第36話
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予感は当たった。
間を置かず、屈強な兵士がドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきたのだ。
青い金属光沢を放つ鱗状の鎧に撲殺専用の武器。
敵に逆らう気持ちさえ抱かせない重装備兵だ。
ノックもせずに失礼なヤツだ、と腹を立てた星喰だったが、ここが牢屋であることを思い出し、自分の立腹に失笑した。
思えば自分たちは今、石ころ以下の価値もない存在として扱われるのが当たり前なのである。
ノックをされては奇妙というものだろう。
「よう、レッチェ。また会ったな」
今にもよだれが垂れ落ちそうな締まりのない重装備兵の口から、下卑た声が発せられた。
頭蓋の形はオオカミなのだが、首から下とスケールが合っていない。
つまり、頭が大きすぎるのだ。
口元と同様に目尻も眉尻も垂れ下がっているため、本人はいかつい顔のつもりでも卑屈な笑みにしか見えなかった。
「彼ってもしかして」
「川原の時の? 聖皇騎士団にいた人?」
ウルリカと野上がヒソヒソと囁き合う。
ゆるキャラめいた頭身は印象に深く刻まれているようだ。
星喰も見ているはずなのだが頭上に『?』を浮かべている。
レッチェは少し呆れたように薄く微笑みを浮かべ、やれやれといったふうに首を振った。
「そうだよ。あいつはあの時のバカさ」
ため息まじりにレッチェも呟く。
この兵士はあのミミィ無双に巻き込まれず、生き延びたらしい。
星喰はまだ無言を貫いていた。
会話はすべてタリスタニア語で交わされているため、話の輪に入れないのだ。
その代わりとばかりに乱入したのがオオカミ顔の兵士である。
「おいおい、バカはねェだろ。元亭主に向かってよォ」
「元亭主!?」
「あれが!?」
「本当にねぇ。若気の至りってヤツかねぇ」
星喰は小窓から陽光に煌めく青い屋根を眺め続けることにしたようだ。
何を言っているのかわからない以上、おとなしく一段落を待つのも賢い手立てだろう。
「そんなことはどうでもいい! オレは思い出話に花を咲かせるために来たんじゃねェんだ。そこのオスに用がある!」
オオカミ顔の腕が伸び、野上を指差した。
毛むくじゃらの指には鋭く尖った鉤爪が光っている。
その呼びかけに、星喰も驚いた表情で振り返った。
言葉でなく、声の大きさに反応したのだ。
「⋯⋯ん? オスが二匹?」
明らかに困惑した様子のオオカミ男。
「オスを一匹連れて来い」とでも命じられて来たのだろう。
想定外の状況にフリーズ寸前となっていた。
「ええい! わからんから両方連れて行く!」
オオカミ男が声を荒げる。
それが虚勢であることは誰の目にも明らかだった。
*
両手首をヘソの前で括られ、腰縄が通される。
「暴れたり、逃げ出そうとか考えるなよ。その先に待ってるのは死だけだぜ」
仁王立ちのオオカミ男が偉そうに忠告する。
星喰と野上に対して作業を行うのは、明らかに格下と思しき兵士たちである。
顔立ちを見ても仔犬の面影がまだ色濃い。
彼らが行なっているのは、日本でも法廷などで目にする一般的な人身拘束方法だった。
異なる点があるとすれば、縛っている縄の材質だろうか。
艶のない黒色のそれは一見すると安っぽいプラスチックのようであるが、硬いゴムの柔軟性と鋼の剛性を併せ持っていた。
皮膚に当たる感触もソフトなゴムのそれであるが、重量は安いプラスチックのものなのだ。
「⋯⋯面白い質感だ。配合レシピを知りたいな」
ふと野上が呟く。
その発言が日本語だったので、たまらず星喰が合いの手を入れた。
「軽さの感じは発泡スチロールってとこかな。強度的には樹脂?」
