第8話
5
「この惑星はどういうわけか、ある程度の高度まで上昇すると、強い力で空に引っ張られてしまうんです。鳥がいないのはそのせいでしょう。そしてそれが、雲のない理由でもあります」
どうやら、センカは専門分野を語り始めると止まらなくなる種族であるらしい。
「上昇した水蒸気を含む大気はやがて氷となります。そして、なんと、この星の周りを囲む氷の膜になってるんです。なので、この惑星は外から見ると、全球凍結した氷の惑星なんです! びっくりでしょう!?」
鼻息も荒く、興奮冷めやらぬといった様子である。
頬を紅潮させて、なんとも愛らしい。
「ふむふむ。そうすると、恒星に照らされた氷の膜が溶けて、それが雨として大地に降り注ぐわけですか。しかし、先ほどのお話だと、空に引っ張り上げる力は強いんでしょう? 鳥も逃げるほどですし。そうなると、雨粒は地上に落ちてこない気もしますが」
「よい質問です!」
センカの瞳が煌めいた。
「この星の重力と斥力には場所や時節によって変化があることがわかっています。重力が大きく、斥力の小さい時期があったり、その逆もあったり。5:5の比率を保つ期間はほぼ皆無です。なので、斥力の小さい時節では雨も降りますし、雹や霰なども降ってきます」
「ほう、それは興味深い」
——というか、異世界っていうのは別の惑星ってこと?
「なんだか腑に落ちないって顔だな」
「いえね、話を聞いてると、自分が認識してる異世界とはどうも異なるようでして」
「んー、でも、たぶん間違ってないと思いますよ」
センカがニコリと微笑む。
「たとえば⋯⋯箸筒ってあるじゃないですか。お箸を入れてる丸い容器。知ってますよね?」
「ええ、もちろん」
星喰がうなずく。
「その箸筒にお箸が入ってるところを思い浮かべてください。色とりどりのカラフルなお箸です」
目を閉じ、イメージを描く。
星喰の脳裏に浮かんだ画像は、幼稚園児が好むようなパステルカラーのキュートな小児用箸であった。
箸筒にも可愛らしくディフォルメされた動物のイラストが描かれている。
水色とピンクの箸に混じって、曲がるストローも何本か入っている。
——こんな光景見たことあるっけ?
自身の想像に違和感を覚えたが、記憶を深く追求するまでに至らなかった。
センカからの問いかけに反応したのだ。
「思い浮かびましたか?」
「⋯⋯はい」
「入ってるお箸の一本一本が主観的な宇宙です。硬いお箸がそうであるように、世界もまた交錯する事も同化する事もありません。それぞれがそこに棲む人々にとって唯一無二であると信じる宇宙なわけです。ビッグバンから始まった宇宙もあれば、神々によって創生された宇宙もあります。機械が星を覆う世界、竜と魔法使いのいる世界、色々です。そして、それを束ねる筒の輪っかが箸から箸への移動を可能にしているのです!」
——よくわからない
「要は氷の膜の向こうにも星はあって、輝いてるってこった」
——さらにわからない
「あ、実際の箸筒は目に見えませんよ。目に見えない力が宇宙同士を束ねていて、その力の接する宇宙間は移動できるんです。ただし、時間の経過についてはわからないことが多くて、我々の主観に委ねてるのが実情です」
——うん。理解するのは諦めよう
「なので、この世界もアニメやゲームで描かれる異世界も、同じ概念の元に広がる世界である可能性を否定できないのですよ!」
ふんす、とセンカは鼻息も荒く話し終える。
その顔は好きなことを好きなだけ語ったとみえて、満足そうにツヤツヤと輝いていた。
談笑の絶えない和気藹々とした雰囲気のまま、ドローンは飛行を続ける。
「⋯⋯なるほど。それでこんな山間部を飛行してるわけですか」
「ん? まぁ、念の為だな。人目につかない事に越したことはないから」
離陸して以降、外の景色は白く凍った山の岩肌ばかりだった。上を見上げると鋭利な刃物を思わせる峻険な頂の連なり。人目どころか生命の気配すら感じられない。
「こんな場所で崖崩れなどが起こった場合、重力と斥力が均衡する位置に落ちた岩が宙に浮かんだままになることがあるんです。すっごく幻想的な光景なんですけど、なかなか見れないんですよねぇ」
「もしかして、あれのことですか?」
谷間に浮かぶ巨大すぎる岩が見えた。
「そうそう、あれあれ⋯⋯って、えええええええ!?」
「衝突コースだ! もう回避する時間もない! 何かに捕まれ!」
ミミィが発した警告と同時に大きな衝撃が三人の体を揺さぶり、耳障りな擦過音が聴覚を埋め尽くした。
6
頭蓋に響く音が自身の声だと認識するのに、星喰はしばしの時を要した。
その声は「うー」とか「あー」とか、寝言や歯軋りの一種としてスルーされる類のものだ。
やがて、時の経過とともに意識はその明瞭度を増す。
それに伴い五感も回復する。すると、途端に体が重く感じられた。
身じろぎする度に全身を貫く痛み。鼻口は鉄錆の臭気で溢れている。
それでも肘を支えにしながら、ゆっくりと上体を起こすと、自分以外の人の気配がした。
ドローンから運び出された荷物の隙間から見えるその人物は⋯⋯センカだ。
——よかった⋯⋯
どうやら、自分よりもずっと軽傷であるらしい。
それが確認できたことで安堵したのか、星喰の口から白い吐息がふうと漏れた。
ふと、触れた地面の感触に動きが止まる。それは岩でも草でもない。寝袋のような柔らかな繊維の上に自分の体が横たえられていることに気付く。
「大丈夫ですか?」
モゾモゾと動く星喰が目に留まったのだろう。センカの声がした。
「ええ⋯⋯まぁ、なんとか。手当してくださったんですね、ありがとうございます」
「まぁ、無事で何よりっス⋯⋯それよりも」
センカの声色が深刻なトーンに変わった。
「ミミィがヤバいです」
「え⋯⋯」
無意識が星喰の表情筋を動かし、愛想笑いを形作ろうとする。
それをセンカの目がきつく咎めた。
「あの人、防御用コートを脱いじゃってるクセに私たち二人に覆い被さって衝撃から守ってくれたんです。そんなキャラじゃないのに⋯⋯こんな時だけ、いっぱしのマネなんかして」
センカの声は途中で言葉にならなくなっていた。
それでもなお、必死の形相で言葉を絞り出す。
「ミミィ⋯⋯かなりの重体です。生きてるのが奇跡なくらいなんです。すぐに連れて帰って処置しないと⋯⋯マズいんです!」
そして、意を決したかのようにセンカの双眼が星喰の顔を見据えた。
「お願いします! 少しの間だけ、ここで待機してもらえませんか!?」
「えっ?」
「ドローンも破損がひどく私とミミィを乗せて飛ぶのが限界なんです! 荷物は全部置いていきます! 食料もテントも寝袋も水も用意してあります! しばらくここにいてください!」
人としてノーと言うべき状況でないことは、星喰にも理解できた。
しかし、星喰とて満身創痍である。
——満足に身体を動かすことさえできないのに、はたして見知らぬ土地でのソロキャンプなどできるのだろうか
だが、ここはもう即決するしかない。
「できるだけ早く戻りますから!」
センカはそう言い残し、飛び去っていった。
——事は一刻を争うのだ。仕方ないだろう
そう自分に言い聞かせるも、空に溶けゆく機影を名残惜しそうにいつまでも見つめる星喰であった。