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勇者として召喚されたけど社畜として生きていく  作者: ナナダイク


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第20話

 4


 この地はいわゆる山岳部であった。

 

 山の峰々が立ち並び、峻険な頂を空へ向けている。


 平地と呼べる場所はごくわずかしかない。

 おそらく、ここもかつては谷だったのだろう。

 長い年月が岩山を削り、谷を埋め、人や獣が踏み固めて今に至る。


 そんな場所を星喰(ツヅハミ)とタイグは歩いていた。

 地面を彩るのは白く乾燥したコケ類のみ。なんとも殺風景である。


 縦横無尽に吹き荒ぶ風が不気味にこだまする。

 防寒を兼ねた翻訳機セットがなければ、鉱山の中に逃げ帰っていたところだ。


 タイグはと言えば、寒そうな表情をおくびにも出さない。

 

 ブルドッグといえば体毛が短く、体のシワを丸出しにしているイメージだが、獣人は違うらしい。


 自前なのか購入したのかわからないが、実に暖かそうなセーターを着込んでいた。

 さらにその上には革製に見える黒いベストまで着ている。防寒対策はバッチリのようだ。

 ちなみにここでいう自前とは、自分に生えている毛を編んで服にしているという意味である。


「どのくらい歩くんです?」

 風の音に負けまいと、星喰が叫ぶ。


「もうすぐだ。すぐに着く!」

 タイグの返答も大声になっていた。


 雪こそ降っていないが、風の強さはかなりのものだった。

 小石や砂が巻き上げられ、目の前を飛び交っている。

 外套のありがたさを身に染み渡らせている星喰の前で、タイグの足が止まった。


 「声を出すな!」と身振りで星喰に伝え、物音を立てないようゆっくりと歩みを進める。


 抜き足、差し足、忍足、と二人はコントさながらの動きで岩陰に移動し、身を潜めた。

 

 状況を飲み込めていない星喰が、そろりと岩陰から頭を出す。

 矢や石飛礫(いしつぶて)の類は飛んでこない。

 ということは、敵対する組織に遭遇したわけではないらしい。


「なにが見えたんです? 例のシャビですか?」

 我慢できなくなった星喰は、事の真相を横のタイグに小声で問う。

 タイグも緊張で脇を湿らせているのか、漂ってくる加齢ケモ臭がキツくなってきた。


「⋯⋯ベロペロだ。見るか?」

 恐怖と興奮が入り混じるタイグの表情から、ただ事でない雰囲気を感じ取る星喰。

 小さく頷くと身を低くし、タイグの脇をかいくぐった。待機場所が入れ替わる。


「頭を低くして、ゆっくりと動け。ヤツは目がいい。暴れられるとちと厄介だ」

 言われた通りに動く。

 頭を地面スレスレに浮かせると、結果的に顔が横向きの土下座ポーズとなった。


 その間にも強風で弾かれた小石が岩の向こうをビュンビュンと飛び交っている。

 迂闊に顔を出せば、小石に頭を撃ち抜かれてしまいそうだ。

 幸い頭は帽子で守られている。地味な色合いも迷彩となって、怪物の目を欺けるだろう。


 帽子ごと頭を地面に押し付ける。膝と腕を駆動させ、慎重に頭を岩陰から押し出す。

 移動速度は分速十センチメートルほど。赤子のハイハイにも劣る速度だ。


 タイグは岩の反対側から、怪物の様子を伺っていた。

 姿は見えずとも獣人特有の嗅覚と聴覚、そして長年の経験から動きが察知できるらしい。


 視界に広がっていた白く乾いた岩の表面に終わりが見えた。

 砂を巻き込んだ強い風が帽子からはみ出した前髪を躍らせ、涙腺を刺激する。

 涙で霞む視線の先に、その姿をようやく捉えることができた。


 落とし穴にはまり、もがくそれは初めて見るカタチをしていた。


 既成の生物に例えるなら、クモが一番近いかもしれない。


 人生ゲームの人物コマに似たものが地面から斜めに生えていた。

 胴体からは太さも長さもマチマチな支柱が何本も地面に伸びている。


 色は艶消しの黒。大きさは観光バスくらいか。

 初めて見る物体なので、遠近感と大きさの把握が定まらない。


 丸い球体は頭なのだろうか。

 そこからは支柱が生えていないように見える。


 支柱は風に押されてグラつく巨躯を支えようと、目まぐるしいスピードで位置を変えていた。

 その動きは完全に生物の反射速度だ。だが、関節は見当たらない。

 支柱がゴムのごとく伸縮し、器用にバランスをとっているのだ。


 ——支柱に見えるあれは腕なのか?


 支柱の数はざっと目算しただけでも二十本は下らないだろう。

 先端部分には粘着性があるらしく、位置を変える際に不気味な糸を引いていた。

 納豆などの細い糸ではなく、アメーバやスライムを彷彿とさせる粘液だ。


 ——あれでエサを捕まえたりもしてそうだな。口のような部位がどこにも見当たらない⋯⋯もしかして、あの支柱が全部捕食器? 


 星喰は身震いする。


 あの図体ならありえない話ではない。


「先っぽに黒い球みたいなのが見えるだろう? あれがヤツの目ン玉だ。いくつもの目がびっちりと張り付いてる」


 ——あの球体丸ごとトンボみたいな複眼ってことか! やっかいすぎる!

 

 視界に入ったが最後、伸縮自在の捕食器に捕まって食われてしまう姿がありありと想像できた。


 しかし、タイグの言葉にはアレを捕まえ、逆に食ってやろうという気概を感じる。


 死角ゼロの全周視界を持つ巨大な怪物と経験豊富な獣人の死闘。

 ベロペロに関する知識量からして、捕獲ノウハウも身につけているに違いない。


 ——こいつぁ楽しみだぜ! 応援なら俺に任せてくれ!

