忘れることなんてできない
なんで私はこんなにも愛されているんだろう。
―――なんていうと、すごくおめでたい奴みたいで嫌なんだけど、でも思わず口にせずにはいられないほど、事実として、私は愛されている。
男女問わず、いろんな人に。
これでもかってくらい愛されてる。
理由はまったくわからないし、誰も教えてくれない。
みんな素敵な人たちだから、正直嫌な気持ちはしないけど、同時に不気味だ。
たぶん、なにか裏があるんだと思う。
断っておくけど、私は天然じゃないし、鈍感でもない。
無意識に相手を助けたり、誘惑したりして、虜にした、なんてことはない。
そもそも、好意を示してくれる人たちと私との間柄は、ほとんど他人だ。
一緒に何かを為し遂げたとか、恩があるとか、そういうんじゃ全然ない。
はじめて会ったときから、勝手に向こうが好意を持っていた。
絶対になにかある。
けれどそれがなかなか見抜けなくて、私は今日も怯えてる。
彼らに心から愛されながら。
*
魔物と人間が長く争いを続ける異世界に私が召喚されたのは、ひらたくいえば魔方陣が誤作動したため、だったそうだ。
私がこの世界にやってくる数年前に、救世主として一人の少女が召喚された。
私と同じ、令和の日本からやってきたその少女は、召喚時に与えられた特別な魔法を使って、見事魔物を打ち払い、長きに渡る人と魔物の戦いに終止符を打った。
自らの命と引き換えに、世界に平和をもたらした。
それは壮絶な戦いだったそうだ。
少女は臆病で、私にはできないと逃げ腰なことばかりを口にしていたが、それでも決して本当に逃げたりはしなかった。何度も死にかけながら、懸命に戦い続けた。
異世界の、見ず知らずの人たちを守るために。
自分の全部を犠牲にして。
すごいよね。
本当に。
私だったら絶対にできない。
私、そんなに感受性高くないんだけど、ふだんは人前で泣いたりしないんだけど、その話を聞いたときは号泣しちゃった。
周りにいっぱい人いたのに、子どもみたいにわんわん泣いちゃった。
まあ、召喚されたばっかりで、メンタルがやられてたってせいもあるんだけど。
だってもとの世界には戻れないらしいし。
不安でしょうがなかったんだよ。
でもその子だって同じ状況だったはずなのに、それでも逃げずに戦ったなんて、偉すぎるよ。
よくがんばったよ。
そう思うと泣けてしょうがなかったんだ。
そんなわけで、私がやってきた時点で、この世界にはもう魔物って呼ばれる凶暴な生物はいなかった。
ドラゴンやマーメイドはいるけど、人と争うことはなく、むしろ共生して暮らしている。
みんな仲良く、幸せに暮らしてる。
平和な世界だ。
そんなところにやってきた私は、もちろん救世主でもなんでもなかった。
特別な魔法も使えないし、そもそも倒すべき敵も、果たすべき使命もない。
ただ魔方陣の誤作動で、理由もなく召喚されたのだ。
こんなひどい話ってない。
最初はそう思って自分の不運を呪ったけど、けどこの世界での生活は、案外悪いものではなかった。
なぜなら私はこの世界で、なにもしていないのに、貴族みたいな生活を送ることができたからだ。
この世界には国が一つしかない。
正確には国っていう概念すらなくて、人はみんな大きな社会共同体の中で暮らしている。
その共同体の代表、まあつまり王様が、私の召喚の責任は自分たちにあるとして、この世界での生活を保障してくれたのだ。
まあたしかに、私は召喚によってもとの世界での人生を奪われた。
被害者であることはたしかだ。
でも、魔方陣の暴発は事故だし。
誰が悪いというわけでもない。
それなのに、この世界の人たちは、誰もが私に同情的だった。
ちょっと引くぐらい哀れんでくれた。
そんな彼らが用意してくれた私のこの世界での生活は、とんでもなく豪華だった。
東京ドームくらいあるでっかいお屋敷(というかもはや城)に、百人近い使用人。どんな贅沢したって使いきれないお金と、あらゆる特権(私が望めば王様だろうが法律だろうがなんだって変えられるらしい)。
うん。
豪華とかそういうレベルじゃない。
いくらなんでもやりすぎだ。
私はさすがに断った。
適当な家と身分、仕事がもらえればそれで十分だといった。
けれど彼らは断固として譲らなかった。
私がこの保証を受け取らないなら、末代までの恥だと。
民衆が暴動を起こすと、そんな脅しまでする始末だった。
なにが彼らをそこまでさせるのか?
