リリーシャの愛
「げっ……」
アルフェンは、職員室に出す書類を運ぶために本校舎へ来ていた。
すると……リリーシャとダオームに会ってしまった。
無視することもできたが、リリーシャと目が合い、反らしたら負けたような気がするのでそのまま見つめている。
リリーシャは、フンと鼻を鳴らす。
アルフェンと会うのは、魔人討伐以来だ。
「珍しいな。お前が本校舎にいるとは」
「別に……職員室に届け物しに来ただけ」
「ほう? 男爵は忙しいようで」
「……知ってんのか」
「当然だ。アルフェン・リグヴェータ・イザヴェル男爵様……フン、お前が爵位を得るとはな」
リリーシャは、つまらなそうに吐き捨てる。
ダオームは歯ぎしりをして黙っていた。アルフェンは気付いていないが、貴族であるアルフェンにタメ口を利くのは、爵位を持っていない伯爵家の長男として相応しくない振る舞いだからである。
「だが、忘れるな。貴様の爵位は名ばかり。あと三年し成人するまではお飾りだ」
「知ってる。つーか、なんだよあんた。いちいち絡んでくるな」
「そういうわけにもいかん。貴様はまだ私の弟だ」
すると、リリーシャはアルフェンに近づき、その頬を撫でる。
細くしなやかでキレイな指が、アルフェンに触れる。書類で両手がふさがっていたのでその手を掴むこともできない。
リリーシャは、アルフェンに顔を近づける。同じ髪と目の色、顔立ちもよく似ていた。
「お前は、私の可愛い『弟』だ。いくらお前が否定しても、爵位を得ても、家から離れても……血縁という繋がりは断てない。お前の功績は、リグヴェータ家にとって恵みをもたらすだろう」
「……ほんっと、あんたはブレないな。そこまでリグヴェータ家が大事かよ?」
「当然だ。貴族に生まれたからには、その家系を何よりも重んじる」
リリーシャは、アルフェンを排除することより利用することに決めたらしい。
敵視せず、無視せず。見かけたら話しかける。まるで姉が弟に接するように。だが、アルフェンにとって気持ち悪いとしか思えない。
リリーシャの言う通りだった。血縁という繋がりは絶対に断てない。
アルフェンが魔人を討伐しても、『リグヴェータ家の』アルフェンが討伐した、ということになってしまう。それは独立しても変わらないだろう。
そもそも、アルフェンのおかげで地位を得た父と母が、アルフェンを手放すとは思えない。たとえ独立し、アルフェンが功績を上げても、『私たちの息子が~』と周囲に言うのは眼に見えていた。
「はぁ……」
アルフェンはため息を吐く。
もう、諦めていた。
かつての模擬戦で、リリーシャとダオームには落とし前を付けている。
王子サンバルトには全く興味ないし、オズワルドは実家が獲り潰され今は鉱山で死ぬまで強制労働中。S級、A級の諍いも落ち着き、ようやく通常の学園生活を送れるようになってきたのだ。
「もう好きにしろよ。俺は功績とか興味ないし、俺が何かすることでリグヴェータ家のためになるならご自由に」
「殊勝な心掛けだな」
「でも、俺の生活を脅かすようなことをするなら容赦しない」
ビキリと、アルフェンの右目が変わる。
白目が赤く、瞳が黄金に。感情の高ぶりで『第三の瞳』が開眼する。
「俺は、俺の生活を送る。リグヴェータ家の事情とか、クソくだらねぇ茶会とかの誘いはお断りだ」
「……見合いの申し込みが殺到しているのだがな」
「知るか。俺より、後ろの奴とか、キリアス兄さんのが先だろ」
後ろの奴とは、ダオームのことだ。
言い方にイラっとしたのか、ダオームは言う。
「オレにはもう婚約者がいる。当然、キリアスにもな」
「え!? き、キリアス兄さんに婚約者!? マジで!?」
「……キリアスと同学年の、王都の男爵家の二女だ」
「マジかぁ……え、いつ婚約したんだよ?」
「学園に入学した時だ。一年半前だ」
「おお……結婚式は?」
「十八になったらだ。王都で式を挙げ、キリアスはそのまま男爵家に婿入りする」
「そうかぁ……はっ」
アルフェンは気付いた。
キリアスの結婚式は、リグヴェータ家の事情に当てはまる。
