第15話
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「⋯⋯あれは二年前の十月初旬のことでした。涸沢カールに紅葉を見に行こうと彼女を誘ったんです」
——カラサワカールってなんじゃろう?
登山にも紅葉にも興味のない星喰の脳裏に?マークが湧いた。
スマホがあればササッと検索もできるのだが、あいにくとここには持ってきていない。
そもそもネットが通じていないので、持っていても意味はないのだが。
「彼女もたいそう喜んでくれまして。留学生だから紅葉を楽しむ日本人が珍しいのかと思ったら、彼女の故郷にも紅葉シーズンはあるそうです。運が良ければ、同時にオーロラも見えるとか」
「オーロラ!?」
思わぬ単語の出現に、星喰は悲鳴にも似た声を上げた。
野上がにっこりと微笑む。
「ええ。僕の彼女、アイスランド人なんです」
その笑みはどこか自慢そうだった。
もう十年近くカノジョという存在に恵まれていない星喰に、野上の勝ち誇った高笑いを看過できるはずもない。
腹の奥底から宿便にも似た真っ黒な感情がムクムクと溢れ出してきた。
「テント泊を想定していたのと、彼女は登山の装備もリュックも持ってないということで僕が準備して持っていくことになったんです」
「アイスランド人なのに?」
星喰は疑いの眼差しを野上に向けた。
ここぞとばかり、意地の悪い言葉を紡ぎ出す。
「年がら年中、氷河トレッキングとアイスクライミングとスキーとスノボに明け暮れてそうなのに?」
「偏見がすぎます! だいたいセイタローさんはアイスランドに行ったことあるんですか!?」
「⋯⋯ない。海外どころか沖縄にすら行ったことない」
「じゃあ、黙っててください!」
「はい⋯⋯」
その様子はまるで、調子に乗ってキャンキャン吠え立てていたが、主人に叱られて黙り込む子犬そのものだった。
黙って聞いていたレッチェが思わず吹き出す。
バツの悪さを誤魔化すように、星喰は酒を仰いだ。
「えーっと、どこまで話しましたっけ?」
空な目で酒器を口に運ぶ。
そろそろ限界が近いのかもしれない。
「⋯⋯そうそう、それから防寒具や靴などを彼女と一緒に見て回りましてね。買い物したんです。今思えばあの時が人生で一番幸せだったのかもしれません」
思い出話を語る野上の表情は、どことなく夢見心地な少年のようだった。
ヘラヘラと相好を崩した、だらしない酔っ払い顔に見えなくもないが。
「実は彼女に内緒で個人的に買ったものがあるんですよ」
「⋯⋯もしかして、プロポーズの指輪?」
「なんでわかったんですか!」
星喰の冷やかしに野上は心底驚いたらしく、滑稽なまでに飛び上がった。
「付き合い始めて三年になるのに、そういや形として残るプレゼントってあげたことないな、と思いまして。誕生日やクリスマスも食事や旅行でしたから。就職して安定した収入を得られるようになったことだし、ここらで⋯⋯と考えてたら、自分の中で盛り上がっちゃいまして」
へへへ、と照れくさそうに笑う。
「涸沢カールのテントでサプライズプロポーズ! ⋯⋯のはずだったんですけど、ねぇ。結局、どういうわけか涸沢カールには辿り着けず、地図にも載ってない山と池に遭遇したと思ったら、彼女とはぐれて僕だけこんなところに」
あまりにも哀れ&気の毒すぎて、かける言葉が星喰には思い浮かばなかった。
出来心で冷やかしてしまったことを、軽く後悔するレベルである。
「⋯⋯でも、まぁ、セイタローさんに出会えて、ラッキーですよ。日本に戻れる手段が、できたわけですから。一応、今まで、自分でも、色々と、帰る方法を、試しは、してたん、ですけど、ぜんぜん、まったく、上手く、いかなくて」
限界を迎えた野上は、燃え尽きた人のように、俯き、動かなくなってしまった。
「⋯⋯色々やってたよ、ほんとにね」
野上から見えないバトンを受け取ったのか、今度はレッチェが語り出す。
「カズサと最初に出会った時、あいつは半狂乱状態でね」
——そりゃそうだろう。いきなり、見ず知らずの異世界に放り出されりゃ誰だってそうなる
星喰は黙って酒器を傾ける。
「言葉は通じないし、見た目も身なりも私らと大違いだったから、『こりゃ面倒なことになる。見なかったことにしよう』と思ったんだけど、あいにくツレがいたもんでさ」
「ツレ? もしかして」
「そう。ウルリカさ」
——まんま同じシチュエーションを経験した気がする!
驚く星喰をレッチェはスルーし、話を続ける。
「ウルリカは自分が病弱なせいもあってか、困ってる人や弱ってる人を黙って見過ごすことができないんだよ。それで」
「それで?」
「餌付けから始めた」
レッチェらが野上と接近遭遇した場所は、ウルリカの実家が採掘権を保有するブラシュマー鉱山のそばだった。
体力向上のため、ウルリカはレッチェ付き添いのもと、鉱山の近くまで散歩するのを日課にしていたという。
「⋯⋯⋯⋯」
「なんだい。妙な顔をして」
「レッチェさんてウルリカさんのなんなんですか?」
頬杖をついて、しばし考える素振りを見せる。
「んー⋯⋯そうだなぁ、しいて言えば」
「言えば?」
「話し相手であり家庭教師であり用心棒でもある⋯⋯かな」
「なんですか、そりゃ」
星喰が苦笑してみせる。
「ほんとさ。まぁ、そんな身分になったのは最近のことなんだがね」
「じゃあ、それ以前は?」
星喰の問いにレッチェは難しい顔をした。
「まぁ、なんていうかな⋯⋯」
「もしかして、人前で言いにくい職業とか?」
追求の言葉を畳み掛けてくる星喰にレッチェは深くため息を吐く。
「そんなんじゃないさ。ただちょっと照れくさいというか、なんというか」
「それはぜひとも聞きたいですね!」
星喰が大きく身を乗り出してきた。
「あーもう! 言う! 言うよ!」
飲み干した酒器をテーブルに叩きつけ、言った。
「冒険者だ。そして、学者でもあった。今もそのつもりだけどな!」
意外でもあり、納得できるものであった。
——あの腕力、脚力は冒険で培われたものなのか!
「なるほど、かっこいいスね!」
「やめろよ、もう」
まんざらでもない様子である。
「さて、生き残ってるのは、あたしら二人だけみたいだし。そろそろお開きだな」
見渡せば死屍累々、足の踏み場もない。
「⋯⋯それで、どうするんです?」
「どうもしやしないよ。このまま朝を迎えるのさ」
「作戦会議するとか言ってませんでしたっけ?」
「⋯⋯わすれた」
事態は奇智の勇者に丸投げされたようである。