たぶん、理由は、世界を救ったあの子にある。
私に与えようとしているものは全部、あの子のために用意していたものだったんだと思う。
でもあの子が死んでいまったから、それを世界を救ったお礼をとして渡すことはできなかった。
そんなところに、私は現れた。
同じ世界からやってきた、同じ年の女の子。
宙ぶらりんだったお礼を渡すには、うってつけの相手だったんだと思う。
みんなあの子にお礼がしたかった。
でもできなかったから、私を代わりにした。
異常な好待遇の理由は、そんなところだろう。
私は結局申し出を受け入れることにした。
あの子には申し訳なかったけど、断る方が悪い気がしたから。
そんなわけで、私は貴族みたいな生活を送ることになった。
貴族とは例えつつも、社交や領地運営といった義務はない。
なにをして過ごしてもよかった。
せっかくだし魔法の勉強でもしようかな、と私ははじめ考えていた。
勉強は好きじゃなかったけど、魔法ならがんばれる気がしたし、なにより働く必要が無い分時間がいくらでもあったから、のんびりやれるだろうと思ったのだ。
ところが蓋を開けてみると、のんびりどころか、日々はめまぐるしいものだった。
なにせ来客が絶えないのだ。
ひっきりなしにやってくる人たちは、この世界の有名人ばかりだった。
(とはいっても、この世界の有名人なんて私は知らないから、全員執事に耳打ちしてもらって知ったんだけど)
若き王様、ボアズ。
最強の戦士、ルツ。
稀代の魔法使い、ララ。
絶世の歌姫、オードリー。
そして出世の道を捨てて私の補佐役(というかほぼ執事)に名乗り出た、元防衛大臣、ノア。
この五人がひっきりなしに絡んでくるせいで、私は魔法の勉強をするどころかゆっくりこの世界に馴染むことさえままならなかった。
*
「なにか不便はありませんか?」
王様のボアズは会うたびにそう訊ねてきた。
「もう少し不便であってほしいくらいですよ」
私も私で、いつも同じ皮肉を返したが、ボアズにはまったくきかなかった。
「貴方は本当に無欲な人だ」
「どんな強欲者でもこれ以上を望むのは難しいと思いますよ」
「そんなことありません。例えば私は、貴方とそう変わらない財を有していますし、ここと同じくらい広い屋敷に住んでいますが、それでもまだ欲しいものがありますよ」
ボアズのこの発言は意外だった。
なぜならボアズは、品行方正だし、偉ぶったり驕ったりしていない、絵にかいたような王様だったからだ。
欲深いようにはちっとも見えない。
絵本から飛び出してきたような、金髪碧眼の優男が欲しがるものと言えば、お姫様からの愛くらいなものじゃないか?
私は冗談のつもりで、それを口に出した。
するとボアズは、恭しく私にかしずいて言った。
「そうなんです。無理やり奪おうとしても、手に入るものではない。だから私は難儀しているんですよ―――といって諦める気は毛頭ありませんが」
ボアズは私の手を取り、接吻した。
顔色を変えて飛んできた執事のノアによって、すぐに引きはがされたけど、それからもなにかと思わせぶりなことを――――というかはっきりアプローチをかけてきた。
王様なのにいいんだろうか。
まだ若くて、后もいないという話だったけど、それにしたって迫る相手を間違えてると思う。
世界を救ったあの子ならいざ知らず、私は偶然やってきただけの凡人なのに。
でもボアズはけっこう本気みたいだった。
めちゃくちゃ忙しいはずなのに、二日と空けずに訪ねてくるし、そのたびに薔薇の花束や指輪やチョコレートや、ちょっとした、けれどいかにも恋人向けな手土産を持ってくる。
「オレはお前が好きだ」
そんなボアズより、さらに直接的にアプローチをかけてくるのがルツだった。
というかもうはっきり告白だったし、求愛だった。
「愛してる」
ちなみにこれは、はじめて会ったときに言われた言葉だ。
どうかしてる。
初対面だよ?
