裴耀卿
陛下、司徒に任じてくださりありがとうございます。
そなた、司徒の偉さが解っているのか?
司徒は、三公の一つで上古五帝の一人、少昊の時代からある役職の一つだ。
三公は、太尉・司徒・司空の三役を言う。
あの太宗様の友であり、高宗様の叔父上の長孫無忌が太尉であった。
そなたは、その次ぎの役職なのだ。
由緒あり栄誉ある役なのだ。
そのつもりで、担うように。
そりゃ、上に三師もあるが、三師は名誉職で権限はないに等しい。
ちなみに、三師は、太師・太はく・太保の三役を言う。
そなた、朕の息子の中では出世頭といえよう。
いずれにせよ、そなたは今は偉いのだ。
胆に銘じなさい。
一月に、信安王韋を河東、河北行軍副大総管に、裴耀卿を副総管に代えたら、奚と契丹との戦は順調に勝つことができた。
やっぱり、作戦が大切なのだな。
契丹は、朝鮮に一番近い営州の平盧節度使の管轄だ。
奚は営州の西南、幽州の范陽節度使の管轄だ。
いずれにせよ、朝鮮半島から西側、唐の北側の蛮族だ。
裴耀卿が、
蛮族はいずれまた国境を犯して侵入してくるでしょう。
だから、守りに手を抜かないように。
とのことであった。
あの者は文官なのに、戦の時も切れる男子と思ったが、一度使って様子を見てみたい。
二、三年前、
江南地方は兵役の負担がなかったので、民は豊かで米が余っていますから、長安に運河を使って運んではいかがでしょうか?
との、上奏をしてきた。
今まで、何度か似たようなことを言ってきた者がいたが、成功しなかった。
あの時は、断ったが、あの者ならやらせてみてもいいな。
そなた、どう思う?
そうですね。
食糧事情が悪くなるたびに、洛陽に大移動しなくてもいいのは、ありがたいです。
中宗様の時、食べ物に困って、重臣の者が、洛陽に行っていただきたい。
と、お願いしたら、怒鳴り返されたと言うからな。
中宗様は長安へ帰ってからは、洛陽へは一度も行っていない。
洛陽は中宗様にとって、いい思い出がないからな。
怒鳴る気持ちも、わかる。
裴耀卿の技量を計る、いい機会だ。
まあ、長安に帰ってからの話だ。
四月に上陽宮の東の川辺で宴をしたが、迷惑でなかったか?
そろそろ暑い頃なので、戦勝を祝い、かつ慰労と言うことで、趣向を変えてやってみた。
宮中でしたのなら、酔っても、そこいら辺りでひっくり返ればいいが、川辺ではそういうわけにもいかん。
皆に、かけ布団敷き布団を下賜した。
もし、眠るなら使うようにとの意図だったのだが、皆、肩にかついで帰ったそうだ。
上陽宮には住んではいないが、俶と丹丹がよく行っているようだから、皆には開放できなかった。
二人とも、王府では、やはり遠慮があろうからな。
息を抜く場所が必要だ。
馬も連れてきたのだな。
緑児が馬の扱いに慣れていてよかったな。
陛下、すみません。
実は、あの馬は俶が丹丹に譲ったのです。
だから、今は、丹丹の馬なのです。
あんなに小さな女の子の物なのか?
はい、申し訳ありません。
俶が、嫌ったわけではなく、丹丹が馬を、あの馬を好いたのです。
そして、馬も丹丹を好いたのです。
俶を会合に連れて行っている間に、丹丹が馬を構ったものですから、馬の心を奪われたのです。
まるで、男女の三角関係だな。
まあ、仕方がないか。
俶には、もっといい馬を探さねばな。
馬には乗っているのか?
まさか、あんな小さな女の子が乗ってませんよ。
友達だと言って、ただ一緒にいます。
母親がわりだと思えばいいのだな。
そうですね。
時期的には、事前から用意したように合いますね。
丹丹が馬を持っていると知ったら、他の子どもたちが、おさまらないでしょう。
特に、男の子はな。
表向きは、俶の馬としておくか。
そなたも雑事が多いな。
ああ、捕虜が多く手に入った。
皆に、奴婢として下賜できる。
この頃は、下賜する奴婢がいなかったから、
ー昔前の話だが、奴婢が足らないと、安楽公主なんかは農民の家の女子を連れ帰ったりしていたから。
助かるよ。
俶が王府で、何事もなく順調に育ってくれたら、言うことなしだな。