第26話
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バシャパシャと激しい水音をたて、五人は慌ただしく箱舟へと乗り込んだ。
箱舟といっても要はチラシを折って作るゴミ箱である。
白い船体は全体にロウを塗ったような光沢が見られ、耐水性については不思議と安心感があった。
離岸時も離岸後も、これといった妨害はなく、五人の険しい表情以外はただの舟遊びと大差ない。
岸を離れ、騎士の群れが土塁の上に記された青い線に見えてきた頃、誰かが安堵したかのように大きく息を吐き出した。
それを機に硬かった皆の表情もいくぶんか和らぎ、閉じていた口が徐々に開き始める。
「ワタセさん、大丈夫でしょうか」
ウルリカが誰にともなく呟く。
危険から遠ざかったとはいえ、すぐに談笑とならないのは、皆が皆一人残してきた仲間を慮っているためだ。
「大丈夫ですよ。弊社の役付はちょっと非常識な人が多いですから」
応じたのは、この中で一番付き合いが長いであろうセンカだった。
「非常識というのはちょっと誤解を生みますね。人間離れしてるという言い方が適切かもしれません」
場を和ませるためか、冗談じみた口調で訂正を入れる。
「少しばかり常軌を逸した人物が多いんですよね。私の周りは特に」
「じゃあ、あのいつもニコニコしてる温和なワタセさんが実は! みたいなってことですか?」
星喰が口を挟む。
「ああ見えて実は武道の達人! とか」
「ああ見えて実は星をも破壊するパワーを秘めた超能力者! とか」
「ああ見えて実は一瞬で誰もが心を開いてしまう人たらし! とか」
「ああ見えて実は怒ると巨大なドラゴンに変身して火を吐き散らす! とか」
「ないないないない」
「なんでよー!」
全員から総ツッコミをくらったウルリカが顔を真っ赤に染めて野上を小突く。
「あはははは、ああ見えて実は四次元生命体なんですよね、課長代理」
ほんわかした雰囲気が時間ごとフリーズした。
「あ、四次元と言っても青いタヌキ型ロボットのことじゃありませんよ。お腹にあるポケットが日本で一番有名な四次元アイテムだと思いますけど、あれはおそらく商品名であって、実際の四次元空間とは別物といいますか」
空気を読まず話を続けるセンカ。
「そもそも本来であれば、三次元人に上位次元は認識できないんですよ。目の前に四次元人がいても見ることも触ることも出来ません。でも三次元以下の全ての次元は認識できる。例えば、宇宙空間。黒く見えるのはダークマターとか暗黒物質のせいだって言われてますけど、実は二次元宇宙なんですよね、あれ。真っ黒に見えるのは二次元が影法師のような光と影で構築されてるからで、影の部分を暗黒物質だと誤解してるんです。そう考えれば質量があるのも当然ですね」
科学談義はまだまだ続く。
「地球人は何故かこの宇宙を三次元のみが存在すると錯覚してるようですけど、ゼロ次元以上の全ての次元が内包されてるんです。認識できないだけで四次元も六次元もあらゆる次元空間が同時に存在してるんですよ。ビッグバンが起きた時、三次元だけが膨張し、残りは余剰次元として小さく折り畳まれてる⋯⋯みたいな仮説を読んだことがありますけど笑っちゃいますね」
一気に喋りすぎて口が疲れたせいか、それとも乾燥が気になったのか。
口内を整えるため、センカが口を一旦閉じる。
だが、他の者に嘴を容れる隙は与えなかった。
誰かが息を吸い込み、声を発するよりも早く、センカのマシンガントークは再開された。
「では、本題に戻りますね。なぜ上位次元で認識できないはずの課長代理を見れて、触れて、会話できるのかといいますと——」
得意分野を語り出したら止まらないセンカに初めて遭遇する野上、ウルリカ、レッチェはポカーンである。
唯一星喰だけが石化の罠から抜け出すことができた。
「あ、あの孟島さん? そのお話はどこまで本当なんです? それともジョークか何かで?」
おそろおそる声をかける。
「いえいえ、全部ホントのホントですよぅ!」
少しムッとしたのか声を荒げた。
「私は星喰さんや野上さんと同じ天の川銀河生まれの三次元人です。地球人でないというだけで信用されないのは心外です」
「えっ!?」
野上が星喰よりもさらに大きな驚きの声を上げる。
「ももも孟島さん宇宙人なんですか!?」
興奮過剰気味な野上の問いかけに、センカがこくりと頷いた。
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
聞いてないよ! とばかりに強く首を振る二人。
「私の生まれ育った星は場所的に太陽系が位置する渦状腕から中心部を挟んだ向かいあたりになりますか。木星の八倍ほどある巨大ガス惑星で、気体から生成したシェルターを無数に連結して、土星の輪のような環状コロニーを幾重にも作って、その中で生活しています。ガスの中なので望遠鏡や探査機からは見えないでしょうし、そもそも地球からは銀河中心部のブラックホールが邪魔して観測不可能ですけど」
センカの自分語りは実に興味深い内容だった。
「そんな生い立ちなもんで幼少の頃から地殻惑星に憧れがあったんですよね。それで研究者になったわけですが、まさかあの地球に勤務できるなんて! しかも地球以外の星にも行けるようになろうとは! 自分の運の良さにびっくりですよ」
カンラカンラと豪快に笑う。
ここで野上が遠慮がちに挙手をした。
「質問、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
勉強熱心な学生と教授によるゼミが始まった。
