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第3話 

 5

 

 実地での適応試験——営業職の採用試験としては耳馴染みのない言葉である。

 ——いったい、どこに連れて行かれ、何をされるのか

 星喰(ツヅハミ)の胸中に不安が広がっていく。


 思い起こせば、千夜越商会の求人票には「書いてあったらすぐ逃げろ」と噂されるブラックワードが軒並み並んでいた。


 『誰にでも簡単にできる仕事です』

 『未経験者には優しい先輩が親切丁寧に指導します』

 『アットホームな職場です』

 『社員はみんな毎日笑顔で働いています』

 『年収1000万円以上も可能』

 

 ——今どき、こんな謳い文句に引っ掛かるバカがいるか!

 ツッコまずにはいられない使い古されたブラックワードのオンパレード。

 ベテランの求職者はもちろん、ハロワ初心者でも一目で見抜けるヤバさである。


 とうぜん星喰もその点は十分理解していた。

 ヤバいのは百も承知の上で対よろを仕掛けたのだ。


 理由はもちろん『のっぴきならない一身上の都合』というヤツである。


 ⋯⋯対よろ連戦連敗という事実は星喰の肉体や精神を想像以上に責苦せしめた。

 脳は疲弊し、思考能力も低下。その結果、妙なことを考えるようになる。


 ——まともな有名企業はやはり競争率が尋常じゃない。学歴で負けたとは思わないが、年齢的に不利だ


 ——『正社員も可』とある求人で求められてるのは、そんな安月給じゃ絶対に雇えないスキルの持ち主!


 ——正社員の座に就くためには、ある程度ブラックでもやむを得ないか⋯⋯いや、待てよ


 星喰の頭の上に電球が点く。


 ——むしろ、誰も対よろを申し込まないような激やばブラック求人を狙えばいいんじゃないのか?


 ——不人気案件なら競争率が下がるどころか、面接即採用なんて話も夢じゃない!


 そして得たのが、求職者に不吉な悪寒しか与えない謳い文句が並んだここ千夜越商会というわけだ。


 ——これは絶対あやしい! マルチ商法の片棒を担がされるかも? それとも詐欺まがいの霊感商法か?


 ——とにかく、ここに挑む人間なんて、よほどの痴れ者か、追い込まれた自分くらいなもんだ⋯⋯


 星喰の見立ては正しかった。

 社屋も従業員も普通ではない。

 良識を重んじる人間なら、あの自販機に隠された入り口を目にした時点で即辞退だろう。


 ——それでも行くしかないのだ!

 星喰の目に覚悟が宿った瞬間、ミミィの足が止まった。

「一応ここが更衣室ってやつね。そっちが男子、ほら入って」

 ドアを開いて中に入ると、完全なる闇。埃臭さが鼻をつく。


 パチリとスイッチを弾く音がする。真っ暗だった空間に蛍光灯の明かりが灯る。

 部屋の中には縦に細長い灰色のシンプルなロッカーがいくつも並んでいた。


「これからクリーンルームに入る。ロッカーの中のクリーンウェアに着替えてくれ。あとスマホや財布、腕時計も持ち込み禁止だからそっちの貴重品入れに」

「了解しました」

「靴もちゃんと履き替えるんだぞ。あと帽子も忘れるなよ」

「はい」


 星喰は速やかに着替えへと移る。

 背広を脱ぎ、ロッカーにしまい終えると手早く半透明の衣服に包まれていく。

「着替えが済んだら声かけてくれ、出発だ」


 身支度を整え、部屋を出る。すると、星喰と同じく半透明のクリーンウェア姿のミミィが立っていた。


 帽子とマスクで顔の大半が隠れているにも関わらず、双眸には生命の輝きが溢れんばかりに満ちており、見つめられるとカンムリワシに睨まれたヘビのように身がすくむのだ。


「おう、なかなか似合ってんじゃん」

「ど、どうも⋯⋯」

「それじゃあ、出かけるとするかあ!」

 バン!

