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勇者として召喚されたけど社畜として生きていく  作者: ナナダイク


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第27話

 5


 ⋯⋯カチリ。

 

 小さな音を立てて留め具が外れた。


 プシュという短い発泡音と共に蓋が開く。


 隙間から溢れ出る白く薄い煙が陽光を受けてキラキラと舞い上がり、それが風になびくサテンのストールを思わせた。


 強烈なアルコール臭の奥に見え隠れする発酵臭と酢酸臭。それが渾然一体となり、ふくよかな芳香となって鼻を喜ばせる。


 ——不思議な香りだ。刺激の強い濃厚な花束を鼻先に突きつけられたかと思うと、すぐに瑞々しい果実へと変化し、その先には深い森を感じる。これは土と朝露に濡れた木々の香り。そして、次にやってくるこの香りは⋯⋯


 はっ、と我に帰るワタセ。


 ——妙だな。性欲を刺激する要素なんて微塵も感じられなかった。個人差があるのか? それとも種族差なのか。記憶を刺激してるとも考えられるか⋯⋯


 獣たちを発情期さながらに興奮させるはずだった臭気は、風に煽られ、霧散し、タリスタニア聖皇騎士団を狂乱の渦に陥れることはできなかった。


 やはり、鉱山のような狭く閉じた空間でしか効果は得られないらしい。


 作戦は失敗に終わった。


 だが、ワタセはそんな感情をおくびにも出さず、お調子者の笑顔を顔に張り付かせたまま声を張る。


「どうぞ、お召し上がりください」


 顔を正面に向けたまま、ゆっくりと後退するワタセ。

 その動作は野生のクマに遭遇した時の対処法と同じものだった。


 ——さて、これからどうしよう


 あいにくと武道の心得は持ち合わせていない。


 持ち合わせていたとしても、身の丈三メートルの筋肉毛玉(甲冑付き)が相手なのだ。

 そんな怪物が百匹。同時に相手をして勝てるなんていうのは、マンガやアニメ、ゲームの専売特許だろう。


 ——ワンコどものエサになりそうになった時はこのボディを捨てるしかないか⋯⋯四次元体なら三次元のこいつらには絶対に見つからないわけだし、そうなれば安全にパミット荘まで帰れる。すまん! 地球兄弟! 戻ったらコンビニで一番高額な高級クッキーの詰め合わせを持って謝罪に行くから許してくれ!


 体内に埋め込まれた緊急脱出装置の場所を確認すると、わずかではあるが気持ちに余裕が生まれてきた。


 瓶に群がる巨体躯獣人たち。

 

 よほど美味なのか、太い尻尾をブンブンと振り回している。


 だが、どんなに美味でも小瓶の中身が全員に満遍なく行き渡るはずもなく、口にできなかった獣人がワタセに詰め寄ってきた。

 

「なぁ、もっとないのか?」

 悪臭のあまり鼻が破裂しそうな口臭が、ワタセの顔に吹きかけられる。


「なにぶん滅多に入手できない希少な食材ですので⋯⋯」

 息を止め、愛想笑いを浮かべるも、獣人の表情は不機嫌へと変化する。


「なんだぁ? なにヘラヘラ笑ってんだよ。ナメてんのか!? オラァ!!」

 

 雷鳴かと聞き紛うほどの怒声がワタセの耳を(つんざ)く。


 その咆哮がまるで合図であったかのように、獣人たちが色めき立った。


 凶暴スイッチが入った獣人は毛を逆立て、牙を剥き出しにし、殺気を纏わせた眼光は鋭さを増す。


「やっべ」


 しょうもない犯行現場を教師に見つかった中学生みたいな危機感を口走る。


 ワタセがボディを脱ぎ捨てて敗走しようと覚悟を決めた時、それはやってきた。



 *



 空から落ちてきた黒とピンクの雷光。


 光に遅れて凄まじい轟音が空気を揺らした。


 ——こんな時に落雷!? 雷雲なんて見えやしなかったのに⋯⋯いや、待て。この星は重力と斥力の関係で雲が発生しにくいという話だ。だとすると、通常の空模様であっても大気中が常に帯電している可能性もある。この辺りは水気の多い場所。陽当たりがよければ水蒸気も発生するだろう。それが摩擦帯電を起こして、つい今しがた限界に達したというわけだな。よし、納得した!


