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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
341/347

元載の後(あと)

夏、

四月一日、

太常卿・楊かんを中書侍郎とし、礼部侍郎・常袞を門下侍郎とした。

二人共、同平章事とした。

宰相である。

楊かんは、性格が清らかで質素であった。

詔が下されると、朝廷内からも民間からも歓びの声が聞かれた。

郭子儀の家では、宴がなされ、客がいた。

この宰相の人事を聞くと、この場で歌っていた楽士の五分の四を減らした。

半分以下である。

派手にならぬようにとの配慮であった。

京兆尹の黎幹は、立派な馬をとても沢山持っていた。

その日のうちに減らし、十騎にとどめた。

中丞・崔寛は、屋敷が広くて豪華であった。

一部であるが、すぐに、壊し去った。

各々に反省を促す、模範となるような宰相人事であった。


四月二日、

代宗は、吏部侍郎・楊炎、諫議大夫・韓かい、包佶、起居舎人・韓会かんかいたちを貶めた。

皆、元載の一味であった。

楊炎は、鳳翔の人であった。

元載は、楊炎を常に文学の才能があると引き立て、一人親しく厚遇していた。

別の日には、自分の代わりをして欲しいとした。

だから、代宗は、楊炎を貶めたのである。

韓かいは、韓滉の弟である。

韓会は南陽の人である。

代宗は、初め、楊炎らを殺し尽くしたいとした。

だが、呉湊が、“人は色々、様々です。”と諫言して、官位を貶めすだけにしたのである。

命を救った訳である。


四月二十八日、

吐蕃が黎州、雅州に侵入した。

西川節度使の崔寧が撃破した。

元載には、進んで仕えようと願う者が都に多くいた。

生活が行き詰まった者たちであった。

俸祿(給料)の制度が、地方の役人に厚く、都の役人に薄かったのである。

都の役人は、その俸祿で生活が賄え無かったのである。

常に、地方の役人に借して貰っていた。

お金を借りるなんて、自尊心が傷付いたことであろう。

宰相、楊かんと常袞が、都の役人の俸祿を増やしてくれるように、代宗に上奏した。

四月二十八日、

都の役人の俸祿に、毎年約一十五万六千貫文が加算されるように、との詔が下された。

どんな状態であったか、宰相の俸祿から、見てみよう。

開元二十四年(736年)

月の俸祿、

一品三十千、

正二品、二十四千

正三品、十七千

尚書、門下侍郎、中書令、(禁軍)大将軍

大暦十二年(777年)

加えられた俸祿は

三師、三公、侍中、中書令

毎月、各一百二十貫文

中書、門下侍郎

毎月、各一百貫文

左右金吾大将軍、各四十五貫文である。

唐は、この頃、豊かになっていた。

塩税のお蔭である。

国家の経営が良くないと、税率を増やして調整した。

税率を変えるだけの手間である。

困ることは、もう無かった。

劉晏は民のことを考える、良心的な役人ではあったのだが。




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