12
絵麻は自分の部屋のソファで丸くなっていた。
何もする気になれず、付け毛を付け直すことすら億劫で、テーブルに投げ出されたまま。靴も脱いで、ソファの上で猫のように丸くなる。
本の力で呼ばれたのだと聞いて、絵麻は自分の気持ちを信じていいかわからなくなった。この気持ちもヴィザールに向かうように本の力によって動かされているのだろうか?そして、もしかして、逆もそうなのではと相手の心も疑ってしまう。
嫌なことがあると、殻に閉じこもるように小さく丸くなってよくぼんやりとしていた。出来れば何にも干渉されたくないし、なるべく誰とも話したくない。
コンコンと扉がノックされたが、絵麻は無視した。しかししばらく経ってもノックが止まず、絵麻は流石に諦めて起き上がった。
扉を開けると今1番会いたくない人物がいた。
まだ見慣れない髪の短いヴィザール。
「何かあったのかと思った」
そう言ったヴィザールは心底ホッとしたような表情を見せた。その優しい表情に絵麻は泣きたくなった。
この笑顔も気持ちも偽物かもしれないと思うと悲しくて仕方ない。自分の気持ちも信じられないようになるなんて、思いもしなかった。
「エマ」
突然泣き始めた絵麻にヴィザールが心配そうに手を伸ばす。その優しさを受け入れていいのかすら分からず、絵麻は手に触れられないように一歩下がった。
あ、しまった。
そう思った時にはもう遅い。ヴィザールを酷く傷付けた。彼の表情が悲しげに歪むのが見え、絵麻は後悔する。
ヴィザールは触れることができなかった手をぐっと握りしめた。
「もう、嫌になったのか?」
その言葉に、違うと首を振る。
「エマ、何を考えているか教えてくれないか?昔なら逃げてしまえばよかったが、そんなことはしたくない。違うなら教えてほしい」
結局、ヴィザールを部屋の中に入れ、扉を閉めると、入ってすぐのところで向き合う形になる。
「……、私がここに来たのは、ハティーナ王女が本に願ったせいだって知ったの」
その言葉にヴィザールは頷く。それだけだったので逆に絵麻は驚く。
「驚かないの?」
「時期や起きた現象から行くと、どういう願いだったかはわからないが、本の力がエマを連れてきたのだろうとは思っていた」
ハティーナが体調を崩したと言い始めた時期は、丁度絵麻がヴィザールの前に現れたときだ。その時に起きた、原因不明の出来事はそんなに多くない。必然的に絵麻は本の力で来たのだろうとヴィザールは考えたのだろう。
「……、ハティーナ王女と話す機会があったの。それを聞いたら、自分のヴィザールへの気持ちは、本当に自分の意志によるものなのかわからなくて」
ハティーナの気持ちは自分が言うべきではないと思い、濁しながら言葉にする。
「ヴィザールへの想いももしかしたら本の力なのかと思うと……」
何と続けていいか分からず絵麻は口を閉じた。
「私にとっては、そんなことはどうでもいいことだ」
「でも!もしかしたら、ヴィザールが私を想う気持ちも、本の力かもしれないのよ!?」
絵麻の言葉に、ヴィザールは首を振る。
「そうだとしても、私は呪いごと、私のことを受け入れてくれたエマが愛しい」
ヴィザールのはっきりと言い切った言葉に、嬉しくなる。
「私の気持ちが、偽物だったらどうするの?」
「どうもしない。私はどうせエマのことを離せない。エマがどんなに嫌がろうとも。最初に言っただろう?」
ヴィザールの言葉を思い出す。
『……、エマを一度手に入れたら、きっともう自分からは離せない』
「でも、もうヴィザールは」
「呪いは解けたら興味なくなった?」
「そう言うことじゃ!」
「じゃあどうして、離れていこうとするんだ?」
ヴィザールは少し絵麻との距離を縮める。たじろぐ絵麻は身を固くする。
「自分の気持ちに、自信が持てなくなって……。ヴィザールももう呪われてないんだから、もっと自由に恋愛もできるし、ほら、ハティーナ王女とか」
そう言った絵麻の腕をそっとヴィザールが掴む。痛くはないが、簡単には振り解けない力で。
「なんでそこで殿下の名前がでるんだ?」
絵麻は本能的に感じた。
怒らせた!
「どれだけオレが、エマのことを想ってるか、全然通じていないみたいだな」
目を細めたヴィザールの瞳の奥で何かが揺れた気がした。掴まれた腕から簡単に壁際に追いやられる
こんなことだったら、ちゃんと椅子に座って話せばよかった!
