009 実践
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机の端に置いた端末が呼び出し音を奏でた。わたしは手を伸ばして受信した。
「ルージュ様、通信部隊から伝令です」
「通しなさい」
通常、通信部隊から伝令が来ることはない。必要なものは、すべてネットワークを経由して暗号化された電子データで送られる。伝令兵が直接ここに来ると言うことは、何かしらの変化があった、と言うことに他ならない。
部屋に入って来た伝令兵──実は、通信部隊に紛れ込ませた特務部隊の将校だが──は、一礼してからわたしの机の前まで来て、折り畳まれた紙片を差し出した。わたしはそれを受け取って開く。
内容は、簡単な、しかし重要な文だった。
《雛鳥を確認。観察中。雷3號》
「これは今日?」
「はい。つい先頃」
「ということは、発信から5日前後経っていることになるな」
「はい」
定期連絡ではない、そもそも定期連絡はわたしまで上がらずに処理されるから、重要な件だとは予想したが、重要も重要、最重要案件ではないか。そして、我々が待ち望んでいたことでもある。
「このことは、誰にも言っていないな?」
「はい、もちろん」
「受け入れの準備は……次の連絡を待ってからで構わないだろう。反対派には可能な限り気取られたくはない。聖櫃の解凍手順の再確認はしておくように、担当に伝えろ。今はそれだけでいい」
「畏まりました」
伝令兵は敬礼して退出した。
彼女を見送ったわたしは、椅子の背に背中を預けた。
「聖人出現ノ可能性アリ、か」
ようやく、先代から引き継いだ案件が進展を見せた。これが我々の未来にどんな影響を与えることになるのか、今はまだ解らない。おそらく成功したとしても、見えてくるのは孫や曾孫の代になってからのことだ。わたしは次代に繋ぐためにやるべきことをやるだけだ。
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「うーん」
午前中に精子を搾り取られた後、ボクは研究所に来て淫獣の生態研究に努めている。しかし相変わらず進まない。何しろ資料が、いくつかの映像と、乙女戦士がエクスペルアーマーで倒した淫獣の解剖結果しかないのだから。
もちろん、それだけの情報で判る事もある。
淫獣は人間と同じく雑食だ。解剖した淫獣の内臓からは、それを示すものが摘出されている。
雌と雄の区別は、今のところ見当たらない。これは、生体研究室での調査結果なのだけれど、解剖した淫獣はすべて同じ器官しか持っていない。と言うことは、雌雄同体か、単性生殖か、それともウェリス大陸に渡ってくるのは雌と雄どちらかだけなのか、不明だ。
器官を詳しく調べた結果では、今までに解剖した淫獣はすべて雄である可能性が高い、ということで、ウェリス大陸には雄しか渡って来ていない、という説が有力だ。
ほかに判っていることと言えば、
・見た目は両生類ないし爬虫類だが、体組成は哺乳類に近いこと、
・淫獣は水辺に群れて生活していること、
・水辺から離れても生きられること(もちろん、飲料としての水分は必要だろうけれど)、
・ある程度(10~12歳の人間程度)の知能を持っていること、
・人間の女を見ると触手で絡め取り、口の中に引き込んで食べること、
・男に対しては敵意を見せ、触手で殴るなどして殺害すること、
などがある。推測を多分に含んでいるけれど。
これは、200年近く前にエタニア大陸を調査するために組織された探検隊によって得られた情報が多い。
もともと、このウェリス大陸には淫獣はいない。そのため、人類は最近まで淫獣の存在を知らなかった。
200年近く前、エタニア大陸を調査する目的で編成された18人の探検隊は、セレスタ地峡の中央部を東へと進み、間も無くエタニア大陸へと到達する時、淫獣の群れに出会った。出会ってしまった。
