1
「遂に…この時が」
「っ……ええ」
目の前に広がるその光景に、老夫婦の頬に涙が伝う。浮かぶ笑顔は、待ちわびた長い暗澹の時代の終わりを喜ぶモノで在り、そして皆の記憶にまざまざと色濃くへばりついた暗澹の日々の始まりの歴史が、正しく動き出す事への歓喜の象徴でも在った。
老夫婦は、そのへばりついた記憶へと思いを馳せずにはいられなかった。バリスフェナス国歴289年。日照りの強いその日。国は戴冠の儀に沸いていた。老夫婦もまた、その時を今かと謁見台を見上げ、待ちわびていたのだ。
『皆の衆。この刻、我が手より受け継がれた王冠をもって、この者は王と相成る。戴冠の儀、執り行う』
『リフェリア様、万歳!!!』
王の口上に、老夫婦の口から、兵士の口から。集まったバリフェナスを愛する国民の口からその言葉が発せられる。熱気に包まれた、歓声。かしづくリフェリア王子のその頭に、太陽の陽を浴びて燦然と黄金の色が輝く様を、見る、筈だった。
何が起きたのか。その様を目に入れる為に用意された瞳には、それは許容を越えたモノだったのだろう。理解を拒む瞳達が映し出した光景は、血に濡れた王子の顔。そして、飛ぶ、王の頭だった。
どれ程の間が在ったのか。現実が事実として流れ込み、意味を成した時。老夫婦の口から、周りから。その場を悲鳴が支配した。けれど、次の間。謁見台から発せられた鋭い音に、民衆は釘付けになる。
『王冠は私の手の内だ。逆らう者は、王でさえこうなるという事を、肝に銘じるといいだろう』
感情の乗らない酷く冷たいその声は、悲鳴さえも止めさせた。老夫婦は、燦然と輝く王冠をその男、ルーウェス王子の頭の上に見たのだった。
「…王様、やっと、…歴史が…正しく、貴方の選んだお子が…やっと、今…」
「っ…もう、人が死ぬ事も…ない…のね…っ、…」
「っ…そうじゃ、何も心配はいらない。悪鬼はリフェリア様の手に下った。っ…忌々しい、悪魔はもう、檻の中じゃ」
「ええ、っ…ええ…そう、ね…っ」
溢れ出る、歓喜の涙。けれど、その脳裏にへばりつく、恨めしい顔。表情を変えず、冷たく響くその声を持つその者は、バリスフェナスで在りながら、その創立以来続いていた平和をぶち壊した。
ルーウェス=バリスフェナス。第一王子として生まれ後継者として剣術、魔術共に優れた存在で在ったルーウェスを王は選ばす第二王子で在るリフェリアを国の後継者に選んだ。
当時何故そうなったのか、と疑問の声も上がったが、今を思えば冷酷非道な中身を王は見抜いて居たのだろうと老夫婦は思う。
その事件からの悪政は沢山の人を死に追いやったのだから。税金の引き上げにより、老夫婦は長年続けた店を閉店に追い込まれた。今日の食事を求め、探し、疲れて死んで行く者達に囲まれ、老夫婦もまた死を覚悟し毎日を生きた。
そんな中で、1つの光を見出だす。それが、今、謁見台に姿を表し深々と民に礼をしたリフェリアだった。二人の脳にその日々が鮮明に思い出される。
リフェリアは、悪政の中、命を省みずに民へ食事の支給を続けたのだ。自らの足で民の元へ足を運び、今と同じ様に頭を下げて、食事を民に配って回った。老夫婦はその時、民に心無い言葉を浴びせられても毎日、支給を続けるリフェリアの姿に王と同じ優しさを見て、この方こそと立ち上がる決心をしたのだ。
この平和の始まりは民とリフェリアが共に勝ち取ったものなのだと老夫婦は誇らしげに思う。リフェリアが王で在る未来を作る為、その想いの強さをルーウェスは侮ったのだろう。
ルーウェスという男は、魔法、剣術に秀でた男だった。それ故に恐怖に支配された民衆は、従うしか道がなかったのだ。だが、リフェリアは立つ決心をし、民を導いた。お世辞にも魔法、剣術に長けていると言えないリフェリアが、ルーウェスへ攻撃を当て、昏倒させたのは協力した者達とそして、ルーウェスの驕りがあったからに違いないのだと老夫婦は思う。
「リフェリア様、万歳!!!」
その日、老夫婦は見た。在るべき場所に納められた王冠を。欲しかった、幸せを。その賑わいを。
幸せが戻る音。幸せの音が鳴る。幸せの、音が成る。