婚約破棄
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作戦は大成功であった。
そろりと忍び込んだ王の間にて、やはり匂いが室内に漂っていた。
匂い自体は不快であったり、強いキツイ匂いではない。
敏感な者は気づくであろう程度に充満している。
匂いを辿りより強く香る方へと目をやると、ラックランド伯爵がいた。
目を凝らしてよく見てみると、彼の横に座る男の足元に、香炉が置かれている。
その男こそが、ウィリアム・クロスターに化けたドルトムントであった。
それを確認すると、リナは目的の方へと近付いて行く。
最後部で立っている貴族たちの横を通り抜けるのだが、リナへと視線を移す貴族はいなかった。
おそらく、もうすでに、ここに居る者は洗脳されているのだろう。
リナはそう確信すると、奴に気づかれる前にと進むスピードを上げた。
娘の傍へ早く行かなければ…と必死に、そして、慎重に動く。
オリヴィアは偽者ウィリアムが居る世俗貴族たちの反対側、聖職貴族らの列の末端の位置に座らされていた。
その対角線上に、王族が座っている。
酷くざわつく室内。
どういう事?
オリヴィアはヘンリーの隣席に居るのではないの?
なぜ誰もそばにいないの?
全く守られていないじゃいか!?
不吉な雰囲気を感じ取ったリナは気づかれてもいいと足音も消さず速度を上げる。
その時、
「静粛に」
と、室内は騒がしくも無いにも関わらず、お決まりの台詞が聖職貴族の王族に一番近い位置に居る者から発せられた。
声の主は大法官である議長である。
そして、その議長の横に居る緩やかな広袖の服を着て首からストールを掛けた男の口からあの言葉が宣言される。
「それでは、第三王子であるヘンリー殿下とオリヴィア・フォード公爵令嬢の婚約は、この議場で破棄という結論に至りました。大主教、聖ニコライの名のもとに、お二人の婚約の破棄をここで宣言いたします。」
用紙を掲げ、そう宣言したのであった。
リナは足を一時止めて、目をギュッと瞑り、心の中で嘆いた。
ああ、遅かったのだと…。
それでも歩みを再開し、娘の傍へと駆け寄る。
視界に入った娘は、口元を抑え、大きな瞳からポロポロと大粒の涙が溢れる。
その涙が頬に落ちる前に、指で必死に拭っていた。
嗚咽が漏れないようにと声を押し殺し、体は小刻みに震えていた。
それは、大きな声で泣き出してしまわないよう、皆の前で醜態をさらさぬようにと、ギリギリのところで気持ちを抑えつけ堪えているのだと、母には分かった。
母は漸く娘の目の前にやって来た。
そして、娘の視界に入るよう腰を低くし屈む。
彼女のフローラルな匂いを感じて、勢いよくオリヴィア。は顔を上げた。
娘の視界に入ると、母は大きく手を広げたポーズをとる。
「お…お母様!!」
オリヴィアは母を目にして、真一文字に結んだ口を開き、大きく叫んだ。
瞬時に広げた腕の中へ抱きついた。
リナはオリヴィアを胸の中へと迎え入れると、柔らかな声で、娘に語り掛けた。
「遅くなってごめんね。もうこれ以上、リヴィを誰にも傷つけさせたりはしない。母が守るから。」
強く、強く…娘を抱きしめる。
その様子をドルトムントが目を見開き、見つめていた。
そして、こう呟いた…。
「やはり、そうであったか。」
綺麗に口角を持ち上げ、嬉しそうに微笑んだ。
オリヴィアは母に抱かれ、安心したのだろう。
リナの肩に顔を埋めた。
その間、王族に席に踏ん反り返るように座る鮮やかさのないヘンリーの目から、涙が一滴零れ落ちた。
体と脳を操られていて本来の自分を表に出すことは出来ない。
オリヴィアとの婚約破棄は国の為にも、自身の為にもなさねばならぬことなのだと、そう頭の中に指示が出ているのだ。
だが、無意識の領域の中で、本来のヘンリーの心は酷く傷ついていた。
“オリヴィアが泣いている”
体を支配され、自身が彼女を傷つけ、婚約破棄を自ら行ったと言う事実を、彼は無意識下で受け入れられないでいた。
その想いが涙となり流れ落ちたのであった。
ヘンリーは操られている所為で、これで良かった、自分はよくやったのだと喜びの感情が沸き上がる反面、何故そうしたのかと奥底に居る誰かから酷く苦しいと訴えられる。
心の片隅に追いやられた深い深い悲しみが、押し寄せてくるのだ。
その想いは、とてつもなく重く…そして酷く痛いものであった。
「リヴィ、何が起きたのか教えてくれる?」
オリヴィアの耳元で、リナが小さく尋ねた。
オリヴィアは、口ごもりながら説明しだした。
ついに婚約破棄がなされました