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国を出るタイミングを見計らいつつ、絵麻はこれまで通り店に働きに行き、ヴィザールも城での生活を続けていた中、吉報が届いた。
「第一王女殿下が、回復致しました」
その言葉を聞いたヴィザールは、すぐに絵麻を連れて面会に行くことに決めた。すでに絵麻がこの世界に来て3ヶ月以上経っている。面会自体はすでに許され、絵麻はヴィザールの隣を歩いて、第一王女の待つ部屋に向かった。
初めて会った王女は、とても綺麗な少女だった。
黄金の長い髪を結い上げ、豪奢な髪飾りで留めており、その瞳はまるで真っ赤な宝石のようだった。
女性の絵麻ですら惚れ惚れするような容姿の少女は、少しほっそりしているものの、病気と聞いていた割には元気そうに見えた。
しかしそのハティーナの姿を見たヴィザールの方は、静かな驚きの表情と共に、何かを考え始めたようだった。
「マナテラ王国第一王女、ハティーナと申します。長く床に伏せており、ご挨拶が遅れ申し訳ありませんでした」
ハティーナの言葉に慌てたのは絵麻の方だった。
「い、いえ、そんな、頭を上げてください」
どうしていいかわからず絵麻がヴィザールを見上げると、ヴィザールは大丈夫だと視線を返してくる。そんな様子を見たハティーナは少し驚いたような顔をした。
「エマ様は、異世界から来たとお聞きしましたが、どのようにしていらっしゃったんですか?」
ハティーナの素朴な疑問に絵麻はなんと答えていいかわからなかった。
「自分でもよくわかりません。気づいたら水と共に図書室に来ていて」
それ以上の説明ができないでいると、ヴィザールが口を開いた。
「彼女は好きでここに来たわけではありません。何らかの力が働いて、無理矢理呼ばれています」
「え?」
ハティーナが驚きに目を見開く。
「そうなのですか?」
その質問に絵麻は頷いた。
「戻れる可能性はないに等しい」
ヴィザールの静かな言葉を絵麻は意外と冷静な気持ちで聴くことが出来る自分に驚いた。
「そう、なのですか……」
ハティーナはまるで自分のことかのように青ざめた。なんて優しい子なのだろうと思う。
「帰ることは諦めてしまったので、ここで楽しく暮らせるようになりたいなと思っています」
そう言うとハティーナは曖昧に頷いた。
「エマ様、この国はいかがですか?」
少しだけお茶を飲みながら、ここまでの生活の話などをする。
そして、ヴィザールがこの国を去ることについても当然話題に上がった。
「ヴィザール先生は、本来もうこの国を出ている予定でしたが、どうされるおつもりですか?」
「時期を見て、エンテーベへ向かいます」
その言葉に、ハティーナは寂しそうに目を伏せる。
「そうですか。エマ様はどうされます?」
「ついて行こうと思っています」
ヴィザールが絵麻を見て優しく微笑む様子に、ハティーナは目を見開いた。今まで見たことない表情に驚きしかなかったのだろう。
「エマ様が、先生の愛しい方なのですね」
その言葉に、二人が驚いたように慌てる様子に、ハティーナがうっすら微笑む。
「さすがの私でも見ていればわかります。先生がそんなに優しく微笑まれるのを初めて見ました」
そう言われてヴィザールが気まずそうな顔をする。
「羨ましいです。……私もいつか、そんな人に会えるでしょうか」
夢を語るというよりは、諦めにも似た声色に、絵麻は首を傾げる。
ハティーナはこの国の王女だ。恋愛結婚とはいかないかもしれないが、良い男性との出会いはあるだろう。それなのにもう全てを諦めているかのような物言いだ。
ハティーナの言葉にヴィザールも顔を顰めたのが、絵麻は気になった。
***
ハティーナに別れを告げ部屋を出てからもヴィザールは深刻そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
絵麻が尋ねてもヴィザールは、誤魔化すだけで教えてはくれなかった。
しばらく1人になりたい調べたいことがあると言われ、絵麻は1人の時間を潰すために最初に自分が落ちた場所である図書室に向かった。文字も自由に読めるため、時間を使うにはもってこいの場所だった。
どの本を読もうかと思いながら、誰もいない図書室を歩いていると何かを感じて、部屋の隅へ向かう。何故自分がそこへ歩き出したかも、絵麻にはわからなかったが、何かに惹かれたとしか言いようがなかった。
