粋で鯔背な渋ジジイと渋オジサン
お茶を飲み終わって、クローゼットからもう使わず、且つ他所にまわすあてのないドレスを一着引っ張り出して刺繍セットからハサミを出して有無を言わせず目分量で三センチ四方の布をどんどん切っていく。
切り始めに二人が止めたので「お裁縫のお浚いに使いますの」と言えば、不審そうな顔をしつつも下がってくれた。延々切っていたら、ハサミを二丁調達して来て「お手伝い致します」なんて言ってくれたので、更にドレスを二着引っ張り出した。良いねぇ、良いよぉ。大量の摘み細工用の布が出来ていくよぉ。
さっきクローゼットを見渡した時には気がつかなかったけれど、ドレスを物色している時に大事な道具袋ちゃんが一番奥に目立たないようにチーンと鎮座ぁましましてたからね、一番の憂いは晴れた。日本のお米には劣る様だが、こちらの米は手に入ったものの、特注長火鉢の納品を待たないといけないので、細工用の澱粉のりを作れないからね、せめて布の用意だけはしておく。
孤児院や救護院にいる人達に作業を覚えて貰って、各自に向いた商品を作る仕事を身につけて貰う。単身の労働者の権利は弱いから、地位のあるユーさんがそれを纏める問屋の代表権、広告塔になって、実務は信用出来る社員を雇えば居場所の一つを作る事が出来る。六年後に戻ってきたユーさんが会社運営は向いていないと感じても、きちんとした会社になっていれば買い取ってくれる相手もいるからお金になる。
他の居場所も追々考えるけど、職人のあたしが一番得意とする分野は物を作って売り込む事だからね。やれる所からやっていかないと。
チョキチョキと三挺のハサミの音が鳴り響き、時々カップに手を伸ばしてお茶を飲むあたしを、ウルザーム坊ちゃんがチラチラと眺める。ユーさんはお茶を飲みながら他の事をしないみたいだから気になるんだろうけれど、自分のペースで作業しないと落ち着かないので何も言って来ないからそのままにしておこう。
「お嬢様、お裁縫のお浚いは宜しいのですが、この様に小さく切ってしまって大丈夫なのでしょうか?」
「ええ、可愛いアクセサリーになりますわ」
「一体どこで覚えたのですか?お嬢様の事は最低でも私とエピナートのどちらかが知っている筈なのに」
「あら、わたくしが今まで読んだ本を全て熟知しているとまではいかないでしょう?」
「お嬢様がお読みになった本は全て目を通しております」
はぁ?ちょいと、このお坊ちゃん真面じゃ無いよ。確かにユーさんの影に坊ちゃんと嬢ちゃんありってぇ感じだったけど、己の時間を主人の為に使いすぎだよ。
「そうでしょうか?二人がいつもわたくしの事を気にしてくれていても、行動全てを把握していると断言は出来ません。わたくししか招待されない場所もありますし、わたくしが全ての事を二人に話している訳でもありません。王妃殿下とのお茶会等、外部に詳細を漏らしてはいけない事もありますでしょう」
(と言ってもねえ、常びったりってぇ訳にはいかないよ。ユーさんは婚約者候補だから大っぴらにしていない内容も王妃さんと話したりしていて、幾ら専属の侍従とやらだって一緒にいられない事もあるからね。まあ、大した事は話ちゃあいないみたいなんだけれど、勿体ぶるのも重要な事さね)
「ですが、ウィスタリアはキルハイトとエピナートを誰よりも信頼しています。貴方達二人は、今後何があっても最後までウィスタリアの味方だと信じています」
(だからこれだけは伝えておかないといけないよ。ユーさんの心が折れた瞬間まで、この二人がユーさんを裏切った記憶は一切無いし、ユーさんは二人を信じていた。だからあたしじゃあなくてユーさんだ)
「「お嬢様」」
「ですから、わたくしが余程の大問題を起こしそうでない限り、見守っていただけませんか?」
(ユーさんが信じている二人なら、やっちゃぁいけない事のアドバイスを貰うのに最適だよぉ)
「畏まりました」
「私に出来る事は何でもお申し付け下さい」
「ありがとう、二人とも」
フヘッっと笑えば、何故か潤んだ目の二人。いや、あの、信頼してるのはユーさんで、あたしからすれば信頼も何も、大切なご主人を隠すインチキ女神さんの片棒を担がされている立場になっちまっているあたしってぇ存在を二人が知った場合、どう出るか戦々恐々としてるんだけれどね。
