猫宮の思い
静かな寝室には、女が二人。
うちと、今だに眠り続ける瑠璃っち。
眠っている瑠璃っちの髪をうちは優しくなでる。
「うち……どうしたらいいんだろうね……瑠璃っち」
聞こえていないのに眠った瑠璃っちに話しかけている。
もしかしたら、声を返してくれるかもしれないと、そんな淡い期待を抱いてる……うちのせいでこうなったというのに……。
本当に最低だ……うちって……。
こんな時にも、瑠璃っちに縋ろうとするなんて……。
「あれ? 牛山さんじゃなくて、猫宮さんが何でここにいるの?」
振り向くと、両手に料理が乗った皿を持って立っていた瑠璃っちのお兄さん。
うちは、いつものように作り笑いで返答する。
「うちが見守るのを、部長に変わってもらったんだし☆ 何か部長に用事だし?」
「いや、近くに誰かいるのいいや。瑠璃も安心するだろうし。あっ……じゃあ、猫宮さんはこれ食べる?」
お兄さんは、皿をうちに差し出す。
皿を覗き込むと、それぞれの皿には、白っぽい天ぷらとバームクーヘンが乗っていた。
「美味しそうだし☆ 食べてもよき?」
「もちろん!」
優しそうな笑顔でお兄さんはそう答えた。
誰にでも優しそうな笑顔……うちはそんな笑顔が……。
”たまらなく大っ嫌いだ”
初めて会った時から、うちはこの人のことが嫌いだった。
噓くさい笑みに、人を気遣ってますという露骨なアピールが、うざくてうざくて仕方がない。
それに何より……
”瑠璃っちは、この人の心配しかしない”
口を開けば、お兄ちゃんお兄ちゃん……学校にいる時も瑠璃っちは兄のことばかりだった。
うちと話している時も、お兄さんの話ばかり……。
瑠璃っちが――表の世界でやっとできた友達が取られるの、がすっごく……嫌だった。
「どうしたの? ボーとしてるけど……もしかして、あまり美味しくなかった?」
一口食べた後から動かなかったうちを見て、心配そうにこちらを見つめるお兄さん。
うちは首を横に振る。
「いや、とっても美味しいし☆ 流石お兄さん☆」
「良かったぁ……」
ほっと一息つくお兄さん。
瑠璃っちより、料理の味の心配かと怒りを覚えたが……
「瑠璃が起きた時に食べる料理が不味かったらいやだろうから、本当に……良かったよ」
瑠璃っちの頭を優しく撫でるお兄さん。
こういうところがムカつく。
非の打ち所がないというか、いい人過ぎるところが特に。
「ほんと、いい人だよね……」
「えっ?」
うちの言葉が漏れていたらしく、お兄さんに聞かれてしまった。
「あ、いや、その、お兄さんってすごい良い人だなって思っただけだし☆ 誰にでも優しいし☆」
「良い人なんかじゃないよ」
「えぇ? 全然そんなこと――」
そんなことないよ? とか言おうと思ったんだけど……被せるように――
「俺はとっても自分本意な人間なんだ」
苦笑いでそう返され、想像していた反応と違い戸惑った。
お兄さんに否定されるのは分かっていたけど、何故こんな善人から、自分勝手なんて言葉が出るのだろうと。
「えっと……」
「言葉を詰まらせるようなこと言って、ごめんね? でも、俺はみんなが言うような良い人じゃないんだよ」
真剣な目でうちを見つめながら、お兄さんはそう言った。
「自分が優しくするのは、誰かの喜んだ顔だけを俺が見ていたいから。自分が怒らないのは、誰かが悲しむ顔を俺が見たくないからだよ――結局、俺は自分の周りが不幸だと俺が幸せになれないからっていう、自分勝手な理由で助けてるだけだよ」
それを世間一般では良い人だという。
だけど、お兄さんはそれは違うと否定する。
あくまで自分のためで、それは副産物に過ぎないと。
「……何で、その話を今うちにしたんだし」
お兄さんは肩をすくめた。
「何で、か……しいて言うなら」
お兄さんは、諭すような優しい笑みを浮かべる。
「猫宮さんが、俺を良い人って言った時。悲しい顔をしてたから、かな?」
「そ、そんな顔してたし☆ うちはバリバリ元――」
「だって、猫宮さん。会った時から、俺のこと嫌いだったでしょ?」
そう言われて、心臓が止まるかと思った。
気付かれていた?