初めて見る生物に、探検隊の、特に生物学者は目の色を変えて、まずは離れた場所から、淫獣を観察した。その視線を感じたのか、それとも体臭でも嗅ぎ取ったのか、淫獣の中の数匹が探検隊の方へと近付いて来ても、当然観察をやめることはせず、それどころか、向こうから近付いてくれるなど願ってもないこと、と生物学者は考えたかも知れない。
けれど、知的好奇心の興奮は、すぐに阿鼻叫喚に変わることになる。
エタニア大陸からセレスタ地峡にかけて広がる湖沼地帯を泳いで来た淫獣は、陸地に上がりさらに探検隊に近付き、その距離が5メートルほどになったところで大きな口を開き、触手を伸ばした。伸ばしたと言うより、発射した、と言った方が適切かも知れない。
勢い良く発射された触手は、双眼鏡を覗いていた探検隊員を絡め取り、その身を犯しながら口の中へと引き摺り込む。
他の隊員が彼女を助けようと、レーザーピストルをホルスターから抜き、淫獣に向けて撃つ。レーザーは淫獣の巨体に当たったものの、ダメージを与えたようにも見えない。
それならと銃をホルスターに戻して短剣を抜くが、別の淫獣の触手により絡め取られてしまう。
以降は、阿鼻叫喚だった。触手に捕まり、着衣を溶解され、犯され、口の中へと引き込まれる隊員たち。始めは抵抗しようとしていた隊員たちも、次第に逃走行動へと移って行く。そこへ伸びる触手。
こんな映像が、辛うじて淫獣の群れから逃げ果せた2人の探検隊員のヘッドカメラに記録されていた。最も古い、淫獣の公式記録だ。
その後も探検隊は組織されたが、無線誘導タイプのドローンを先行させて淫獣に見つからないように注意を払った。しかし、セレスタ地峡のエタニア大陸近辺は、北から南まで広く湖沼地帯が広がっており、淫獣に見付からずに地峡を抜けることを断念するしかなかった。
結果として、未だにエタニア大陸のことは良く判っていない。
次に淫獣が歴史に現れるのはそれから100年以上経った、今から約90年前、セレスタ地峡に近いウェリス大陸の町や村でのことだった。
最初は、女が消える、と言う話から始まった。それから、夜中に逢瀬していた女男の、男の死体が見つかり女は行方不明になる事例などが、ポツポツと報告されるようになった。
そして、昼間に畑仕事をしているところへ淫獣が現れたことで大勢の人間が淫獣を目撃し、ウェリス大陸に淫獣がやって来るようになったことが明らかになる。
このような淫獣との接触の記録を解析することで判ってきた淫獣の生態だけれど、ボクはこの生態の1つに異論を持っている。『人間の女を食う』という点だ。これに疑問を持ったのは、32年前の淫獣による乙女戦士妊娠事件だ。その後も数件、淫獣が人間の女を孕ませた例が報告されている。
そしてもう1つ、淫獣は“女を食う”触手の生えた口の他に、別の口を持っている。
自分の仔を孕ませた存在を食うだろうか? そして、なぜ2つの口を持つのか? その疑問を起点にして過去の資料を洗い直すと、実は淫獣は口に含んだ女を自らの巣に連れ帰って仔を産ませているのではないか、との推論を出すに至った。賛同者は少ないけれど。
過去資料を見直しながら新しい知見がないかと考えていると、セルフブレスに通話の着信があった。腕を上げて相手を確認し、受信する。空中にヘルミナさんの顔が浮かび上がる。
「ヘルミナさん、どうしたんですか?」
『緊急、というわけでもないけれど、至急、医療センターへ来て。総合受付で名前を言えば、通してもらえるように手配しておくから』
「至急、ですか」
『ええ。あなたの力が必要よ』
「解りました。すぐに行きます」
通話を終わらせたボクは、セルフブレスで時刻を確認する。15時少し前。所長宛に、私用で早退する旨のメッセージを送って、ボクは大急ぎで帰る支度を整え、研究室を出た。
