濡れ衣
いつもありがとうございます
まだ日の昇らぬ刻に一頭の馬がフォールズ辺境伯邸の門前に到着し、乗っていた者がその門を強く叩いた。
その馬に乗る者の知らせは、驚愕のものであった。
“第三王子ヘンリー殿下が第一王子デーヴィッド殿下を殺害した罪で本日中にも捕らえられる”
そんな内容だった。
オリヴィアの部屋にもすぐに知らせが来て、すぐに出発できるよう支度を整えりようにと伝えられる。
準備を整え玄関ホールへ行くと、皆が既に集まっていた。
その中でも目に入って来たのは母親リナの姿であった。
「お母様!?その恰好は、どうなされたのですか?」
「どうって、変装よ。あなたもよくやるでしょう、男装。」
「ええ、ええ、やりますけれども…その、少しばかり、ふくよかではありませんか?」
「分かってくれた?コレ、侍女のエマと一緒に考えたの。下着に綿を詰めた袋を縫い付けて、頬に綿の詰め物をしているのよ。太って見えるでしょう!リヴィも試してみる?」
「えっ、あ、いや、私は結構です。」
「そう?では、お髭はどう?口髭も色々な種類があるのよ。ほら、これとか顔の下半分が全部隠せるから便利なのよ。ただ、髭は特殊な糊を使っているから剥がす時に滅茶苦茶痛い思いをするのだけれどね。剥がした後にはハートフィル領で販売している薬草入りクリーム“ホルンホルン”を塗るといいわ。髭は男性に見える必須アイテムだから性別を偽りたい変装にはピッタリなのよ。」
「あの、でも、その変装だと逆に目立ちませんか??」
「え、だめ!?そうなの!!じゃあ、眼鏡やステッキも着けた方がよいのかしら??」
「あ。いやあ、そうではなくて…。」
背が小さく、頬が膨らみ、上半身だけが太っていて下半身は細い。
若い女のような顔立ちなのに髭を生やしている装いというアンバランスで怪しい奴は、かなり目を引くと思うと心の中で思ったが、母に気遣い言葉を濁す。
「それだと確実に見た目がおかしな奴だから、変に人の目を引くって事だ!!皆そう思っているよ。だから急いでまともな衣装に着替えてこい。まだ汽車の時間には十分間に合うから。」
その声は母リナの後ろから聞こえてきた。
知った顔があった。
「カイルおじちゃま!?」
オリヴィアが驚き声を上げた。
「やあ、久しぶりだね。リヴィ、元気にしていたかい?」
デレデレ顔のカイルおじちゃま登場である。
カイルについて補足しておくと、母親リナの実家であるハートフィル侯爵家の持つ領地の隣の領地を所有するモーリス伯爵の次男で、母親の幼馴染である。
そして、長年リナに初恋を拗らせ続けていた人物であるのだが、これはオリヴィアには知られていないことだ。
渋渋、着替えをしてきた母親が戻ってくる。
頭巾をかぶりその隙間からモジャ毛な白髪カツラが見えている。
顔は腰を低くして伏せているので、見えにくい。
落ち着いた色合いの服に手の込んだ刺繍の施されたケープを羽織り、レース編みの手袋をはめ、丸眼鏡を掛けて杖を持っている。
「今度の服装は、老婆ですね?」
「これは引退してしまったが、お世話になった使用人の乳母をテーマに仕上げてみました!腰を曲げて杖をつくのよ。えっ、これもダメなの?出来る家庭教師の方がよかったかしら?それだと顔がバッチリ出てしまうのよ。」
リナとオリヴィアがマヌケな会話を交わす。
「……」
カイルおじちゃまが無言である。
もう言っても意味がないと諦めたのだろう。
「あの~これからどうしますか?王都へ向かいますか?フォールズ家のタウンハウスは王都西地区の集合住宅にあるのですが、今は、議会に出席するために兄夫婦が利用していますので、この人数では手狭です。それでしたら、父からラックランド家へ、夫へ事情を話す許可が得られたので、私が夫へ話を終えた後に、我が家へお越しください。部屋を用意いたします。」
ニコルが割って入り、皆の会話が無かったかのように話を進めてくる。
ニコルも、着替える時間がこれ以上は勿体ないと判断したらしい。
それと、ニコルは大層嬉しそうに話していた。
ずっと秘密を言えなかった夫に、話してよいと許可が下りたらしい。
きちんと話しが出来ることが、かなり嬉しいようだった。
なぜこの変装をニコルはスルー出来るのかとカイルは少々不満であったが、もうこれ以上このことで時間を取りたくないのでリナの言動をやはりカイルも受け流した。
沈黙していると、ラックランド家でヘンリーを助ける対策を練る予定なのかとオリヴィアが尋ねたが、カイルが割って入って答えた。
「いいえ、今すぐにリヴィはこの国を出なければいけない。すでに敵に策を講じられているはずだから。急がねばならない。身動きが取れなくなる恐れがあるんだ。だから、王都へは行かず逃げる。」
真面目、優秀な騎士モードである。
「ヘンリーが危ない時に私だけこの国から逃げだすなんて、そんなことは出来ないわ!!私は一人でも王都へ向かいます。」
オリヴィアが胸に手をやり、力強く発言した。
「ダメだ!リヴィ、逃げるんだ。おそらく、お前が王都へ踏み入れた瞬間、お前は拘束されるだろう。」
カイルが眉間に皺を寄せ言い放つ。
おじちゃまは酷い心配性だが嘘はつかない。
「私が!?ど…どういう事ですか?」
オリヴィアが声を震わせ尋ねる。
「おそらく、王子を唆した首謀者とされているのでしょう。」
母が横から口を挟んだ。
母はすでに予想していたことなのだという。
その母の言葉を聞き、首謀者にされたという怒りに満ちて震えるオリヴィア。
彼女の肩に母が手を置き、ポンポンと軽く叩く。
落ち着けと言っていると温かい掌から伝わった。
「リヴィがヘンリー殿下を唆し、王座を得るためにデーヴィッド殿下を殺害させたという筋書きなのでしょう。今、王都入りしたとしたら、あなたはきっとこの国の国民に血祭りにあげられるわ。だから、今すぐにウェルトへ戻りあなたを隠す。その間に情報を私達が集めて策を講じる。時間を稼がなくてはいけないの。それはヘンリー殿下の為にもなることよ。」
いつもの明るく、ほんわかした母はそこに居なかった。
真の強い、絶対に自分を守ろうと言う意志を持つ母親がそこに居た。
その気迫におされ、オリヴィアも心を決める。
「分かりました。従います。」
ニコルは王都へ行き、情報収集とラックランド家へ事の詳細を話すために来た際に利用した駅へと向かう。
「私達もニコル姉様と同じ汽車に乗らないのですか?馬車での帰国ですと時間が掛かりますよね?」
オリヴィアが問う。
「ここから少しばかり南下した所に伯爵の伯母が治める領があるの。そこにはペネジル国まで線路が通っているの。その線路は途中、ウェルト王国方面へと分岐していて、チェスター領まで伸びている。だから今は、そちらから乗車した方が王都を経由しないで済むし、危険が少なく時間を短縮できる。その為に、まずは馬車で駅まで向かうのよ。」
リナが答える。
「分かりました。」
返事をすると直ぐに馬車へと乗り込み出発した。
国外脱出はできるのか!?