命の恩人は魚心あれば水心のある女神でした
燃えろや燃えろ、天まで届けってかい?
絶賛大ピンチだよ。
四方八方火の海たぁちょいとばかりいただけない。早いとこ切り抜けたいとこだけど、ネズミが這い出る隙間すらありゃしない。
「しかも煙くっていけないよぉ」
抱え込んだ仕事道具。こいつさえあれば、家なんぞ無くなったって、最悪何とかなるんだけど。お命だけは一個しかないからねぇ。
「あたしぁ、こんなとこで死んじまうんかねぇ」
煙に巻かれてこほこほと咳が出る。苦しい。いや、何かふわふわするねぇ。ふわふわくらくら。
△▼△
『シオンさん、聞こえますか、シオンさん』
あー。何だか酷い目に遭っちまったよ。
『シオンさん、聞こえますか、シオンさん』
あたしゃ助かったのかねぇ。いや、長い夢を見てたのかも知れないねぇ。ちっとばかり背中が硬いのがその証拠さ。目を開ければ、六畳の寝室兼資料部屋。背中の下にはいい感じの硬さの煎餅布団。天井は薩摩うずら木、畳は備後の五部縁ってね。いや、単なる安普請だけどさ。貧乏長屋の戸無し長屋。今、天井剥がしに掛かってますってかい?
『シオンさん、既に起きておられますよね、シオンさん』
何も聞こえない。聞こえないったら聞こえないんだよっ。目だって絶対開けないね。ああ、開けないよ。いやぁな予感しかしないからね。あたしゃあこう見えても意外と勘が鋭いんだからね。目ぇ開けたら六でも無い目に遭う気がするんだよ。
一でなーくて、二で無いしー、三で無ーし、四ぃでもなーし、五で無ーし、六で無ーし、七で無ーし、八で無ーし、九でも、十でも、十一でも、十二でもー。って、ここいらで止めないと恒河沙まで行っちまうかも知れないねえ。
『シオンさん、聞こえていますね、シオンさん。私はルクスべクル大陸の女神ルクラティ様の使い、妖精ミルカ。シオンさん、今、貴女の心に直接語りかけています』
「はぁ⁉︎ 」
無いな。無い無い。心なんてぇもんは、あるけど無いね。心ってぇのは脳の電気信号が生み出す感情さね。脳内物質が出たりへっこんだりして、まあ、小難しいこたぁ学者先生の領分だけどさ、感情ってえのも脳の反応だからね、脳に直接ってぇのなら、おまけして分からないでも無いけどね、心はちょいといただけない。
『シ、シオンさん、確実に聞こえていますね。今私は、貴女の脳に直接語りかけています』
気持ち悪ー。最悪だね。冗談でもいただけないよ。脳に直接とか、あれかい、エスエフってえやつかい。飛躍的に進歩した科学は、人間の脳を直接コンピューターに繋ぐ事の出来る、新世代の能力者を生み出したのだ、ってぇ感じの。そういうゲームがあるのは知ってるけどね、実際にそんな奴は居ないよ。
それにね、あたしの脳みそはよく分からない与太話を受け付ける程、やわじゃないと思うよ。ここんとこは希望だけど。
『シオンさん、そろそろ話を聞いていただけませんか。決して損はさせません』
はあ。
決して損はさせないってぇのは詐欺師の言い分だよぉ。死んだ婆さんが言ってたよ。世の中、決して損をしないってこたぁ無いって。もしそんな事を言ってくるやつがいたら、そいつはキチ◎イか詐欺師だって。世の中には絶対は無いんだよぉ。完全確実って謳っていてもさ、最後の瞬間で不具合が起きるかも知れないじゃないか。ほぼ確実、九割九部確実ってえのならいいけどさ、絶対の所に思ってもいない災害が起きたら、どう、すんの、かい、ってぇ事だよ。
『シオンさん、お願いですから起きて話を聞いて下さい』
やなこった。
『目を開けるだけで結構ですから。そうすれば状況が分かりますから』
嫌だよ。目ぇ開けたら目の前に目ん玉ぁ抉り出そうとする、自称妖精のおかしな輩がいるかも知れないんだよ?大体、勝手に話を進めるってぇ態度が気に食わないねぇ。あたしの意思はどこに、あるの、かい、ってぇ事だよ。
そちらさんが話しましょう、それじゃあこちらも聞きましょう。これで交渉成立。かくして会話が成り立つってぇ事さね。それをいきなり「貴女の心に話しています」ってぇのは何だよ。あれかい、お前さんの言う所の、ルクス何とかでは誰かが話し始めたら、どういう状況で何をしてようが、鎮座ぁましましてありがたくご高説を聞くってぇルールになってるのかい?傾聴しない奴には、脳みそに直接言葉をぶち込む世界なのかい?
