授乳の理由(わけ)
杏、そなたは何があろうと、自分の乳で子を育てなさい。
たとえ、天子様の子であろうと、反対されたら嘆願してでも、自分の乳で育てなさい。
私は自分で子に乳を飲ませて、わかったの。
そなたは聞いたら、嫌な思いをするだろうけれども、私は湊が一番可愛い。
今まで、乳母に世話をさせるのが役人の家庭では当たり前だと思っていたけど、体裁なんて気にしなくていい。
肌と肌の触れあいが、子が乳を飲みながら私をじっと見ている様子が、いとおしくてたまらない、
これが一年続くのよ。
子だって、私と同じ気持ちだと思う。
そなたは、乳母に対してどんな気持ちを持っていた?
自分に聞いてみると、わかるでしょう。
生んだから母親じゃないの。
一年ちかく、肌をあわせ乳を飲ませ、声をかけ、泣き声に応える。
だから、情がわき、愛されるの。
親子の絆は時間がかかるの。
でもその分、強いわ。
中宗様が、最初に皇帝になった時、 妻の皇后様の父君を侍中にしようとして反対されたでしょう。
その時、乳母の息子も五品の位につけようとしたの。
皇后様の父君は重責でも、担えるでしょう。
でも、乳母の息子は役につけても、ろくに文書も読めないでしょう。
だから、身分だけでも、高い位を、と、思ったのね。
乳母を喜ばせようとしたのね。
中宗様にとっては、大人になっても、乳母は大切な人だったのね。
だから、そなたにも、生んだ子に愛される母親になってほしい。
乳母に子の愛情を、とられないでほしい。
授乳すると、お互いに愛情は自然にわいてくる。
私は自分の体験をそなたに伝えたからね。
その時が来たらよく考えて行動してね。
今、言っておかないと、私たち奴婢は明日の運命はわからない。
大人になったそなたに、祝いの品を何も贈れない。
この言葉を祝いの品と、考えてほしい。
私がみずから授乳しようとした理由です。
母の言葉を、今、実感しています。
あっ、弟の事ですが、陛下が褒美と、おっしゃったからといって、なにか役につけようとは考えないで下さい。
同じ官奴卑といっても、上官婉児様とは育ちが違います。
婉児様は、学識のある母君と一緒におられたので、豊かな知識をお持ちでした。
でも、弟たちは物心ついてから、十年近く、本などに触ったこともない、肉体労働に携わっていた者なのです。
一年ちかく学んだといっても、多分、子供程度の学力だと思われます。
役など、こなす力はないでしょう。
恥をかかせたくないのです。
紹介してくださる殿下にも、恥をかかすかもしれません。
それに、没収された財産も返していただきました。
封戸も、褒美にいただきました。
生活に困ってはいません。
故郷に帰って、のんびりと暮らしているかと思います。
弟たちのことは心配していただかなくて、よろしいかと。
君の気持ちはよくわかった。
聞いてよかった。
君を喜ばせようと、弟君たちのことを頼むところだった。
その時、モ~
と、いう声が聞こえた
さあ、俶のおっぱいは終わったようね。
まあ、お目目ぱっちりで、父上と母上の話が、うるさかったみたいね。
いつもは、お腹がいっぱいだと、すぐに眠ってしまうのに。
うるさくして、ごめんね。
横から、忠王が顔をだし、
俶、うるさくして、すまんかったのお。
と、声をかけた。
忠王と杏は目をあわせ、笑いあった。
杏が言った。
いい父上ですよ。
心配はいりません。
忠王は照れて、下をむいた。
牛を用意されたのですか?
ああ、ついでに、ヤギもな。