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「ヴィザール!!」
絵麻は走って城に戻るとその足でヴィザールの部屋を訪ね、ノックもせずに扉を開く。するとそこには、荷造りを進めているヴィザールの姿があった。絵麻は混乱して勢いが止まる。
「……、早かったな」
「どこかに、行くの?」
部屋を見回すと、いつぞやと同じように部屋の物が全て片付けられていく途中だった。
どこかに行くとは聞いていない。なぜ荷造りをしているのか絵麻にはわからず扉を開けたところで足が止まってしまう。
「もう大丈夫だろう?」
ヴィザールが何を示しそう言っているのか、絵麻にはすぐに分かったが、理解したくなかった。
「何が」
「仕事も見つけたし、恋人もできた。もう、ここで生きていけるだろう?」
それはいつしかの絵麻の言葉への確認のような気がした。
『私、ここで生きていける?』
確かに絵麻はそう質問した。
それに対して彼は、「あぁ、大丈夫だ」と答えてくれた。
絵麻の中でいろんな感情が湧き起こる。
「全然大丈夫じゃない」
怒りに近い感情に、大股でヴィザールの目の前に行く。
「なんでこれ挿したの」
絵麻がヴィザールに向かって自分の髪に挿さった髪飾りを指差し詰め寄る。
「……、餞別に」
「まさか黙って行く気だったの!?」
余計に怒りが溢れてきて絵麻の感情が昂る。
「私がいたら邪魔だろう?」
「なんで!」
絵麻の勢いに、ヴィザールが半歩下がる。
「いや、恋人ができたのに、他の男が側にいたら」
絵麻は大きくため息をついた。
「恋人なんてできてない」
絵麻の言葉にヴィザールが固まる。
「なんで」
「デートは別に恋人じゃなくてもするでしょ」
「え?」
いつの時代の人なの?と突っ込みたくなるような驚いた顔を見せるヴィザールに可笑しくなり絵麻は思わず笑ってしまった。ただ、いろんな習慣や国があることは理解したため、ヴィザールの住んでいた国がそう言う習慣だったのかもしれないと思う。
ようやく理解したらしいヴィザールは絵麻から顔を逸らし、右手で自分の口元を隠した。それでもその顔が真っ赤になっているのは明らかで、絵麻は楽しくなって笑う。
「でも、恋人候補なのは間違いないだろ」
まだ言うの?と思ったが、ここははっきり言っておかないといけないのだろうと思い絵麻は首を横に振る。
「ごめんなさいをしてきたの」
その言葉にヴィザールが驚いた顔をする。
「どうして」
「どうしてって」
絵麻は固まった。上を見上げると不思議そうに首を傾げるヴィザールがいる。あれだけ勢いづいておいてなんだが、強い気持ちがシュルシュルと萎んでいく。
いや、女は度胸!
それこそいつの時代だと自分にツッコミを入れながらも、絵麻はヴィザールを見て口を開いた。
「私は、ヴィザールのことが好きなの!」
部屋に響いたその言葉に、ヴィザールが完全に固まった。
固まったあと面白いぐらい一瞬で先ほどよりも真っ赤になる。耳まで赤くなる様子に、白い長い髪がさらにそれを強調する。
ヴィザールの口が開きかけたが、すぐに口をつぐんでしまう。答えを待っている身としては辛い。絵麻は答えが聞きたくてヴィザールから目を離さなかった。
「エマのことは、……好きだ。でも、一緒にいられない」
初めて名前を呼ばれたことに気持ちが高揚する。そして答えも嬉しいものだったのに、最後に加えられた言葉に突き落とされる。
「どうして?」
涙が出そうになるのを我慢して絵麻が尋ねると、ヴィザールが苦しげな表情をする。
「泣くな」
「泣いてない!」
ヴィザールは絵麻の頬にそっと手を伸ばす。
「泣かせたいわけじゃないんだ」
「泣いてないってば!」
強情な絵麻の態度にヴィザールが笑う。
ヴィザールは優しい力で絵麻を引き寄せると、ぎゅっと抱きしめた。一緒にいられないと言われたのに抱きしめられ、絵麻は悲しみが増して涙が溢れ出す。
「心音、聞こえるか?」
唐突に振られた質問に、絵麻は意味がわからず首を傾げる。
「聞いてみてくれ」