「おい!」


 額に刺すような鋭い痛みが走る。


 それがデコピンをくらった衝撃だと理解できたのは、目の前に出現した人物の顔を見てのことだ。


「課長⋯⋯」


「ボーっとしてんじゃねーよ。相変わらずお気楽極楽だな。こんな状況で思案に浸れるとか並の肝っ玉じゃ普通できねえよ?」


 明るく華々しくも凛と透き通った女性の声。


 ミミィ・ミミである。


 ダボダボの黒いバギーパンツにサイズオーバーのジャングルブーツ。ファンキーなデザイン柄がプリントされたTシャツの上に、ショッキングピンクの革ジャンを羽織っている。


 そして、大量のゴールドやシルバーのアクセサリーが、小柄な体躯を飾り立てていた。


 もし繁華街の路地で出会おうものなら、確実に視線を逸らし、無言で道を譲る。

 そんな出で立ちだったが、文句のつけようがないほどよく似合っていた。


 これが先ほど落ちてきた雷の正体である。


 ——と、いうことは音の正体はもしかして


 首を巡らせると、球形の物体が地面にめり込んでいた。


「⋯⋯飛び降りたんですか?」


「おう! かっこよかったろ?」


「すみません。見てませんでした」


「とうっ!」


 ミミィの鋭い手刀がワタセの頭に振り下ろされる。


「ま、ともかく新入りとツーリストを無事に逃したんだ。上出来だよ」


 路考茶(ろこうちゃ)色の髪を小気味よく揺らしながら、凶悪な毛むくじゃら軍団へと向き直る。

 

「あとは、あっしに任せな」



 **



「おいおい、お嬢ちゃんがオレたちの相手をしてくれんのかよ」


 獣人たちの間から下卑た笑い声がどっと湧き起こる。


「やめときなァ。こいつらは加減てモノを知らねェ。強がりも大概にしねェとおヨメに行けなくなっちまうぜ?」


「まったくだ。なんならオレのイチモツを見せてやろうか。お嬢ちゃんの背丈とどっちがデカイか、比べっこしようぜェ?」


 場末の娼館の方がまだ上品に思えるほどの下品な言葉が次々と投げかけられる。


 だが、ミミィは動かない。


 両手を革ジャンのポケットに差し入れ、黙って俯く姿がさらに獣人たちの加虐心をそそったらしい。


 耳を塞ぎたくなるような言葉が豪雨となってミミィに注がれる。


 しかし、言葉責めだけで満足するような連中ではない。


「そ、そろそろ、いいかな? いいよな?」


 前屈みになりながら、まだ幼さの残る顔立ちの獣人がコソコソ進み出る。


「マジかよ、こいつ。こんなガキ相手におっ勃ててやがる!」


 ギャハハハ、と一際大きな笑い声が周囲を包んだ。


 むせかえるケモ臭の中、ミミィが小さく息を吐き出す。


 そして、おもむろに右手をポケットから引き抜いた。


「おて」


 差し出した小さな手に肉球を添えるよう言い放った短い命令。


 だが、その言葉の意味を理解できた者は、幸運にも獣人たちの中にいなかった。


 ミミィはクノプ人の衣装も翻訳セットも身につけていないのだ。


 つまり、獣人たちから浴びせられた下品な言葉もミミィには届いていないことになる。


「おて!」


 語気を強め、要求を繰り返すミミィ。


 獣人たちは驚きの表情で顔を見合わせる。


 やがて、群れの中から名探偵が現れた。


「⋯⋯これってあれだろ、ふたりで手を繋いで人気のないとこへ移動しましょうっていうお誘いの仕草だよな?」


「あーなるほどなるほど。合点がいったわ」


 大衆はその推理に納得し、深く頷く。


「じゃあ、あとは若い者同士でシッポリやってもらうとして、オレたちは引き上げるとするか」

「お、おう」


「美味いもんも食えたしな」

「オレ食えてねェんだけど!」

「酒場でなんか奢ってやるよ」


 興を削がれたのか、騎士団の面々が土塁の方へと戻り始めた。


 その中で先ほどの若い獣人だけがまだミミィと向き合っている。


「へへへ⋯⋯」


 顔を紅潮させて、差し出された手に興奮から来る汗で湿った手を添える。


 ミミィが微笑む。


 その笑みが獲物を捕らえたヘビのようであっても、上気した彼はおそらく気づかないだろう。


 パン!


 大きな破裂音が周囲に響き渡った。


「⋯⋯出たよ。バケモノめ」

 

 一体何が起こったのか。


 事情を知る唯一の人物が川辺で小さく吐き捨てた。



 音に反応して振り返った彼らが目にしたものは、ミミィの右手からこぼれ落ちる獣人の左腕だった。


 毛皮が反り返り、骨が露出している。

 

 血液に濡れた艶やかな筋肉は食いちぎられたかのように、無惨な断面を晒していた。


「なにしやがった!」

「てめェ!」


 騎士たちは血相を変え、地面に転がしておいた武器を手に取り構えた。


「そりゃ恐ろしいだろうなぁ」


 巻き込まれないよう離れた場所で、のんびり観戦とシャレ込むワタセが呟く。

 