さすがに、これを無視するわけにはいかない。キリアスは間もな十七。二年ほどで卒業だ。結婚式は少なくても二年後……。
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「…………」
リリーシャはニヤニヤしている。ダオームは首を傾げているが、どうやらリリーシャは気付いているようだ。
アルフェンは、キリアスを慕っている。キリアスがいる限りリグヴェータ家の事情に関わらなければならない、ということを。
たとえ、男爵家に婿入りしてもキリアスはリグヴェータ家の事情に関わる。キリアスが頼めば、アルフェンは動く。アルフェンにとってキリアスは『兄』なのだ。兄の頼みを蔑ろにすることは、アルフェンにはできない。
「……きったねぇ」
「なんのことだ? ところで、私が主催する茶会があるのだが……」
「…………」
「招待状を用意した。ああ、キリアスに届けさせよう。受け取らなければ、届けた者に責任を取らせなければな……ん? アルフェン、どうしたのだ?」
「あんた、マジでクソだな。この悪女」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておこう。それと、貸せ」
「あ」
リリーシャは、アルフェンの書類を奪う。
「これは私が提出してやろう。行くぞ、ダオーム」
「はい……えっと、よくわかりませんけど、どうしたのですか?」
「お前はもっと勉強しろ。ではアルフェン、失礼する」
間違いなく、リリーシャのが一枚上手だった。
アルフェンはため息を吐き、くだらない茶会の参加に頭を痛めた。
「アルフェン、いるか?」
「キリアス兄さん……」
「……お前に手紙だ。その」
「招待状ですね?」
「知っているのか?」
「ええ。ものすごく知りたくなかったですけど」
と、キリアスとやり取りしたのが、リリーシャと別れて一時間後。
中庭でのんびりしていたら、ディメンションスパロウの「たまぴよ」を抱いたグリッツを連れたキリアスが、招待状を持ってアルフェンの前に現れたのだ。
招待状を受取り、アルフェンはため息を吐く。
「場所は『リグヴェータ王都邸』だ。当日、迎えをよこす」
「……どこですって?」
「王都邸。姉上、魔人討伐の報酬を使って、王都に家を買った」
「家って……」
「……オレと兄上の報酬も使って買った庭付きの豪邸だ。サンバルト殿下の所有する物件の一つだそうだ。はぁ……」
「兄さんの報酬まで使ったのか……」
「リグヴェータ家のためだ。仕方ないだろう」
キリアスは、リグヴェータ家のためにと言った。
やはり、キリアスはリグヴェータ家のためなら何でもする。そう教育されてしまっている。
兄を見捨てることができないアルフェンは、もう一度ため息を吐く。そして、グリッツを見た。
「ところで……お前、なんでそいつを連れてるんだ?」
「ああ、可愛いだろ? 実は、B級召喚士の女子たちの間で人気なんだ」
「……あんま連れまわすなよ」
「わ、わかってるよ」
アルフェンは立ち上がる。
読みたくもない招待状だが、そうはいかないだろう。
「茶会かぁ……」
「姉上、けっこうな数の貴族に招待状を送っていたぞ。しかも爵位が高い貴族ばかり」
「……そうですかい」
「王都の公爵家、伯爵家、男爵家、さらに王都でも指折りの商家なんかにも送ってた。姉上、いろんな貴族とコネを作りたいようだ」
「ははは。もう好きにしてくれ……って!! キリアス兄さん!!」
「うおっ!? なな、なんだ?」
「婚約してたんですよね!? おめでとうございます!!」
「あ、ああ……び、びっくりした。そんなことか」
「そんなことって……婚約ですよ婚約!!」
驚くアルフェン。だが、キリアスではなくグリッツが言う。
「婚約者なんて、貴族じゃ当たり前だろう。この学園の貴族生徒は、けっこうな数で婚約者がいるぞ。もちろん、ボクも」
「……お前、フェニアのこと好きだったんじゃないのかよ?」
「なななな!? あ、フェニアはその、側室に……って、そんなことお前に関係ないだろ!!」
