あたしゃあちゃんと『ひ』って発音してるよ?
「あら、キルハイト。こんな所で何をしていらして?」
「そっくりそのままお返ししますよ、お嬢様」
キルハイト・ウルザームはシュッとしたウルザーム伯爵の三男、ユーさんより3つ年上でユーさんの付き人で学園の上級生。山葵色の真っ直ぐな肩口までの髪を首筋でくくり、緑青色の目ぇは胡散臭い笑顔に花を添えて。何やら大人の事情で、ユースティティア侯爵家派であるウルザーム伯爵家から常駐派遣状態で、ユーさんが6歳の時から、住み込みであれこれ面倒を見ているらしい。丁稚働きかね?
六年前といえば、此のお兄さんは9歳、幼い頃から大変だねえ。それでも此の世界じゃあ普通の事で、取り立てて苦労しているとは言えないらしい。
闖入者の所為でどうしましょうとこちらを伺う店員さんに、身振りでお願いと頷くと直ぐに動いてくれた。頼むよ、砂糖が無くっちゃぁ、ただのおまんまを練って固めた物になっちまうよ。
「少々、欲しい物がありましたの」
(粉屋に来て、粉ぁ買わずに何を買うんってんだい?それとも粉ん中に飛び込んで、身体中粉ぁまみれになる趣味でもあると思ってんのかい?だとしたら、お前さんが先にどうぞと言いたいね)
「それなら一言おっしゃって下されば、家の者に用意させました。お嬢様が迎えの馬車においでにならず、馬丁も侍女も護衛も心配しておりました。勝手な事をされては困ります」
「そうですわね。私の軽率な行動で皆さんに迷惑をおかけしました。今日が入学式で、気持ちが昂っていたのかも知れませんわ。次からは致しませんので、キルハイトから良い様に伝えて下さいます?」
(野暮だねえ。登校から帰宅までお見張りなんて、恐れ入谷の鬼子母神だよ。確かに、ユーさんには誰かっしらがはっついていたけどさ、12歳といやぁ小学六年生だよ?お一人さんでお遣い位出来なきゃあ、今後の人生困りものだろうよ。確かにね、此の世界はしち面倒くさいルールがあって、生まれの違いで色々制約があるってぇのは分かる。けどね、買い物位は好きにやりたいよお。
わかるよ、わかってるよ、ユーさんはお偉いさんの娘さんだから、一人でぶらぶら歩くのが拙いってぇ事位。叱られるとは思ってたけど、こんなに手早くやられるとは思わなかったよ)
「畏まりました、お嬢様。しかし此の様な真似をしてまで欲しい物とは何でしょうか?屋敷から注文するのではいけなかったのでしょうか?」
「料理される前のお米が欲しかったのですが、実物を見た事が無かったのでお店を伺いましたの。お米を使った手芸をやってみようかと」
(だから粉屋で粉ぁ買わずに茶ぁでも飲むと思ってんのかねえ。あれこれと煩い人だねえ、此のお兄いさんは。粉だよ、粉。粉屋なんだからさ。いや、粉じゃなくって米だね。しんこ細工やつまみ細工に使うんだよって、言っても分からないだろうねぇ)
「それはどちらで知ったのですか?」
「それはこちらで今、説明するべき事でしょうか?後でよろしくて?」
(はぁ?どうでもそんな事ぁどうでも良いさね、お兄いさんには関係無いよ。大体話が長くっていけないよ。一問一答してたら陽が暮れちまうよ。あたしゃあ気が短いんだよ)
「分かりました。では後でゆっくりお伺いします。さあ、戻りましょう」
「他にも欲しい物がありますの」
(いや、あたしゃあ蒸し器と石臼も買うんだよ)
「お嬢様、皆を心配させないでいただけますか?」
「それは分かっておりますけど、ただ後二つ程欲しい物を買うだけですのよ。私も学園に入学出来る程の歳になりましたの。自分の事は自分でやってみたいと思うのはおかしゅうございますか?」
(嫌だよ、買うったら買うんだよ。善は急げ、思い立ったが吉日っていうだろう?あたしゃあよーく分かったよ。ユーさんの自由はこれっぱかりも無いんだから、ここで引いたら、今後もそれで続くよ。不退転の決意ってやつさね)
「はあ、一体今日はどうされてしまったのですか?雑事などお嬢様の将来に必要ありません。逆に使用人の仕事を奪う行動であり、女主人となられる方が行う行為ではありません。お嬢様は高貴なる方の婚約者候補でもいらっしゃいます。此の様な事をされていては…」
