表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/40

第5話 第二章

 9


 いくつかのエアシャワーを通り抜け、最後のドアが閉まると、そこは完全な闇の中であった。


 先ほどまでのクリーンルームと異なり、室温も随分と低く設定されているようだ。

 時おり吹き込んでくる風にも人を労る気遣いが感じられない。


 だが、足踏みをすれば靴底に草を踏む感触があり、そよぐ空気はフィトンチッドの良い香りがした。


 森林を模したリラクゼーションルームだろうか。

 ——悪くない

 星喰(ツヅハミ)はここぞとばかり大きく深呼吸をした。


 ここへ来てからというもの、心の休まる時間がなかった星喰にとって、この機会は心底歓迎すべきものだった。


 草木の香りを含んだ冷たい風がオーバーヒート気味の脳をやさしく鎮静化させる。


 ——奇妙な建物も、そこで出会った奇怪な人物も、ネットでチラ見した誰かの妄想だったんじゃないか?

 ふと、そんな感想が脳裏に湧いた。


 ——それが記憶に残って、自分にこんな夢を見せてるのだ。夢の中でそれが夢だと気づく⋯⋯なるほど、これが明晰夢ってやつか


 夢だということにしたい、という強い気持ちが現実逃避という名の翼を大きく広げる。


 しかし、そうは問屋が下さなかった。


「落ち着いたかな?」

 現実の冷酷な声が、星喰の意識を夢想から引き戻す。

「ここからしばらく歩く。はぐれるなよ」

 おもむろに梢の天蓋が薄闇のヴェールへと姿を変えた。

 月明かりだろうか、大地が暗碧に染まっている。


 三人は崖の上に立っていた。

 眼下に見えるのは小高い丘の連なり。まばらに木は生えているが、恐怖を感じるほどの色濃い森ではない。


「ちなみにここは屋内でもVRでもない。現実の世界だ。刺されればホントに死ぬし、そこから落ちても死ぬ」

 ミミィの声は真面目そのものだ。

「チートとかないから油断するなよ」

「でも、A5エリアには命を奪うような危険な生物は少ないはずなので心配ないっス」


 ——またしてもフラグ!

 どうやら同行者であるこの二名は『特殊イベント フラグ建築士2級』以上の資格をお持ちであるらしい。


 素人の立てたフラグは基礎と説得力に欠けるが故に、うっかりルート外に設置してしまったり、数時間で自然消滅してしまったりで実害はほとんどない。

 だが、この二人は違う。


 たとえルート外であろうと、ボス戦の真っ只中であろうと関係なく、問答無用で強制参加イベントが発生してしまうのだ。

 ——なんて恐ろしいシステム破壊者! バグじゃないから悪質すぎる!


「⋯⋯なーんてな」

 モゴモゴと口の中で呟く。

「ん? なんだって?」

 耳ざとくミミィが反応した。


「いえね、なんかここ1時間の間に見聞きするもの全てが常識の外にあるものばかりで⋯⋯ちょっと飲み込みきれないというか、納得しきれないというか」

「あーわかるっス、それ!」

 意外にも賛同の声が上がった。


「わたくしも最初の頃はそうでした。今まで頑張って溜め込んできた知識はなんだったのかって、ずーっと悩みましたもん」

「疲れてくると顕著になりますよね、ネガティブ思考が。なんか今がまさにその絶頂って感じで」


 うんうんとセンカが強めのヘッドバンギングで応じる。

「もう少しで商会の支店みたいなとこに着く。そこで食事と休憩にしよう」

 ミミィの言葉を受けて、星喰は心の内側から体の外へ意識を向ける。


 地平線がうっすらと白くかすみ始めていた。



 第二章


 1


「これはこれは。遠いところをようこそお越しくださいました」

 白く立派な顎鬚を貯えた瓶底メガネの老人が三人を出迎えた。


 場所は山の麓に建つ、小洒落た山荘である。


 丸太を組み立てた素朴な建物だが、細部に渡って丁寧に仕上げられている。

 室内も簡素だが必要に十分であり無駄がない。

 その上とても清潔に保たれている。

 これだけで、建物の持ち主が信頼に足る人物だと思えた。


「この方はA5地区駐在員のパミット氏。A5だけじゃなく、いわゆる異世界にはこういった支店というか窓口的なもんを設えてある。来た際には必ず立ち寄り、異常や変化がないか尋ねるのが決まりだ」


 ふむふむ、と真剣な面持ちで頷く星喰。

 その様子に満足げな笑みを浮かべるミミィ。

 センカはパミット氏に聞き取りを行っている。


「この世界はデュレクシアという。温和な人々が暮らす平和な世界だ。第一次産業がメインだが、最近は紡績などの加工品も広く扱われるようになってきた。商会とは主に植物や鉱物の取引を行っている」


 座学が始まるらしい。

 ミミィは星喰にリビングにある大テーブルに着くよう促し、自分は正面に立った。


 部屋に似つかわしくないホワイトボードとモニターが天井からスルスルと降りてくる。

「これから、今日行うことを簡単に説明する。ノートやメモはないから、しっかりと記憶しろよ!」

 

 モニターに教材映像のようなものが映し出された。

        

        *


 *** 牧歌世界デュレクシアについて ***


 デュレクシアは千夜越(チヨゴシ)商会の長い歴史において、最も初期に発見された異世界の一つである。


 主な産業は農業と牧畜。豊かな自然の恵みがそこに住まう人々の心と体の飢えを満たし、争いとは無縁の平和で穏やかな日々がここには存在する。また、この世界に暮らす動物も人間に危害を加えることがない。


 そして、信じられないことに、全ての動物が草食なのだ。

 そのためか、この世界の住人も肉を食べる習慣がないようである。


 この世界で産出される鉱物もまた不思議な性質を持っていた。驚くべきことに——


        *

 

「あー、ここは知らなくていいや。飛ばすぞ!」

 ミミィは手にしたリモコンを操作し、映像を倍速にした。

 沈黙が場に満ちる。


 ——倍速時間のほうが長くないか?


 星喰の胸中に疑念が首をもたげてきた。

 それほどまでに長い長い倍速時間が続く。


 「おおっと! 行きすぎた気もするけど、まぁいいや」

 いい加減なセリフと同時に倍速は止まり、再び眠気を誘うナレーションが始まった。


        *


 ——こは奇跡なのかもしれない。


 *** 牧歌世界デュレクシアについて ***


        終


        *


 ——終わってんじゃねぇか!(笑)


 心の中でのツッコミも虚しく、場はしらけたムードに包まれた。

 いつの間にかテーブルに着いていたセンカも、呆れた視線をミミィに向けている。

「あー⋯⋯まぁ大丈夫、問題ない、どうせ大したこと言ってないし」

 焦った様子も取り繕う様子もない。

 ——さすがミミィだ!

 なぜか星喰は感心した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