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誠意や信用は積み上げていかないといけない

 大体レルのお兄いさんが悪いよ。ユーさんの爺さんと父さんは仕事柄あんまり家に居られないし、一番相談しやすい母さんを早くに亡くしてるんだから、歳の近い兄として妹の事を考えてやるべきだろうに。そりゃね、15歳の青春真っ只中で小難しいお年頃の坊ちゃんに、12歳の妹の面倒を見ろってのも酷な話とも言えるけどさ、血は水より濃いって言うじゃないか。ちょいとばかり気ぃ使ってやったって(ばちゃ)ぁあたるまいに、ああ、そうさね、凄腕のお嬢ちゃんがいるから無理だっけ。


 気のせいか、ちょいとばかし不憫そうな視線を斜め後ろを歩くウルザーム坊ちゃんから注がれ、使用人さんの挨拶に笑顔で答えつつユーさんの部屋に向かえば、中庭に面して居並ぶ無駄に大きな窓から凄腕ヒロインさんと愉快な仲間達が良く見える。うん、実際に見てわかったよ、あそこにユーさんの居場所は無いね。

 あれが職人仲間で、男ん中に女が一人ってぇのなら、まあこの世界でもギリギリいけるのかも知れないけどね、自称親友同士じゃあ無理だ。今後、あのヒロインさんがこの世界の価値観をぶっ壊しているあの状況を、周囲に認めさせるってんだから良いだろってぇ考え方も出来ないでも無いけどねえ、ユーさんや大人達の世界の常識が変わるわけじゃあ無いからね。


 其の伝(そのでん)でいけば、卒業後がどうなるかは謎なんだねぇ。ユーさんは卒業前に心を痛めちまって、あたしが変わって巻き戻ったんだから、この小細工をした女神さんだってどうなるかは分からないんだよね。

 ま、あたしが頼まれたのはユーさんがこっちに戻った時に心穏やかに過ごせる環境をつくる事だから、あちらさんがどうなろうが構わないさね。寄って来るんなら柳に風と受け流すだけだよ。


「お嬢様、おかえりなさいませ。学園は如何でしたか?朝は殿下のお迎えがいらっしゃいませんでしたが、馬車寄せでお会いになれましたか?空腹でございませんか?お茶とお菓子がございます。何か必要な物がありましたらご用意「そんなに一度に言われても困りますわ」」


 栗皮色の髪に鉄紺の目をしたユーさんの侍女、14歳のエピナート・ヴァルムお嬢ちゃんがあたしの周りをくるくると(いご)きながら、立板に水の如く話しかけて来た。あたしもサーっと話すけど、なかなかやるねぇ。14でこんなに気をまわすなんて大変だよ。


「さっぱりした緑茶が飲みたいのだけれど、出来るかしら?」

(干し芋を炙ったやつをあっつい番茶で流し込みたいとこだけれど、無いだろうねえ)


「緑茶、ですか?食品庫にお客様用があるかと思いますが、お嬢様の好きなダージリンのセカンドフラッシュは宜しいのですか?」

「エピナートさん、お嬢様はお疲れなので、お言葉通りに」

「畏まりました、直ぐお持ちします」


 ユーさんの記憶を頼りにウォークインクローゼットとか呼ばれているバカみたいに大きな衣装部屋に入って、腰に手をあててぐるりと見渡せば、あたしが気楽に着られる様な服が全く見当たらない。まあ、そうだよねえ。西洋風の世界に、作務衣やらジャージやらは無いよねぇ。

 あー、アレだね、せめて作業に向いたズボンをって思ったんだけれど、記憶に無い(もん)がある訳ない。ユーさんはまだ12歳なのに、あれこれと習い事をしているので馬に乗る為のズボンはあるんだけど、これで作業が出来るかってぇいえば、無理だ。って、アレかい?ユーさんがやってる習い事は、あたしが続けなきゃあいけないのかい?