私は別に絶世の美女でもなんでもない。中肉中背モブ顔の16歳だ。
筋骨隆々で野性味あふれる、ボアズとはまた違ったタイプの美形のルツとはまるで釣り合わない。
それにも関わらず、ルツは初対面から私に言い寄ってきた。
その勢いたるや、獲物に狙いを定めた肉食獣といっても過言ではない。
「オレじゃ嫌か?」
そう言って迫ってくるルツに、私は苦笑いしか返すことができない。
もうなにもかもが直接的すぎて、ドキドキもしない。
いや別の意味ではしてるけど。
いわゆる壁ドンをされても、食い殺されるんじゃないか?っていう恐怖で、心臓が爆発しそうになる。
「嫌とかではないんですけど……」
「じゃあなんだ」
「えっと……私、貴方のこと、よく知らないので……」
「――――」
ルツはなにか言ったけど、声が小さすぎて、私には聞こえなかった。
「?」
私が苦笑いのまま首を傾げると、ルツは深いため息をついた。
その日はそれで終わったけど、ルツの猛攻はその後も続いている。
まあでも、一応は私の言ったことを気にしてくれたのか、ただ迫ってくるばかりではなく、ぽつぽつと自分のことを話してくれるようにはなった。
彼はどうやら、あの子と共に魔物と戦っていたらしい。
「ルツはあの子と戦いに出るまで、ずっと独りだったからね」
そう教えてくれたのは、稀代の魔女、ララだった。
ララは私より若い、十歳くらいの女の子にしか見えなかったけど、それでもこの世界で並ぶ者のいない稀代の魔法使いで、彼女自身もあの子と共に魔物と戦っていたそうだ。
「あの通り口下手だし不器用だから、みんなに距離置かれてたんだよ。実力も正当に評価されてなかった。でもあの子は……ふふ、とにかく強い人を連れて行きたいからって言って、周りの反対を押し切って、ルツを連れ出したんだ。あの子と共にいっぱい武功を立てて、おかげで周りは彼を見直すようになったけど―――」
ララは後半の言葉を濁した。
途中で不本意そうに口をすぼめると、ダメか、とぼやいて両手をあげた。
「とにかくルツは、あんまり人と話すのに慣れてないんだ。あの子のおかげで少しはマシになったけど、未だにああいう直球なものいいしかできないのは、長い間孤立してたからなんだよ」
「なるほど。……あの、じゃあもしかして、ルツさんが私に迫ってくる理由は、あの子に似てるから、だったりします?」
「――――」
ララは口を開いたけど、なにも言わずに首をふった。
それから私を抱きしめた。
ララの身体は小さかったけど、抱きしめてくる力は強かった。
「ルツは君のことが好きだよ。それは間違いない。それにわたしも、ルツに負けないくらい、君が好きだよ」
「は、はあ」
困惑する私に、ララは少しだけ寂しさが混じった笑顔を向ける。
「ねえ、魔法を習いたいんでしょ?」
「あ、はい」
「じゃあわたしが先生になってあげるよ」
「いいんですか?」
「もちろん!」
ということで、私はララから魔法を教わるようになった。
ララは毎日うちに通ってきてくれた。
それどころか気づいたらうちに住み込んでいた。
稀代の魔法使いを独占していいのだろうか、という不安はあったけど、一人で住むには広すぎる家だったし、ララは魔法の研究に使うからと空き部屋を次々に潰していったので、もらいすぎていたものを少しは返せた気がして心が軽くなった。
ララが魔法の研究をすることは、この世界にとってプラスなはずだから。
まあ屋敷を管理するのが仕事のノアは、ララが実験で部屋を爆発させたりするたびに、死にそうな顔になってたけど。
「ずるいわあ。アタシだってアナタと暮らしたいのに」
「オードリーさんも来ますか?部屋は空いてますし、歓迎しますよ」
「イヤよ。ララの実験に巻き込まれてお気に入りの服が燃えるのは勘弁だわ」
オードリーは軽く首を振って、耳飾りをシャランと鳴らした。
それからゆっくりと、見せつけるように足を組み替えた。
大胆なスリットの入ったドレスが踊る様に動く。
一挙一動が色っぽい。
絶世の歌姫であり絶世の美女であるこの女性は、ひとまわりも年下の私に、惜しみなく、これでもかというほど色気をぶつけてくる。
