宣言無しの膝蹴りはルール違反だと思うんだよ
体調を心配して馬車まで送ってくれるという教授と一緒に中庭から食堂へ続く道を歩けば、ちらちらと突き刺さる視線。行きは背中だったけれど、帰りは正面だからちょいとばかり体裁が悪い。療養といいながら実際は健康的に運動はする、成長期もあって食欲増進でおまんまは美味い、仕事は充実しているってな感じなんで、毎日元気で顔色は頗る良い。
ぞろっぺぇ連に神経を削られたダメージと、あたしの頼りない演技力じゃあ、ほぼほぼ回復してます、明日には休学解除ですってな、様子にしか見えないよねぇ。
自宅学習ではどんな本を読んでいるのかという質問から続く話も面白い。流石学校の先生様だけあって、こっちの答えからだったら次はこの本をと内容をちょっと説明した上で勧めてくれる。と、話が変わって最近困っている事は無いかと教授に聞かれた、次の瞬間。
「がっ!」
「ユースティティア嬢、どうしたのだ?」
「失礼します。教授、まだ療養中のお嬢様は少々ご無理をされていた様です」
「ああっ!やはりお嬢様にはまだ外出は早かったのですね。幾らレルヒエ卿に大切なご用事があったとはいえ、私達の配慮が足らず申し訳ございません。教授、本日はこれで失礼させていただきます」
「うむ、ユースティティア嬢、早く元気になって通学してくるのを楽しみにしているよ。キルハイト君、ヴァルム嬢、ユースティティア嬢を頼む」
「畏まりましたオフェンベール教授。ユースティティア閣下にも本日の事、お伝え致します」
あたしの預かり知らぬところで、勝手に話が進んでいるらしい。せめて教授にお別れのご挨拶をと体勢を整えようとしたら、がっちり押さえ込まれていて、全く動きが取れない。これはどういう状態なのかね?
「医療室に参りましょうか?それともお帰りに?」
「ええ、分かりました。閣下のいらっしゃるお屋敷でお休みになりたい。当然でございます」
「眩暈や吐き気はありますか?」
「日傘を持って来なかったのは私の手落ちです。まさかお手紙をお渡しになってお返事をいただく短時間で済む筈の事が、皆様お嬢様が静養中とご存知でいらっしゃるのに引き止められてしまうなんて……。立場上、口を挟めなかった私が思い切って声を掛ければ……」
「ヴァルムさん、今はお嬢様を第一に考えましょう」
「そうですね。大丈夫ですか?声は聞こえて……、いらっしゃいますね。馬車まで直ぐですから」
一瞬、太ももが激しい痛みに襲われ、呻いた所をキルさんに抱え上げられ、小芝居をするキルさんとエピさんが眉間に皺ぁ寄せて『口つぐんどきな』ってな感じに睨んで来ている。
ちっさく頷いたら二人して満足そうな顔になったんだけど、いきなり太ももに攻撃したのはどっちだい?キルさんだったら後で同じ場所を父様に貰った棒でぶっ叩く。エピさんだったら、いや、流石に一回り以上年下のお嬢ちゃんをぶっ叩くのは無理だね。まあ、多分、当たりどころと歩いてた時の位置関係から考えれば、斜め後ろ後方のキルさんが膝蹴りを叩っこんで来たんだろうけれど。
「常々『お嬢様のお体を大切にして下さい』って言ってるのに」
「静かに黙っていて下さい。周囲を味方につける為です。お詫びは後で幾らでもしますから」
一応、あたしの小声の抗議にすまなそうな顔で返してくるキルさん。内心まで悪いと思っているかは知らないけれど、普段の飄々とした感じが一切無いのが珍しい。
帰りの馬車が走り出して直ぐ、あたしは口を開いた。
「で、主役置き去りの芝居は何だったのかねぇ?大切なお嬢様に膝蹴りを叩っこんだのはどういう了見なんだい?」
「言いましたよね?話が長くなるようでしたら仮病を装って、早く返事を貰って切り上げる様にと」
「あれ?そうだったかな」
「そうだったかな?じゃありません。ウィスタリアお嬢様は殿下やレルヒエ様、幼馴染達の言動に傷付きながらも、公爵家令嬢として学園の自治の為に奔走したり、積極的な慈善活動をなさったり、学習に励んだり、公爵閣下の代理として軍に慰問に行ったりと心身ともに忙しく疲弊して倒れたという事になっているのに、健康そうな顔色で丁寧な対応をされるなんて何を考えていらっしゃるのですか?あれでは殿下方に付け入られますよ」
「うーん、適当に相手をして帰るつもりだったんだけどねぇ。ユーさんだっていつも礼儀正しい応対をするじゃあないか」
「お嬢様とシオンさんには大きな違いがあります」
