どこまでも広がる青空の向こう
「ガハッ……」
ウィルは血を吐き、自身の抉れた……いや、ほぼ両断された肩を見た。
右腕はもう動かなかった。血が止まらず、とても眠い。
向かってくるアネルとガーネットが見えた。
「ばかばかばかぁ!! なんでこんなぁ!!」
「やか、ましい……おい、ババァ……あいつ、逃がすな!!」
「わかっている!! だがお前の止血が」
「逃がすな!!」
「っ……この、クソガキめ!!」
ガーネットは忌々しげにウィルを睨み、フロレンティアを拘束しに向かう。
だが、ウィルは気付いた。忌々しさの奥に、悲しみが含まれていることに。
それに気付いた瞬間、力が抜ける。
「チッ……」
「ウィル!!」
アネルがウィルを支える。
柔らかな胸、そして甘い匂いがした。最後は女に抱かれるのも悪くない。
ウィルは、冷たくなりつつある身体に最後の力を籠める。
「おい、あとは……任せるぞ」
「駄目!! アンタ、自分の手でケリ付けるっていったじゃん!! あいつまだ死んでない!! あんたがトドメを刺さないで誰が……」
「任せるっつったんだ……あーくそ、眠い……まぁ、こんなモンだ」
「なにを……」
猛烈な眠気がウィルを襲う───……そして。
「ぐ、がっはぁ!?」
ガーネットが、何かに弾かれ吹き飛ばされた。
ボロボロの状態で壁に叩きつけられ、血を吐く。
「せ、先生!?」
「して、やられたね……アネル、構え、な……」
「え……っ!?」
フロレンティアが吹き飛ばされた方向に、何かがいた。
『やぁ~~~ってくれたわねぇぇぇぇ~~~っ!?』
「え……」
それは、『大蛇』のような『何か』だった。
長い尾が伸び、時計塔に巻き付いていた。
蛇のような下半身に、禍々しい山姥のような女性の上半身が生えていた。さらにその山姥には、一本五メートル以上ある多関節の腕が八本も生えていた。
その八本の手にはすべて、フロレンティアの持っていた大鎌が握られている。
「これ、が……」
『色欲』の魔人フロレンティア。召喚獣としての姿だった。
フロレンティアは、老婆のようになった顔でアネルを睨む。
『この姿になるつもりなかったけど……テメェらは許さねぇ!! バラバラにして食ってやらぁぁ!!』
フロレンティアは怒り狂っていた。
アネルはウィルから静かに離れる。ウィルは立てなくなったのか崩れ落ちた。
「ウィル……すぐに戻るから」
「…………」
「アイツは、アタシが倒す!!」
アネルの両足から蒸気が噴き出される。
構え、気合を入れたアネルは叫んだ。
「『完全侵食』!!」
足だけを覆っていた装甲が全身を包み込む。
女性型の機械人形となったアネルは、全身の装甲を開き蒸気を吐き出す。そして両手から巨大な鉄杭を展開し、桃色の雷を纏わせた。
フロレンティアは、山姥のような顔を歪ませる。
『お嬢ちゃん硬そうだねぇ? ……まずはバラバラにして中身ほじくり出してやるよ!!』
「やれるもんならやってみろ!! アタシは……アタシは負けない!!」
アネルは、背中のブースターユニットから炎を噴射。フロレンティアに向かって突っ込んだ。
◇◇◇◇◇◇
ウィルは、明滅する意識をなんとかつなぎとめていた。
すぐ近くにはガーネットが倒れている。
油断したのだろう。骨が何本も折れ、全身血濡れだった。
「ば、バァ……」
口を動かすのも億劫だった。
今気付いたが、しゃがみ込んだウィルの周りには血だまりができている。
そして、呼ばれたのに気付いたのか、ガーネットが呻きながら起き上がり……血を吐いた。
「ガッハ!? っく……あぁ、内蔵やられてるねぇ。こりゃ死ぬわ」
「…………」
「生きてるかい?」
「…………」
「フン。情けない……子供に命張られて、老いぼれがこうして寝転がるなんてねぇ」
「……フン」
ウィルは笑った。