 何とか無しにならないもんかねえ。学校に行くようになったから、その分は減るんだろうけれど、あたしが用意出来るユーさんの居場所となると、庶民の暮らし方向に舵を切る事になる訳だからそっちの方をやっておきたいし、正直なとこ、ユーさんは既に6年間頑張って身に付けたもんがあるんだから、改めて同じ事を繰り返すのはちょいとばかり無駄な気がするよ。

 勿論、やったらやったで復習になるのはわかってる。繰り返すからこそ身につく訳で、一度ユーさんがやってきた事をお復習(さら)いすれば、それで食っていける何かになるかも知れない。けど、この世界で育っていないあたしが考えるこの先の居場所となるとやっぱりあたしの知っている事で作っていきたいんだ。


 これなら楽そうだと思うものは寝巻きばかり。真っ昼間っから寝巻きを着て部屋にいるのは、拙い。あたしがあたしの家で、寝巻きのまま一日過ごしても問題は無いけれど、残念無念、あたしはあたしじゃあないからね。


「作って貰うかねぇ、けど、作って貰えるかねぇ。道具さえありゃあ、自分でチャチャっやるけれど」


 言うはタダだし、ウルザーム坊ちゃんもなんだかんだ言って、買い物に付き合ってくれて欲しい物は揃ったよ。ここで言わないでいたら、後々ちょいとばかり無理したくなった時に言い出せなくなるかも知れないさね。つまりここは、押しとくとこだよ。いやね、普段から基本押せ押せなんだけど。

 あたしの呟きは聞こえなかったらしく「お嬢様、何か?」とウルザーム坊ちゃんに聞かれた。


「入学を機に、今後は孤児院や救護院への慰問を増やそうと思いますの」

「それは何故でしょうか?通学によりお嬢様が自由に出来る時間は減ります。寧ろ、慰問を減らして習い事に当てるべきです。卒業までにはオルクス王孫殿下の婚約者候補が決まります。お嬢様はかなり有利なお立場ですが、今ここで努力を止めてしまわれれば、他の御令嬢が婚約者となられてしまうのではないでしょうか」

「そうでしょうね」

「では」

「ええ、わたくしはラティウス殿下、いいえ、もうセカンドネームでお呼びするのも止めましょう。オルクス殿下の婚約者候補を辞退したいと思っておりますわ」

「それは、今日、王孫殿下が」

「わたくしの為に動いてくれるキルハイトにははっきりさせておきます。今のわたくしには、オルクス殿下を特別に思う気持ちは一切ありませんし、状況が落ち着き次第婚約者候補を辞退したいと考えております。しかし現在の状況では婚約者候補である立場であるべきだと思いますし、最低限必要な事はすべきでしょう。けれども、それ以上の事は致しません。元々婚約者候補が複数存在するのは、陛下がご健在で、オルクス殿下のお父上である王太子殿下も信頼厚く、オルクス殿下の婚約を急ぐ必要が無いという事実から、状況に合わせて最良の配偶者を迎える為ですわよね」

(取り敢えず、あたしの言いたい事ははっきりさせておかないといけないよ。ウルザームの坊ちゃんは最後までユーさんが信じていた相手だし、少なくともユーさんの記憶の中では最後までユーさんの為に動いていた。だから、あたしがやりたい事や考えている事は、しっかり伝えておかないとダメだ。坊ちゃんはユーさんがオルクス坊ちゃんを好いてると思っているみたいだけど、ここはしっかり否定しておかないと、今後の為にならないよ)


「お嬢様、お茶の準備が出来ました。あの、緑茶は普段淹れませんので」

「知っておりますから自分で出来ますわ。お湯は沸かしたての熱い物でしょうか?」

「はい」

「お嬢様、火傷などされると」

「大丈夫です。何事もやらなければ身に付きません。学園にいる間は自分でしなくてはいけない事が増えます。ですから、家でも練習しなくてはね。これはお願いではなくて、手を出さないでとの言付けですわ」