ルツとはまた違う意味で直接的に、私を誘ってくる。
……落ち着かない。
そわそわして仕方がない。
これならまだララの実験に付き合って髪の毛が爆発するほうがマシだ。
「うまくやったわね、ララのやつ」
そんな私の心を読んだかのように、オードリーは言った。
「騙されちゃだめよ。自分は無害です、みたいな顔して、誰よりもアナタに執着してるのはララなんだから」
「え?」
「気をつけなさい、アナタのためなら世界だって滅ぼすわよ、ララは」
「えっ!?」
冗談ですよね、と私は聞いたが、オードリーは意味深な笑みを浮かべて、羨ましいわ、と繰り返した。
「アタシもアナタと暮らしたい―――巡業がなければ、アナタのところに転がり込むんだけどな。それとも、アナタをさらって巡業に連れて行っちゃおうかしら」
超売っ子シンガーのオードリーは、日々公演のために世界中を飛び回っている。
オードリーについて行けば、世界中を旅できるし、彼女の素晴らしい歌を好きなだけ、一番近くで聴くことができる。
その誘いに、私はちょっと心惹かれてしまった。
「でも、私なんかと一緒にいて、オードリーさん楽しいですか?」
「心が踊って仕方ないくらいよ。……でも、そうね。声が震えてうまく歌えなくなっちゃうかも、っていう不安はあるわ」
「えっ」
どうしてですか、と私が訊くと、オードリーは照れくさそうに微笑んだ。
「だって、緊張するもの。憧れの人の前で歌うのは」
憧れ?スターであるオードリーが、なんのとりえもない私に?
ありえない。
ますますわけがわからない。
それならまだ一目惚れの方が納得できるくらいだ。
「己惚れないでください」
なんて私に冷や水をぶっかけるのは、執事のノアの役目だった。
「常日頃から全身に磨きをかけていて、所作も完璧ならいざ知らず、ベッドの上でものを食べ、夜更かしした挙句昼まで寝ているようなだらしのない人間が、一目惚れなんてされるわけないでしょう」
ノアは私の寝ぐせ頭を直しながら小言をもらした。
手つきは優しいが、かけてくる言葉は厳しい。
中性的な顔立ちも相まって、ノアは執事と言うよりはまるで母親か姉のようだった。
「執事ならもっと主人を立てることを言ってよ」
「こんなときだけ主人面ですか。気を使いすぎないでくれと、ふだんは仰っているのに」
「使わないでとは言ってないじゃん」
「面倒なお人ですね」
「いい主人でしょ」
そんなノアに対して、私もつい砕けた態度をとってしまう。
執事なんて、最初はどう接すればいいのかわからなくて緊張していたけど、ノアは全然かしこまったところがなくて、ずけずけものを言う人だった。
魔物がいたころは防衛大臣として、あの子のサポートについていたらしい。
それもかなりの豪腕で、世界救済の功績をあの子と二分するほどだとか。
そんな彼がなぜ地位も名誉も投げ捨てて、私なんかのお世話係になる道を選んだのか。
理由はやっぱりよくわからなかった。
本人に聞いても、あなたみたいにだらしがない人間を放っておけなかった、とかなんとか、とってつけたような答えが返ってくるばかりだった。
たしかに油断するとすぐ昼夜逆転するし、できればベッドに一日いたいし、寝ぐせ直すの忘れることもしょっちゅうだけど、同じようにぐーたらな人間は、探さなくたっているだろう。
それなのに、どうして私だけがノアの琴線に引っかかったのか。
いや、ノアだけじゃない。
他の四人にしたって、やっぱりわからない。
形は違うけど、彼らはみんなそれぞれ、私を大切に想ってくれている。
愛してくれている。
私は彼らに、なにもしていないのに。
「やっぱり私とあの子を重ねてるのかな」
そんな私の呟きを、リューは今日も黙って聞いてくれる。
「みんなはそうじゃないって否定するけどさ、それ以外に私がこんなに愛される理由ってないよね?」
自分で言ってて、私は少し悲しくなってくる。
そんな私の心を読んだのか、リューは私の肩に止まり、身体をすり寄せてくる。
「……リューは優しいね」
固い外皮は正直痛かったけど、私は自分でもリューに頬をすり寄せる。
リューは小さなドラゴンだった。
手のりサイズの、銀色の飛竜。
