護衛のお兄さんとは気楽に話せるよぉ
東飛鳥っと。で、ここにシーリングワックスを垂らして、印璽をぐりぐりっと押し付けりゃあ、実印登録ならぬ、印璽登録用紙の完成。役所のお支払いといえば収入印紙だけれど、エルトリアではニコニコ現金払いだ。
手数料は結構高いけれど、本人証明っていう重要な事が手軽に出来なんてあっちゃダメだからね。もし、本人は悪く無いのに悪用された場合、役所もきちんと補償をしてくれるんだってんだから保険みたいなもんだよね。その本人が悪く無いのにって言うのをどうやって判断するのかは分からないけれどさ。死んだ婆さんが『保険屋なんて詐欺師の手前みたいなもんが多いんだから、この人だって信じられる人に担当して貰わないとダメだよ』何てぇ疑り深いというか、保険屋さんに失礼というか、何とも言えない事を言っていたけれど、あちらさんも仕事なんだから互助会システムとはいえ、儲け無しで出来る訳もなく。
結局のところ、自分に何が必要で何が要らないのかをきちんと決められる様にならないといけないよ、と思ったね。婆さんが信用している保険屋のお姉ちゃんが婆さんに要らない特約モリモリで『お得な新プランですぅ』と持って来たのを見て。何で棺桶に片足突っ込みかけた婆さんが、モンサンミッシェルを見に行くのかね?『旅行特約もついてお得ですよぉ。私、去年モンサンミッシェルを見て感動しました。藤のおばあちゃんも是非一度見に行って下さい』だと。モンサンミッシェルは良い所だよ。本当に良い所だけれど、体力も落ちている年寄りの婆さんが行くところじゃあ無い。
婆さんが乗るとしたら飛行機じゃなくて、爺さんと一緒に顎足付きの日帰りぽっぽバスの旅か、最悪三途の川の渡し船ってとこで、どっちの乗車賃も残して置いていただきたい。まあ、あたしが稼げる様になってからは爺さんと旅費をどっちが出すかの攻防を繰り広げたっけね。『こちとら新進気鋭の学生彫金師として仕事が安定して入って来ている!』って言えば、『尻に殻を付けたヒヨッコが!お前なんぞまだまだ儂の万分の一も稼げとらんわ!』と。いやね、流石に万分の一は言い過ぎというかね、少ないより多い方が良いとは思うけれどさ。
で、その後、組合やらの会合やら得意先で、カリメロとか呼ばれる様になって……。笑顔で言ってくるから、可愛らしい愛称なのかと思いつつ、インターネットで調べた。で、爺さんと口喧嘩だ。お互い手は出さない。あっちからすりゃあ、可愛い女孫だし、こっちからすりゃあ、棺桶に片足突っ込んでるジジイだから。
後はあれだ、年金貯金保険。既に年金もらう歳だってのに、『一時払い型なら入れますしお孫さんにも残せますよ』と来たもんだ。いやね、それを必要としている人もいるだろうけれど、うちの婆さんにゃあ要らないよ。
「飛鳥、凄く面白い顔しているぞ」
公爵家も取引している信用第一の投資信託やら小切手やらを扱っている商会の応接室で、書類の登録待ちをしている間に出来る事と言えば、出されたお茶を飲むか菓子を食べるか、あれこれに考えるか位しか無いじゃないか。ねえ。
で、人間あれこ考えたら、そりゃあ顔にも出るよ。そう言うのはダメってな教育を受けていなければ。
「よくまあ、半分隠れているのに凄く面白いと言えたもんだ」
「相変わらず口が悪いな」
「ルーストさんも悪いからね、お互い様ですよ」
「お二人はいつの間にか仲良くなられていたのですね」
「あたしが外に出る時に、一番お世話になっているからね。露天の出てる広場のベンチで背中合わせで昼休憩を取ったりするし。で、こそこそ話をしてたらこうなったよ」
「飛鳥は暇さえあれば面倒を起こすからな」
「面倒なんぞ起こしてません。向こうからやって来るんだよぉ」
「だからその見た目はやりすぎだって言っただろうが。少しずつ治療して治ったって言って見た目をよくすれば絡まれる回数も減るだろう」
「何度も言ってるじゃあないか。念には念を入れ、だよ。良いんだよぉ、しつっこく絡まれた時はルーストさんが後から締め上げてくれるし。人を見た目であれこれ言うやつぁ、少し痛い目を見た方が良いんだ。コツコツそうやって締め上げた結果、今はあんまり絡まれなくなったし、良い傾向だよぉ」