ぱん、と手を叩けば、キルハイトのお兄いさんがほんのちょいとばかり驚いた顔になった。いやあ、話が長くて殆ど表情が変わらない人の相手をするのは面倒でいけないよ。
「その殿下は私の事など気にしていらっしゃいませんわ。確かに、彼の方と私は立場が違いますが、少なくとも私は必要とされる義務を果たしておりますわ。私の些少な空き時間を好きな様に使って何が悪いのでしょうか?確かに、誰にも伝えず単独行動した事については、間違っていたと認めます。ですけれど、城下町の比較的安全と言われる場所の行動に制限を付けられるのは納得いきませんわね。聡明なる陛下が治める王都の城下町で、買い物をするだけですのよ?」
(その高貴なるお坊ちゃんは、お貴族様のルールもユーさんも無視して、お仲間さんと可愛いお嬢ちゃんとはっついてるんだから、手前ばっかり気ぃ使うのはおかしいじゃないか。お天道さんが許しても、此のあたしが許さないよ。こっちだって好きな事をやって何が悪いんだい?あたしゃあ、不公平ってぇのが嫌いなんだ。勝手な事ばっかり抜かしてると、土手っ腹に風穴ぁ空けて、汽車ぁたたっこむよ?あのお坊ちゃん達をぐるりと並べてトンネル開けたら、王子さんが東京で、ユーさんのお兄いさんが田端、騎士の坊ちゃんが新宿ってぇとこかねえ。紅一点のお嬢ちゃんだって、容赦ぁしないよ。男女平等ってぇ事で、そうだねえ、日暮里は問屋街、舎人ライナー御発着と行こうかね)
「それは…、そうですが…」
「ではキルハイト、私の身の安全を守る為に、買い物について来て下さいましね。宜しいかしら?」
「畏まりました。ただ、行き先を護衛に伝え、合流する事は許して頂きます」
「勿論ですわ」
勝った!あたしゃあ勝ったよ!ざまぁみやがれってんだよ、べらぼうめ。これからは我慢しないウィスタリアでいくんだよっ!
「では、石臼、薬研、蒸し器と鍋、焜炉か火鉢、出来れば長火鉢が欲しいのですけれど、どちらで扱っているかご存知?」
「その様な物を、何にお使いになるのですか?また、コンロは分かりますが、しばち、とは何でしょうか?」
「手芸に使いますのよ。説明は後程すると申しましたでしょう?それから、しばち、では無く、火鉢ですわ」
(だから後で話すって言ってるじゃないのさ。全く、何でもかんでも聞くんじゃないよ。それと、誰がしばちなんて言ったんだい?あたしゃあ火鉢って言ったんだよ)
「石臼と薬研は粉にするのに、蒸し器と鍋とコンロはそれを蒸すのにお使いになるのでしょうが、出来れば良いしばちと言うのが…」
「ですから、火鉢ですわ。しばちなんて言っておりません。陽で使われていると思うのですが、小さなチェストにコンロが付いた物ですの。陽の家具を扱っているお店で、大きさを直接見たいのよ」
「僭越ですがお嬢様、先程からしばちしばちと連呼しておられますが…」
「連呼しておりません。その様に聞こえるだけではありませんの?気にしないでお店に案内していただける?」
「畏まりました。順番にご案内します」
「お願いね」
はあ、何とか話が通じたよ。ユーさんの事を心配するのは分かるけど、過保護すぎやしないかい?それと、あたしはちゃあんと火鉢って言ってるよ。全く、どうも、これだからいけないね。ユーさん変換機能が働いても、エルトリアに無いもんはあたしの言葉通りにしか説明出来ないってこった。
◇◆ちょっとアレな言葉説明◆◇
丁稚;商家(販売、飲食)で年季奉公(数年以上の勤務契約)をする子供。
おまんま;ご飯。白飯。
お店頭さん;太陽。
べらぼうめ;罵り言葉。言葉の流れ調子で強調の意味や、テンポを合わせる為に付ける事も。今回はそれで主人公は罵倒ではなく、ザマアミロに対して勢いでベラボウメと続けている。ザマアミロも相手に対してではなく、状況に対しての言葉。
薬研;薬剤をすり潰したり粉末にする器具。勿論、穀物も粉末化出来る。
長火鉢;長方形の木製の箱に正方形の銅の炉を組み込み、右側と下部に引き出しをつけた火鉢。
ひばちがしばち;『ひ』を『し』と発音する為。本人は「ひばち」と言っている(つもり)。追求されなければ、問題無く会話は続く。しなまつり(ひな祭り)、しおしがり(潮干狩り)、しがし(東)、おしるご飯(お昼ご飯)等。しな祭りのおしなさんにしし餅買って来たよ、と毎年言われた……婆ちゃん……。