1階でエレベーターを降り、研究所を出て軍の医療センターへと足早に向かう。
医療センターの入口を入ると、普通の病院のような雰囲気に包まれる。ボクはざっと辺りを見回して総合受付を見つけると、真っ直ぐにそこへ向かった。
「すみません、セリエスです。ヘルミナさんに呼ばれて来ました」
「はい、賜っております。すみませんが、本人確認を」
「あ、はい」
ボクは示されたパネルに、左手首に巻いたセルフブレスを重ねた。
「確認しました。少々お待ち下さい。すぐに案内の者が参ります」
待つほどもなく、看護士が1人やって来た。彼女に案内されて、ボクは医療センターの奥へと進んで行く。
……ここはどこなんだろう? 医療センターのどの辺り? 地下なのは間違いないはずだけれど。
廊下の突き当たりにある扉を開けて、それを支えている看護士に軽く頭を下げつつ、部屋に入った。
部屋は白く清潔で、ベッドが2つ。それぞれに、白い患者衣を着た女性が寝かされている。1人は、足を吊られている。骨折患者だろうか。周りには数人の医師と看護士がいる。特別部隊の人は、ヘルミナさんだけ。
「セリエス、来たわね。早速だけれど、この2人とセックスして。できるだけたくさんの精液を注ぎ込んで」
「はい?」
ボクに向かって歩いて来たヘルミナさんの言葉に、ボクは首を傾げた。
「あの、こっちの人は判りませんけど、こっちの人は脚折れてますよね? とてもセックスする状態には見えませんけど」
「本日の巡回中に複数の淫獣に遭遇したの。淫獣は無事に退治したけれど、この2人は負傷した。1人は見ての通りの骨折、1人は腹部への深い刺創ね。応急処置は済んでいるけれど、負荷をかけないようにゆっくり頼むわね」
「ああ、そういう……」
つまり、これも聖人の能力の確認と言うことだね。今までは特別部隊のメンバーだけだったけれど、他の人もいるところでの実験となると、聖人の公表も近いのかも知れない。
今まで会ったことのない女がいる中で局部を晒すのは恥ずかしいけれど、ボクは潔く下半身を晒して、片方の怪我人のベッドに乗った。
どちらの女も、5回ずつの射精したところで、ヘルミナさんからストップがかかった。それだけの膣内射精で、脚の骨折も腹部の刺創も綺麗に治っていた。2人とも、病室だというのに(ここ、病室だよね? 実験室じゃないよね?)軽く運動をしている。
「何ともありませんね」
「これなら、すぐにでも次の任務に就けます」
現代医学でもそれなりに時間のかかる治療を、ボクなら一瞬にして済ませてしまう。自分の能力を目の当たりにして、これまで漠然と思っていた自分の有用性を、ボクははっきりと自覚した。
これで、聖人の治癒能力の検証も一通り終わった。……と思っていいのかな。大変なのは、これからだと思うけれど。
==登場人物==
■ルージュ
……誰?
==用語解説==
■淫獣(いんじゅう)
オオサンショウウオのような姿をした、体長6m前後の巨大生物。人間を丸呑みできるほど大きな口の中には16本の触手があり、10mほどまで伸びる。全身は堅く柔らかく分厚い皮膚で覆われ、刃物も銃弾も通さない。口の中が弱点ではあるが、触手のため、狙っての攻撃は困難。
その巨体に似合わず、本気を出せば時速25kmという高速で走行できる。
触手の先端は男性器のような形をしており、実際、そこから吐き出される白濁液は人間の女を妊娠させる。
見た目は爬虫類ないし両生類を彷彿とさせるが体組成は哺乳類に近く、水辺を主な生息地にしている。ある程度の知能(10~12歳の人間程度)を持ち、人間の男女を見分け、男に対しては敵意を見せ、女は捕食して犯す。
主人公の住むウェリス大陸には元々生存せず、エタニア大陸からセレスタ地峡を通ってやってくるらしいが……