あたしの言葉に気不味そうに顔を見合わせるお二人さん。メリットを沢山あげた上に実際にそれが友好的に働いているっていう実績を積み上げているってのに、、女性の顔にわざわざ傷痕があるってな偽装とそれについて外野から嫌がらせをされるってのがとことん気に入らないらしい。
まあね、顔に傷があったら絶望して儚くなっちまうってな価値観のお二人さんからすれば、あたしのやっている事は気違い沙汰ってのも分かっている。分かっているからこそ、有効な手段だってのも分かっている。あたしの理論武装は完璧だよ。憐れみや蔑みや嘲りを受けた所で、あたしとその周囲に実害が無けりゃあどうでも良いしね。
登録完了って事で大切な書類を渡されたんで、そのままキルさんに渡して余っていたお菓子を手拭いに包んでいたら、あちらさんにもこちらのお二人さんにも何とも言えない風情ある表情を向けられた。いやだって、お前さん達おもてなしの余ったお菓子を平気で捨てるじゃあないか。口を付けたんなら仕方が無いけれど、置いてあっただけのやつを捨てたら勿体無いよ。
残った物をお手伝いさんに下げ渡すって事もあるけれど、飛鳥の残りもんは廃棄される運命だ。事情を知らない人から見れば、汚い顔の異国の平民に出したもんの残りもんはとっとと捨てるのが当然ってとこだよね。
なんだかんだでお昼の時間を結構過ぎてしまっている。
「手続きに付き合って貰ったんで、どこぞで昼食でもご馳走したいとこなんだけれど、この御面相だとレストランにはちょっと入れないから、適当な露店とベンチで良いかねぇ」
「東さんでも入れる食堂がありますよ。寧ろそこを知っておくべきだと思います。ルースト卿、傭兵組合の食堂には未だ行かれていないんですよね?」
「あ、ああ。そうか、そうだな。あそこなら大丈夫だ。お嬢様には無理だが、護衛ありの飛鳥なら入れるな」
どういう事さね。ひっくり返ってもユーさんはダメで、付き添いありの飛鳥なら平気ってのは。じゃあ、単独の傷無し魔道具での色変えあたしなら入れるのかね?
「何を考えていらっしゃるのかはお聞きしませんが、シオン様単独も無理ですよ」
「エスパーかい?あたしの考えをズバリあてんじゃぁないよ。思ってもお腹ん中にしまっときな」
「しまって置いた場合、確実に実行しそうなので注意したまでです」
結構長く付き合っているのにキルさんからの信用度は低い様だね。おっかしいねぇ、親切丁寧勤勉実直、お客様から高直なもんを預かって作業する安心と信頼の彫金師なのに。
やっぱりあれかね、国も世界も違うからだね、という事にしておこう。ユーさんの記憶と照らし合わせてしまうと、あたしが生き辛くなってしまうから。
傭兵組合ってのは、大きなものは戦争、小さなものはちょっとした村の小競り合いまで、武器と腕力で物事にアプローチする連中を斡旋したり、継続して傭兵になりたい人や腕っぷしに自信があって兼業で仕事が欲しい人が登録する場所だ。軍人の家に生まれたユーさんも知識としては知っているものの、実際に関わり合いになる事は無かったので当然組合自体どこにあるかも知らない。
やたらと悪い目付きをしたルーストさんの前をキルさんと並んで歩く。悪い目付きはあたしが絡まれない様にってとこなんだろうけれど、毎回ご面倒をお掛けして申し訳ないと思う。会話の中で知ったんだけれど、子爵家の次男で家は長男が継ぐから若くして爺様の軍に入って功績をあげて、今は一代限りの勲功爵、要は騎士になったんだそうで。で、独身。一代限りだと世襲出来ないからってんで貴族のお嬢様方にはあんまり人気が無いとか何とか聞いたけれど、安全な国内のみの警備をする騎士でなくて実戦バリバリの爺様の軍に所属している上に、ドーベルマンみたいな顔つきをしているのもそれに拍車をかけているんじゃあないのかねぇ。
少なくとも、あたしの警護をしてくれている時は、いっつも剣呑な目付きで『視界に入って触ったら斬る』みたいな感じだし。
またろくでもない事を考えていませんか?ってな事をエスパーキルさんに聞かれつつ、到着した傭兵組合はゴリゴリマッチョの巣窟、でもなく、ひょろひょろのお兄さんや堅気の商人さんってな見てくれの人達がいっぱいいた。