 

 血湧き肉躍る世紀の対決をリングサイドの特等席で見ることができるのだ。

 星喰が興奮するのも無理からぬことだろう。


「⋯⋯かなりの大物だ。オレも長いこと生きちゃいるが、あんなにデカいベロペロは初めて見る」

 タイグの呟きが風に乗って聞こえてくる。

「こいつぁオレの勘だが、やっこさんの腹にゃ卵がぎっしり詰まってるぜ。ベロペロの卵と言やぁ、大聖皇様もおいそれとは口に出来ない珍品中の珍品。それをどっさりと持ち帰りゃ、なんかいいことあるかもな」

 

 振り返らずともタイグの一世一代のドヤ顔が見えた気がした。


「それで」

 じわじわと頭をにじり動かし、星喰の全身が再び岩陰へと戻る。

「どうやって捕まえるんです? かなりの大物ですよ?」


 ワクワクが止まらないといった表情で尋ねる。タイグがニヤリと笑った。

「問題ない。ここには奇智の勇者様がおられるんでね。妙案を授けてくれるだろうさ」


 天国から地獄へ。


 感情の急転直下により星喰の顔から表情が消えた。


 ——え? 命懸けで戦うの、俺が?


 「ありえない!」という抗議の声と「そりゃそうだ!」と賛同する声が同時に星喰の中に湧き上がった。

 

 反対派の言い分は「俺はゲストだよ? 正規の社員でもないのにそんなマネするわけないじゃん!」。


 賛成派はといえば「現地の人からすりゃタダで飲み食いしたロクデナシだよな。野上がああ言うけどさ、実力を見るまで信じないのは当然だよね。さすが勇者様ってとこを見せとかないと、野上の面目も潰してしまうことになる。この先ここに居づらくなるよ? 他に行くアテもないんでしょ? 迎えもいつになるかわかんないし? どうすんの? 野垂れ死ぬ?」。


 賛成派の叱責は蛇口が全解放されたプールよりも激しく心を波打たせ、圧倒的語彙量で反論の余地を飲み込んでいく。

 勝負は一瞬で決着した。感情論に拠って立つ反対派にもはや勝ち目はない。


 だが、星喰は迷ってた。


 そもそも星喰は奇智でも勇者でもない。

 どこにでもいる無職の中年男子。自慢できる特技もドヤれる貯蓄もない、ごくごく普通の男なのだ。


 野上が言うに事欠いて、勝手に名付けた呼び名に振り回されているだけなのである。


 ——策もなく特攻すれば即死は確実。そして犬死になのも確実。でも、行かないと立場がアレだし、どうすりゃいいんだ!


 いくら考えても、脳が腓返りを起こすほど頭を捻っても妙案なぞ浮かぶはずもなかった。


 経験がなければ、それに即した引き出しなど存在するはずもなく、無から有を引き出そうとする様は愚行という他ない。

 もちろん、時が経てば解決するという話でもないのは明白である。


「オレは他の罠を見てくる。ここは頼んだぜ」

 ポンと肩を叩くと、無責任にもタイグはこの場から去って行った。


 もう助力も応援も期待できない。


 困窮ここに極まれり。


 ——万事休す、だな


 ほうっ、と大きく息を吐き出す。


 ——のるかそるか、取捨選択を迫られて選んできた結果が今の俺な訳だよな。てことは、『こっちが正解』と思わなかったのを選べばいいわけだ。なんだ、簡単じゃねぇか⋯⋯


「ダメでもともと、当たって砕けろ。何回自分に言い聞かせてきたかなぁ、この言葉」

 よっこらせ、とばかりに腰をあげる。

「それでダメなら逃げるが勝ちよ!」


 岩陰から躍り出ると同時にカゴから酒瓶を取り出し、封を切る。

 途端にキツいアルコール臭が鼻を突いた。


「おい、デカブツ! こっちだ、こっち!」


 星喰にベロペロはすぐ反応した。


 巨大な体躯を支える太い支柱だけ穴の周りに残し、細めの触腕が猛烈な勢いで襲いかかってくる。

 

 粘液を纏った支柱の先端がイソギンチャクのように開き、その奥に鋭い歯を持つ口が見えた。

 どうやら想像した通りらしい。

 この支柱で獲物を捕らえ、食い尽くすのだ。


「しっかり味わえよ! ここじゃ手に入らねぇ酒の味を!」

 

 イソギンチャクが密集する一点に向かって酒瓶を放り投げた。

 奪い合いが始まる。瓶口から溢れた雫も漏らさず、触手たちは絡め取った。


 世界最高純度を誇るスピリッツは怪物をも虜にしたらしい。


 イソギンチャクを宿す支柱の様子がおかしなことになっている。

 他の支柱に食らいつく。絡みつく。寝つく。

 完全な酔っ払い状態となったのだ。


 もはや、どの支柱も星喰に興味を示そうとしなかった。

 本体も酔い潰れて穴に落ちかけている。

 これはもう完全勝利と言ってもいいのではないだろうか。


 ふうと安堵の吐息を漏らす星喰。

 

 自分にとっても最悪手だった『逃げる』を選択せずに済んだことに安堵したのだ。


 パフパフパフとミトンを叩き合わせるような音が、隠れ潜んでいた岩から聞こえた。

 「やるじゃねぇか! 奇智の勇者の実力、しっかと見させてもらったぜ」

 拍手をしながら現れたのはタイグであった。


 「残念ながらシャビの肉はお預けになっちまったが、こいつはここ一番の獲物だ。今夜は宴だな」

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