『ルクラティ様、助けて下さい。私では無理ですぅ。この人、意地悪ですぅ』
泣いちまったよ。なっさけないねぇ。
『いえ、でも……。はい、ですが……。あの、やはり……。はい、はい分かりました』
何か言いくるめられてるよ。自称妖精とやらはあたしに詐欺師の口上をしといて、自分は詐欺師の親玉に言いくるめられてるんだねぇ。世の中怖いね。
にしても、そろそろどうなってるか知らないといけないねえ。寝っ転がってるだけで、何とかなるのは、赤ちゃんと病人とそれを許された人位なもんだからね。意地になって目ぇ瞑ってても、何にもなりゃしないし。火事もどうなったか知りたいしね。
ここで寝っ転がってるってぇ事は、助け出されたかどうかしたんだろうけど。
『シオンさん、起きて私の話を聞く気になられましたか?』
「そいつは別問題さね。起きるのは起きるよ。こんなとこ、って言っても、こんなとこがどんなとこかは分からないけど、兎に角安全そうではあるけどさ、ここでぶっ転がってても、何も分からないからね。けど、お前さんの言う事を聞くかどうかは別だよ。あたしが聞いてもいいと思ったら聞くし」
よっこいしょ。
「ここはどこだい?」
目を開けても意味が無かったよ。いや、無いってぇのは言い過ぎだ。意味が無い様な状況だってぇ事が分かったからね。
真っ白だ。ちょいと前、1メートル程の所に50センチ程の妖精って言ったらこんなだろうと思ってもいい様な、背中にトンボみたいな羽を背負ったバタくさい緑色の髪に緑のワンピースを着た生き物が浮かんでいる。
背景は白。壁があるんだか無いんだか分からない、白い空間で、寒くも暑くも無い。
ってぇ事はつまり。
「夢か」
『夢ではありません』
「よしとくれよ、普段見る夢とは随分と毛色が違うけど、あたしゃぁさっきまで火事に巻き込まれてたんだよ?目ぇ開けたら病院でした、なら分かるよ。何だよこの状況は。それと、お前さんみたいな生き物にゃあ、金輪際縁は無いね。夢から覚めるから邪魔しないでおくれな。あたしはね、そこいらのお嬢さんとは違うよ?トンボの羽だって毟れる女だよ?お前さんのそのくっついてんだかくっついてないんだか分からない羽を毟るのなんて朝飯前のこんこんちきだよ」
『シオンさん、落ち着いて話を聞いて下さい』
「あたしは落ち着いてるよ。あたしゃあね、生まれた時から落ち着いた女だよ。目が覚めたら火ぃに巻かれてて、こいつは拙いと思った時だって、落ち着いて商売道具を……、ちょいと、あたしの道具袋を知らないかい?あれが無いとおまんまの食い上げだよ。持ってるんならとっとと出しな。隠してるとただじゃあ済まないよ。こう見えても町内であたしに勝てる奴ぁ居ないんだよ、スポチャンで」
『全然落ち着いて無いじゃ無いですか。話を聞いて下さったら、全て良い様に致しますから』
だからそれが胡散臭いんだよ。全て良い様にってぇのがさ。やっぱり羽を毟って逆さに振った方が早いかねえ。
『心の中で物騒な事を考えないで下さい』
「なっ。卑怯な奴だねえ。あたしの考えをあてるなんざぁ、ちょいといただけないよ」
『ですから、順序立てて説明しますから、聞いて下さいとずっとお願いしているじゃありませんか』
はなっからお願いはされてないけどね。いきなり声が聞こえるかどうかとか何か言ってたよ。黙ってたらお願いされたけどさ。