そうなったら全力で女神さんに全責任があると言い張るけどさ。実際そうだし。
山盛り切り出したツマミ細工用の布と、まだまだたっぷり切り取れるドレスを長持ちに入れ、エピ嬢ちゃんが手の空いている時に、飾りのレースなんぞを取り外しておいてくれる様に頼む。ツマミ細工に向かない部分でも、飾りやら何やらに使えるし、お高い素材を無駄にするのは職人魂が許さない。
ついでに、要らない布っきれがあれば持って来て、やっぱり正方形に切るのも頼む。初心者に商品になる素材をいきなり使わせるなんざぁ勿体ないよ。先ずは練習、上達したら綺麗な布を扱えるって事になれば、やっぱり早く上達したくなるのが人情ってもんだ。お金にもなるしね。
要らないドレスを使うから材料費を気にする必要は無い、何てぇ事を考えるのは拙い。物には必ず原価がある。商売をするのならただで手に入る物が無かったら作れません、ってぇ訳にはいかないからね。今度布を扱っている店も覗かないと。
それからピンセット。作業する人数分必要だ。澱粉のりは長火鉢が届いたら煮るとして、安価な練習用の糊もいるし、その後、特に手先が器用な連中には彫金を教えても良い。と言っても、あたしもまだまだ修行中だ。この世界には無いデザインを一緒に作って、登録商標みたいにしてみたいねえ。夢が広がるよ。
最終的にはあたしがいなくなって、ユーさんが戻るんだからあたしの技術を持ったユーさんという存在は無くなる。だから、あたしの出来る技術をユーさんを裏切らないとあたしが思える相手に伝えていかないといけないさね。
箇条書きに書き出していると、ウルザームの坊ちゃんがピンセットみたいな金属製の工具リストを指さした。
「お嬢様、これはいけません」
「どうしてかしら?」
「金属は売れます。貸し出しをなさ「わかりました」」
紛失という形での盗難が起きると。
「ですが、これが無いと作業になりませんの。注文する時に通し番号をつけて貰って、誰が何番の物を使っているか確認する形をとれば盗難防止になりますわね。その際、配布と回収の責任者を決めて、紛失した場合の責任の所在をはっきりさせましょう」
「責任者が貸し出しと返却して、数だけ確認すれば良いのではないですか?」
「いいえ、一人一つ、同じ物を使う事に意義があります。道具は使い込めば使い込む程、個人の癖がついて使い易くなりますし、将来、自立する時の贈り物にしたいのです。目的が多数あれば、やる気も出ますでしょう?」
お二人さんの顔から驚きが感じられるんだけれど、確かに12歳のユーさんが言い出す事じゃあない。けれど、二人ともあたしのお願いをきいてくれて、疑問を口に出したりはしなかった。
ーーーーーー
「時にレルヒエ、知人から聞いたのだが」
ぶふ。
危ない、危ない、ちょいとばかり笑いが漏れかけたよ。時にと来たら、次に来るのは八つぁんだよ。『時に八っつぁん、菜は召し上がるかね?』『菜はいけねぇ、断ちもんだ』
ユーさんは5歳の時に母親を亡くしているから、夕食の席についているのはユースティティア侯爵の爺さん、ユースティティア侯爵子息の父さん、レルヒエのお兄さんと自分の四人。爺さんは志ん生師匠に、父さんは彦六の正蔵師匠の若い頃に似て、恰幅の良い人好きのする小父さんと、シュッとして鯔背なお兄さんといった所かねえ。良いよ、素敵だよ、かっこいいねえ。どちらの師匠も生まれる前におっ死んでるから、写真でしか知らないけどさ。
何と言っても髪が黒と茶色、目ん玉が二人とも茶色ってぇのが良いよ。黒とか茶色は落ち着くさね。学校でキラキラの色とりどりを見たから、嬉しさ万倍だ。にしても、ユーさんもレルヒエのお兄さんも色味は見事にお母さん似だね。顔付きはキリッとしてて似てるけど。
そんな志ん生爺さんから、小さん師匠ばりの『時に八っつあん』ならぬ『時にレルヒエ』と出て来たらねえ。丁度おまんま食べるのに下ぁ向いてたから助かったけど、肩が震えたせいなのか、爺さんと父さんが優しい微笑みを浮かべてこっちを見ている。いや、笑っただけですし、ユーさんだったらショックだろうけど、あたしからすれば12歳の坊ちゃんとちびっ子仲間達が集まって、キャッキャやってても楽しそうで良かったねぇ、さあ、お小遣いをあげるから此れで大学芋でも食べといでって所だよ。