「ミミィの特殊技能『レベルイーター』。その気になったミミィに触れたが最後、長年の鍛錬で蓄えてきた経験値や技能、体力まで全てが根こそぎ刈り取られちまう。とんでもないチート技だ」


 呟いている最中にも、一人またひとりと獣人が派手に散っていく。


「ただ刈り取られるだけなら、まだ幸せだったろうさ。ミミィの場合はさらに恐ろしいスペシャルサービスが付加される。レベル1に戻った肉体では絶対に耐えられない、一気にレベルの頂点に到達するほどの負荷が即座に注がれるんだ。萎んだ筋肉が急激に膨張し、内臓や骨が押し潰されると同時に血管が破裂。筋繊維が身体の形状を維持できず爆発したように見えるって寸法だ。ほんとグロいよなぁ⋯⋯あ、また死んだ」


「ヒィィィィ!」 


 ワタセによる懇切丁寧な解説の間にも、獣人たちは死神の鎌から逃げるために必死の形相で走り回っていた。


 今まで怯える顔を一方的に叩き潰してきた棍棒も、逃げ惑う側となっては重い枷でしかないことに初めて気づいたらしい。

 

 追う者と追われる者。その立場が逆転した彼らは実に哀れだった。


 武器を捨て、防具まで投げ打って距離を取るも、なぜか死を招く鎌からは逃れられない。


「そりゃそうさ。彼女は元二次元人。平面の上に逃げ場はないよ」


 ワタセが笑う。


「かわいい顔して、とんだ悪魔っ娘だ」


「そこ! ブツブツうるさい!」


「はいっ! すいません!」


 ミミィからのクレームにワタセがあわてて姿勢を正す。


 獣人の断末魔がひしめくこの場所において、その呟きはあまりにも小さく、並外れた地獄耳でも聞き取れない音量のはず。

 なのに、なぜミミィには聞こえたのか。


 それは二次元文明が誇る特異技術のおかげだった。



 ***



 生命体が知性と文明を高めるのに欠かせない要素のひとつがコミュニケーションである。

 

 もちろん平面世界においても例外ではない。

 言葉を重ねて理知的な文化を育み、他次元にも負けない高度な文明を築き上げてきたのだ。


 会話の方法も三次元の我々と大差ない。

 空間を通じて双方向に言葉を交わしているのである。


 諸兄姉の中にはまだ納得できぬ方もおられるだろう。

 同じ平面上で音を発すれば、水面の波紋のように互いを打ち消し合うのではないか、と。


 また、同一空間に暮らす二次元人も寡数ではないし、文明的な騒音もあるだろう。

 平面上では大小様々な波紋が絶え間なく発生し、打ち消し合い、意思の疎通など到底無理なように思える、と。


 彼らは一次元を利用していた。


 話したい相手と素粒子よりも細い線で結んで会話する。

 電話と同じ理屈である。


 平面上に無数に組み敷かれた一次元は、平面上で交差するわけだが、混線はしない。

 理由として『直進性』が挙げられる。


 一次元上を移動する信号の『直進する性質』を上手に活用しているのだ。


 そういった技術を二次元人は持っている。


 二次元世界の住人であったミミィが同じ技術を使えるのも道理であった。


 

 ****



「⋯⋯通話モードにしてるなら言ってください。協定違反ですよ、それ」

 ため息混じりにワタセが愚痴る。


 読心術に長けたワタセと、歩く盗聴器のミミィ。


 他人の秘密を盗み出すことにかけて双璧を成す二人は、お互いの胸の内を守るため、こっそりと協定を結んでいた。


 『プライバシー保護協定』と称されるそれは、互いの許可なくスキルを使用しないと記されたデジタル血判状にて結ばれたシロモノである。


 もし、約束を破ったらどうなるのか。


 罰則にはこう記されている。


 『ハリセンボン飲ます』


 「ゆびきりげんまん」でお馴染みの言葉だが、ここで言うハリセンボンとは針千本ではなく魚のハリセンボンを意味している。


 ハリセンボンを水ごと喉の奥に入れ、衝撃を与えて興奮させ、パンパンに膨らんだ状態で口から出す。


 そんな人間ポンプ芸を強要しているのだ。


「課長⋯⋯ハリセンボン、飲んでもらいますからね」

「いやいや待て待て!」


 ワタセの言明を打ち消そうとしてるのか、必死の形相で両掌を動かすミミィ。

 さながら壊れたワイパーのごとき動きは、子供っぽさ全開で愛らしくもある。


「ちゃんと協定書にも書いてある! おまえに紐付けするときはデコピンするって。手順に問題はないはずだ!!」


「あ」


「⋯⋯この件はあとでゆっくり話そう。大急ぎで片付けるから大人しくそこで待ってろ、いいな?」


 残忍な笑みがミミィに口元に浮かぶ。


 ワタセは顔から一気に血の気が引くのを吐き気とともに自覚した。


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