すぐ近くでは、アネルとフロレンティアが戦っている。
まるで、ウィルとガーネットのいる場所だけ、時間がゆっくり流れているような気がした。
ガーネットは、震える手で煙草に火を付ける。
「あぁ───……これが最後の一服だぁ……ふふ、あんたの隣で吸うのも、悪くないねぇ」
「……そう、かよ」
「ああ……馬鹿なガキめ」
次の瞬間───ガーネットがウィルに覆いかぶさった。
「あ……?」
「ガハッ……」
ガーネットの背中には、フロレンティアの鎌が突き刺さっていた。
アネルが何かを叫び、フロレンティアが嘲笑っている。
そう、フロレンティアはアネルをいたぶろうと、ウィルを狙って鎌を投げたのだ。
『あぁ~失敗。お前の愛する男を殺してやろうと思ったのに』
「お前ぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
もう、ウィルには聞こえていなかった。
目の前に、ガーネットがいる。
「な、んで……」
「決まってる。お前が……あたしの生徒だからさ」
ガーネットは、優しく微笑んだ。
大量の血が流れ、ウィルの流した血だまりと混ざり合う。
ウィルの目から、一筋の涙がこぼれた。
「ウィル……死ぬんじゃないよ」
「え……?」
「復讐をやめろなんて言わない。でも……全部終わったら、胸張って生きな。あんたの家族も、あたしも……それを願ってる」
「ば、ばぁ……」
「フン、最後まで忌々しいガキだね。あと、一つだけ……」
ガーネットは、胸元から一つの包みを取り出した。
その包みを開け、ウィルに押し付ける。
それは……シンプルなデザインの煙管と、煙草だった。
「煙草なんてやめなって言ったが……これがまた癖になる。吸うなら、ほど、ほど……に……ね……」
「ぁ……」
ガーネットの命が消えた。
ほんの少しの説教と、煙草を残して。
「…………くっだら、ねぇ」
そして、全ての力がウィルから抜けた。
◇◇◇◇◇◇
『───お兄ちゃん』
◇◇◇◇◇◇
「……あ?」
目が覚めると、そこは……ウィルの家だった。
自分の部屋だった。着ている服も、昔着ていた服だ。
「…………くっだらねぇ」
これはユメだ。
わかっている。ユメと現実の区別はできる。
それでも、失われた故郷にウィルは帰ってきた。
そして───……。
「お兄ちゃん」
「あ……」
「おかえり」
妹のサラが、ウィルを起こしに来た。
ウィルの唇が震えた。涙があふれ、止まらなかった。
優しく微笑むサラは───……なぜか、透けて見えた。
「お兄ちゃん」
「サラ……」
「すぐ、行かないと」
「……ごめん。ごめんサラ!! 兄ちゃん、お前のこと守れなくて……」
「いいの。あたしはもう大丈夫だから──」
すると、景色が変わる。
牧場。ウィルの家の牧場だった。
そこにいるのは、サラだけではない。
「爺ちゃん、婆ちゃん……」
ウィルの祖父母が、優しく微笑んでいた。
その後ろには、この村の住人たちが微笑んでいる。
「おふくろ……」
母は、サラの隣で微笑む。
懐かしい母の笑顔に、ウィルの胸は締め付けられる。
「親父……」
「ウィル。やれるな?」
「……あったりまえだ。オレは親父の息子だぜ?」
「フン、生意気言いやがって……お前、オレにそっくりだよ」
「へへ……」
「それと、帽子。似合ってるぞ」
「…………」
ウィルは、父の形見であるテンガロンハットをそっと押さえた。
そして、もう一人。
「……ババァ」
「フン。さっさと行っちまいな、クソガキ」
「ああ……ありがとうな、ガーネット」
「うん。いい男になりなよ」
「……おう」
「ほら、来たよ」
すると、上空───どこまでも澄んだ青空を舞う、一羽の鷹が飛んできた。
ウィルは迷わず左腕を掲げると、鷹も迷わず着地する。
「ヘンリー……」