庭園に住み着いているらしく、私が一人で散歩していたり、夜に一人でバルコニーに出ているとやってくる。
リューという名前は私がつけた。
本人も気に入ってくれているようで、最近では名前を呼ぶと、それほど大きい声じゃないのに、飛んできてくれるようになった。
でも臆病なのか、私が一人の時しか、決して寄ってこない。
他の誰かと一緒だったり、近くに誰かがいたりすると、何度呼んでもきてはくれない。
私だけに懐いているみたいで、ちょっとした優越感がある。
「リュー」
私が呼ぶと、リューは宝石みたいな金色の目で、私をじっと見つめてくる。
その目に映る私は、なんのとりえもない、ふつうの人間だ。
美人でも、魅力のある人でも、ましてや世界を救った英雄でもない。
「私はあの子じゃないんだよ」
リューは私の周りをパタパタと飛び回る。
犬みたいに、たまにじゃれつきながら。
なんにもわかってない顔して。
「……まったくかわいいやつめ」
ドラゴンはほんの少し前まで、魔物の王と呼ばれるとても危険な存在だったそうだ。
それをあの子が鎮めて、無害な生き物に変えた。
殺すか殺されるかしかなかった人と魔物の間に、第三の道を与えた。
あの子がつくった平和な世界は、人間にとってだけではない。
ドラゴンやマーメイドやユニコーン、かつて魔物と呼ばれていた人以外の生き物にとっても、あの子は救世主なのだ。
本当にすごい。
私には絶対できなかっただろうから、私が召喚されたのがあの子のあとでよかったと、本当に思う。
でも同時に考えてしまうことがある。
もし私があの子より先にここにきていて、あの子より先にみんなに会っていたら、きっといまの生活は、すごく楽しかっただろうなって。
私は、あの五人はもちろん、こうして私にだけ懐いてくれたリューでさえ、あの子の面影を見ているんじゃないかと思ってしまっている。
「みんながよくしてくれればしてくれるほど、寂しくなるんだ」
私は旋回していたリューを、ぎゅっと抱きとめた。
「最初はさ、無条件で愛されるの、悪い気はしないしいいかなって思ってたんだよ。でも最近はちょっと辛い」
私は、みんなのことがすっかり好きになってしまったのだ。
みんなが私を好きでいてくれるように、私もみんなを好きになってしまったのだ。
でもみんなは、私にあの子の面影を見てる。
それが、悔しくて、寂しくて、悲しいのだ。
「贅沢だな、私」
おまけに性格が悪い。
自分がこんな人間なんて知りたくなかった。
私は毎日のように願ってしまう。
みんなの中から、あの子が消えてなくならないかなって。
あの子と過ごした時間が、全部私との時間に変わればいいのにって。
いっそあの子のこと、全部忘れてくれないかなって。
*****
魔物との永きに渡る戦いに終止符を打つため、この世界の人びとは異界から救世の乙女を召喚した。
乙女の名はナオミと言った。
どこにでもいるふつうの少女だったが、ナオミは特別な魔力を持っていた。
ナオミの魔力は、魔物にとって毒だった。
ナオミの魔法を受けた魔物は、弱体化し、攻撃性を失うのだ。
ナオミの力を知ったこの世界の人びとは、これで魔物を一掃できると歓喜した。
そうしてナオミは、否応なしに血みどろの戦いに身を投じられた。
*
平和な女子高生としての生活から一変、魔物の討伐に明け暮れる日々に、ナオミはあっという間に損耗した。
そんなナオミに最も同情的だったのは、人びとを統べる王、ボアズだった。
ボアズがナオミに同情的だったのは、自分と境遇が似ていたからだ。
ボアズは若くして父親から玉座を継いだため、ろくな青春もないまま政務に忙殺されていた。
ボアズがそんな自分の境遇を打ち明けると、ナオミもまたボアズに同情するようになった。
二人は互いを唯一の理解者とした。
もしも今の立場から解放されることがあったらなにをするか、なんて人には言えない夢を語り合う仲になった。
ナオミは、自分は本来ぐーたらな人間だからなにもせずダラダラ暮らしたい、と言った。
ボアズは自分もナオミとぐーたらして過ごしたいと言った。ほとんど告白だったが、ナオミは冗談だろうと本気にすることはなかった。