けどまあ、聞かないと始まらないみたいだしね、ここがどこだかも分からないし、まあ、夢だとしてもちょいとばかり付き合ってやっても罰は当たらないか。
「いいよ、聞こうじゃないか。ピンからキリまで聞いてやる。あたしゃ気が短いからね。手早く纏めて、大切な事は抜かすんじゃないよ、あたしが何考えてても気にしないで続けな、それと道具袋の事はいの一番に話すんだよ」
何だか泣きそうな顔をしてるけど、あたしがこいつをとって喰う訳でも無し、勝手に声を掛けておいて、怖がられてもねえ。ちょいと納得がいかないよ。それにこんなの食べたら腹ぁ壊すよ。幾ら腹が空いても、素性の分からないもんと、おっこってるもんは食っちゃダメだって死んだ婆さんも言ってたし。
それに何だっけ、女神とか何とか言う奴も、こんなちっこいのに任せて何してるんだろうねえ。
『食べられるとは思って』
「気にするなって言ったよね?道具袋は?」
『あの色々入った袋でしたら、大切に保管してあります。中身も無事です』
「それはありがたいね。礼を言うよ」
『は?』
なんだよ、鳩が豆鉄砲くらった様な顔してさ。礼を言われると思ってなかったのかい。
「大切なもんを守ってくれてたんなら礼を言って当然だよ。それについては感謝してるよ」
『は、はい。それでですね、シオンさんはご自宅で火事に遭われまして、一酸化炭素中毒という状態で死にかけておられました。それで女神ルクラティ様がこのルクスベルク大陸に続く異空間に保護されたのです』
さっぱり分からないね。けどまあ良いよ。話が進んだら情報も増えるだろうし。
『現在のシオンさんは危険な状態で、このまま元の世界に戻ると窒息死の上、炎に包まれます』
あの世まで一直線だね。ご丁寧に火葬もしてくれるってぇ訳だ。
『そこで、お願いがあるのです。ルクスベルク大陸でとある女性の運命を変えていただきたいのです』
大丈夫聞いてるよ。混ぜっ返したら話が長くなるから黙ってるだけさね。心配そうな顔しなくても良いよ。
『ルクスベルク大陸はシオンさんが住む世界と別次元にありますが、精神的な波長の合う人には想像という形で存在を知る事が出来るのです。その為、大陸を舞台としたゲームがシオンさんの世界で発売されています』
「ちょいと待っておくれ。百歩譲ってこれが夢じゃないって事にしてもだよ、そこでいきなりゲームとか言われてもね。あたしゃゲームはやらない質なんだ。運命とゲームがどう結びつくのか分からないけどね、あたしにゃあ無理な話だよ」
ほんとにこれは現実なのかねえ。そりゃね、結構図太い質だけどさ、人間、死にかけて、気が付いたら変なとこに居ましたってぇなったら、普通はこんなに落ち着いてられないよね。
夢だね。夢、夢。こんな珍かなのは初めてだ。
『お答えします。夢ではありません。不安や不信を感じ無いのは、ルクラティ様の加護の力です。パニックを起こして話を聞いていただけないと困りますので。シオンさんがゲームに興味が無くとも問題ありません。シオンさんはルクスベルクと波長が合う方のお一人ですから、お願いしているのです』
「断ったら?」
『炎に巻かれてご臨終に』
「まあ、そうなるよねえ。あの状況だったら」
じゃあ後は何をさせたいのかが気になるねえ。女性の運命を変えるってぇと大事に聞こえるけど、こんな不思議な御技をお持ちの女神なんだから手前でチャチャっとやれないもんかね?
