妹の努力を兄に叩きつけてやるよ
レルお兄さんは口を開きかけ、眉を寄せ、菫色の目を瞬かせた。
「わたくしを知る皆様全員となりますと、家族や交友させていただいている方々のみならず一度でも顔を合わせた方々も範囲に入りますわ。わたくしはオルクス殿下の婚約者候補となっておりますので、陛下や妃殿下にも嫌悪されている事をお兄様がご存知だと受け取りましたが、宜しゅうございますか?」
(ユーさんを知っている全員が、ユーさんを嫌っていると言っている事になるんだけれど、それでいいのかって聞いているんだけどねぇ)
「な?そんな事は言っていない」
「仰いました。わたくし、確認しましたもの。『お兄様からご覧になって誰も彼もで宜しいのでしょうか?』と。お兄様は『皆が公爵令嬢失格だと言っている』とお返事されました」
(言ったね。あたしゃちゃんと確認したよ。誰も彼もで良いのかい、とね。そうしたら『そうだ』って返事したんだから)
真っ赤になって震えるレルお兄さんと、微笑みながら「仰いました」と言うあたしのせいで、車内の空気は頗る悪い。聞いていませんよ、てな風を装って窓の外を見ているエピさんの膝の上の拳がぷるぷる震えているのが、ちょいとばかり申し訳ないけれど、もうちょっと付き合っていただく。ここで追撃の手を緩めたら、後を引いていけないからね。
その隣のキルさんは無表情で反対側の窓の外を見ているけれど、ユーさんだったら絶対言わないであろう嫌味な言い方が感に触るらしく、握った右手を左手でさすっている。暴力反対。
「お兄様がわたくしをどの様に評価されておられるかは存じ上げませんが、現状で社交を第一優先にする必要は無いと考えております。確かに、必要な事全てを同時に学び、身につけて行けるのであれば最上でしょうけれど、わたくしの出来る事には限度があります。お祖父様やお父様、王孫殿下婚約者候補担当の方に相談し、優先順位を付けて学んでおりますので問題はありません。確かに、学園在籍中にお友達と交流を深める事は素晴らしいと思いますが、卒業まで時間がありますので無理をしなくても良いと言われております」
(レルお兄さんがウィスタリアをどう思っているのかは分からないけれど、今、他所様とお付き合いする必要は無いよ。ウィスタリアに必要となる大量の課題を一気に習得していければ良いけれど、常識で考えたらそれは無理な話だから、教育関係の整理をして貰っているんだ。確かに、学生時代に多くの人と関わるのは大切だけれど、卒業まで時間があるって言われているから気にしなくて大丈夫だよぉ)
理屈と膏薬はどこにでも付くってやつで、ユーさんが何を言ってもレルお兄さんは文句を言っていた。これが他人相手なら、レルお兄さんも気を使えるんだろうけれど、妹のユーさんに対しては遠慮会釈もなく文句のつけ通し。最初は可愛い妹の為を思って色々アドバイスをする良いお兄さんだったのに、ユーさんが自分の立場を理解して子供らしさを抑えて努力と成長していくのに対して、男同士の子供っぽさとアザレさんの自由奔放さの中に浸かっている自分との差みたいなもんに苛立ちとかを感じているんだと思うんだよね。
自分にとって小さな妹が小難しい事を学んで子供っぽい言動をしなくなり、大人に持て囃されているのが気にいらないってぇあたりに落ち着いたと。
「お兄様の仰る通り、公爵家の娘として学園生徒の皆様とより良い関係を築き、学園卒業後も支え合える様な方々を見つける事は必須だと思っております。わたくしの事を心配し、アドバイスしてくださる事は本当に感謝しております。その事はお心に留めておいていただけますと、妹として嬉しゅうございます」
「勿論だ。私はウィスの兄として忠告しているのだからな」
おや、純粋に嬉しそうだ。どうやら今のレルお兄さんは小生意気になった妹に対して、可愛いと言う気持ちはそれなりにあるらしい。ユーさんの最後の記憶だとこれでもかって程に顔を顰めて、『平等公平、国の剣であり盾であるユースティティア公爵家の娘でありながら、女生徒全ての人心把握も出来ず、王国に新風を取り入れようという殿下の崇高なお志も理解せず、殿下の婚約者でありながら、殿下の願いが陛下に正しく伝える事も出来ないとは。あの様な情けない愚妹は卒業式後直ちに公爵領地の中で辺境かつ貧しい場所に送り込み、己が秀でていると驕っているその知識と知恵で領地を安定させるように申し付けてやります』てな事を言っていたよぉ。
冷静に考えれば、ユーさんは卒業時に18歳。幾ら勤勉優秀なユーさんでも、レルお兄さんの言い分全部をこなせる訳がない。第一、本当にそれがユーさんの仕事なら、王子さんやレルお兄さんも一緒にやるべきだよぉ。ユーさんはお兄さんたちが現実の面倒は大人に任せて、アザレさんを囲んで崇高な王国改革のゴールだけを楽しく語りってたんだからねぇ。
「では、お兄様はルクスベルグ大陸内で使われている言語で会話なさる事が出来ますか?」
「何故それを聞く?」
「他国との交流に必要な事の一つだと思っておりますので、殿下のお側におられるお兄様は多くの言葉をご存知かと」