願いもむなしく、戦況は激化する一方で、ナオミは夢見た自堕落な生活からは遠のくばかりだった。
自身が怪我を負うこともあれば、共に戦う仲間が傷つくこともあった。
ナオミは自分を庇って誰かが傷つくことをなによりも嫌った。けれどナオミなくして勝利が無い以上、戦士たちはみなこぞって我が身を盾とした。
ナオミは人前では気丈にふるまっていた。
自分を庇って誰かが命を落としても、魔法が間に合わず助けられなかった人がいても、落ち込む姿は見せなかった。
どうしても耐えられない時だけ、人目を忍んで涙を流していた。
己の無力を嘆き、死んだ者たちにひたすら詫びた。
そんな彼女の姿に心を奪われたのが、ルツだった。
護衛の戦士の一人だった彼は、口下手で不愛想なことから、誰からも距離を置かれていた。
けれどナオミはそんなルツにも、他の戦士にそうするように、絶えず労いの言葉をかけ、笑顔を向けていた。
強い女だ、とルツはナオミのことを思っていた。
けれどナオミが一人で涙を流しながら、仲間の死を悼んでいる姿を目にして、その印象が誤りであることを知った。
ナオミは強くはなかった。
ただ必死に強がっているだけだった。
ルツはそんなナオミに心を奪われた。
この戦いが終わったら、必ず気持ちを伝えようと決心し、以降の彼の戦いぶりは、他の追随を許さぬものだった。
ナオミのために、ルツは一刻もはやくこの戦いを終わらせようとした。
一方で戦いの終わりを望んでいない者もいた。
それは戦士たちとともにナオミの護衛を務めていた魔法使いの、ララだった。
ララは当代随一の魔法の使い手であったためが、魔物の掃討にも世界の救済にもまるで関心を持っていなかった。
彼女は魔法の開発にしか興味がなかった。
それ以外の事柄には一切関心がなく、魔物が消えようが増えようがかまわないといった様子で、魔物からとれる魔道具の素材集めのためだけに護衛を引き受けていた。
そんなララは、ルツに負けず劣らず周囲から煙たがられていたが、ナオミはむしろ面白がった。
ララの自作した魔法は奇天烈なものが多く、例えば声をラッパの音のように変えてしまう魔法や、空から色とりどりのヒヨコを降らせる魔法、どんなところにも自分のサインを刻むことのできる魔法など、なんの役に立つとも思えないものばかりだった。
ふだん対魔物用の血なまぐさい魔法ばかりを目にしていたナオミにとって、その役に立たないララの魔法はとても輝いて見えた。
ララの魔法は、ナオミの憧れた魔法そのものだった。
なにかを傷つけるためのものではない。
生活に役立てるためだけのものでもない。
人を楽しませる。笑わせる。
それがナオミの思い描いていた魔法だった。
ナオミとララは親友になった。
魔物の討伐に追われる毎日はやはり殺伐としていたが、ララと笑い合うことで、ナオミは腐らずにいられた。
ララはいつまでも魔物が絶えなければいいとさえ思っていた。
それだけ彼女にとって、ナオミと過ごす日々はかけがえのないものだった。
しかしナオミの奮闘もあり、戦況は次第に好転していった。
魔物たちは次第に数を減らし、残るは大陸の奥地に巣食う、巨大なドラゴンの一団だけとな
った。
ナオミたちは新たに旅の仲間に、癒しの力を持つ歌姫、オードリーを加え、最期の戦いに向かった。
オードリーの歌には魔力を回復させる効果があった。
彼女が仲間に加わることで、勝利は間違いのないものになるだろうと、誰もが思った。
自分の歌に自信があったオードリーも、自分は勝利の女神になるのだと、息巻いていた。
しかし戦いは熾烈を極めた。
ドラゴンの猛攻はすさまじく、オードリーの歌でいくら魔力を回復しても、防御魔法に徹するほかなく、一向に攻撃に転じることができなかった。
気付けば防戦一方の、消耗戦となっていた。
戦士たちは一人また一人と倒れていった。
回復役であるオードリーも、疲れ果て、ついに歌うことをやめてしまった。
諦めた方が楽に死ねると、オードリーは、戦うことを放棄してしまった。
十数人いた仲間たちは、気づけばナオミとララ、ルツ、オードリーの四人を残すのみとなった。
絶望的な状況だった。
それでもナオミは戦い続けた。