ヴィザールの言葉に絵麻は、彼の胸に耳を当てた。よく考えるととても恥ずかしい体勢に、自分の心臓の音が大きすぎて集中できない。なんとか落ち着けて、その胸から聞こえるはずの音に耳をすます。
しかし、いつまで経ってもその音が聞こえない。
「え?」
どう言うことかわからず、絵麻の顔色が失われ始めたところでようやく、ドクンと一回かなりゆっくりと心音が聞こえた。
「な、に?どう言うこと?」
ヴィザールの心臓の音は、絵麻と明らかに違っていた。絵麻が心音が何度もする間に、全くそれは音がせず、どれだけかの時間が経った後にゆっくりとその音が聞こえる。心臓がゆっくり動いている、そんな風に絵麻は感じた。
これはこの国やこの世界の人がそうなのか、ヴィザールだけがそうなのか絵麻には判断できなかった。しかし、ヴィザールはわざわざ絵麻に聞かせたと言うことは、おそらく、後者なのだろう。
「私は、時間の進み方が違うんだ」
ヴィザールの言葉に、絵麻は眉を寄せた。どう理解していいかわからなかった。それは、魔法士である彼の職による物なのか、もっと別のものが要因なのか。
「……、理解し難いと思う。自分でもこれを受け入れるのに何年もかかったから」
そう言って、ヴィザールは、自分の過去を話始めた。
***
重い本を開くとそこには、ずっと知りたかった魔法陣の原理が書かれていた。驚きと高揚に表情は緩む。どれだけ調べてもどれだけ探しても、どれだけ実験を試しても得られなかった答えがそこにあった。
「この本は、やっぱり重要な魔法について書かれた本だったのか。なんでそんなものを国が保管しているんだ?魔塔とかもっと適切な保管場所がありそうなのに」
黒髪に青い瞳の魔法士の青年は、熱心に本を読み始めた。自分の知らない知識の宝庫に、感情が昂っていく。どれだけ読み進んでも、今まで読んできたどんな魔法書よりも詳しく、事細かに書かれたそれは青年にとって非常に魅力的な内容だった。
捲っても捲っても、そこは知らない内容ばかり。
「先輩に止められてももっと早く読むんだった。もしかして、知ってて隠そうとしたのか?」
青年は読み進める手を止めることができなかった。全てを忘れて読み耽った。
「アーキル!!」
部屋の扉を開けたのは、この本を読むことを禁じた上役の魔法士だった。
「あ、先輩、ひどくないですか?この本、知らない魔法陣とかその解説とか、とても詳しく書いてありますよ。何でオレには読んではいけないとか言うんですか」
アーキルの言葉に、相手の魔法士は驚愕な表情を見せた後、顔色を失って行く。青ざめたを通り越して、色を失って行く表情にアーキルが目を瞬かせる。
「先輩?体調悪いんです?」
「……、それはダメだと言っただろう!!」
何故か目の前の上役の魔法士は、涙を流しはじめた。アーキルは全く理解が出来ず戸惑う。
「そんな大袈裟な……。先輩だって知ってたんですよね?」
突然、ドクンと心臓がゆっくり大きく跳ねる。目眩と苦しさに思わず胸を押さえた。ドクンともう一度、さらにゆっくりと心臓が動く。
それが、気づかないうちにこの身に受けた、呪いの始まりだった。
***
「呪い……」
「あぁ、これはその本によって受けた呪いだ」
ヴィザールは自分の左胸に手を当てて頷いた。
「自分だけが周りと時間の進み方が違う。最初の10年ぐらいはなんともなかった。ただ心臓がゆっくり動くようになったぐらいで、その意味に気づいてもいなかった。ただ、20年もそこにいると自分だけが年老いて行かないことに気づいた」
上役の魔法士に言われて初めて気がついた。
「時間の進みが、周りより遅くなる呪いだ」
それは長生きができるという意味では前向きに捉えることもできたが、50年もすると状況が変わってくる。周りからは白い目で見られ、気味悪がられた。最後まで優しくしてくれた上役も、「あの時私がもっとしっかり止めていれば」と後悔の言葉を残し、亡くなった。
周りがどんどんと生を終えていくなか、自分だけが死ぬことができなかった。
永遠に生きることとなんら変わらない。
病気にならないわけでもないし、怪我をしないわけでもないが、簡単に死ぬことはできなかった。いくつか試したが無理だったことから、それも呪いの一部なのだろうと思った。