 大きな音を立てて、ミミィの手が星喰の背中を叩く。

 その時である。


「まったまった、その出発まったぁーーー!」

 静止を求める大きな声が廊下の先、はるか地平の彼方から聞こえてきた。

 朧げな光の中に霞んでいた影の輪郭が次第に鮮やかとなり、やがてワタセとなって現れる。


「まったく⋯⋯せっかちにも⋯⋯ほどがあっ⋯⋯る」

 肩で大きく息を整えながら、細切れになった文句を口にする。

「どうした、一緒に行きたくなったのか? それならそうと言ってくれれば」

「⋯⋯ちがっ⋯⋯これ」

 彼は腕を振り上げ、手に握ったものをミミィの眼前に差し出した。


「命に関わる大事なものを⋯⋯忘れるとか⋯⋯ヤバいでしょ」

「あーそうそうそうだ! うっかりしてたわ」

 反省の素振りはかけらも見えない。


 ワタセの手の中にあるソレをひったくると、一つは自分に、もう一つを星喰の首にかけた。

「⋯⋯なんですか、これ」

 それは細く赤いロープとビニール製のパスケースで構成されていた。

 どことなく懐かしく思えたのは、前職でも首から下げていたからだ。


「社員証。そっちの赤い紐はゲスト用ね」

 ミミィはクリーンウェアのジッパーを少し下げると、そこから手を差し込み、シャツの胸ポケットに社員証を押し込む。星喰は自分が客人であることを考慮し、クリーンウェア越しに赤いロープがしっかりと見えるよう身につける。


「ワタセ、今日はA5でいいんだっけか? こいつ見どころありそうだし、もうちょっとヤバイところにしない?」

「⋯⋯心配なんでボクも扉までご一緒しますよ。すみません星喰さん、お見苦しいところを見せちゃって」

「いえ⋯⋯お気になさらず」


 走ってきたせいか、それとも自由すぎるミミィに振り回されたせいだろうか。

 ここ1時間足らずの間に、ワタセの顔が幾分か老け込んだように見えた。


 6

 

 A5の扉まではエレベーターで移動することとなった。

 病院にあるベッドが丸ごと入るサイズの大きなエレベーターだ。

 異なる点を挙げるとすれば、階数表示とボタンが見当たらないことくらいだろうか。


 それ以外は日常で目にするものと大差はない。

 ——どうやって操作するんだろう

 素朴な疑問が好奇心を駆り立てる。


 操作の様子はワタセの肩越しから見えた。 

 ワタセも隠すつもりはないらしい。むしろ見やすいように所作をゆっくりと行ってくれた。

 

 通常のエレベーターなら階数ボタンが並んでいる箇所にカードスリットがある。

 そこへキャッシュカードにも似た社員証を差し込むと、全体を飲み込んだ後すぐに戻ってきた。


 エラーではない。

 社員証の表面に浮かび上がる階数表記。これを押すことで目的の階へ移動が可能となるのだ。


 ——やりすぎセキュリティ!

 エレベーター特有の浮遊感を感じながら、星喰は目の前の最先端技術に驚愕した。


 データセンターや特殊な金融機関など、一般人に縁のない建物ではSF映画さながらのセキュリティが施されている、とネットで聞き及んではいた。が、実際に目の当たりにすると、子供のように興奮で頬が紅潮してしまうのは男子の哀しい性と言えよう。


 そんな星喰を見て、ワタセにも通じるところがあるのか、ニッと笑顔を浮かべた。


 音も衝撃もなく停止したハイテクエレベーターの扉が開く。

 その先に待ち受けていたのは、こぢんまりとした円形のロビーに小さな扉が一つだけ。


 窓も椅子も非常口の誘導灯すら存在しない。その無機質な空間を、天井に埋め込まれたダウンライトが薄暮色に染めている。機密保持のためとはいえ、火事になったらどうする気だろう。


「では、お二人ともお気をつけて」

 ワタセとはここでお別れらしい。

「大袈裟なヤツだ。A5だぞ、心配するようなことなんか何も起きないっつーの」

 盛大にフラグの立つ音が聞こえた。


 空耳であって欲しいと心の底から祈ってみるが、それをかぶりを振って否定する者がいる。ワタセだ。

「残念ですが、そうはならないでしょう。スリリングな旅になるかもしれませんが大丈夫です。たぶん」


 ——たぶん、てなんだよ!


「大丈夫です! 命の保証はできると思います! 確実とはいえませんが大丈夫だと思われます!」

 もはやワタセ自身も自分が何を言ってるかわかってないのだろう。


 しかし、星喰を落ち着かせ、安心させようという気遣いは理解できた。

「いざとなったらあの手この手を使ってでも助けに行きますから! 信じてください!」

 その言葉を受け入れて、星喰も力強く頷く。


 ——ここまできたら、やってやろうじゃないか。そのイベントフラグってやつを!


「その意気です!」

 ワタセひとりを乗せたエレベーターが、静かに扉を閉じる。

「さぁ、行こうか! 楽しい冒険の始まりだ!」

 静寂を打ち払うかのようにミミィが怪気炎を上げた。


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