ドラゴンの猛攻に、泣き言一ついわず抗い続けた。
最期まで諦めないことが私の役目だから。
本当に世界を救えるかなんてわからないけど、でもこんな私を信じてくれてる人たちがいるから。
その気持ちに答えるためにも、私は最後まで諦めない。
ナオミの言葉を聞いて、オードリーは自分を恥じた。
自分もナオミと同じように、期待を受けてこの場にやってきたのに、すぐに諦めてしまった。
この期に及んで自分以外の誰かを慮ることなんてできなかった。
オードリーは再び立ち上がり、歌を歌った。
ナオミのために。
ナオミのようになるために。
目の前に立つ、憧れの人に少しでも近づくために、命をかけて歌を紡いだ。
オードリーの援護を受けて、ナオミはついに攻勢に転じた。
ララやルツと力を合わせ、ドラゴンを次々に打ち倒していった。
ナオミに倒されたドラゴンは、弱体化し、攻撃性を失った。
浄化され、人に無害な生物となって飛び去って行った。
しかし最後の敵、魔物の王である巨大なドラゴンだけは、どうやっても浄化することができなかった。
山一つ分ほどあるその巨体の動きを封じることはできたものの、弱体化させることも、攻撃性を奪うこともできなかった。
魔物は呪われた生き物だった。
かつて人が人を殺すためにふりまいた呪いの魔法にかかり、人を憎むようになったしまった生物の生れの果てだった。
ナオミの魔力は魔物自身ではなく、その呪いに対する毒だったのだ。
呪いを消す、解呪の魔法。
それがナオミの魔法の正体だった。
魔物の王であるドラゴンにナオミの魔法が効かない理由は、ひとえにその大きさにあった。
巨大な身体に比例して、呪いの力も強大だったのだ。
かといって殺すこともできなかった。
ララもルツも魔物を抑え込むのに精いっぱいで、巨体のドラゴンを屠る余力はなかった。
拘束はいつまでも続けられない。
ドラゴンを逃がすわけにはいかない。
ここで終わらせなくてはならない。
もう一人の犠牲もあってはならない。
ナオミは願いをこめて、最後にして最大の魔法を放った。
魔物の王。
人に生み出された哀れな怪物。
お前の呪いは全部私が引き受けてあげる。
私を殺していいから、お願い、それで終わりにして。
もう誰も殺さないで。
この世界の人たちを、許してあげて。
そして奇跡は起こった。
山のように大きかったドラゴンは、人の肩にとまるほど小さくなった。
そしてまるでナオミに、まるで子供のようにじゃれついた。
ナオミは無自覚のうちに、ドラゴンと契約を結んだのだ。
ドラゴンはナオミの要求に応じ、ナオミの魔力を残らず吸収した。
そして自身に巣食っていた呪いを消し去った。
ナオミは代償に、浄化の魔法と、この世界にきてから一切の記憶を失った。
*
そうして世界に平和がもたらされた。
魔物に怯えなくていい暮らしを、人びとは歓迎した。
ナオミを讃え、勝利を祝った。
ただしナオミを知る者たちは別だった。
誰もが勝利の美酒に酔いしれる中で、彼らだけが嘆き悲しんでいた。
戦いのあと、深い眠りについたナオミは、次に目が覚めた時、なにも覚えていなかった。
彼らの名も、供に過ごした時間も、ナオミの中には残っていなかった。
彼らはナオミの記憶を取り戻そうと手を尽くした。
けれどなにをしてもダメだった。
ナオミはなにも思い出さなかった。
それどころか彼らが過去の話をすると、その間だけ意識を飛ばしてしまう有様だった。
ナオミにとって、世界を救った少女は見ず知らずの他人だった。
整合性を保つためか、少女は世界を救った果てに死んだと思いこんでさえいた。
ドラゴンとの契約を破棄させれば、ナオミは記憶を取り戻すかもしれない。
そう仮説を立てたのは、ララだった。
ボアズも、ルツも、オードリーも、それを聞いてから、血眼になってドラゴンを探した。
けれどナオミと契約したドラゴンは、決して彼らの前に姿を現さなかった。
ドラゴンがどこにいるのか知っているには、ナオミと、元防衛大臣の執事、ノアだけだった。
ノアは知っていた。
庭園にドラゴンが住み着いていることを。
ナオミのすぐ傍にいることを。
けれど彼はそれを誰にも明かさなかった。