「うーん、伸縮性のある樹脂⋯⋯とはまた違うような」
野上の口調もどこか楽しげだ。
「星喰さんの会社はこういった素材を扱ってるんでしたっけ?」
「まだ入社したわけじゃないけど、話を聞く限りそうみたいだよ」
「じゃあ、日本に戻ったら、うちの会社と取引してくださいよ。ここの鉱石を研究してみたいんで」
「地球上の企業と取引あるのかなぁ⋯⋯。まぁ訊いてみるよ」
「お願いしますね」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせェな。勝手にくっちゃべってんじゃねェぞ、コラ」
オオカミ男からクレームが入った。
日本語が理解できなければ、ただの耳障りなノイズでしかない。
不愉快になるのも当然だろう。
「さて、行くか。聖都庁に到着するまでの間、いい見せ物になるだろうよ」
**
聖都タリスタニアはこの国、いや、この星の首都である。
獣人という単一の種族のみが知性を持ち、全員が同じ神を崇めているため、彼らの歴史に戦争の二文字はない。
記録される争いは、日常の中で生まれる瑣末なものばかりだ。
それでいてもなお兵が存在し、武器があるのは、過去の歴史から得られるそれなりの教訓があったからであろう。
それが人災なのか、天災なのかはわからない。
だが、悠久の刻をひたすら日々の営みに費やしてきた結果、科学も技術も未熟な世界が今ここにある。
そして、おそらく文化もまた未成熟なのだろう。
己と礼節を比較し、省みる機会となる異文化がない、というのがその理由だ。
牢獄塔がある通り沿いには人垣ならぬ獣垣ができていた。
大人も子供も娯楽を求めて好奇の目を輝かせている。
大衆は娯楽に飢えていた。
——なるほど、こりゃ確かに見せ物だわ
星喰が呆れたように嘆息を吐き出す。
「おら、とっとと歩けェ!」
オオカミ男の怒声が響く。
このゆるキャラを先頭に市中引き回しの刑は開始された。
野上と星喰は腰縄で繋がっており、二人の手錠から伸びた縄をオオカミ男が握っている。
飼い主とペットの散歩の光景そのものだ。
世の中にはこうやって引き回される事に快感を覚える稀有な人もいるらしいが、残念ながら二人にそのケはない。
胸中に抱く思いは屈と辱。
「これは、なかなか⋯⋯」
「効きますね⋯⋯」
表情は冷静を装っているが、声には憤怒が滲んでいた。
「おーい、ふたりー」
胸中の怒りを削ぐ明るい声が頭上から降ってくる。
見上げるとウルリカが小窓から身を乗り出し、両手を大きく振る姿が見えた。
「すぐ助けに行くからねー」
元気な声が、暗く澱んだタールの池に沈みそうになる気持ちを引き上げてくれる。
言葉のわからない星喰でこれなのだ。
理解できる野上は元気百倍といったところだろう。
意外にもオオカミ男は短く舌打ちをしただけだった。
ウルリカのそばにレッチェの顔が見える。これが抑止力として効果を発揮したのかもしれない。
その時だ。
星喰の頭に鋭い痛みが突き刺さった。
足元に転がった石に視線を落とすと、黒く濡れて見える。
投石されたのだ。
見慣れない余所者に対しての感情が暴走を始めたらしい。
相手は拘束された悪人である、という思いが、彼らの罪悪感を鈍化させた。
大人も子供も道に転がる石を手にすると、歓声交じりに投擲を開始する。
その行為が公然と認められた一般的な遊びであるかのように。
雨あられと降ってくる石礫に星喰らは為す術もない。
背を向け、蹲り、頭を守ろうと必死に屈む。
ごつんと音を立てて、星喰の目の前に岩サイズの物体が落ちてきた。
それは鮮血で赤く染まった野上の顔だった。
見開かれた両目に生気はなく、ただ牢獄塔と小窓から覗く人物が漫然と映し出されている。
野上の死を認識した瞬間、この世界から音が消えた。