向かった先には、立派な装丁の皮装本が置かれていた。
ただ書見台に本が置いてあるだけ。それだけのはずなのに、絵麻はその本に抗えない魅力を感じて近づく。近づいてみたものの、本の表紙には何も書かれていなかった。持ち上げて裏返してみたものの、裏側にも、背表紙にも何も文字が書かれていない。
「一体どういうこと?……作りかけ?ってそんな本が図書館にあるはずないか」
そう思いながら、絵麻は何気なくその本を開いた。
そこには、一言だけ書いてあった。
<汝の願いは、聞き届けられた>
「エマ!!!」
振り返ると図書室の入り口に険しい顔をヴィザールの姿が見え、そのままこちらに走ってくるところだった。絵麻の前にある本が遠目からでも見えたらしく、その表情は固い。
絵麻の前にあった本を見ないようにして、ヴィザールはそれを無理矢理閉じた。
するとそれをヴィザールは突然魔法により鎖のようなものを取り出して、その本に巻き付け決して開けないようにした。
絵麻の方へ向き直ると肩掴み尋ねた。
「エマ、読んだのか?!」
「え?読んだけど。でもこの本、一行しか書いてなかったわ」
読んだと言う事実に、ヴィザールの表情が驚愕と絶望の色に変わる。
「何って書いてあったんだ?!」
「えっと、<汝の願いは、聞き届けられた>」
その一言を口にすると、突然ヴィザールが自身の左胸を押さえて苦しみ出した。
「ヴィザール?!どうしたの?!」
立って居られなくなったのか、ヴィザールは片膝を床につき、胸を押さえている。
「ヴィザール!」
突然のことにどうしていいか分からず、絵麻は同じように膝をつき、様子を確認する。しばらくしてから痛みがなくなったのか、ヴィザールの苦しむ様子が治った。
「ヴィザール、大丈夫なの……?」
絵麻の声に、ヴィザールが驚いたような顔をゆっくりと上げた。
「エマは、オレのことを願ったのか?」
「え?」
「エマは大丈夫なのか?!」
唐突に引き寄せられたと思ったら、絵麻の柔らかな胸にヴィザールの耳が押し付けられ、恥ずかしさに驚いて悲鳴を上げる。引き離そうとしたが、力では敵わない。
「何なの!?」
真っ赤になって叫んだ絵麻に、ヴィザールは答えない。
「心臓は普通に動いてる、じゃあ何だ?」
するとヴィザールは、急にエマの付けていた付け毛を引っ張り取った。するとエマの少し伸びた肩につく程度の長さの黒髪が広がる。
「髪も短くなってはいない……。いや、それはあくまでここでの価値観だから……」
理解しがたい行動に、絵麻が困惑していると、ヴィザールはようやく少しだけ冷静さを取り戻したが、表情は深刻なままだ。
「エマ、貴女は呪われた」
ヴィザールのその言葉に、絵麻はポカンと口を開いてしまう。
「え、えぇえ?!私呪われたの?!」
意味がわからず声を上げると、ヴィザールが鎖で縛り上げた本を持ち上げる。
「これは、オレが読んだ呪い本だ」
完全に当時の記憶が蘇ったのか、ヴィザールの口調が変わる。
「嫌な予感がして探してみた、鎖が城外の近くに捨てられていた。この鎖はオレが作ったものだから、場所を特定しようと思えばできる。まさか本が外されてるなんて……」
「500年も前の本が残ってるの?でも、願いは?私何も変わってないみたいだけど」
「オレの心臓が動き出した」
ヴィザールの言葉に、絵麻は目を見開く。驚いて思わずヴィザールの心臓の音を確かめるために、彼の胸に耳を寄せる。
そこには、トクントクンとリズム良く正しく動く心臓の音が聞こえた。
「本当だ……。え、じゃあ、ヴィザールの呪いは解けたの?!」
「恐らく。エマが願ってくれたんだろう?」
意識的に本に願った覚えはないが、この本が人の願いすら読み取るならば、そう言うことなのかもしれない。
「じゃあ、私にかかった呪いは?」
ヴィザールは首を横に振った。
「わからない。オレの時のように、時間が経たないと気づかないものもある」
そう言われて一気に不安が押し寄せた。何が呪いかわからないほど、不安なものはない。
思わず絵麻は自分の腕を確認する。何か変わったところがないか見てみるが、何もない。続いて足をみようと思いスカートの裾をたくし上げ、白い太腿まで露わになったところで、真っ赤な顔のヴィザールに止められた。
「それはここで確認しないでくれ!」
「あ」
慌ててパッと裾を掴む手を離した。