ヴィザールの両腕と壁に囲まれ、絵麻は身動きが取れない。ヴィザールの瞳は、絵麻を捉えたまま動かない。絵麻も目を逸らすことができず、見つめ返す。
ゆっくりとヴィザールの右手が、絵麻の頬に触れる。さらに耳から黒い髪に触れていく。
「やっと触れても許されると思ったのに、そんなに簡単に離れようとしないでくれ」
懇願するような物言いに、絵麻は心が苦しくなる。
「ヴィザールは、私でいいの?本の力が影響してるかもしれないのに」
「何度でも言うけど、エマがいいんだ。私を受け入れてくれたエマが。他の誰でもなく」
そう言ったヴィザールの顔が次第に近づいてくる。綺麗な青い瞳に吸い込まれるような気がして、絵麻は瞳を閉じた。
ゆっくりと重なる唇は、ほんのり甘い気がした。
離れたと思っても再び重ねられ、角度を変えられる。逃れようとする絵麻を、ヴィザールの大きな手が阻む。
繰り返される口付けに息が上がる。酸素を求めて口を開いても、すぐに塞がれる。
「ヴィ、ザール……」
瞳を潤ませた絵麻が、ヴィザールを見上げる。
「足りない」
そう言ったのは、ヴィザールの方で絵麻は驚いて慌てる。
「足りたよ!?よくわかったから!」
涙目で言う絵麻にヴィザールの方は不思議そうな顔をする。
「そう?」
「そう!」
ぶんぶんと首を縦に振り絵麻は両手で唇を隠す。そんな様子をみてヴィザールが笑む。
「どうせならもっと色々触れたい」
急に腰を抱かれて引き寄せられる。
「ま、まだ思いが通じ合ったばかりですけど!」
「通じ合ってると思っていいのか?」
「……、だって、全然嫌じゃなかった」
顔を真っ赤にしてそう白状した絵麻に、ヴィザールは嬉しそうに笑う。
「もっと絵麻が欲しい」
ヴィザールの言葉に絵麻はさらに赤くなる。
「まだ、恋人になったばかりです」
恥ずかしさに敬語になる絵麻にヴィザールは意地悪な笑いをする。
「じゃあ、すぐに結婚しよう」
「えぇ?!」
唐突な発言に絵麻は素っ頓狂な声を上げる。
「お、落ち着いてヴィザール!」
「もともと恋人で終わらせるつもりなんかない。いつ結婚しようと一緒だろう?」
「でも」
「エマが嫌なら待つ。生きてる間ならどれだけでも待てそうだ」
これまでの終わらない時間を考えるとあっという間に人生は終わる。そんなヴィザールの考えに感化されたのか、絵麻も先程まで考えを改めた。
「……、なんか恋愛とか久しぶり過ぎて、不安になり過ぎたのかも。ハティーナ王女はとても良い子で、自分は叶わない気がして。でも、恋愛って不安を伴うものよね」
「そんなに恋愛してきたと言われると嫉妬に狂いそうだ」
全然ポイントじゃないところに反応するヴィザールに絵麻が文句を言う。
「どう考えても重要なところはそこじゃないでしょ!って言うか学生時代の話だし、ヴィザールだってそれなりにしてきてるでしょ!」
「魔塔に居るときはほとんど魔法のことしか考えてなかったな。そのせいで呪われたぐらいだ」
確かに新しい魔法を求めるヴィザールの姿は容易に想像できる。正直そのせいで本の呪いにかかったとも言える。
「でも、ゼロじゃないでしょ?」
「本気で人を好きになったのはエマが初めてだ」
ヴィザールの強い瞳は揺らがない。
「本の力で呼ばれたんだから、その力の影響を考えるのは当たり前だと思う。きっかけがそれでも、私は自分の気持ちを信じるし、エマにも信じて欲しい」
真剣に語ったその様子に絵麻の心も打たれた。もっと自分を信じてみたいと強く思う。少し瞼を閉じてから、気持ちを切り替えるように息を吸う。
「そうね。私も、私を信じてみる」
そう言って頷くと、ヴィザールが嬉しそうに笑った。
唐突にヴィザールが絵麻を抱き上げ、そのまま近くのソファに座り込む。
「な、何?!」
驚いて声を上げるがヴィザールは気にした様子もない。
「10年の縛りはなくなったけど、エマは何かしたいことはあるか?」
10年経ったら次の国へ移動することに決めていたヴィザールは、呪いが解けたことでそれを厳しく守る必要性はなくなった。
少し嬉しそうに話すヴィザールはどこか少年のような雰囲気だ。
「そうね、でも、せっかくこの世界に来たんだから色んなところに行ってみたい。きっと色んな国があるのよね」
どうせなら楽しいことがしたい。どうせなら楽しみたいそれが絵麻の考え方だ。
「私もエマを連れて行きたい場所がたくさんある。色んなところを見て回って気に入った場所に、2人で行きたい」
「楽しそう」
自然に笑い合った2人。いつのまにか心を黒く染める不安な気持ちは、どこかへ流れていったようだった。
笑い声が収まると2人は自然にもう一度口付けをした。
「って、待って!どこ触ってるの?!」
真っ赤になった絵麻が悲鳴のような声を上げ、ヴィザールは知らないふりをして微笑んだ。絵麻がポカポカとヴィザールの体を叩いていても、そんなことは全く気にならないようだった。




