
ニュクスの最高戦力。『強欲』の魔人ベルゼブブ、召喚獣ファフニール、召喚獣フレーズヴェルグ。
そして、『大罪』の魔人アポカリプス。
百日後の準備は、着々と進んでいた。
◇◇◇◇◇◇
魔帝ニュクス・アースガルズの襲撃。
謁見の間にいた全ての人間に緘口令が敷かれた。まさか、特A級・S級召喚士が何もできず、一目睨まれただけで行動不能になったなど言えるはずがなかった。
そして、あの場にいた全員が見た。
ニュクスとアルフェンの戦い。まるで対極の存在同士の戦いは、引き分けで幕を閉じた。
そして……ニュクスが言い残した百日後。
軍勢を率いて、このアースガルズ王国を滅ぼすという。
この世界最大最強の大国は、間違いなくアースガルズ王国だ。ここが滅ぼされたら、この世界の召喚士、召喚獣ではニュクスを止めることができない。
国王は、特A級とA級に命じ、軍の準備を始めた。
たった百日。だが、それで十分。
特A級、そしてリリーシャ率いる『ピースメーカー部隊』は準備を始めた。
そんな中、S級たちは……寮にいた。
「…………チッ」とウィルは舌打ち。
「はぁ……」とアネルはため息。
「…………」と無言のフェニア。
「…………」と無言のサフィー。
「…………」と無言で目を閉じているメル。
そんな中、レイヴィニアが言う。
「魔帝様、復活した……うち、その場にいなくてよかったかも」
「お、同じく~」
ニスロクも怯えていた。
もともとニュクスが召喚した召喚獣の二人は、ニュクスの気配を察知してすぐに隠れていた。寮の自室に引っ込んで布団をかぶっただけだが。
そんな二人の話を無視し、ウィルはフェニアに言う。
「あのバカ、まだ寝てんのか?」
「う、うん。熱が下がらなくて」
アルフェンは、ニュクスと戦った直後に倒れ、酷い熱を出してしまった。
『第三の瞳』の酷使による後遺症だ。ニュクスと違い、アルフェンは生身の人間だ。ニュクスのように身体を改造しているわけではないので、目の使用に負担がかかる。
フェニアたちが落ち込んでいるのは、アルフェンのことで間違いない。だが……その落ち込みに、ウィルはズバリ言った。
「ったく、あのバカがキスされたくらいで落ち込んでんじゃおっごふ!?」
アネルの肘がウィルの腹に突き刺さる。
フェニアたちがピクリと反応した。すでに遅かったようだ。
フェニア、サフィー、メルの三人が、アルフェンを少なからず想っていることを知っていたアネル。もちろんアネルも心配だが、それはアルフェンを『弟』みたいに思っての心配だ。
メルは小さなため息を吐き……軽く頬を叩く。
「とりあえず、今後の予定……あと九十八日しかないわ。A級以上は王城に招集がかけられた。たぶん、リリーシャの指揮下に入る。それと……一時的にだけど、特A級の『封印』を解くことになった。これで二十一人の英雄は王国外で召喚獣を使える……魔帝軍を蹴散らせるわ」
ウィルが質問する。
「オレらは?」
「S級はわたしの指揮に入ってもらう。それと、二十一人の英雄とお父様、ガブリエルの提案……この三人が同じ意見になったの初めてのことだけど。アルフェンは単体で魔帝と直接戦ってもらうわ」
「……だろうな」
ウィルは納得した。
現状。ニュクスの『第三の瞳』に対抗できるのは、同じ目を持つアルフェンだけだ。
メルは、この場にいる全員に言う。
「わたしたちS級は、アルフェンの補佐。アルフェンがニュクスと直接戦えるよう、道を作る」
「道……」
「そうよ。フェニア、覚悟はできてる?」
フェニアは頷く。サフィーもアネルも頷いた。
そして、レイヴィニアとニスロク。
「おい。魔帝様と戦うなら……うちらも行く」
「す、少しは役に立てると思う……それに、ぼくらは身体が滅びても、魂はあっちに還るから」
「そう、ありがとね。でも……死ぬを前提にした助けは必要ないわ」
「いや、死なないし」
「違うのよ。あなたたちにもう会えなくなる。それがわたしたちにとっての死なの」
「「…………」」
レイヴィニアとニスロクはよくわかっていないようだ。
すると、ここでアルフェンが来た。ラフなシャツとズボンだけで、冷蔵庫から水のボトルを取ると一気に飲み干す。
「っぷぁ……はぁ、ようやく落ち着いた。で、みんな集まってなに話してたんだ?」
「そんなの決まってんだろ。今後の予定だ」
「ああ……」
アルフェンはボトルを置く。
そして、全員を見ながら言った。
「魔帝は俺が倒す。ってか、俺じゃないと倒せない」
それは、アルフェンの決意であり、王国が望んだことだった。
◇◇◇◇◇◇
その後。
それぞれ自室に戻り、夜は更けていく。
アルフェンは、ウィルに呼び出され、寮の裏庭にいた。
ウィルはベンチに座り、酒瓶とグラス、そして煙管を吹かしている。
「で、なんか用か?」
アルフェンはウィルの隣に座った。
ウィルは煙を吐き、面倒くさそうに言う。
「お前、明日から一か月の休養だとさ」
「…………は?」
「お休みだとよ。ってか、S級は授業も中断。百日後の『戦争』に備えろ、だとよ」
「……いや、なんでお前がそれを」
「顔合わせ辛いんだろ。ったく、めんどくせぇ」
ウィルはウイスキーをグラスに注ぎ、静かに飲む。
「腹黒お姫様の提案だ。休養中、お前が管理するイザヴェル領地でも見て来いだとよ。馬車じゃ半月くらいかかるけど、フェニアかサフィーの召喚獣なら数日で着く。ま、身体動かしたいなら走ってもいいんじゃねぇか?」
「……なんで、そんないきなり」
「決まってんだろ。魔帝は百日間身体鍛えたくらいで倒せる相手じゃねぇ。お前なりに倒す方法考えろってことだ。それに、この国にいたらお前、またリグヴェータ家のいざこざで面倒なことになるぞ」
「う……あ、お前も行くんだろ?」
「冗談。と言いたいが……お前の護衛を頼まれたからな。同行してやる」
「は? 護衛?」
「お前が死ねばこの世界は終わりだ。中にはいるんだよ……『狂信者』っていう、魔帝を崇拝するクソがな。昔、何人か仕事でヤッたことがある。『召喚獣による浄化を!』とか『魔帝は正しい!』とか屁みてぇなクソだ」
「お前、今までそんなこと言ってないじゃん……」
「言う必要なかったしな」
ウィルは煙管を吹かす。
不思議と、煙は甘い香りがした。
「学園も荒れるぜ。A級以上は国の防衛と戦争準備。それと、国民に公表する準備もある。『女教皇』リリーシャ率いる『ピースメーカー部隊』にお任せあれ、みたいなことも言うんだろうさ。ま、そういうクソしがらみから解放するために、腹黒お姫様が気を遣ってくれたんだ。短い最後の休暇だと思って、お前なりにのんびりしたり、魔帝を殺す算段でも付けろ」
ウィルは、どこからかオレンジジュースの瓶を取り出しアルフェンに渡す。
驚いて受け取りつつ、ウィルはグラスにウイスキーを注ぎ、掲げた。
アルフェンは思う。
「お前、こんなに優しいやつだったっけ?」
「……くっだらねぇ」
グラスと瓶がカチンと触れ合い、二人は微笑んだ。