『遅くなってゴメン』
「いいさ。相棒」
『ようやく決心できた。ウィル……一つになろう』
「いいのか?」
『うん。この魂がウィルと一つになっても、寂しくないから』
ヘンリーは、ウィルの家族たちを見る。
ウィルの心にあるこの景色は、これから決して色褪せることはない。
『ウィルの心。今まで真っ暗だった……でも、こうして闇が晴れて、どこまでも澄んだ青空が広がった。もう、大丈夫……怖くないよ』
「ああ、ありがとう……みんなのおかげだ」
ウィルは家族を、そしてサラを見た。
サラはウィルに近づき、にんまり笑う。
「えへへ。お兄ちゃん、カッコいいところ見せてね。あたしの大好きなお兄ちゃんは、誰よりも強くて誰よりもカッコいいんだから」
「へへ、ありがとよ。見てろ……オレとヘンリーの強さをな!!」
「うん!!」
サラのまぶしい笑顔。
そして、空間が光に包まれていく。
「いくぜ、ヘンリー」
ウィルは、左手を構えた。
ヘンリーの身体が透き通り、エメラルドグリーンの光となって同化する。
ウィルはテンガロンハットをくいッと傾け、呟いた。
「『完全侵食』」
◇◇◇◇◇◇
「ぐ、あぁっ!?」
『おぉぉ~~~っほっほぉ!! 楽しい、楽しいねぇ!!』
「くっ……」
アネルはフロレンティアの鎌で少しずつ刻まれていた。
フロレンティアの大鎌は鋭いが、アネルの装甲を両断できるほどではない。少しずつ、少しずつ削られていく。それに対し、アネルの武装は威力が強すぎるせいで、市街戦には向いていない。電撃を纏った拳や蹴りだけで戦っていた。
『おっほっほぉぉぉ!! 削って削って、中身をむき出しに───……んんん?』
「え……?」
フロレンティアとアネルの動きが止まった。
「…………」
ウィルが、無言で立っていた。
左手をフロレンティアに向けたまま。
そして───……ウィルが変わっていく。
「え、これって……まさか」
『わぁお♪』
ウィルの身体が変化していく。
エメラルドグリーンの左腕は、両腕に変化する。
身体を覆うのは、翡翠が変化したような軽鎧。上半身と下半身を軽鎧が覆い、足は膝下が猛禽類のように変化した。
そして、顔は人間のようなコンドル、カラス、ワシを混ぜたような顔立ちに。大きな口を開けた鳥の、口の中に顔が生えたように見えた。
最大の変化は背中。ウィルの背中に、翡翠を集めたようなオオワシの翼が生えたのだ。
ヒト型のコンドル、カラス、ワシ、イーグルの集合体。それが今のウィルだった。
「え、『完全侵食』……ウィル」
『ふふ♪ かっこよくなっちゃって……でも、どんな相手だろうと、わたしの身体に触れることはできない。もう二度と、あなたはわたしに触れない』
「……フン」
ウィルは左手、そして右手を向けた。
ウィルの両腕の人差し指が銃口になる。そう、ウィルは元々二丁拳銃スタイルだ。
両手から発射された弾丸は、フロレンティアに向かって飛ぶ。
『無駄だって───』
弾丸は、フロレンティアの腕を貫通した。
『いっ!? ギャァァァァァァァァァァァ!?』
「え、通じた!? なんで……」
ウィルは背中の翼を大きく広げ、ゆっくりと浮かぶ。
両腕を構えたまま、ウィルは言った。
「いいこと教えてやる。ヘンリーはな……オレの相棒にして『恋人』だぜ」
『なっ……』
「こ、恋人……?」
『……まさか!?』
ウィルは不敵な笑みを浮かべた。
「そう、ヘンリーはメスだ。ヘンリーと完全に融合した今のオレは、男と女みてぇなモンだ。テメェの能力は男を拒絶するが、ヘンリーの女の部分までは拒絶できない。つまり、曖昧なままのオレの攻撃はテメーに通るってわけだ」
『ば、馬鹿な……そんな』
「これが現実だ。さぁ……覚悟しやがれ。ここでテメーとケリ付けてやる!!」
ウィルの復讐……いや、戦いが始まった。