「違い?ああ、精神年齢かい。そりゃあそうさね。あたしは二十六でこっちに来てかれこれ三年目だから」
「年齢ではありません。年齢という括りで考えますと、シオンさんと話していて感じるのは、エルトリアの目端の利く十代後半から二十歳そこそこと同程度と言った所です」
「はぁ?こう見えてもあたしは文化人だよ?文学だってたくさん嗜んでいるんだよぉ。岡本綺堂とか、初代圓朝とか、江戸川乱歩とか、沼正三とか、大デュマとか、ポーとか、中国四大奇書とか、今日の料理とか……」
「仰っている文学作品の内容については分かりかねますが、読書家であってもそれが人物形成にどれだけの影響を与えるかは不明ですし、読むだけなら誰でも出来るかと」
「そんな事無いよぉ。本は心の旅路だって死んだ婆さんが言っていたんだからね」
「それはそれは素晴らしいお言葉ですね。私も感動しました」
「無表情で感動とか言うんじゃぁないよ、この丸太ん棒め。お前さんみたいなのを目も鼻も口もない、のっぺらぼうみたいな丸太ん棒って……。いや、ごめん、言い過ぎた。ユーさんの事を気にして話に入ってくれたのに、丸太ん棒は言い過ぎたよ。すまないねぇ。謝るから許しておくんな」
あたしは頭をぴょんと下げた。無表情の丸太ん棒は言い過ぎだ。困った事を聞かれたのを良い事に、ユーさんが不憫だってぇ気持ちを免罪符に、あのぞろっぺぇ連の鼻っ柱をボッキボキに折る勢で、教授にあれこれ喋っちまったに違いない。そんな事をすれば、ユーさんが苦労して築き上げたユースティティア公爵令嬢のイメージは丸潰れ。それどころか、不実な王子さんに虐げられているという被害者から、生意気な口を利いて目上に歯向かう婚約者に蔑ろにされても仕方が無いと思われる側に早変わりだ。
それに、キルさんは常に冷静沈着で物事を収めようとしてくれているんだから、無表情がちなのは当然だ。大切なお嬢様のイメージがあたしにぶち壊されるなんてとんでもないし、なんだかんだ言っても未だ17歳のお坊ちゃんに気を使えないなんて、あたしの流儀に反する。
「ぷっ、うふふ、流石シオンさんです。キルハイトさんも、馬車に戻ったら謝罪されるんじゃなかったんですか?」
「エピさん?何でここで笑うのは、あたしにゃあさっぱり分からないよ」
「それは、その、謝罪する前にシオンさんが……。いえ、言い訳をしてしまい申し訳ありません。暴力を振るった事、お詫び致します。どうぞ、ご存分に罰して下さい」
「は?いや、王子さん達に言い過ぎたのはあたしだし、ただね、大切にしているお嬢さんに膝蹴り叩っこむなんてぇのは、ちょいと腑に落ちなかったからさ。あ、あとちょっと痛かったね。だけど、それだけの事でご存分にって言われても困るよ。元はと言えば、あの恋に浮かれて人の話を聞かない坊ちゃんどもの鼻ぁあかしてやりたいって気持ちがあったからね。ただもう少し穏便な方法は無かったかと思っただけで、あん時はおんなじとこを叩き返すと思ったけど、それもおかしいよね。だったら、お互い様ってぇ事で。痛かったけど、キルさんだって加減をしたんだろうから、念の為後で湿布でも貼っときゃあ痕も残らないよね」
何が楽しいのかコロコロと笑うエピさんを傍に、バツが悪そうな顔で謝罪をしてくるキルさんを押し留めて、馬車の外に目を向ければ、春の陽気に楽しそうに走り回る街の子供達が良く見える。
以前のあたしは自分の身の回りだけで手一杯だったけれど、今はウィスタリア・ユースティティアとして多くの人に影響を与えられる立場なんだよねぇ。その立場をしっかりさせておかないと、ユーさんだけじゃなくてウィスタリアとして援助が出来ている施設や領地の人達が辛い思いをする訳だ。
実に責任重大だけれど、あたしの手は二本しか無いし、出来ることはするけれど、出来ないことはどうやっても出来ない。後四年弱はウィスタリアとして出来る限り自分が納得のいく事をやっていくしか無いよね。
「シオンさん、何かまた面白い事を考えついたんですか?私もお手伝いします」
「エピさんは、あたしが暇さえあれば碌でもない事を考えていると思っているのなら、その認識を改めて欲しいもんだね。あたしだって人生について考える事もあるよ」
「それは失礼しました。今は何を?」
「どうやってレルお兄さんの鼻っ柱を折ってやろうかな、とね」
「それは、面白い事に分類されませんか?」
