粛宗の悩み
ねえ、にいにい、ちい上はまだなの。
ああ、陛下にお会いしてから来るって。
壁の絵を見てなさいって。
はあ上、上手に書けてるね。
にいにいは、他の人や物は書かないの?
にいにいは、書きたい者しか書かない。
ふうん、上手なのにもったいないね。
そんなに褒めなくていいよ。
好きで書きはじめたわけじゃないから。
なんで書き始めたの。
はあ上が、お互いに顔を書きっこしようって。
下手だと、見せるのが恥ずかしくて、一生懸命書いてたから。
丹丹も上手になれるかな?
ああ、好きなものなら、綺麗に書いてあげたいと思うよ。
丹丹、丹丹を見ていたら、母上に似てる丹丹を書いてみたくなったよ。
いいかな?
う~ん、じっとしてるの好きじゃないから。
でも、にいにいの大切にしているものをくれるなら、考えてもいいよ。
にいにいの大切にしているもの?
何かな?
にいにいにはわからない。
ちい上が聞いたら、怒るよ。
丹丹は、それが欲しいの?
うん。
それをくれたら、いつでも書かれてあげる。
丹丹は、誰もいないのに周りを伺い、蓮の耳もとでささやいた。
蓮はビックリして、
乗れないだろう?
と、声に出した。
何の話かな?
忠王が扉から、顔を出した。
言っちゃダメ。
ちい上に、にいにいの物を奪う悪い妹だと、思われる。
ここにそんな子、いるのかな?
でも欲しいんだろう?
にいにいは、いいよ。
言ってみたら。
ちい上、怒らないよ。
優しいから。
にいにいは、いいからね。
にいにいが言うからね。
父上、馬の“風”、丹丹が欲しいって。
丹丹は女子だし、まだ三才だ。
乗れないのに、欲しいだなんて。
名付けたのは、たしか丹丹だったな。
ちい上、丹丹、お友達の風が欲しいの。
仲良しなのか?
緑児、どういうことなのだ?
申し訳ありません。
私は牧場で育ち、今も家族は牧場にいます。
奥様と若様が、二人で絵を書いている時、いつも丹丹様を抱っこして庭を散歩していました。
部屋で二人を見ていると、遊んでくれないので、退屈して怒り出すからです。
ある日、散歩の途中、厩を覗いたのです。
私がつい、
かわいいね。
って、顔を撫でたのです。
すると、丹丹様も、もにょもにょ言いながら、鼻を叩いたのです。
馬が怒って暴れださないか、慌てました。
でも、小さい子の力です。
馬は怒りませんでした。
私は馬にお詫びのつもりで、手に塩をのせ舐めさせました。
丹丹様は、私に手を出して、あーあーと言いました。
丹丹様が舐めたらいけないので、少し塩をのせ、馬の方に手をそえ、差し出しました。
舐めた感覚がくすぐったいのか、クスクス笑いました。
厩から出ようとすると、大きな声を出し嫌がりました。
仕方なく馬に向きあいました。
丹丹様は、私に手をだし、あーあーと言いました。
塩を手に少しのせ、馬に差し出しました。
馬が舐め、丹丹様が笑いました。
何度もしました。
しましたと言うより、させられたのです。
六、七回すると、納得したのか、厩を機嫌よく出ました。
それからは、雨の日も風の強い日も毎日です。
通りすぎようとすると泣き叫んで、まるで私が、虐めているような騒ぎです。
入らざるを得ませんでした。
馬は、毎日塩をくれる丹丹様になつきました。
たてがみを引っ張っても怒りません。
俶様が毎日来て、かまってくれていたら、丹丹様には懐かなかったと思います。
でも、なにか会合があるたびに出かけられ、あまり会いに来られませんでした。
仕方無かったのです。
丹丹様と風はお互い好きなのです。
短い時間ですが、毎日を共にしたのです。
どうか、分かってあげて下さい。
私が付いていながら、申し訳ありませんでした。
ちい上、ごめんなさい。
にいにいから、取るつもりはなかったの。
父上、丹丹に風を譲らせてください。
俶からもお願いします。
わかった。
この件は陛下に言わずに、新しい馬を手に入れて、前からの馬のようにしてごまかそう。
ちい上、頭いい。
ちい上、大好き。
調子のいい奴め。
丹丹は、そんなに風が好きか?