もしドラゴンを捕え、ナオミとの契約を破棄させれば、ドラゴンは再び魔物に戻る。
呪われた怪物に。
人を殺す化け物に。
そうなれば、ナオミは深く悲しむだろう。
仲よくしていたドラゴンと、彼女は再び戦わなくてはならない。
また誰かが傷つき、死んでいくところを、目にしなくてはならない。
ナオミがまた傷つくくらいならば、また泣かせてしまうくらいならば、いっそ忘れたままの方がいいと、ノアは思っていた。
ナオミをこの世界に召喚したのは、ノアだった。
防衛大臣として、どうにか魔物との戦いに決着をつけたいと考えていた彼は、ほとんど伝説と化していた救世主召喚の魔法を復活させた。
ノアははじめ、ナオミを救世の道具として扱っていた。
救世主として担ぎ上げ、逃げ道を断ち、来る日も来る日も魔物の討伐にあたらせた。
けれどナオミは人間だった。
どこにでもいるふつうの少女だった。
負わされた重圧に、いつも苦しんでいた。
家に帰りたいと思っていた。
家族に会いたいと。
もとの世界に戻りたいと。
魔物と戦いたくなどないと。
なにも傷つけたく無し、誰にも傷ついてほしくないと。
ナオミは臆病で優しい、ただの少女だった。
ノアははやくからそれに気づいていた。
けれど世界のためだと、己の心に蓋をして、ナオミの涙から目を逸らし続けた。
そんなノアにも、ナオミは笑いかけた。
「ノアさんだって好きでこんなことしてるわけじゃないですもんね。―――ボアズさんと、私と一緒で、やらなくちゃいけないからやってるだけですもんね」
損な役回りですよね、と、ナオミはノアに共感を示した。歩み寄ろうとした。
けれどノアは、わかったようなことを言うな、とナオミを突き放した。
ノアが防衛大臣になったのは自分のためだった。
己の名誉のためだった。
誰に負わされたわけでもない。
ナオミとはまるで立場が違う。
そもそもナオミに救世主に仕立て上げたのは、ノアだった。
ナオミの今ある苦しみは、すべてノアが与えたものだった。
ノアは後悔した。
償わなければならないと思った。
いつかすべてが終わったとき、努力に報いよう。
魔物がいなくなったとき、これまでのことを詫びて、彼女がこれまで世界のために犠牲になってくれたように、今度は自分が、彼女に尽くそう。
ノアはそう誓いを立てた。
けれどすべてが終わったとき、ナオミもまたすべてを失っていた。
ノアはナオミに謝ることはできなかった。
それでもナオミのために立てた誓いを破ることはしなかった。
彼は職を辞し、ナオミの側仕えとなった。
自分のこれからの人生は、ナオミのためだけに使おうと。
ナオミの幸せを守ることが、自分にできる唯一の贖罪だと。
ノアはその一心で、ナオミの側にいた。
だからこそ、ノアはナオミに記憶を戻そうとは考えなかった。
何も知らないで平穏に暮らせるほうが、きっとナオミは幸せだと、ノアは信じていた。
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私はこの世界で、けっこう楽しくやっている。
もとの世界には帰れないけど、お城みたいなお屋敷に住んで、毎日ぐーたら暮らせてるから。
働かなくていいし、勉強もしなくていいし。
ララっていうおもしろい友だちはいるし。
オードリーさんっていう素敵な友だちもいるし。
ボアズの口説きには参るけど。
ルツが迫ってくるのも心臓に悪いけど。
リューが癒してくれるから帳消し。
それにノアが、口うるさくかまってきてくれるから、家族を恋しがる暇もない。
私はたぶん、幸せなんだと思う。
でもこの幸せは、やっぱりあの子が世界を救ったうえで成り立ってるものなわけで。
みんながあたしを大事にしてくれるのは、私の後ろにあの子を見てるからで。
そう考えると、虚しくなって、悲しくなって、泣いてしまうこともある。
もちろん誰にも見せないけどね。
それでやっぱり願ってしまうんだ。
みんな、あの子のこと忘れてくれればいいのに、って。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
誤字修正しました。
報告ありがとうございます。助かります。