第4話
7
『A5予備室』『一般社員は立ち入り禁止』と記されたプレートがドアの横に嵌め込まれている。
——目的の場所はここでいいのか?
「じゃあ、まずは扉解放の儀式から」
ミミィが嬉しそうにニカッと笑う。エレベーター内でも見たスリットがドアの取手近くに刻まれている。そこに社員証を差し込む。両手を腰に押し当てた仁王立ち姿は、大物を仕留め、得意満面で凱旋する漁師か猟師といった雰囲気を醸し出していた。
『第二営業部 営業二課 課長 ミミィ・ミミ。確認しました』
「えっ、課長!?」
「そう。実は課長なんだ。ワタセも5回に1回くらい敬語だったろ?」
——このド派手なクセ強めギャルがワタセの上司であり、自分の上司になるかもしれない⋯⋯と
衝撃の事実に星喰は言葉を失った。
なぜなら、今の今まで自分より格下の派遣事務員くらいにしか思ってなかったからである。
明らかに自分より年下だけれども今の自分はまだお客様身分。心象を考慮して敬語に徹してきただけなのだが、それが幸いした。この結果を受けて、星喰の打算は勝利の雄叫びと派手なガッツポーズで喜んだ。
「ほら次、すづはみ、あ、いや、づつは、でもなくて、あーもうセイタロー、おまえやれ」
「え?」
「社員証の使い方だ。一通りやって覚えとけ。向こうで使う可能性もゼロじゃないから」
言われるがまま、手順を踏んでみせた。
スリットに差し込む。社員証が飲み込まれる。にっこり笑って仁王立ち。
『ゲスト ツヅハミ・セイタロー。確認登録完了しました』
スリットから社員証が戻ってきた。
「入り口は狭いから1人ずつな。まずあっしから行くから」
——あっし? 今、あっして言った?
どうやら、「あたし」の「た」を小さく発音するクセのため「あっし」と聞こえるようだ。
——一人称があっしの日焼け江戸っ子ギャルか⋯⋯属性が多すぎんだろ
心の中で呟かずにはいられない星喰であった。
最初の扉は自動ドアだった。
ミミィが内側に移動するとドアが閉まり、全身にくまなくエアシャワーが吹きかけられる。
工場などのクリーンルームに入る際に用いられるアレだ。
二重ドアになっており、外気と室内が完全に遮断されている。
扉を通って中に入るだけで五分近い時間を要した。
しかし、中に入れたからといって、室内を自由に移動できるわけではないらしい。
星喰たち二人は水族館の観覧通路にも似たトンネル内を奥に向かって歩いていた。
床から天井に伸びる大きなガラスの向こう側では、白や水色の防塵服を身に纏った者たちが回遊する魚のように忙しく動き回っている。時おり見える大きな個体は海獣類だろうか。実際の海獣ほど愛らしくはないが。
「ここでは営業マンが持ち帰った植物や鉱物を研究している。Aランク部屋とはいえ中に入れるのは許可された研究者のみで、社員といえどあっしらは入れない。もっともBランク以上になると、こうやって見ることさえできやしないんだがな」
しかし、この通路から見えるのは研究者の姿ばかりで、実際のモノは厚いビニールカーテンによって遮蔽された場所にあるらしく、見ることは叶わない。
観覧通路も終わりが近づいてきたようだ。
視線の先にエアシャワー室と思しきブースが見えてきた。あれを過ぎれば実地教習が始まるのだ。
星喰は武者震いをする。
全身の細胞に不安と期待の入り混じる気持ちが満ちる。
駆け出したい気持ちをギュッと抑えて、渾身の歩みを通路に刻んだ。
「おい、そっちじゃないぞ」
気合いの入りまくった第一歩がいきなり否定された。
「こっちだこっち」
ミミィが指差す場所は、通路だと言われなければ気づかない狭い隙間だった。
『KEEP OUT』と記された白いテープが幾重にも貼られており、「ここより先に入ってくれるな」という明確な意図が汲み取れる。
そのテープを乱暴にブチブチと引きちぎりながら、体を滑り込ませていく。
「こっちから行くと近道なんだよ。はよ来い」
何も考えていないようであった。
8
クリーンルームの名前に相応しい真っ白な部屋にあって、それはとてつもなく不似合いな存在に思えた。
高さ十メートルはあろうかという壁一面に備え付けられた青銅色の鉄扉。重機でも動かせそうにない巨大なハンドル。扉の縁には人頭大の鉄鋲がいくつも打ち込まれ、その内側には渦紋が描かれている。見る者の目も心も瞬時に奪う圧倒的な存在感だ。
「これ、何に見える?」
扉を見据えたままミミィが問いを発した。
——銀行の超重要金庫
そう言おうと口を開いた矢先、ミミィが声を被せる。
「残念ながら金庫じゃない」
「⋯⋯まさか、ミミィさんも心が読めるんですか?」
「ああ、ワタセね。あれは特別。まったくヘンな技能が身についちゃったもんだわさ」
困ったように肩をすくめる。
「技能⋯⋯なんですか?」
——アレが?
