第40話
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目が覚めると、窓の外の澄み渡った空の下に小さく富士山が見えた。
床の延長線上にはミニチュアと化した大都市の街並み。
超高級タワーマンションの最上階メゾネットの住人となって約一ヶ月が過ぎているのだが、起き抜けの全能感全開マックスな風景にはまだ慣れない。
星喰があくびとともに大きく伸びをする。
アヤシイ会社へ面接に出向き、社内で過ごした一週間。
世間は蝉時雨が降り注ぐ猛暑から、記録的寒波の到来が続く余寒へと様変わりしていた。
戻ってしばらくは猛烈な時差ボケに悩まされはしたものの、今ではすっかり平穏な毎日を過ごしている。
海を見るたび起こっていた強烈なフラッシュバックも、だいぶ落ち着いてきた。
「さて、今日の天気はどうかしらっと」
誰もいない部屋で独りごちる。
すると、『今日の東京は晴れ。過ごしやすい一日になるでしょう』とテレビが愛嬌のある女性の声で応えた。
ネット通販会社の音声サービスによるものだ。
「いや、おまえには訊いてない」
今度は口の中でモゴモゴと呟く。
テレビからバカ丁寧な謝罪の言葉を聞くのが耐えられないのだ。
機能をオフにすればいいだけなのだが、設定をいじるのが面倒なのか、デフォルト設定のまま使い続けていた。
いつものようにミルクたっぷりのカフェオレを作り、食パンを二枚焼く。
出来上がりを待つ間に顔を洗い、服を着替え、ロボット掃除機を起動させる。
これが毎朝のルーティンになっていた。
手早く朝食を終えると、食器を食洗機にセットし部屋を出る。
駅へと急ぐスーツ姿のサラリーマンや制服姿の学生を横目に優雅な朝の散歩タイムである。
まだ白く濁る息をたなびかせながら、ゆっくりと運河沿いを歩く。
そして、一月前の日々を思い返すのだ。
*
「長いこと付き合わせて悪かったね。お詫びにマンションあげるよ」
ミミィの口から出た言葉は、残念ながら星喰が期待したものとは異なっていた。
彼が欲しかったものはマンションではなく採用通知だ。
だが、その願いが叶えられることはなかった。
星を一つダメにした、という事実は想像以上に重い懲罰を彼らにもたらしたのである。
まず、地球の地上生活を満喫しようと企んでいた第二営業部 営業二課は解散。
その課長であるミミィは 懲戒の謹慎処分。
そして課長補佐のワタセは僻地へ左遷異動となった。
どういうわけか、センカも一緒である。
これにより二課の求人案件も自動的に無効となったわけだ。
星喰が手にしたマンションは地球人生活を謳歌しようとミミィが購入したものだった。
「マンションは書類上は会社名義になってる。だから、管理費とか修繕積立金とかはしばらく会社が払うから心配しなくていい。地球時間で十年経ったら名義をどうするか書類を送らせるよ。売却したり、誰かに貸したり、好きにするといい。名義変更の際の言い訳も税金が余計に掛からないよう、こっちで工面するから大丈夫だ」
至れり尽くせりである。
「あと、会社から慰謝料と口止め料と諸々で六千万円。入金しとくってさ。この金も税金の掛からない金にしとくから、確定申告はしなくていい。念のために税務署を追い払える書類も渡しとく。これを見せたら泣いて逃げるから。他に何か質問ある?」
何か言わなければ、ここで即今生の別れとなるのだろう。
「あっあの、ミミィさんはこれからどうするんですか?」
真意のよくわからない質問が口をついて出た。
「あっし? んーと」
人差し指を顎に当て、少し上を見つめる。
「レベルイーターのセンパイと二次元宇宙巡りかな。その人が体表に飼ってる二次元生物がどうやら特異点細胞を持ってるらしくって、過剰な力を別次元に移動できるって話でね。このジャラジャラから解放されるみたいなんだよね。どうせ休職でヒマだし行ってみようかなって」
「へー」
「君はどうするの? ハロワ巡り?」
「⋯⋯金銭的に余裕ができるみたいなんで、しばらく自分を見つめ直してみようかと」
「ふうん、いいね」
ニッ、と屈託のない笑顔を星喰に向けた。
それから、取り留めのない言葉を二、三交わしてお別れとなった。
酷い目にもあったが楽しい日々だったことに間違いはない。
これからも前人未到の人生を突き進むわけだが、最後に「楽しかった」と思うことができれば、きっとそれが最高の人生なのだろう。
小さくなるミミィの背中を眺めながら、星喰はぼんやりとそんなことを考えていた。
**
橋の欄干に両肘を乗せて、右手で摘んだ一枚のドライフラワーのような小さな葉を星喰は眺めていた。
数日前にセンカから届いた手紙に入っていた異世界の葉である。
透けるように薄く、色も青っぽい。
手紙には短い別れの言葉と、あの星のその後の顛末が綴られていた。
おもしろ鉱物を産出していた鉱山が、宇宙船を小惑星に見せるための艤装として取り付けられていたこと。
その鉱物と似たものが異動先の惑星で見つかったこと。
星喰たちが日本に戻った後、社長が菓子折り持参であの星に行ったこと。
終末を迎える星の生物を丸ごと別の惑星に移住させたこと。
そして、ドラゴンから獣人に戻ったウルリカが野上の遺体を剥製にして、今も愛でていること。
そんな内容がぎっしりと詰まったセンカらしい手紙だった。
「へっ⋯⋯くしょん!」
ふと首元を撫でた冷たい風が星喰の手から葉っぱを奪い去る。
ひらひらと舞い、川面へと落下する一葉。
「あーあ。やっちゃった」
落胆する星喰を尻目に葉は沖へと流れゆく。
異世界のものとはいえ、たかが葉である。
流石に飛び込んでまで拾い上げようとは思わなかったらしい。
「⋯⋯ま、そうだな。いつまでも過去に囚われるな、っていう神様の思し召しなんだろう」
星喰は葉が見えなくなった川面を一瞥すると、欄干を突き放す。
そうして、動き出した街のざわめきの中に身を投じて行った。
季節外れの蝶の群れが目撃されるのは、一週間ほど先の話である。
了
これにて完結となります。
長らくのお付き合いありがとうございました。
読んでくださった皆様のPV数、とても励みになりました。
ptを入れてくださった方、ありがとうございます。
途中でエタることなく書き終えることができました。
これからもいろんな物語を書いていけたらと思います。
お気に召す作品になるかはわかりませんが、読んでいただければ嬉しいです。