『ぴゅるるる!!』
「あ、ごめんごめん!!」
たまぴよを揺らしたせいで怒らせたようだ。グリッツは慌てて撫でる。
すると、キリアスが言う。
「アルフェン。お前も他人事じゃないぞ。お前が爵位を得たことはもう学園中に広まっている……お前に求婚する生徒も増えるだろう」
「えぇ~?」
「まぁ、公爵家の令嬢や王女殿下が睨みを利かせている今は大丈夫だろうがな。油断するなよ」
「はぁ……」
「とりあえず、今は茶会が先だ。開催は四日後、馬車を手配したから一緒に行こう」
「はーい……はぁ」
アルフェンは、嫌そうなため息を吐いた。
◇◇◇◇◇◇
ウィルは、寮の裏庭にあるベンチに座り、町で買った紙巻き煙草を咥えた。
煙草は吸ったことがない。なので、初挑戦である。
「すぅ~───……グェッ!? げーっほゲッフォ!? げほげほっ!?」
だが、一息吸った瞬間に激しくむせた。
ガーネットやナクシャトラが吸っているのを見て真似たが、全く美味しくなかった。
煙草を足元に捨て、足裏でぐりぐり潰す。
「こら! ごみを捨てない!」
と、アネルがひょっこり現れた。
ウィルは舌打ちし、煙草を拾ってポケットへ。
すると、アネルがウィルの隣に座った。
「煙草なんてやめなよ。身体に悪いし、いいことないよ?」
「うるせぇ……何か用か?」
「うん。ちょっとお話したくて」
アネルは、赤いポニーテールを揺らしながらウィルを見た。
アネルは私服だ。薄手の赤地シャツに短パンで、細くしなやかな脚がよく見える。さらにサンダル履きなので足の指もよく見えた。
ベンチに寄りかかると、発育のいい胸が揺れる。
「ねぇ……そろそろ話さない?」
「あぁ?」
「ずーっと悩んでる。ここに帰ってきたときから、心を閉ざしてる」
「…………」
「お酒、増えてるでしょ? それに今だって煙草に手を出そうとしてる……見てられないよ」
「お前に「お前には関係ない、でしょ?……うん、関係ない。だから関わりたいの」
「…………」
ウィルはため息を吐く。
アネルを見ると、真剣そのものだった。
「何度も言う。お前には関係ない……これは、オレの問題。オレの戦いだ」
「でも、負けたんでしょ?」
「……なに?」
「『色欲』に、負けたんでしょ? もう、ウィルだけの問題じゃない。ウィルの能力じゃ、色欲には勝てない……だったら、アタシが」
ウィルは、『ヘッズマン』をアネルへ向けた。
「オレの復讐の邪魔をするなら容赦しねぇ」
「…………」
「前にも言った。これはオレの戦い。関係ないやつはすっこんでろ」
「そうだね。関係ない……だったら、話して。あなたの抱えてる過去を話してよ。アタシが関わるにはウィルの抱えてるものを理解しないといけない。だから……あなたが色欲にこだわる理由、過去を話してよ!!」
アネルはウィルの左手を掴み、銃口を胸に押し付ける。
ウィルの過去。アルフェンたちは『家族を失った』としか聞いていない。
アネルは真剣だった。
「アタシは、ウィルに死んでほしくない。だから、色欲と戦うならアタシも戦う。ウィル、アンタと一緒に戦う『理由』をアタシにちょうだい」
「…………」
ウィルは、ナクシャトラの占い結果を思い出す。
ナクシャトラの召喚獣、水晶の『運命トハ未来ノ歯車』に記されたウィルへ対する預言。
「『共ニ戦ウ仲間ヲ』……か」
「え?」
「……チッ、おい!! そこにいる連中、出て来い!!」
ウィルが叫ぶと、近くの木に隠れていたフェニア、サフィー、レイヴィニア、ニスロク。そしてフェニアが抱いていたディメンションスパロウの『くろぴよ』が現れた。
どうやら聞かれていたようだ。
「ったく……もう、いろいろブチまけてスッキリしたほうがいいのかもな」
「ウィル……じゃあ」
「話してやる。オレが何で『色欲』を憎むのか……」
すると、フェニアが言う。
「ウィル……聞いてたのは謝るけど、いつまでアネルの胸に指突きつけてんのよ?」
「「…………」」
ウィルはようやく、アネルの胸から指を離す。
アネルは赤くなり、恥ずかしそうに胸を押さえていた。




