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第2話 

 3


 自販機幅のドアを抜けると、そこは明るい光で満たされた白の空間だった。

 窮屈感を微塵も感じない。柔らかな陽射しに包まれた靄の中という例えがしっくりくる。


「ついてきな」

 ぶっきらぼうにそう告げると、女性はさっさと歩き出す。

 床に影は映らず、また足音もしない。耳に届くのは彼女が身につけたアクセサリーの揺れる音だけだった。


 本当に空中を歩いているかのようだ。

 彼女の後ろを星喰(ツヅハミ)がおっかなびっくりついていく。


 上を見ても横を見ても上下左右の距離感が定まらない。

 両腕を真横に突き出せば、両手のひらが壁につくはず。それが外から見た建物の幅である。しかし、中に入ってみるとスケールは全く異なっていた。目の錯覚とも思えない。


 おのぼりさんよろしく不安げに目をきょどきょどさせる星喰を横目に見て、女性は小さく笑う。

「思ってたより広くて驚いたか」


 不思議空間に放り込まれたせいで緊張しているのか、星喰から返答の声はない。

「初めてここに来た奴は大体そうなる。中には失神したり失禁したり⋯⋯そうならないだけアンタはマシさ」


 余裕の表情と足取りで前を歩く女性。

 建物の中も異質なら、彼女の格好もまた会社員に似つかわしくないものであった。


 ピンクのパーカーに同色のショートパンツ。そこから伸びる小麦色の長く細い脚。つま先を飾るのは原色の煌びやかなスニーカーである。流行ファッションに疎い星喰ですら、そのスニーカーが数十万円のプレ値で取引されているレア物だと一目で見抜けた。もしかしたら子供服のように見えるパーカーも、目玉が飛び出るほどの超高額なブランド品なのかもしれない。


 パーカーの上に目を向けると、そこにはリズミカルに揺れる小さな頭。明るい緑を差し色に使った路考茶色の刈り上げショートボブは、活発で精悍という印象を受ける。また耳には右に二つ、左に三つのシルバーに輝くリングピアスが光っていた。


 ——外資系lT企業じゃあるまいし、その格好はどうなんだ?

 「最近の若い者は」と愚痴る老人のそれである。

 無自覚ではあるが、もしかすると表情に出ていたのかもしれない。


 女性の訝る眼光が路考茶色をした髪の奥から星喰に向けられていた。

 視線に気づき、慌てた星喰は場を取り繕おうと声を発す。


「そのピアス」

 出た声は自分でも驚くほどかすれていた。緊張で口の中が渇いているのだ。

「左右で数が違いますけど、何か意味があるんですか?」

「うん? ああ、これか。答えてやりたいが時間切れだ」

 彼女の足が止まった。


「ようこそ! 千夜越(チヨゴシ)商会へ! ボクはあなたを歓迎します!」

 ハイテンションな男性の声が空間に響き渡る。

 彼女の背中が右にずれ、その奥から満面の笑みを浮かべた男性が現れた。


 黒髪ベリーショートにスクエア型の黒縁メガネがよく似合う小柄な男は、二十代半ばといった風体に思えた。私服であれば居酒屋の入店を断られそうだ。


 ——なるほど、これが今回の相手か

 星喰は口の中で独りごちた。

 ——対戦よろしくお願いします!


 4


「はじめまして! ボクは営業二課 課長代理のワタセといいます」

 卒業証書授与といったていで差し出されたのは名刺である。

 紙でできたごく普通の名刺だったが、連れてこられた場所が場所だけに、奇妙な仕掛けを疑ってしまうのは無理からぬことだろう。

 

 二人は今、ワタセが『会議室』と呼称する部屋の中にいた。

 『会議室』と聞いてイメージするのは木目の長机とパイプ椅子が規則的に並んだ広い部屋だろう。


 だが、この部屋は一つのオフィスデスクとその正面に置かれた一脚のパイプ椅子で構成されていた。

 さながら『取調室』である。

 左右から壁が押し迫り、圧迫感が半端ない。


「どうぞ、おかけください」

 星喰に着席を促しながら、ワタセはオフィスデスクの奥へと回り込む。

「あ、そうそう。ハロワからの紹介状と履歴書いただけますか」


「あ、はい」

 くたびれたビジネスバッグから封筒を取り出し、中身をワタセに手渡した。

 しばしの沈黙が部屋を覆う。


 緊張と焦りと様々な感情が渦巻くこの空気感を「重苦しい」と嫌う人も多いが、星喰はそうでもなかった。


 動く歩道にも似た人生の道すがらで、目にみえる岐路に今、まさに、その瞬間に、立ち会えているという状況に軽い興奮を覚えるのだ。この謎性癖が生まれながらのものか、それとも数知れず挑んできた対よろの成果なのかはわからない。