『人の運命を必要以上に変えるのは好ましくありません』
いや、別世界で死にかけてる人間を拐って何とかさせようってぇのも大概だよ。
『シオンさんの次元の神様方は寛容ですので、余程の大問題を持ち込まれなければ静観しておられます。それに、シオンさんをそのままにしておきますとご臨終でしたから。シオンさんの次元の神様方は、全ての住宅火事に対して奇跡を起こしたりされませんよね。その状況で、他所の神が助けの手を伸ばすのを止めたりはなさりません』
あー。ありがたいんだか何だか。取り敢えず、普段お参りしてる神田大明神と浅草の観音様に感謝しないといけないねえ。何事も命あっての物種だ。次にお参りに行く時は、いつもの重々御縁があります様にの25円にはしないよ。正月しか出さない札を出すよ。
『二つの世界が波長の合う人によって繋がるという事までは宜しいでしょうか。そしてそちらにルクスベルグを舞台にしたゲームがあり、それに傾倒されている方々が多くいる。その中で特に思い入れの強い波長の合う方がいらして、精神の異世界転移が行われました』
はい、分からないやつが来たよ。ゲームがあってファンがいるってぇのは良い。精神の異世界転移ってぇのがさっぱり分からない。
『精神の異世界転移というのは、別次元を生きている人の体の中に心が入り込んで乗っ取る状態になる事です』
「だから心ってぇのは」
『分かっております。シオンさんは、心は脳の作り出すものだからと否定されるのですよね。では精神、脳の電気信号で対象を上書きしたと考えては如何でしょうか?人の魂は複雑で、神にも及ばない領域を持ちます。人は神の操り人形では無い。強い思いは、時に不思議な力を生み出すものです』
うーん。難しいというか、エスエフちっくというか。とはいえ、あんだけ熱くて苦しい火事の中にいたはずのあたしがここにいて、自称妖精と顔突き合わせて話してんだよねぇ。いや、話してないか。勝手に脳に語りかけて来てるってぇ言ってるからね、このこんちくしょう様は。
まあ、ここは納得しておくよ。一応。
『問題のゲームですが』
「待っとくれ。ゲームには興味が無いんだよ。つらつら話されても面倒だから、さっと攫ってくれないかい?」
何で不満そうな顔をするのかねえ。
『魔物を鎮める力を持ったヒロインが』
「いや、そういう説明も要らないから」
『ヒロインが複数の攻略対象者の何方か。若しくは全員と恋に落ちて結婚するゲームです』
略し過ぎたかねぇ。ヒロインてこたぁ主人公だね、複数いる攻略ってぇのはゲームの攻略って事だろうから、相手と恋に落ちるのが目的だよね。それで最後に全員と結婚するのはちょいと無理があるよ。一夫多妻はあるけど、一妻多夫ってぇのは無いよ。それとも平安時代の通い婚的なゲームかねえ?
『結婚相手は一人だけです。全員に好かれれば、最後に誰か一人を選んで皆んなに祝福されながら結婚式です』
少女漫画にあるご都合主義ってやつだね。ま、少女漫画も大して読んだ事が無いんだけど。
『そのヒロインに転移された方が大変ゲームに詳しく、状況を理解して直ぐに知っている知識を全て活用して、本来なら年齢が上がらないと接点すらない相手達と親密、良好な関係を築きました。それにより、ゲームでライバルとされる女性が孤立し心が傷付き踏みにじられ、ルクラティ様に助けを求めたのです』
「その女性を助けてやりゃぁ良いんだね」
『少々違います。女性の代わりをして欲しいのです』
「私と見た目が似てるってぇ事かい?世の中似た人間が三人がいるっていうからね。異世界とやらにも同じ顔がいてもおかしくないよ」
『そうでは無く、女性の体はそのままで入れ替わっていただきたいのです。ヒロインの様に精神の転移をしていただき、窮地を切り抜けていただきたいのです』
「ちょいとお待ちよ。その間、その女性、あ、名前は何て言うんだい?」
『ウィスタリア・シャルトルーズ・ユースティティア嬢です』
長いねぇ。横文字って事は後が名字で良いのかねえ。異世界ルールだとどうなるんだろ。
『ウィスタリアが名前で、シャルトルーズがミドルネーム、ユースティティアが名字です』
「分かった、ユースさんだね」
『シオンさんにはウィスタ』
「分かったよ、長いのはやめとくれ。とんとーんと話を進めておくれな」
話は簡潔に素早く、重要な事は抜かさず、だよ。
【ちょっとアレな用語説明】
◆バタくさい;西洋風。西洋かぶれしている。
◆天井は薩摩のうずら木。畳は備後の五部縁(落語牛ほめより
◆貧乏長屋の戸無し長屋。天井を剥がしに(落語長屋の花見より
◆スポチャン;スポーツチャンバラ。(エアーソフト武器によるチャンバラ
◆チャンバラ;剣劇。チャンチャンバラバラ。時代劇で戦うシーンのあれ。