うーん、そうなのかね?若い恋愛青春坊ちゃんに『恋愛もいいけれどやる事やれ』って説きたいだけなんだけど。
「面白いかどうかは分からないけれど、残念ながらあたし自身が恋愛にトント疎いんで、可愛いお嬢さんに目が眩んでいる坊ちゃんに現実でやるべき事と、己の立場を理解しろって言いたいだけだよ。言われた方がどう思うかは分からないし、ましてやあのお年頃のお兄さんが外からやいやい言われて素直に聞くとは思えないから、その辺は爺様と父様による領地や危険地帯での実地研修という事で。で、将軍であり公爵の孫としてやる事やってくれれば、アザレさんに愛を囁こうが、大川に飛び込んで寒中水泳しようが、観音様の前で甘茶でかっぽれ踊ろうが、サンバカーニバルでヘソ出して踊ろうが、構わないんだよね。まあ、公爵家の体裁を考えりゃあ、飛び込みもダンスも人気の無い時を狙ってやっていただきたい所だけど」
「レルヒエ様には婚約者であるギプフェル伯爵令嬢がいらっしゃいますから、アザレ嬢に愛を囁くのは公爵家として見過ごせません」
「見過ごしちゃってる状態だけどね。主に父様が注意しているらしいけれど、それが実を伴って無いからギプフェル家からすれば不実極まりないユースティティア家だと思われて仕方が無いさね。当人のプリーメラ嬢もあたしに何度も注意しとくれって直接言いに来たり、手紙を貰ったりしているし、爺様や父様やあたしが言っても聞いてもらえないけれど、公爵家としては遺憾でありこちらの瑕疵としてきちんと賠償の上解消させていただきたいと申し出てもみたんだけどねぇ」
爺様と父様は忙しいんで、委任状を貰ってごめんなさいしたんだけど、プリーメラさん自体が『結婚はする。辛いからこの状況を何とかして欲しい』の一点張りで、ご面倒様な事になっている現状。ユーさんの記憶が無かったら、ルール破りの坊ちゃんなんかポイしちゃって、新しい恋を探せばいいよってな事を言っているとこだけれど、幾ら悪い野郎が相手でも、婚約解消は女性にダメージが大きくなるっていうこの世界。そう言われたら「はいそうですか、善処します」ってんで引き下がるしか出来ない。
にしても、新しい縁談の相談に乗るってまで言ったのに「わたくしはレルヒエ様を愛しています」ってな事を返された時は、あの青春お腐れ坊ちゃんのどこがいいのか事細かく聞いてみたくなったね。長くなりそうだから止めたけど。
子供の頃はとっても優しかったんですとか何とか言ってたけれど、笑顔がどうとか、真剣な顔がどうとか、言ってたから、結局の所顔なんじゃあ無いかと。顔が好み。これは強いよ。好みの顔だったら多少難があっても許せる心の余裕を持てるからね。
薄藤色の髪に菫色の目ん玉、ちょっときつめの目元のインテリ系ハンサムって分類だと思うんだけれど、ちょいとばかり生っ白いから、もうちょっと外気にあたった方が良いと思う。
◇◆少しあれな言葉説明◆◇
岡本綺堂:小説家、劇作家、翻訳家。主人公は特に半七捕物帳シリーズを愛読している設定。
初代圓朝:初代三遊亭圓朝。噺家(落語家)。敵討札所の霊験、文七元結、怪談牡丹燈篭、怪談乳房榎、真景累ヶ淵、等多くの作者であり演者。海外文学を翻訳した話もあり。幕末〜明治に活躍された噺家さんなので主人公は当然文字でしか知らないが尊敬している噺家の一人という設定。
沼正三:家畜人ヤプーの作者。覆面作家であり、複数人の合作ペンネームという説もあり。説明文も多くエログロなので、好みが分かれる。
大デュマ:アレクサンドル・デュマ・ペール。三銃士、モンテクリスト伯、王妃マルゴ等、多くの作品を残したフランスの作家。息子のデュマ・フェス(椿姫の作者)が小デュマ。
ポー:エドガー・アラン・ポー。
中国四大奇書:三国志演義、水滸伝、西遊記、金梅瓶。何故か単行本がバラバラになってしまう謎。これだけで本棚の一部が埋まる。そこに三銃士、ダルタニャン物語、ブラジュロンヌ子爵、モンテクリスト伯を並べると本棚が大変な事になるが満足感が凄い。次いでに秘曲笑傲江湖等、好きなだけ金庸を並べるとそれはもうあれな感じが凄い。
大川に飛び込んで:隅田川に飛び込んで
甘茶でかっぽれ:明治初頭の流行歌。囃子言葉。「かっぽれかっぽれ、甘茶でかっぽれ塩茶でかっぽれ」と歌いながら踊る。浅草の観音様の花まつりでは、無料で甘茶の接待を受けられる。
サンバカーニバル:浅草サンバカーニバル。2020年、2021年はコロナの為実施無し。