「別に珍しくもない。この仕事を続けてると、どういうわけか妙な能力が身についちゃうのさ」
チラリと横目で星喰を見やると、意地の悪い表情を浮かべた。
「どうした? こわくなっちまったかい?」
「いえいえ、とんでもない」
星喰は笑顔をひらめかせる。
「自分にどんな能力が宿るかワクワクが止まりませんよ!」
「だよなぁ!」
わーっはっはっはっは!
二人の高笑いが部屋にひしめき、こだまする。
「あの、盛り上がってるところ、大変ご恐縮なんスけど」
遠慮がちな介入者の声に、二人の動きが止まった。
視線が動き、その声の主を認める。
最初に目に入ったのは、細く丸いメタルフレームと、レンズの奥の黒目がちの瞳。そして影をおとす過分な量のまつ毛。それ以外の部位は白い防塵服で隠されているが、少なくとも目だけは美少女のそれであった。
「あの、わたくし、本日ご同行させてもらうA区域専属研究員の孟島センカという者っス。専門は惑星科学で、趣味は食べ歩きっス」
随分と幼く感じるのは、背丈や声の印象に影響されているせいだろうか。
給食当番の小学生にしか見えない。
「センカちゃん久しぶり~」
猫なで声でセンカに抱きつくミミィ。
「元気にしてた? ちっこいからってイジられてない? お小遣いあげようか?」
態度が完全に、可愛くて仕方がない姪に対するそれである。
「やめてくださいよ!」
ミミィの腕を乱暴に振り解くと、後方にステップし距離を取る。
「んもう、そんな逃げることないじゃん。抱き合って一晩過ごした仲なんだし」
「そうなんですか?」
星喰が間抜けな声で嘴を挟んでくる。
「そうだよー。しかも、二人ともハ・ダ・カ」
「わーーーー! ちょっなに無関係な人にしゃべってんスか!」
「別にいいじゃん。あ、それとも二人だけのヒミツにしたかった? はー⋯⋯あのときのセンカちゃん可愛かったなぁ⋯⋯羞恥から上気した顔、桜色に染まった肌、腕の中でプルプル震えるその姿に嗜虐心をそそられたあっしはたまらず」
「やめてください! セクハラで訴えられたいんスか!」
すごく怒っている様子だが、見た目と声の愛らしさのせいで、ミミィにはまったく響いていなかった。
それどころか、喜んでいるようにさえ見える。
「とにかく!」
話題の強制終了を試みたいのか、一際大きく声を発した。
そして、つかつかとミミィに歩み寄ると作業着の一部を掴み、星喰の側から引き剥がす。
「そもそも、なんでこの部屋に入ってんスか!」
星喰に遠慮しているのか、小声で説教を始めた。
「なんでって課長権限で」
「この部屋がどういう部屋かわかってますよね! 新人を連れてきていい場所じゃないでしょ!」
「いやぁ、だって、ねぇ」
「だって、じゃない! 守秘義務って言葉知ってますよね! 習いましたよね!」
「いやぁ、でも、ほら」
「でもほら、じゃない!」
のらりくらりと追求からの離脱を試みるが、どうも一筋縄ではいかないらしい。
ミミィは観念したのか、大きくため息を漏らした。
「でもねぇ、あいつの名前を知っちゃったら、好奇心が抑えられないつーか、なんつーか」
「名前?」
センカが怪訝な表情を浮かべる。
「あいつ、星喰だってよ。笑うだろ」
「まさか⋯⋯」
「なにか起こるかと期待したんだが、なにも起きないねえ」
小さく肩をすくめ、ミミィの視線が壁一面を埋める異物に向かう。
「まぁ、いいさ。今日のところはさっさと校外学習を済ませて休むとしよう」
「星喰⋯⋯」
センカの動揺はまだ収まっていない様子である。
だが、ミミィは気にも止めず次の行動へと移行する。
「ほらセンカ、行くぞ」