神は細部に宿るもの ~ショパンの調べにのせて~
こんにちは~!! ひだまりのねこです。
皆さまは、ショパンコンクールをご存知でしょうか?
日本人が二位と四位に入賞したことでニュースになりましたから、ご存知の方も多いかもしれません。
簡単に説明すれば、最古のピアノ国際コンクールにして、音楽コンクールの最高峰、「世界三大コンクール」の一つです。
当然参加するには、半端ない実績と、著名なピアニストもしくは教授の推薦が必要で、応募出来るだけでも最低限一流です。
そこから長きにわたり予備予選 、一次予選、二次予選、三次予選(準本選)を勝ち抜いた一握りのピアニストのみが本選に出場できるわけで、その本戦で日本人が二位と四位に入賞したというのはとてつもないことなのです。
結果に関しては、色々物議がありますが、個人的には優勝でおかしくなかったと思っています。
コンクールは五年に一度の開催で、コロナで一年延期された今年開催されたわけですが、今の時代、世界中に配信されていて、誰でも聴くことが出来ます。ぜひ公式動画で聴いてみてくださーい。
ところで、ショパンコンクールの演奏を毎日聴いているのですが、同じ曲なのに、ピアニストによって、全然違う演奏になるのですよ。
楽譜は同じはずなのにね。
音の強弱、間のとりかた、余韻、その全てが個性となり、異なる演奏となるのです。
解釈の違いともいうのですが、それがピアニストの魅力となり固定のファンがつくのですね。
それは小説でも同じで、
たとえば、『ありがとう』という言葉を使うとして、
「ありがとう」
「有り難う」
「……ありがとう」
「ありがと~!!」
「アリガトウ」
「ARIGATOU」
というように言葉は同じでも受ける印象は全く違うのです。
たった一言でもこれだけ違うのですから、言葉の連なる小説ではなおのことです。
100人の書き手に、同じ原稿を渡して書かせたら、100通りの作品が出来上がります。
たとえばシリアス風、コメディ風、ホラー風であったりします。元は同じ原稿であったとしても、です。
それが書き手の個性であり、息遣いであり、世界観です。
神は細部に宿る
という有名な言葉がありますが、まさに小説の個性も細部に宿るものなのです。
何気ない改行、句読点の使い方、漢字、ひらがな、カタカナの使い分け。
記号に過ぎない文字の羅列の中に命を吹き込む。
それが小説です。
完璧を目指すのは結構なことだとは思いますが、完全な世界には他者は存在しえず、読者不在の世界が広がるのみです。
そもそも完成された文章って面白いですか? 一切の解釈の幅も想像の余地もない文章ですよ?
小説というのは、読んでもらって初めて意味をなすもの。
文章のほころび、揺れ、クセ、その不完全さの中にこそ書き手の魂があるのだと私は思います。
仮にテンプレという楽譜があったとしても、その縛りの中でこそ輝く個性が宿る。
聴こえてくるのは貴方だけの息遣い。見えてくるのは貴方だけが持っている景色なのです。
テンプレが廃れないのは、人間性の本質が凝縮されているから。
似たような物語に飽きないのは、読み手が楽しむものの本質が、物語そのものではなくて、書き手の解釈や個性だから。
何も恐れる必要などないのです。貴方の世界は貴方にしか書けません。
人気の作風に似せることは出来るかもしれません、近づけることは出来るかもしれません。
でも、作品の本質が細部にある以上、何の意味もないことです。ただ貴方が思うまま書いてください。
真似をした瞬間、借り物の言葉を使った瞬間、細部はあっけなく消滅してしまいます。
そんな中途半端な文章が面白いと思いますか?
それ以前に書く意味がありますか?
小説は内なる世界を他者に知ってもらうための手段であり、他者を通じて己を知ることが究極的な目的のはず。
手段と目的を履き違えては本末転倒もいいところです。
呼吸をするように書きましょう。
きっと力の抜けた良い文章になるはず。
上手く書けないですか? 考えてはいけません。
慣れないうちは難しいかもしれませんが、とにかく毎日書きましょう。百万文字書きましょう。
考えるより早く書くのです。そうすればいつの間にか自然な文が書けるようになりますよ。
さあ皆さまも細部が輝く、楽しい執筆ライフを送りましょうね~!!