「まあそうだな。ルクスベルグで一番良く使われるカレリア共通語はウィスも使えるな」
「ええ」
「隣接しているのオスワルド聖騎士国、ヴェルキア魔導皇国、シャグディラ帝国の三国であれば、専門用語が多用される状況でなければ通訳無しで問題無い。メガラニカ、アストルリア、コグニタの簡単な会話は可能だ」
へえ、レルお兄さんも凄いねぇ。16歳にしてマルチリンガルだ。けれど、18歳のユーさんはその上だよ。あたしゃあ外国語は苦手どころか珍紛漢紛だったけれど、ユーさんがしっかり勉強していたお陰で楽しく復習出来ている。日本に戻って役に立つかと言えば、全く意味は無いけれど、ユーさんが戻って来ました、せっかく覚えた事を六年間で殆ど忘れてましたじゃあ、大人として格好が付かない。
基礎が出来ていて面白いと思えれば、お勉強も楽しく出来るってもんだ。
「わたくしは、メガラニカ、アストルリア、コグニタ、ティオイス、クラウディアの会話が出来ます。外交に必要な挨拶や儀礼的な言葉だけで宜しければ、全ての国の言葉を覚えております。困らない程度の読み書きも可能です。会話だけでなく、大きな交易のある国の経済状況は常に確認しておりますし、他国からのお客様をお迎えした時に困らない様に、独自のマナーや風習も学んでおります」
「それは……。素晴らしいな。ウィス、知らなかったぞ。それでは時間が無いのも頷ける」
そんな感心した顔をしても何も出ないよ?あたしがこっちに来る前、入学前までユーさんの事は一緒に住んでい他のに、物心付いてからずっと頑張っていた姿をきちんと理解していなかったから、今更そんな目ん玉かっぴらいて驚くはめになるんだよぉ。
まあ、レルお兄さんも子供だったし、王子さん達と『城下町を探検だー』ってな具合に浮かれていたり、剣を振り回して『国の未来は僕らが守る!』と誓い合ったり、アザレさんを加えて『貴族と平民が手を取り合って素敵な国』と盛り上がったりしていたんだから仕方無い。
何と言ってもユースティティア家にはお婆様とお母様という女親が居ない。要職についている公爵家の爺様と父様は可愛い兄妹に対して、大きく包み込む家族愛はあったし仕事をする立派な背中を見せていたけれど、細かい気持ちの機微には疎い。あたしがこっちへ来て土下座して事情を話すまで、可愛い孫娘、娘が心配かけちゃいけないと遠慮していた事に気が付かなかったんだからねぇ。
レルお兄さんだって、家庭教師や学園の先生の言う立派な大人をそのまま受け取るし、現実の小汚い所を知る前に子供らしい綺麗な理想を語り合うぞろっぺぇ連仲間と、真面目に大人の事情を学んで実行するユーさんを煙たがるのも理解出来る。まあ、妹に無理難題を押し付けようとするのは許さないけれどね。そこは大人のあたしがきっぱりすっぱりお断りだよ。
「王孫殿下の婚約者候補という事で各国大使のご令息ご令嬢のお相手を王家から依頼される事もありますし、婚約者候補として王宮教育官からは、座学だけでなく護身術も含めた指導も受けております。ユースティティア家が支援している慈善事業は全てわたくしが責任者代理となっておりますし、主に手紙のやりとりですが軍の役職者夫人との交流もしております。学園長先生には様々な事情をご理解いただき、公爵家に先生を派遣していただいたり、文章による課題のやりとりを認めていただいているのです」
「そ……、そうか。それは、そうだな、うん、時間が幾らあっても足りないな」
うーんと唸りながら考え込むレルお兄さん。
更に東飛鳥としての活動もしているけれど、実際はそこまで時間に余裕が無いって訳じゃ無い。王宮教育も言語も儀礼やマナーも学園六年分の課題も、ユーさんが予習復習の怠りなく頑張って頑張って身に付けておいてくれたから、それを忘れない程度にやれば大丈夫。
学園に行かないのは鬱陶しい問題が起こるからだし、あたしの気が短いせいで遠回しにコソコソ言っているお嬢さん方に苛々するから。嫌な思いをする上に、時間を浪費するつもりは無いよ。
本当に交流すべき相手はちゃんと選別して、そうだねぇ、五年生くらいから真面目にお付き合い出来ると良いね。それに来る者は拒まずだから、公爵家に来る分には対応しているよ。利用や騙す気満々のお方は二回目からお断りするけれど。まあ、公爵家ってだけで気軽にお友達面で来る人も然う然う居ない。あの、浮かれたアザレさんは除いて、だ。
「ウィスにも事情があるのは分かった。理解せず文句を言った事は謝罪するが、きちんと話をして欲しかったと思う」
顔を半分隠して大きくため息をつくレルお兄さん。一人っ子のあたしには16歳の兄と14歳の妹の距離感がどんなものか全く予想もつかないけれど、とにかく完全に意思疎通不足だってがよく分かったよ。
それと、ありがたい事にレルお兄さんもまだまだ妹の言い分に耳を傾ける事が出来るってのも。あの集団の中に戻ったら、また青春の大波に飲まれて東京湾を漂った挙句に、太平洋経由で浮かれ新大陸発見とかしそうではあるけれども。




