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【別視点】キルハイトの当惑【従者side】

 当主様と若当主様を味方に付けた、つまり、ユースティティア公爵家の守護を得たシオン様は、それまで隠していた言動や品物を出しても良いと判断した時や場所で、堂々と表に出して動き回るようになった。

 エピナート嬢は「最初は驚いたけれども、お嬢様は女神の加護で守られているのだし、代わりに苦難を乗り越えていただくのがシオン様で良かったです」と、気楽に考えている様子も見られて、このままでは二人揃って何かの罠に嵌められてしまうのでは無いかと心配で堪らない。


 シオン様は「あたしゃあ居職の人間なんで、体ぁ動かすのは苦手だよ」とおっしゃるのだが、実際はやれる事は何でもやるし、先ずは動いてから考える様に見えて危なっかしい。

 転生の事情を聞く前から、お嬢様のふりをして乗馬を始め騎乗で登下校をしたり、保護施設の入所者の手に仕事をつける為の準備をしたり、秦華国や陽国の商品を扱う商会に行ってあれこれ見て回ったり、使わなくなって保管してあった金属類を持ち出して自室に仕舞い込んだり、廃棄する予定のリネン類や布地を溜め込んだりとあれこれ作業して、当主様の承認を得ればすぐにでも動ける体制を作っていたのは素晴らしい手腕だけれど、それらは私や当主様に知られていた事も「そうだろうねえ。けれど黙って様子見していたみたいだから、言われるまでは放っておけば良いと思ってたよ」と危機感に欠ける。


 作業の手伝いをしながらあれこれ聞けば、シオン様の生まれた世界では、魔獣や魔物といった脅威は無く、戦争もしている国はあっても所属している国は戦争を放棄していて防衛の為の戦力しか持たず、では攻められるだけでは無いかと聞けば「いやあ、色々あるんだよぉ、大人の事情が。だから攻めて来ない」と理由になっていない返事をなさった上で、「結局の所、あたしの国は安全な水と平和はただなんだよってぇ意識もせずに生きてる人も多いんじゃないかねぇ」とケタケタと奇妙な笑い声を上げたので、しっかりと注意させていただいた。

 いただいたけれど、ケタケタ笑うお嬢様の恐怖はその夜、悪夢となって夢に出て来た。


「各保護施設での経費の流れを確認しました」


 保護施設で出来る手作業の指導の合間に、各施設の職員や下働き、出入りの商人とあれこれ話をしたシオン様は、私にどこからどれくらいの寄付があるのか、それはどの様に使われているのかを調べて欲しいと仰って来た。

 俺としては、保護施設は貴族として運営する非営利の施設なのだから、過不足が無ければ問題無いと思っていたのだけれど、ユースティティア家からすれば倍以上の経費が掛かっても慈善事業だから仕方が無いと、平気で出資出来るだろうけれど無駄な助けは自立を妨げると力強く言い切り、「調べてくれなかったらシュザームさん連れて来てカンカンノウを踊らせる」とお得意の訳の分からない事を言い出した。


 その場の勢いで変な事を言うシオン様なので、「どうぞご勝手に」と返してお嬢様の財産の出納帳を確認していたら、シオン様の事情を知っている数少ない者の一人、当主様の直下で軍の隊長をなさっているライデル・ルースト卿がシュザーム・シュティーレルさんと連れ立って部屋に来て、ルースト卿が操る様にシュティーレルさんを動かし始め、その後でシオン様が満面の笑みで手を叩きながら恐ろしげな呪文を唱え始めた。


「かんかんのう はぁ きゅうれんすぅ きゅう はぁ きゅうれんすぅ さんしょならぇえぇ さあいほうぉ」

「分かりました、分かりましたから、調べますから。ルースト卿、シュティーレルさんも、何故この様な訳の分からない事に参加されているのですか?」

「俺はユースティティア将軍にウィスタリアお嬢様にお仕えする様に、シオン嬢の願いを聞いて欲しいと頼まれているからな」

「シオン様はお嬢様を守っておられる守護天使でいらっしゃいます。訳の分からない様な事でも、きっと深遠な理由がおありなのでしょう」

「いえ、無いと思うのですが…」


 二人の後で、シオン様がお腹を押さえて座り込み、顔を顰めて肩を震わせている。笑いを堪えているに違いない。

 これ以来、シオン嬢に対するルースト卿とシュティーレルさんの態度は『異世界の得体の知れない相手だが、女神の加護を受けていてお嬢様を守る存在』から、『お嬢様を守る仲間であり、明るく冗談が通じる女性』に変わった様だった。

 それだけなら良いのだけれど、俺に対して話が通らないと感じると「シュザームさんにカンカンノウを踊らせる」と言い出す様になり、断った場合、しっかり室内に確保しておかないとするりと抜け出してシュティーレルさんを探しに行くので面倒だ。


