高力士の話
兄さんに、会いたいのだが。
取り次いでくれ。
忠王様、私で、よろしいのでしょうか?
陛下にお取り次ぎしますか?
兄さんに、聞きたい事が、あって来たのだが、時間はとれるかな?
もちろんです。
ちょっと、陛下にお断りしてまいります。
忠王様、便殿の方でお話しをお伺いします。
今日、永王と話をしていて、陛下が、皇后様の住まいの外で、私を見ていたと言うのだ。
兄さんも、一緒だったと。
その通りで、ございます。
何故なんだ?
大切な息子、あまり会う事のない息子、成長を確かめに行って、なにがいけないのでしょうか?
私が、大切な息子?
なにか、間違っていないか?
忠王様は、勘違いなさっています。
忠王様は、間違いなく、陛下の大切なご子息です。
私は、三度も殺されそうになったのだぞ。
殿下は、陛下の事をどのような方だと、思われているのですか?
冷酷無慈悲な方とお思いですか?
私は、故郷を離れてから会った方のなかで、一番心の優しい方だと思います。
そろそろ少年と言っていい頃、遊びに夢中になり、つい遠出して捕らわれ、男でなくなりました。
知り合いの者と一緒でした。
捉えた者は、たまたま年かっこうの似た二人だからと、面白半分に、金剛と力士という名を与え、武后様に、献上したのです。
武后様は、名が気がきいていると、喜びました。
私たちは、武后様の左右に立ち、侍っていました。
武后様は、まるで、金剛力士、仁王に守られた仏様のようでした。
ちょうど、竜門で、武后様の顔を模した巨大な石仏が彫られていた頃で、それもあり、面白がって楽しんでいました。
私たちは、時々、余興でそれなりの格好をさせられました。
恥ずかしい格好です。
喜んでしているわけではないので、時には、気持ちが表れます。
武后様は、気付き、気を悪くされました。
私たちは、宮中を出されました。
出されても、身分は変わりません。
私は、たまたま中人の高延福という方に仕えることになり、そのまま引き取られ養子になりました。
私は、奴婢から、中人・高力士になったのです。
高延福様は私の恩人です。
恩返しをしなければと、心に誓いました。
延福様は、武三思様の屋敷に出入りして仕事をしていました。
私も、高家の者として、武三思様に仕えました。
人に仕える者は、その方がどういう方か知っていなければ、気に添えません。
武氏の方の話をいろいろ聞きました。
話を聞いて、なぜか気が萎えました。
武懿宗様が、敵軍来襲を知り、指揮官でありながら、軍を棄てて逃げようとしたこと。
それだけでなく、勝った後、捕まり敵に従った者を謀反人とみなし、虐殺したこと、等。
武后様の一族なので、武后様の面子に配慮し、表だっては、誰も、何も口にしません。
主人と、胸をはれるような方はいませんでした。
そんな時、私より、一才年下の陛下の話を聞きました。
李隆基様は、八才頃、あの武懿宗様を“無礼者”と、一喝したそうなと。
私は、その時、清々(すがすが)しい気がしました。
皇帝陛下の皇親、飛ぶ鳥を落とす勢いの武氏、その自分よりも年配の武氏を怒鳴りつけた、少年。
小気味がよくて、つい、笑みがこぼれました。
私は、その時、陛下に憧れたのです。
そして、葦后の誅殺。
その時、陛下はなんと言ったか、ご存じですか?
陛下は、突入する前に、
背の丈が馬のムチより高い者はすべて斬れ。
とおっしゃったのです。
馬のムチより背の低い者、赤子、幼児は斬らないように、との事ですよね。
普通、“後顧の憂いを絶つ”と一族を誅滅します。
殺さなかった子孫が成長し、親の仇と命を狙うからです。
殿下が、生まれる前の話です。
母君の体の中にもいらっしゃらない時の事です。
陛下はそういう方なのです。
私はこの話を聞いて、この方の傍らで、生きて行きたいと思いました。
私は、武三思様の恩を、受けています。
心は、李隆基様のそばにあっても、なにもできませんでした。
太平公主様を誅殺する時、やっと、くびきから解き放たれた思いで、陛下に従ったのです。
陛下が、どんな気持ちで、堕胎薬を煎じたか、お分かりになりましたか?
他人の子供を案じる方が、ご自分の子供をどう思われていたか?
他人が、敵の子供をどう扱うか、陛下にはわかっていたから、そんな目に遇わせたくなかったのです。
陛下を誤解しないでください。
皇后様に預けられたのも、占いの者に育たないと、言われたからで、環境を変えれば、育つかもと、皇后様にお願いしたのです。
寿王様にも同じようにされたのを、ご存知ですよね。
寿王様も、大切にされているから、寧王様に預けられたのです。
陛下は、殿下を大切に思われています。
だから、見に行かれていたのです。
侍医にも、定期的に報告させていました。
小学を休まれた時も、事情を調べさせました。
永王様の世話で、朝、起きられないとのことでした。
だから、侍読を殿下の元に遣わしたのです。
殿下の知らないところで、陛下は気を配っているのです。
殿下も、父上になられて、子供に対する気持ちも、解るようになられたと思います。
陛下は、稀にみる善いお方です。
誇りに思って下さい。
堕胎薬を煎じた陛下の気持ちを、考えてください。
私の話は、如何でしたか?
私は、死ぬまで、陛下の側にいます。
男を慕う女子の様な気持ちです。
私の人生に、悔いはありません。
陛下は、私にこのような気持ちをもたせる方です。
忠王様、なにかおっしゃって下さい。
私は父上を恨んでいた。
育たないから皇后様に預けたと、知った時、自分が考えていたことが、違っていたと思い喜んだ。
だけど、鏡を見ると、涙が出てきた。
私の顔は、殺されそうになった者の苦痛の顔です。
愛されている訳がない。
父上に抱いてもらった記憶もない。
美しい兄がうらやましかった。
だが、私は今は、父親だ。
幸せな父親だ。
もう、過去は振り返らない。
兄さん、いろいろ話をありがとう。
子を授かった時から、私は変わった。
もう、どうでもいいことだ。
私は今を楽しんでいる。