「それから100年ぐらいはどうやって生きていたかわからない。生きていることへのストレスで、いつの間にか髪も真っ白になった。こんなに人がいっぱいいるのに、世界で自分は1人だと」
そう言って、自分の長い白い髪に触れた。
「正直100年ぐらい後ろ向きな思考しか持てなかったから、エマが1週間で気持ちを切り替えたのをみて驚いたし、尊敬した」
あの時の反応はそう言うことだったのかと絵麻は気恥ずかしく思った。
「時間はとにかくたくさんあったから、世界中の色んな国を回った。色んな時代も見し、国が滅んでいくのも見た」
昔の歴史などを語るヴィザールはまるで、見てきたかのような話し方をしていたが、実際に見て来たものもあるのだろう。遠くを見つめていたのはそう言うことがあったからかもしれない。
「どれだけかそれを続けると気づいたんだ。10年が限界だって」
「10年?」
「あぁ、1つの場所に留まる限界が10年。人と関わらずに生きて行くことは難しい。でも、10年以上同じ場所で、同じ人たちと関わると、自分の異常さに気づかれる」
きっとそれで辛い思いをしたことがあったのだろう。ヴィザールの表情が曇る。
「この国にいるのが今、丁度10年なんだ」
だからこの国から出ようとしていたのね。
絵麻とあった時も10年経ったから出ていこうとしていたのに、絵麻の世話をすることになってしまい、仕方なく今も延長しているという状態なのだ。
「だから、一緒にはいられない」
そう言ったヴィザールに、絵麻は引き下がらない。
「どうして?」
「どうしてって、今説明しただろう?」
驚いたような顔をするヴィザールに、絵麻は首を傾げた。
「私の方が先に年老いて行くから?」
「違う!」
ヴィザールの言葉になおさら首を傾げた。
「……、絶対に自分がエマを看取らなきゃいけないのかと思うと耐えられない」
「結構先のこと考えてたのね」
絵麻が思っていたよりずいぶん先の未来を描いていたことに驚いたが、ヴィザールにしてみるとそれも一瞬のことなのかもしれない。ヴィザールを見ると、彼は目を逸らした。
「それに、普通の人と一緒になった方が絶対に幸せになれる。それでなくても異世界から来たのに、わざわざ呪われた男と一緒になる必要ないだろう」
ヴィザールがそう言って目をそらす。絵麻は少し思案してから口を開く。
「ヴィザールって、他の人の時間でどれぐらい生きてるの?」
「わからない。途中から数えるのも嫌になったから。500年は越えてると思う」
「そっか。じゃあ、歳下なのか、歳上なのかよくわからないわね」
そう言って笑った絵麻に、ヴィザールが眉を寄せる。
「気持ち悪いだろ」
悲しげな表情はおそらく過去の経験に基づくものなのだろう。絵麻には想像することしかできない。500年も生きていればおそらく、想像できないような嫌なことだってあったかもしれない。
「そんなことない」
「そんな風に言えるのは、今だけだ」
「じゃあ、今だけでもいいんじゃない?」
絵麻の言葉に「え?」とヴィザールが意味がわからないという顔をする。絵麻が笑って応える。
「別に、恋愛まで永遠を求めなくてもいいと思うけど」
逆にショックを受けた顔をされてしまう。
「……、エマを一度手に入れたら、きっともう自分からは離せない。エマが、苦しむことになるかもしれないのに」
ずっと抱きしめられたままの状況だったことを思い出し、絵麻は笑った。
「欲望のままに生きるのも、たまにはいいんじゃない?」
そう言うと、抱き締める力が強まり、絵麻もヴィザールの背中に手を伸ばした。
「エマ、好きだ」
そうはっきり言う声が、耳元で聞こえて嬉しさと心地よさに気持ちが高揚する。
「あ、ねえ、"ヴィザール“は偽名なの?」
ヴィザールはエマを抱きしめたまま頷いた。
「移動する度に名前を変えてるから、ヴィザールは、ここでの名前だ。……本当の名前は、アーキルだ」
絵麻は、何度か小さな声で反芻したあと、ヴィザールことアーキルを見上げた。
「私も好きよ、アーキル」
そう言うと、ヴィザールはこれまで見たことないような満面の笑みを浮かべ絵麻を抱きしめ、その腕の中で、絵麻も同じような笑顔を返した。