 別の日には「しんこ細工を売りに行く」と言い出して、小さな火鉢の上にボウルをセットした物を自慢げに披露された。


「しんこ細工専用()鉢。この中に生地を入れて弱火で温めておけば、固まらずに目の前で細工出来るんだよ」

「専用かどうかは知りませんが、家具と鋳物の注文に一緒に参りましたので、勿体ぶって出されなくとも結構です」

「それでだねぇ、シャフト式の自転車を一つ貸しておくれな」

「シャフト式自転車ですか?」

「使用人さん達が使ってるのを見たよ。馬房の横の納屋にペダル式とシャフト式の自転車が並んでいるのも確認してるんだ。一台で良いんだよ、貸しておくれな」

「何をなさるおつもりですか?」

「何をなさるも何も、この専用火鉢、シャフト式自転車、そして販売、とくれば」

「ろくな事になりませんね」

「信用が無いねぇ。あたしゃあこう見えてもキルハイト坊ちゃんより十一歳も年上の職業婦人だよ?ちゃんとユーさんってバレないように変装も考えたから安心して外に出して欲しいね。市場調査も兼ねて、手先の器用な連中に教えたとして、活計(たつき)の道になるか知りたいんだよ」

「どんな変装ですか?」

「ほっかむり。こうやって髪を纏めて手ぬぐいで覆って、短めのベールを被れば」

「頭を全部覆って、顎の下でスカーフを結ばないで下さい。おかしな人と思われて、不信人物として警備隊に声を掛けられますよ。それで、ユースティティア令嬢が露天をしていたと分かったら醜聞になります」

「えー、心が狭いねぇ。爺様はやって良いって言ったよ?」

「は⁉︎ 当主様がお許しになったのですか?」

「自転車の荷台に火鉢をくくしつけて、前に必要な道具入れて、城下町の安い露店が集まっている所の空いている場所なら誰でも大丈夫だって、許可証も貰って来たよ。あとこれ、着けてけって」


 シオン様は露天の許可証と、自転車によるしんこ細工販売図と、魔法石の付いた指輪を出して自慢げに見せてくる。


「これ、なんの指輪か知っていますか?」

「知らないよ。身分証明書かなんかかねぇ?」


 見た方が早いと思い受け取って小指を通すと、シオン様がヒュッと息を呑んだ。一瞬で俺の髪と瞳が茶色に変わった筈だ。自分でも髪を視界に入れて確認する。


「髪と瞳の色を変える魔道具です。当主様は軍の諜報員も使われていますし、戦いとなれば目立たぬ様に魔道具で変装する事もありますからね。強い魔力持ちには効きませんが、常に感知魔法を展開されているのでなければ気付かれませんよ」

「へぇ、便利なもんだねぇ。これなら暑っ苦しい思いをしなくて済むね。それに、誘拐やらなんやらのトラブルも抑えられるし、もしあのぞろっぺぇ連に会っても気がつかれないか、別人のフリが出来るよ。よし、じゃあ使っても良い自転車を教えとくれ」

「教えたらどうなさるおつもりですか?」

「一人で売りに行くけど?」

「予想はしましたが、やめて下さい。大体、当主様がお許しになりません」

「爺様には許可を貰ったって言ったよね?お屋敷の裏門を出て、どこを通ってどこで売るかまで指示されたけれどね。誰かっしら監視がついてるんじゃぁないかね。手間を掛けさせるのは申し訳ないけれど、爺様は自分の大切な孫の為に他所のお嬢さんであるあたしが身代わりになっている事が気になるんだって言っていたよ。あたしにも大切な仕事や生活や人間関係があって、女神さんにおっ死んじまう寸前に助けて貰ったとしても、その恩が六年間丸々別人としての異世界暮らしってのは心苦しいんだそうだよ。だからね、あたしゃあユーさんの爺様は大好きだし義理は通す。そこはちゃーんと踏まえて行動するから安心、は、出来ないだろうけれど、爺様の判断を信用して納得しておくれな」


 にこりと微笑むお嬢様の表情は俺の良く知っている物だけれど、その表情を形作っているのはお嬢様では無くて、たった一人この世界にやって来た異界の稀人(まれびと)

 身分差も戦いも魔法も無い世界からやって来て、お嬢様の記憶と身に付けた能力を武器に一年間様子見をして、一人で考えて行動して一番最初に生殺与奪の権利を持っている相手に、彼方の世界の最大限の謝罪をして全てを打ち明けた。

 エルトリアで二十六歳といえば、多数の人間の命を握る者、大きな商売を行う者、一家全ての責任を持つ者、策謀の渦中にいる者といった、経験を積んだ大人で自分の子供の縁談も考える位の年頃だ。しかし、シオン様の出身国では国民はみんな平等で、二十歳になれば成人とみなされるものの、まだまだ親の庇護を受けて学ぶ者の方が多いという。小さな子供も好きな仕事に向けて学ぶ場所を選ぶ事が権利として存在し、仕事を継いで欲しいという親の希望が提示されても、子供がそれを断っても良く多彩な職業が選べるという環境。


