男装令嬢オヴェリア
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「2人は、この地から消え去ったのである。とまあ、これが創世記の簡略的文章なのだけれど、ここまでで分からなかったところはあるかしら?って……リヴィ!?聞いているの?」
目の前にいる人物を見つめ、小さな声で可憐な令嬢が語りかける。
「スゥ~スゥ~。」
とても良い返事であった。
「ねぇ、ねえ、リヴィってば。」
頭のてっぺんをつんつんして起こそうとするも、
「スゥ~スゥ〜むにゃむにゃ、ううん、もう少しだけ~。」
と、思いがけない大きな寝言の返しに、周囲から視線が集まる。
起こすために中腰の姿勢であった令嬢は、急いで席に座り姿勢を直した。
「う、ううん。」
チラチラと周りを気にしながら、咳払いの合図をするのだが、そんなのお構いなしで、目の前の人物の気持ち良さそうな寝息は止まらない。
「ちょっ…ちょっとリヴィってば、本当に起きてよ。」
机の下で足を揺らし、精一杯、小声で起こす。
「スゥ~スゥ~。」
「ねえ、起きて…起きてよ…起き…」
「スゥ~クゥ~」
ここは、王立学院の広大な敷地に建つ、重圧感のあるレンガ作りの建物の三階奥に位置する大部屋の一角である。
静寂に包まれ、日当たりが良く多くの本に囲まれるその場所には、小さな机と椅子が置かれていた。
机と椅子は部屋のあちらこちらに置かれ、数人の勤勉な生徒が席に座わり利用している。
皆、勉学に懸命に励んでいるのだ。
ここは、ウェルト王国が律する王立学院の優秀なる生徒の集う図書室である。
現在、図書室の二階の奥に置かれた日の光がよく当たるこのテーブルで、2人の女性が向かい合い座っていた。
そのうちの一人、美しい容姿だがなぜか男装をしている者が、机の上に立てかけた本を手でしっかりと持ち、その本に隠れるように首を垂れ、器用に寝息を立て眠っている。
彼女は、この物語の主人公で、オリヴィア・フォード(愛称リヴィ)。
ウェルト王国でも高貴で気品ある公爵令嬢のはずである。
「スゥスゥスゥ…んっ!?…う~ん。スゥ。」
向いに座る令嬢の少しキツメの脛キックから、体が痛みが走り反応し、オリヴィアはガクッと首が支えから落ちた。
だが、そのまま机に伏せる姿勢となり、只今、健やかにお休み続行中。
「クソッ。」
そんな彼女の事を、向かいの椅子に座り、小さな毒舌を吐き、眉間に皺を寄せ見つめる御令嬢は、かなりおかんむりである。
彼女の名は、マーガレット・ラックランド(愛称メグ)。
彼女は隣国アドラシオンから来ている留学生で、王立学院でのオリヴィアの学友である。
それに彼女は歴史学者である本校講師の助手もこなしている才女であり、隣国の有力貴族のご令嬢でもあった。
知的で洗礼されている彼女が、先程まで歴史の苦手な学友のためにと、初心者でも分かるように丁寧に読んで聞かせていたのだが、肝心の聞き手が遠い夢の国へと旅だってしまっているようだ。
いつもは冷静沈着なマーガレットだが、かなりご立腹な様子。
マーガレットは立ち上がり、持っていた分厚い歴史の本を、自身の頭より少し高い位置まで持ち上げると、パッと両手を離した。
机の上へと重たい本は一直線に落下する。
パァイィィィンッッッ!!