「宇宙人⋯⋯あ、いや、異星人という話でしたが、ここまで地球人に似るものでしょうか? 生存環境からして地球の動物みたいな骨などは必要ないように思えますけど」
「良い質問です!」
センカのメガネがきらりと光る。
「私のこの第二地球人そっくりの見た目も本来のものとは随分とかけ離れてます。実際の姿は⋯⋯地球上の生物で例えるとアメーバ? いや、クラゲかな? とにかくフワフワぷかぷかした不定形生物なわけです。私たちは生まれてすぐ本能的に生体による重力制御ができるようになるので、『地面に足をつけて歩く』という行動ができません。でも、それだと地球上で活動できないので、こういった第二地球人の模倣がカンペキにできる擬態スーツを身につけているのです。課長代理の体躯同様、ちゃんと出血もしますし、食事も味覚もフォローされてる凄い身体なのです!」
「なるほど⋯⋯ですね」
ものすごいドヤ顔のセンカに対し、真剣な面持ちで頷く野上。
「ところで、その第二地球人とはなんでしょうか? 第一や第三の地球人もいるんですか?」
続けての質問にもセンカは威厳たっぷりに首肯する。
「地球表面で暮らす地球人は一般的に第二地球人、または地表型地球人と呼ばれてます。野上さんや星喰さんがこれに該当します。この宇宙に暮らす生物の多くは、惑星の表面ではなく、内部にいることが多いんです。もちろん地球も例外ではありません。『地球空洞説』って聞いたことないですか? つまり、真の地球人は地球の中に住んでいるので、地表にいる皆さんは第二の地球人と呼称するようになってるんです。驚きました?」
「『地球空洞説』は聞いたことがあります⋯⋯オカルト業界の戯言と聞き流してましたが」
「右に同じ⋯⋯」
野上と星喰が神妙な面持ちで顔を見合わせた。
「地球内部に住む真地球人も複数の種族がありまして、第二地球人にそっくりな人種もいます。彼らの話によると、地表に人類が誕生したとき、住んでた洞窟の外に向かったのが第二地球人で、洞窟の奥に向かったのが真地球人だそうです。つまりこの地球人と第二地球人は兄弟! そりゃ救いの手も差し伸べますよね」
「救いの手?」
「遥か昔から地球内部に住む真の地球人は第二地球人に無関心です。彼らは第二地球人を地表にわいた雑菌、ウジ虫、足音がうるさい安アパート二階の住人くらいに考えてるフシがあります。『死滅してほしい地球生物ランキング第一位』が百万年前から定位置だそうで、隕石落下やガンマ線バースト、地殻変動に火山大爆発などの災害を『歓迎! 天変地異ご一行様!』と心の中で横断幕を掲げてるんじゃないかと思うことさえあるそうです」
「⋯⋯ものすごい嫌われっぷりですね」
「まぁ、心当たりは色々ありますが」
「そんな第二地球人を気の毒に思い、こっそり救いの手を差し伸べてるのが血を分けた兄弟である彼ら。地球はこの宇宙の物流網において重要拠点の一つですから、さまざまな星からやってきた科学技術が地球で融合し、特異技術とも称すべきレベルに発達しているのです。機械工学や科学技術を習得し、特異技術にまで高めたのが洞窟の奥へと向かった彼らなんです。真の地球人もその恩恵に与ってますから強くは言えないのでしょうね」
センカの説明によると、人類誕生から今日に至る間に人類絶滅の危機は幾度となく訪れていたようだ。
その危機が訪れるたびに真の地球人となった兄弟たちが、ボランティア精神の赴くまま『最悪の事態』を未然に防ぎ、手厚い救済措置で地上に残った兄弟たちを守ってきたのである。
だが、絶滅を免れた地上の人類たちは、それを神の奇跡と称し、一部の者たちの利益とした。
いつの時代であっても、無欲な善意は貪欲な悪意によって捻じ曲げられ、利用されるものらしい。
「先ほどから登場する真の地球人って、どんな人たちなんです?」
今度の質問者は星喰である。
「ん〜、一言で言えば『物静かな人たち』。背が高くて髪が長くて色が白くて⋯⋯ロン毛のホワイトアスパラを想像してもらえると、だいたい合ってます。性格は『入浴中のカピバラ』。ヌ〜っとしてボ〜っとして、何を考えてるのかよくわからない。彼らが好むのは『平和と調和』。なもんで、拠点の維持や政治的交渉、トラブル解決は地球兄弟が行ってました。真の地球人は何もしない。ボーッと生きてるだけ。関わることが滅多にないので⋯⋯正直、よくわかんないです。地球兄弟は愛されキャラで人気者なんですけどね」
「なんだか、奴隷と主人のような主従関係に思えますが」
「実際は共存ですよ。ロン毛アスパラも地球兄弟がいないと生きていけない。地球兄弟もロンアスの謎の威光によって平和な日々を過ごせてる。いい関係に思えます」
「そうですか⋯⋯なら、よかった」
「優しいんですね」
センカの瞳が星喰の顔を覗き込む。
乳白色の柔らかな陽射しがセンカの輪郭を淡く縁取り、丸点描が背景を埋めた。
唐突な少女漫画の出現に戸惑う星喰だったが、やはりと言うべきか、ヒロインは胸の高鳴りに気づいてしまうのだ。
——あれ? イケメン彼氏がセンカでヒロイン俺なの?
配役に若干の違和感を感じながらも、流され上手な星喰はあっさりと雰囲気に飲まれてしまう。
ムーディな空気は隣にも伝播したらしく、野上とウルリカの間にも丸点描の川が流れ始める。
無数に飛びかう丸点描の奥で、一人あぶれたレッチェが憮然とした表情で言い放った。
「あーもう! どいつもこいつもいつまでそうやって見つめあってるつもりなんだい!? こんなとこでおっ始めやがったら全員水ン中に叩き込んでやるからね!!」
笑顔が弾け、笑い声で舟が小さく傾げる。
いくつもの波紋が踊る水面。
その色は不吉な黒を滲ませていた。