うん。
殿下、もし、犬か猫を飼っていたら事情は違っていたと思います。
丹丹様はかまってほしかったのだと思います。
相手をしてくれるのは、馬だけだったのです。
丹丹様を責めないでください。
ちい上、遅かったね。
ああ、陛下が言われるには、来月十月には、洛陽に行くとのことだ。
ここの絵をどうするか?
二人の意見が聞きたい。
持っていくか?
それとも、ここにそのまま置いていくか?
向こうではどうするの?
上陽宮の一室に貼って、ここと同じように、時々、見に行くのか、どうかだ。
考えておいてくれ。
あわてなくていいから。
頭が痛いことだ。
陛下が四月に太公廟を作られた。
長安、洛陽だけでなく、各地にもだ。
戦の名将、漢の韓信、蜀の諸葛亮ら、十人を祀っている。
今、戦の最中だから、勝とうという意志の表れだ。
気持ちは解るが、落ちつかん。
陛下は、太宗様を意識している。
太宗様は唐を世界帝国に導いた。
唐が挙兵した時、突厥と協定を結んだのだ。
唐が長安の城を手にいれたら、城と人は唐がもらうが、財宝は突厥の物だとな。
だから、後ろから、唐を攻撃しないようにと。
だが、いざ城を手にいれたら、物入りで、とても財宝を渡せない。
突厥は、それから何度も請求にやって来た。
こちらも、城は手にいれたが、戦の相手がまだまだいる。
相手などしていられない。
嫌がらせのようにやって来る。
そのうち、国内もあらかた治まった。
またやって来た突厥に腹を立て、太宗様は李靖と李勣の二人を遣わした。
突厥の内紛とかさなり、李靖と李勣も執拗に戦い、唐の勝利となった。
太宗様のことだ。
突厥の内部事情を知って、事を起こしたのだろう。
太宗様は待てる人だ。
いい頃合いを待っていたのだろう。
突厥を手に入れたことで、唐は、違う人種というか、他民族を支配する事となった。
唐は、世界帝国となったのだ。
玄宗様は、世界帝国である唐を、もっと大きくしたいとお考えのようだ。
兵士が足らない。
雇うのに金がかかる。
と、いつも言っている。
私は自分の国を守るために民が兵士になるのは、当たり前だと思っている。
雇った兵士がお金のために戦うのは、どこかおかしいと思う。
特に、唐の兵士は他民族の者が多い。
兵士だけでなく、上に立つ者もだ。
故国の者を敵とした場合、どうなるのか?
本当に戦えるのかと、思ってしまう。
だが、国土が広いので、守るためには仕方がないのだ。
本当に、もっと広い国土が必要なのか?
不安を抱きながら、戦をすべきか?
皆、唐に忠誠を誓い、戦ってくれている筈だ。
私にはこんな思いが、耐えられない。
突厥は、唐が協定を結んだ時、馬と兵士を差し出してくれた。
周りの国と仲良く出来ないのか?
玄宗様の野望が、私は怖い。
仁王経の、盛者必衰、
今は運よく勝っていても、いずれ負ける時がくる。
私と俶、玄宗様の尻ぬぐいをする時が来るだろう。
秦にしても、漢にしても、大国であった。
しかし、亡んだ。
私たちは、国を大きくする事よりも、国を維持する事を子孫のためにも考えた方がいいのではないか?
子孫と言うと、何代も後の者のように思える。
だが、俶の子の子の子・・と思うと、身近だ。
国が亡ぶ屈辱と苦痛は、味わせたくない。
だが、玄宗様には逆らえない。
私は出来のいい人間ではない。
自信をもって、皇帝にはなれない。
責任が重すぎる。
私は苦しい。