あたしが笑いを漏らしたせいで、話が止まっちまって、何だかちょいと気まずい雰囲気だけれど、爺さんがまた威厳のある顔でレルヒエのお兄さんを見据えた。渋いねぇ。粋だよ。
「時にレルヒエ、知人から聞いたのだが、入学式でウィスを一人きりにさせたそうだな」
今度は耐えた。あたしゃあ耐えたよ。何でそこからやり直すんだと思ったけれども、耐えたね。うん。
「わざと一人にしてしまったのではありません。ウィスには殿下が居られますし、頼まれもしなかったので」
「オルクス殿下にとってウィスは婚約者候補の一人に過ぎん。儂らがいつも通り訓練で入学式に出られないのは知っていただろう?上級生でたった一人の兄であるお前がエスコートせずにどうするのだ。第一、エスコートは頼まれてするものでは無い。申し込むものだ。それとも、ウィスにはエスコートする価値が無いとでも?」
爺さんその言い方はちょいと怖いよ。父さんもうんうんと頷いているし。
「そうではありません」
「しかもだ、ウィスと同じ歳の新入生をオルクス殿下と囲んでいたそうだな。他の側近候補の令息達も、周りを一切気にしない程楽しく過ごしていらっしゃいましたと、入学式に妹をエスコートする為に訓練に遅れて参加した若い者達に当て擦りを言われたぞ。大切な家族を放って、他の令嬢についているのは全く理にかなっておらぬ」
「アザレ嬢とは彼女が7歳の時に殿下について行った城下町の視察時に偶然知り合って以来、幼い時は体が弱く領地で過ごして来た彼女の独自の見解を参考に、色々と話をしてきました。ですので幼い頃からの縁がある、アザレ嬢の入学が楽しみで我々の態度が間違っていた事は認めます」
「メガイラ伯爵令嬢だ、レルヒエ」
「はい、アザレ・メガイラ嬢です」
「そうではない、メガイラ伯爵令嬢、若しくは、メガイラ嬢だ。俺は他所様の大切な令嬢を親しげに名前で呼ぶ様な息子を持った覚えは無い」
「幼き頃から付き合いのあった相手ですので、その頃からの縁で名前で呼んでいるのです」
「今はもう幼くないだろうが。その上、邪険にしたウィスに仲良くせよと言ったそうだな?」
「ウィスも学園生になったのですから、同級生と多様な付き合いが出来る様になって欲しいと思いました。殿下も、ウィスを認めているからアザレ嬢を紹介されたのです」
「メガイラ嬢だと言ってるだろう?」
不毛だよ。これは終わらない。爺さんも父さんもまだまだ言い足りないだろうけど、幾らユーさんが軽んじられたとしても、あたしゃあ痛くも痒くも無い。
「お爺様、お父様、わたくしは何も気にしておりません。オルクス殿下と親交のあるメガイラ嬢の事は本日初めて知りましたが、予めお話いただけたら、その様に心構えしておきましたと申し上げます。ただ、本日は少々疲れてしまいましたので、先に部屋に戻っても宜しいでしょうか?」
(面倒な話し合いはあたしの居ない所でやっとくれ。どうせ何を言っても線路みたいに並行線だって妖精とやらが言ってたからね)
「そうだな、ウィス。何か困った事があれば、直ぐに儂に相談するのだぞ。今日はゆっくり休め」
「ああ、父上も俺も大切なウィスが酷い目に遭って、本当に後悔しているんだ。俺が訓練を休めば良かったんだが、まさかこんな事になるなんて思ってもいなかったんだ。全く、歳の近い兄であるレルヒエが頼りにならないとはどういう事だ」
「ですが父上」
「言い訳をするな!」
ああ、これは長くなるね。最後はレルヒエのお兄さんが表面上を取り繕って終わるんだろうけれど、そこまであたしが付き合う義理はないよ。爺さんと父さんの忠告はお兄さんには届かないし、これっぽちも悪いと思っていない野郎に裂く時間は無いよ。
すすっと食堂を出て部屋に戻る間も、使用人の皆々様に不憫な子を見る目を向けられて、明日はどういう顔をして登校すれば良いのか分からなくなって来た。
◇◆ちょっとアレな言葉説明◆◇
長持ち;着物を入れる箱。櫃。
時に八っつぁん;落語青菜より
志ん生;噺家、五代目古今亭志ん生師匠。1973年没の故人。音源多数。
彦六の正蔵;噺家、林家彦六師匠。八代目林家正蔵師匠。1982年没の個人。音源多数。
鯔背;若い男性(若々しい)への褒め言葉。男気があり、心意気がある様。髷の結い方の鯔背銀杏からきている。鯔背はボラの背中。
小さん;噺家、五代目柳家小さん師匠。2002年没の故人。音源多数。