でも、いつ?
いや、そんなことより今大事なのは、任務に支障が出るということだ。
「えぇ~何のことだし?」
「まぁ、俺の自意識過剰って切り捨ててもらっても構わないよ? 瑠璃とこれからも仲良くしてもらえるのなら、俺を嫌ってても、全く気にしないし。ただ――」
「ただ?」
「苦しそうだなって思ったんだ。まるで、俺達に隠し事してることが苦痛みたいな感じがしてさ?」
お兄さんは、うちの考えでも読めるのではないかと思うほどに、的確な言葉で確信をついてくる。
全てを見透かした上での発言なのではと思うほどに……。
「何か抱えてるなら話した方が楽になると思うよ? 俺も手伝うしさ?」
「いや……うちは……」
言葉がうまく出てこない。
作ったキャラが崩れそうになるのを感じながら、次の発言を考えていた。
”どうしよう、瑠璃っちにバレたら……うちは……”
すると……手がギュッと何かに握られる。
見ると、瑠璃っちが無意識にうちの手を握っていたようだ。
うちの手を握ると瑠璃っちの顔は穏やかな表情になっていた。
安心したのだろうか、その顔を見て心底ほっとする。
……だけど、うちはこれでいいのだろうか。
瑠璃っちを危険に晒して、その上知らないふりをして、裏切り者を続けて、本当にいいのかな……。
”でも、もう一人の恩人のことも裏切れない”
分かっている……どっちが大事なんか何て決められない。
――どっちも大事なんだ。
「話せ……ない」
「どうして?」
お兄さんの視線が鋭く刺さる。
「話したら……多分、瑠璃っちと、友達じゃ……いられなく、なる。だから――」
「その答えを聞ければ十分だろう小僧?」
入口の襖が開くと、ブリキさんが入ってきた。
「小僧も事情を全部分かってて、ライオンを追い詰めるんじゃねぇよ」
分かってて?
もしかして、ブリキさんからオズに所属してこととか、全部聞いててわざと!?
お兄さんを見ると、てへっと舌を出して笑っていた。
「ごめんね猫宮さん。どうしても自分の目で確かめたかったんだ。瑠璃の友人って言葉が嘘じゃないかってことをさ?」
その姿が、以前に瑠璃っちがいたずらを成功させた時と同じ表情をしていた。
流石、兄妹だし――っていや待って!?
つまり、うちはお兄さんに騙されたってこと!?
ジト目で、ブリキさんがお兄さんを見る。
「ちなみに返答次第じゃ、どうしてたってんだ?」
「瑠璃のために話してくれるのなら、あんたらの組織がまっとうな組織じゃないと判断して、猫宮さんを離すために力を尽くしたよ。組織を庇うなら、瑠璃に全部話して瑠璃に二度と関わらせないようにしてた。あんたらの話も信じないつもりだったよ」
「……」
「まぁ、話すのを断った理由が、瑠璃の友人をやめたくないってことだから、瑠璃を友人と思ってるは、嘘じゃないってことだ。それに、猫宮さんが義理立てするくらいには真っ当な組織ってことだろ? なら、話を信じてもいいかなって思ったのさ」
もしかして、オズが真っ当なものかどうかを判断する、それだけのために、うちは利用されたの!?
こいつ、良い人どころか、とんだ狸だ!!
お兄さんがくるりと周ってこちらを見た。
「だから、言ったろ? 俺が良い人なわけないだろってさ?」
ニヒルに、それでいてとても噓くさくお兄さんが笑う。
「はぁ……お兄さん超だっる」
「嫌われてるのは分かってたけど、普通そんなナチュラルに暴言吐くかな!?」
その憎たらしい笑みに、うちはそんな言葉しか出てこなかった。




