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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
333/347

李宝臣

代宗は、李宝臣の功績を喜んでいた。

中使の馬承倩を、慰労の詔を持たせ、遣わした。

丁度、李宝臣は使者のいる館に、来ていた。

百匹のかとり絹が、褒美として、遣わされていた。

馬承倩は、顔を見て、李宝臣をののしはずかしめた。

やって来る途中、褒美の絹が投げ出された。

李宝臣は、左右に並ぶ部下たちに恥ずかしく思った。

太刀を身に付けた兵馬使・王武俊が、李宝臣に云った。

今、大夫は軍の中で新しい功績を立てました。

欲しいのは、小わっぱのみ。

侵入をおさめたあと、一幅の詔が宮殿に来るようにと届いて、召されるでしょう。

一人、大夫のみにです。

それを聞いて、李宝臣は、遂に、唐に侵入することを楽しもうとする心を持った。

侵入を阻む立場から、唐王朝に刃向かう立場を選んだのである。

あの馬承倩の、李宝臣を侮辱した態度が、納得いかず、許せなかったのである。

李宝臣は、幼い頃から、弓の技で一目置かれていた。

称えられても、大勢の前で侮辱されたことは無い。

李宝臣の心は、傷つけられたのだ。

だが、李宝臣の部下が先に無礼を働いたのかも知れない。

馬承倩は、かとり絹を百匹持ってきていた。

かとり絹、厚い絹地だそうだ。

糸の所々にふくらみがあるのであろう。

上質の物では、無いかも知れない。

量も少ない。

あの元載が、職を求めた老人に、ある節度使の所に行くように云った。

その節度使から去る時、絹千匹を貰っている。

節度使が、無理して捻出した絹千匹かも知れない。

だが、それでも千匹なのだ。

皇帝が、褒美の品として出す百匹は、あまりにも少ない。

それを見た時、絹の産地を持つ節度使の部下たちは、皇帝からの贈り物を笑ったのかも知れない。

使者・馬承倩の方が馬鹿にされた、と思ったのかも知れない。

そんなことは、分からない。

けれども、馬承倩は怒っていた。

何かがあったのは、確かである。


田承嗣は、范陽(幽州)が李宝臣が郷里だと知っていた。

李宝臣は、范陽節度使の中の奚の人であった。

だから、范陽が故郷なのである。

幼い頃から、騎射が得意であった。

范陽の将・張鎖高に気に入られ、養子となった。

だから、名前は、張忠志。

盧龍府・果毅となった。

一矢で六人を射殺した。

だから、安祿山の射生となった。

安祿山に従い、参内した。

玄宗に気に入られ、射生の子弟として長安に留まった。

禁中に出入りした。

安祿山が、反乱をおこしたので、助けようと逃げ帰った。

安祿山は、喜んで、養子とした。

“安忠志”となった。

常に安祿山の側に仕えた。

安祿山が亡くなり、安慶緒が、恒州刺史とした。

官軍が兵糧責めをしようとぎょう城を囲んだ時、恐くなった。

朝廷に帰るよう命令があったので、帰り、かつての職を授かった。

密雲郡公に封じられた。

史思明が黄河を渡ったと聞き、再び、唐に反した。

史思明の死後、史朝義には仕えなかった。

恒州、趙州、深州、定州、易州を撃ち、朝廷に献じた。

史朝義を倒した後、礼部尚書に抜擢され、趙国公に封じられた。

その軍の名前は、“成徳”と、賜り、節度使となった。

“李宝臣”、名前も賜った。

恒州、定州、易州、趙州、深州、冀州、六州と、馬五千、歩兵五万を所有した。

山東地方の冠たる雄であった。

薛嵩、田承嗣、李正己、梁崇義の家と互いに婚姻した。

李宝臣は、恩義に厚い男であったのだ。


田承嗣は、李宝臣が故郷・范陽を欲しがってるのを知っていた。

だから、予言を作って石に刻んだ。

二人の皇帝(李宝臣、李正己)は、同じ功をたて、勢いは少しも欠けるところはない。

まさに、田氏を仲間とし、幽州、燕州地方に出るであろう。

と。

そして、その石を密かに、李宝臣の領地に埋めさせた。

そして、気を見るものを使い、

李宝臣には、王気がある。

と、云わせた。

李宝臣は、云われた通り掘り、その石を得た。

また、ある客が云うことには、

李公と朱滔は、共に滄州を取りにいき、得るでしょう。

その地は、李公のものではありません。

でも、すなわち、その地に帰国するのです。

李公は、田承嗣の罪を捨てるのです。

李公が滄州に帰ることを願います。

願いに従い、范陽を取り、功績となるでしょう。

李公は、精騎でもって前を駆け、田承嗣は、歩兵を率いて続くでしょう。

勝てないからと、侮りはしません。

李宝臣は喜んだ。

その者が云うことは、予言に合っていたのだ。

遂に、田承嗣と謀りごとをして、密かに、范陽を囲んだ。

田承嗣は、また、国境上に、兵士を並べた。


李宝臣は、朱滔の使者に、

聞くところによると、朱せい公の容貌は、神のようであると云う。

願わくば、その画像を見たいものだ。

と、朱滔に伝えさせた。

李宝臣は、その画を射堂に飾り、諸将と一緒に見た。

誠に、神なり!

朱滔の軍は、瓦橋関に駐屯していた。

李宝臣は、精騎二千を選び、夜通し三百里を駆けて、朱滔軍を襲った。

戒めて云った。

射堂に掲げた、画の容貌に似た者を討て。

兄弟なので、兄の画を見せ、似た者を討つように指示したのだ。

その頃、朱滔軍と李宝臣の軍は、仲良くしていた。

朱滔は、急な“変”を恐れなかった。

だが、襲ってきたのが仲が云いはずの李宝臣の軍なので、狼狽して戦に出て、敗けた。

衣を他の衣に着替えて、逃げることができた。

李宝臣は、勝ちに乗って、范陽を取りたいと望んだ。

朱滔は、雄武軍の昌平の劉怦りゅうほうに范陽府の留守を守らせていた。

李宝臣は、固い備えがあるのを知っていた。

だから、敢えて、それ以上は進まなかった。


田承嗣は、幽州(范陽)と恒州が戦ったのを知った。

すぐに軍を引き、南の自分の節度使に帰った。

使いが、李宝臣に云った。

河内で用心が必要なことがあったので帰った。

李公に従う時間がない。

石の上の予言文は、我が戯れに作っただけ!

李宝臣は、戯れの言葉に踊らされた自分を恥ずかしく思い、怒って、自分の節度使に退いた。

李宝臣は、すでに、朱滔との間にわだかまりが出来ていた。

田承嗣に騙されて戦った自分が悪いのだが。

これからは、朱滔を敵と考えなければならない。

だから、張孝忠を易州刺史とした。

その下に、七千の精騎を置いて、備えさせた。


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