李泌
九月二十七日、
吐蕃の多くの騎兵が青石嶺の下に侵入し、けい州に迫った。
代宗は、郭子儀と朱せいと段秀実に、敵の隙をつくようにと、詔を下した。
冬、
十二月十四日、
吏部尚書で転運使、塩鐵使等の劉晏を左僕射にした。
郭子儀が参内した。
判官で京兆府の杜黄裳を留守居役とした。
郭子儀のいない節度使では、李懐光が郭子儀に成り代わろうと陰で謀り、大将・温儒雅などを誅そうと、詔を偽った。
杜黄裳はその陰謀を察知して、李懐光に詰め寄った。
やはり、おかしいな所があったのであろう。
李懐光は、処罰されるので冷や汗を流していた。
詔に手を加えることは、謀叛に他ならない。
誅殺されて当たり前である。
ここにおいて、将軍たちで止めるものは誰もいなかった。
杜黄裳は、郭子儀の命令を確認した。
その場にいた人たちは、皆、外に出た。
この後、何が起きるのか、誰も見たくはなかったのであろう。
不心得者がいなくなり、軍府は安定した。
そんなことがあり、給事中の杜亞は、江西観察使になった。
代宗は、江西判官の李泌を召した。
李泌は、参内して代宗を見た。
代宗は、元載のことについて語った。
卿とは、別れて八年がたつ。
あの者をよく誅殺できたと思う。
皇太子があの者の陰謀を見つけてくれたことに依るのだ。
いや、そんな話をするのではない。
卿とは、随分会っていない。
対して、李泌曰く、
臣は、昔、固く云いました。
陛下は、臣下たちに不善があると知るでしょう。
その話は、大きくて過去のことも含むでしょう。
だから、陛下と路嗣恭との信頼関係がここに至ったのです。
代宗、曰く、
ことは、全てに対応する。
軽くないものまでもだ。
続けて云った。
朕と臣下をつなぐのは、路嗣恭における卿だ。
路嗣恭は、元載の気持ちをくんだ。
上手く取り入ったのだ。
卿は、こ州別駕にするように上奏した。
路嗣恭は、嶺南を平定した。
その後、直径九寸の琉璃の盆を献上した。
朕は、それを宝とした。
それから、元載の家が滅んだ。
路嗣恭は、元載の残した尺の単位の琉璃の盆を得た。
直径、尺の大きさの物だ。
(周代)
寸は、二、二五センチ
尺は二十二、五センチ
朕が、路嗣恭から献上された琉璃の盆より大きい。
ここに至り、まさに、卿との話し合いだ。
李泌は曰く、
路嗣恭は小心者です。
善い人間で権勢を畏れます。
仕事に励む役人は、大礼を知りません。
昔は、有名な県令でした。
路嗣恭は、有名だけでなく、誰もが認める天下第一の出来る役人でした。
朔方節度使で郭子儀の副をし、その跡を継ぎました。
陛下は、いまだに心をゆったりと落ち着けることを知りません。
元載のために路嗣恭を用いられました。
あんな有能な者を元載のために使い、お金も権力も持つ者に籠絡されないか、心を砕き、力が尽きたのです。
陛下は、誠に人を用いることを知っています。
路嗣恭を喜ばせて下さい。
路嗣恭は、また、陛下のために力を尽くすでしょう。
けん州別駕、臣はなりたいです。
それは罪ではありません。
路嗣恭もこの李泌と同じように、立派な職に就きたいでしょう。
それと、路嗣恭は大功を立てました。
陛下の命令通り、哥舒晃を討ったのですから。
陛下が、一つの琉璃のお盆を得た罪は、いいものではありません!
たとえそれが、路嗣恭の手に入れた物より、小さくてもです。
財物の分け前に与らないことは、なかったのです。
受け取ったのですから。
でないと、功臣を失います。
功績には、報いるべきです。
代宗は、李泌の云った意味が分かった。
そうだ。
暗黙とは云え、出世を匂わしていたのだ。
だから、路嗣恭を兵部尚書にした。
郭子儀の朔方節度副使・張曇は、気性が激しい将軍であった。
武人を軽く見る人を快く思わなかった。
孔目官の呉曜は、郭子儀の担当に任じられていた。
組織のトップの側で仕えるのである。
だから、心身共に緊張して構えていた。
姿勢を正しくして胸を張っていたのであろう。
けれども、張曇からは、偉そうに、我々を見下していると誤解されたのかもしれない。
控え目な郭子儀は、謙虚でないと怒った。
張曇は兵士たちを煽りたてて、嘘を上奏させた。
郭子儀は、まさか、嘘を云ったと思わず、兵士たちの話を信じ、呉曜を誅した。
掌書記の高郢は、噂話を信じ文官である呉曜を殺した郭子儀と口論し、争った。
ちゃんと正しておかなければ、同じことが、又、起きる。
文官の代表として、部下を守らなければ。
呉曜の人柄などを弁護をした。
郭子儀は、聴かなかった。
反って、口論相手の郢の猗氏を丞に貶める上奏をした。
武官、文官の偉い人が、激しく対立する節度使。
事情を伝えてくれるはずの、助けとなるべく多くの役人は、良い職場と思えず、既に去った。
郭子儀は、本当のことを知ることが出来ず、悔しかった。
しばらくして、自分にも落ち度があったと、郭子儀は反省した。
何時もの冷静な郭子儀に戻り、争う上司を相手にしなかった節度使の役人の総ての人を、悉く、朝廷に推薦した。
そして、
呉曜を殺したのは私の誤りでした。
と、云った。
常袞は、代宗に云った。
陛下は、久しく、李泌を用いたがっていました。
昔、漢の宣帝は、用いる人が欲しくなったら、公卿にしました。
まず、先に、人を治めるのを試します。
良いならば、刺史とします。
周りの知っている人を使うのは、一長一短あります。
政の報告をまって、用いましょう。