 俺は笑いながら「キルハイト坊ちゃんより十一歳も年上だからね」と言うシオン様に嫌悪感を持っていた。大切なお嬢様の心痛を見抜けなかった自分が不甲斐ないと思いつつも、こんなおかしな異世界人を送り込んだ女神様を恨んだりもした。そして、お嬢様の身代わりをするのだから、完璧であって当然だと思っていた。

 けれど、それはこちらの勝手な言い分で、シオン様からすれば確かに女神様に助けられたけれど、根本的に異なる未知の場所で情報はあるけれど知らない人物に成りすまして危機を乗り越えろと命令された事になる。


「何か考え込んでいる様だけれど、あんまり顰めっつらばっかりしていると、その表情で顔が固まっちまうよぉ。あたしの世界でお医者さんが言ってたんだけれどね、人間、面白かろうが辛かろうが腹立たしかろうが、表情だけでも笑顔になっていると頭が『今笑ってるから楽しいのかな?』って勘違いするんだと。それでね、人間笑うと悪い気分が良くなるらしいよ」

「そう、ですか?」

「そうらしいね。偉いお医者さんやらの研究だから合っていると思うけれど、ま、それはそれとしても人間笑ってる方が良いよ。無理に笑えとは言わないけれどね、疲れてるなーって思ったら手ぇで両側のほっぺをぐって引き上げて擬似笑顔を作っても良いらしいから、気が向いたらやってみるといいよぉ」


 事情を知らない家人に話し方がおかしいと思われてはいけないという事は分かっているけれど、ついつい自分の話し方をしたいとこそこそ小声で話し掛けてくるシオン様が「こう」と言いながらお嬢様の両頬をぐっと持ち上げた。

 令嬢のやる事ではありませんと注意するつもりが、何となく笑ってしまい少し悔しい。こうやって明るくズケズケと踏み込んで来るのが鬱陶しかったのに、いつの間にかシオン様だから仕方が無いと思っている自分に気がついた。


 じゃあ、ちょっくら出掛けてくるねと荷台に火鉢を括り付け、颯爽と自転車を乗りこなして出て行くシオン様の後を、下働きにしか見えない三人が自転車で追走して出て行った。当主様肝煎りの見張りが着いているのなら、お嬢様のお体に危険は無いだろう。けれど。


 何をやらかすか分からないシオン様に着いていきたいと強く思うが、お嬢様の従者である俺が側にいては折角の変装が台無しだ。


 何だかモヤモヤした気持ちのまま、仕事をしていると時間が経つのが長く感じる。シオン様の先導で新しく開館する小さな子供をもつ母親の為のサロンの書類を纏めていると晴々とした顔をしたシオン様が帰宅した。

 シンコザイクはよく売れたらしい。途中ゴロツキに絡まれたけれど自警団が来て回収してくれたとか、天馬(ペガサス)一角獣(ユニコーン)だったら天馬が売れるとか、西洋型と東洋型だったら西洋型のドラゴンの方が売れるとか、この世界には存在しない魚は女の子に人気だとか、嬉しそうに話しかけてくるのは良いけれど、細かい計算をしている人間に対してする事だろうか……。


「あ、なんか邪魔したね。ごめんよ」


 既に遅い。


「お詫びに金魚を作って差し上げるよ」


 頼んでいない。


 頼んでいないのに、楽しそうに串に生地を丸くつけて「これは不思議な金魚の卵。卵から金魚が生まれます。御用とお急ぎのない方はゆっくりと見ておいで。見るは法楽、見らるるは因果、夜目遠目笠の内、丸い卵は刻々と変化して、水の中をゆらありゆらりと靡く、赤く綺麗なドレスを纏った金魚に大変身」と手元を見ながら喋りつつ、あっという間に赤くて美しい鰭が広がった魚を作り出した。


 その後、「貧乏暇なしだよ。あたしゃ面倒は大嫌いだ」と言いながらあれこれ忙しくしつつ仕事を更に増やし、「これだけ色々やっとけば、ユーさんも気にいる事が一つっくらいあるよねえ。後はどんな事を用意しておけばいいかねえ」と呟いていた。どうやら、一番大切な事は覚えているらしい。

 ただ、お嬢様とは性格も価値観も全く違うので、その『色々やった』事と今後やる事の中に、お嬢様が気にいる物があるかどうかは分からないのだけれど。

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[一言] (*´・ω・)っ[胃薬] 常識人で完璧主義寄りの気ぃ遣いの人は、割りを食う。 コメディ世界では不文律であり世界生成の掟なのでふ。…あれ、コメディだっけこの作品。いやでも銀髪の深窓のお嬢様が江…
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