「『ほしぐい』と書いて『つづはみ』と読むんですか。ファンタジーとバイオレンスが同居するSFチックな良いお名前ですね」

 ワタセのほころんだ声が硬直した空気を和ませる。


「下の名前の『セイタロー』さんという響きも、無駄にキラキラしてなくて好感が持てます」

「あ⋯⋯りがとうございます」

 名前が褒められた。


 星喰は知っている。


 経歴や資格で誉めようがない時、採用する気がない時、採用担当者はどうでもいい話題で時間を潰そうとするのだ。


 休日の過ごし方であったり、最近読んだ本についてだったり、よく聴く音楽の話だったり。名前の由来だったり。


 ——全部経験済みだ!

 星喰は叫んだ。

 心の中で。


「今回の募集は外回りの営業なんですが⋯⋯前職はSEということですけど、やれそうですか?」

「はい。大丈夫です!」

 ——根拠はないから理由は聞かないでくれ!

 無責任を司る神に祈りを捧げる。


 ワタセがふっと星喰の胸中を見透かしたかのように小さく笑った。

「ボクが言うのもアレなんですが、ここだけの話⋯⋯」

 机の上に身を乗り出し、小声で話を始めた。


「結構キツイんですよ、ウチ。ルートセールスって募集では書いてますけど、実際は新規開拓。ノルマも当然がっつりあります。肉体的なのはもちろん、精神的なダメージもガンガン入ります。容赦ないですよ、マジで。ウチの年間休日数見ました? 100日ないんですよ! びっくりでしょ。今時100日切るとかありえないですよね。どんだけブラックなんだっていう」


 バン!

 弾け飛ばんばかりの勢いで取調室のドアが開いた。

 その衝撃波で石化したワタセだったが、瞬時に解除すると、「やぁ」と明るい笑顔を侵入者に向ける。


「⋯⋯なんだ、まだいたのか」

 その声に聞き覚えがあった。

 星喰をここへ連れてきたあの女性の声だ。


「どうだった、彼は」

「悪くない。まぁまぁだ」

 ワタセの問いに女性は小さく肩をすくめる。

「君がそこまで褒めるなんて珍しいね」

「褒めてない! まぁまぁなだけだ!」

 どうやら自分以外にも対よろした者がいたようだ。


 星喰は二人の会話をそう解釈した。

「ああ、紹介がまだでしたね。彼女はミミィ・ミミ。ウチの社員です」

 ——耳井⋯⋯美未さん? 美海かな? 美巳? 小麦色の肌には美海が似合うかも

 そんなことを考えながら、座ったまま小さく会釈する。


「それじゃあ、行こうか」

 ズカズカと歩み寄ってきたかと思うと、おもむろに星喰の脇にミミィの細い腕が差し込まれ、引き起こされた。


 一瞬の出来事に呆然と立ちすくむ星喰。

「すみません。彼女せっかちで」

「いや、他に言うことあるだろ」

「ああ。そうでしたそうでした」

 ワタセがにこやかに微笑んで、星喰に告げる。


「面接は合格です。続けて実地での適応試験をしたいのですが、お時間は宜しいですか?」

「⋯⋯はい?」

 腑抜けた返事にワタセも同感の意を示す。


「ですよね。そうなりますよね。実は彼女が面接官だったんです。彼女が認めたので星喰さん合格です。採用にはまだ至りませんけど、一歩前進ということで⋯⋯」

 ——じゃあ、さっきまでの会話は一体⋯⋯


「あああああ、やっぱり気になりますよね。ほら、せっかく御足労いただいたのに、お祈りメールだけじゃ味気ないと言いますか、『会社の事は嫌いになっても、ボクの事は嫌いにならないでください』みたいな?」

 ——いや、みたいな? て言われても


 ははは、と星喰は作り笑いで困惑を誤魔化した。

「すみません。うまいこと言えなくて」

 ——ん?

「はい?」

 ——もしかして、こっちの心の声と会話できてる?

「あーーー気がついちゃいましたか。実はこれ、ボクの唯一の特技でして」

 ——他人の心が読める、とか?

「はい!」


「ヤベェだろ、それェェェェ!」

 思わず叫び声を上げてしまう星喰。

 つまり、無責任の神への祈りも、面接あるあるも全部筒抜けだったのだ。

 もはや赤面どころの話ではない。


「ボクも美しい海と書いて美海、いいと思いますよ!」

 ——それもかァ!!

 すぐにでもワタセに背を向けて全速力でこの場から逃げ出したい!

 星喰の率直な願いはミミィによって即座に叶えられた。

 「フォローになってねェんだよォォォォォ⋯⋯!」という涙に滲んだ断末魔を部屋に残して。


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