「畏まりました。お気をつけて」

「あ、あの、私も、淹れ方を知りたいです」

「ええ、では見ていてね」


 うん、ちょいとばかり匂いが今ひとつだけれど、茶ぁ何ぞお腹に入っちまえば出涸らしだって構わないさね。いや、だからと言って、じゃあ紅茶をって言われたら、それはまた違う。やっすいお茶だねえなんて軽口叩きながら、鼻ぁ抜ける香りを味わうのさね。美味いのなら美味い、不味いのなら不味いで、話のネタにしながら茶ぁ飲むのが粋ってやつだよ。


 と、ご機嫌で茶っぱを急須ならぬティーポットに放り込み、小洒落た薬缶、ユーさんによるとケトルに入った湯を三つの湯呑み、じゃなくてティーカップに入れてから、ティーポットに移してカップに順繰りに注ぐ。

 淹れ終わって顔を上げると、眉間に皺を寄せたウルザーム坊ちゃんとお祈りみたいに手を組んで目を輝かせているエピ嬢ちゃん。あ、これはやっちまったってやつだね。ユーさんが知らない筈の行動をつるりとやっちまった。


「キルハイト、エピナート、お茶に付き合って頂戴」


 何事も無かった風に流して、お菓子の並ぶテーブルについてさっさと飲み始め、戸惑う二人に笑顔で向かいの椅子を勧めた。使用人が主人と同じテーブルに着くのは、と断る二人だけれど、「ああ、お兄様やオルクス殿下もわたくしと同じテーブルを囲んでくれそうもありませんわ。これからずっとわたくしは、寂しいお茶の時間を過ごすのですね」とインチキな悲しみを表明すれば、座ってくれた。

 なんていい子たちだろう。あたしゃあ守るよ、ユーさんだけじゃなくて、ユーさんが心折れるその時まで、献身的にユーさんを支えてくれたこの二人も守る。袖擦り合うも多生の縁ってぇ言う位だけど、あたしは丸焼けを救って貰った、ユーさんは大切な周囲の人を気にしながらも自分はもう頑張れないと女神に願った、本来なら有り得ない二人の縁が繋がったんだからね、あたしに何とか出来るんならやってやろうってぇのが江戸っ子の心意気ってやつだよ。


 この二人には無理をさせる事も多いだろうけれど、その分お返し出来る事は最大限で返すよ。それに、いつかは荒唐無稽な入れ替わりの話をしなくちゃあいけない時が来るだろうし、その時、信じなくてもいいけれど話だけでも聞いて貰える位の間にはなっておかなきゃあいけない。あたしを即座に隔離施設にたたっこもうと動かない程度には、ね。

 多分、ずっと側にいた二人からすれば、既におかしいと感じているだろうし、あたしは誠意を持って二人と付き合っていくしか出来無い。他所(よそ)様の気持ちをどうこうしようとするなんざぁ、烏滸がましいよ。この世界の人間がどうかは知らないが、あたしゃああたしの生き方をするし、少なくともそれは世界は変わっちまったけれどお天道様に顔向け出来ない様な事は嫌だ。


 どっしりした餡子の羊羹が食べたいねぇ。


 記憶にしかない味を自分で確認したくて、並んだ焼き菓子を順繰りに味わっていると、普段がそんなに食べないからウルザーム坊ちゃんの視線がどんどんキツくなっていく。

 あー、もうね、好きに思っていてくれて良いから。今の所は、今日の出来事がショックでやけ食いしているとでも思っているんだろうけれど、これからどんどん違和感感じるから。ごめんよ、坊ちゃん。けどね、同じ事やってたら学園で敵だらけになった上に断罪ってぇのをされるからさ、必ず説明するから待っといておくれな。

◇◆ちょっとアレな言葉説明◆◇

其の伝;其のやり方、其の考え方。

栗皮色;黒味がかった赤褐色。栗の皮の色。

鉄紺色;わずかに緑みを帯びた暗い青色。鉄色がかった紺色。

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