大きな音が鳴り、衝撃が机への隅まで伝わる。
すると、寝ていたオリヴィアが飛び起きた。
「キャァァー!な、な、な、何っ!?」
目玉をギョロギョロさせながら見回し、オリヴィアは何が起きているのかと周囲を驚異の動きで確認している。
すぐさま騒いでいることを司書に注意され、ペコペコと素早い35度のお辞儀で司書と周囲に平謝りするご令嬢の姿がそこにあった。
その様子を、マーガレット・ラックランドは眉1つ動かさぬまま、真顔で見ていた。
そして、全てが終わり、席に座るオリヴィアへ向けて淡々と口を開く。
「リヴィ…また寝ていたわよ。いい加減、きちんと勉強しないと留年するわ。この学院を卒業するためには、歴史が必修科目なのを分かっているのよね?卒業するには絶対に最終試験で合格点を取らなければいけないの。公爵令嬢で留年とか、この国始まって以来の初の出来事になるのではないかしら?学院を中退しようものなら貴族令嬢として恥ずかしすぎるわよ。」
「ううぅ、分かっているわ…でも、古代史になると、どうも眠くなってしまって、どういうわけか瞼が重くなり閉じていってしまうのよ。どうしてなのかしら?もう無理だわ。ああ、どうしてこうなのかしら?本当にごめんなさい。」
酷い落ち込みようである。
マーガレットの発した言葉は、オリヴィアが歴史講師から幾度も注意されてきたことであり、その改善がなされないまま困り果てている。
これでも本人は、真剣に悩んでいるようだ。
今回も反省はしているようで、涙声で悔いている。
どうやらあの器用な寝方は、歴史の講義中に培ってきた彼女の努力の賜物だったようだ。
寝ていることがバレない為に訓練したらしいでしょうか。
マーガレットが深くため息をついたあと、何かをやるために自分に気合を入れた。
そして、彼女の名演技が始まる。
「はあああ~ん!す・て・き!!!2人は想い合っているというのに会うことの出来ない悲恋なのよ、胸がキュンと締め付けられるわ~2人の信じあう永遠の愛!これこそが究極の愛!乙女の憧れよ~古代史は、この素晴らしい創世記のルトゥの純愛があるゆえに魅力が溢れているのよね。そう、これこそが真実の愛!!なんて、なんて素敵な響きなの~絶対に今回の歴史の試験は大丈夫!私、自信があるわ。永遠の愛。胸キュンフォーエバーよ。寝るなんてありえない。さあ、ドンと私に任せておいて‼って、胸を叩きながら得意げに言っていたのは誰だったかしら?」
メグはやりきった。
「わ、私です…私がやりました。本当に、調子に乗り、申し訳ございませんでした。こんな私ですみません。」
マーガレットが今回の試験の範囲の内容を掻い摘んで話し、それについて熱く手を振り回し語るオリヴィアの真似を、たった今、マーガレットが全力でやって見せた。
それに対して、オリヴィアは自分の振舞いが恥ずかしかしいものであったと今更ながら反省したようで、もうこのことはやらないでほしいと涙目で訴える。
「もう金輪際、メグに不快に思われないようにいたします。私の様なものに貴重な時間を割いていただいているというのに本当に申し訳ありません。うう、嫌わないで。」
「そこまで……そんなことでは嫌わないから泣かないで。あの自身満々発言の翌日にやっぱり無理でしたと泣きついてきて、この状況なのですからね。それに特別待遇の身でこの国にへ来てからずっと優しくしてくれた特別な友人である、あなたの頼みだもの!!私は全力を尽くすつもりよ。だから、一緒に頑張りましょう。それと、直ぐにネガティブになるのはいけないわ。」
「はい、メグ先生!善処いたします。」
全力で言い切るオリヴィア。
「善処ね…」
精神的に大人なマーガレットがオリヴィアの表情を見ると可笑しそうに柔らかく微笑み、優しく続きを話し出す。
「では、もう一度、今のところを少し詳しくやるわよ。リヴィが興味を持ちそうな話をちゃんと織り交ぜるから、寝ないで聞いてよね。ではまず、ルゥー神が大地を創造し、女神ルトゥが西の大陸の端へと降り立ったところからおさらい…あっ、そうだわ!?この話はね、東大陸バージョンなのだけれど、西大陸だと異なった言い伝えもあって、この件では両大陸間で根深い論争が続いているのよ。そうそう、実は先日、先生に同行して入った遺跡の調査から分かったことが―――」
話の途中から彼女の歴史知識の情熱に火がついてしまったようで、マニアックな解説を早口で始める。
「ああ、ちょっと、ちょっとメグ、ストップ、ストップよ!ダメよ、ダメダメ。そこまでにして。メグのその話は、試験の範囲じゃないから、今は聞かないわ。いいえ、聞けないの。試験後にして!その情報を詰め込んだら、私の頭の中がコーン菓子のようにポンッと大きな音を立てて破裂しちゃうから。」
オリヴィアが首を振り、嫌々と表しながら話を止め、耳を覆って抗議した。
「そうね、分かった…フッ、リヴィの頭がコーン菓子…フブッ。オホン。では、もう一度、試験の範囲で重要な部分のおさらいを始めるから目を大きく開けて本を見て、私の声に耳を傾けてね。コーン…フブッ…コーン。」
マーガレットの笑いのツボを当てるのは難しいのだが、オリヴィアは割と彼女のツボをヒットさせている。
「はーい、メグ先生。私の耳もコーン頭もいつでも準備オッケーです。お願いしま~す。」
「コッ、ブヒッ。オホン、では始めましょう。」
いつもの穏やかな時間が流れていた。
オリヴィア(リヴィ)は自分に少し自信のない男装する公爵令嬢です。
男装理由はのちのち。