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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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馬の交易

粛宗が即位して、回鶻に戦の協力を求めて以来、回鶻は、年ごとに、和市(市で商売が上手くいくように、朝廷が交易を調節する市)を求めた。

馬一頭と絹織物四十匹を交換するようにした。

馬は、皆、脚が遅く痩せていて、使い物にならなかった。

割の合わない交易に、朝廷は苦しんだ。

多くの市で、その馬の数は尽きる事はなかった。

回鶻は、用意しては送ってきた。

回鶻の使者が泊まる鴻臚寺に次々と人が来て、泊まる者が絶えることはなかった。

ここに至り、そのあまりの滑稽さに、代宗は、笑いたくなった。

市にありったけの命令を出した。

秋、

七月二十八日、

回鶻が挨拶をして帰った。

問題のある馬、その馬を千台以上の荷車に共に乗せ、遣わし賜った。

代宗は、出かける前、毎日、華陽と庭を散策した。

もう、華陽ではなかった。

女道士となって、名前は瓊華けいか真人であった。

華陽って名前、嫌っていたね。

陽が採れていい名前になった。

車椅子を押しながら、代宗は、いつも涙を流していた。

散策するのは、珠珠として話すためであった。

侍女に聞かれないためであった。

蓮蓮、他人が見たら、瓊華が虐めているみたい。

誰もそんなこと、思わない

よ。

池を見るかい?

うん。

やっぱり、魚さんを見るのが好き。

ねえ、亀を部屋に置いてほしい。

そうだ、王喜ん家、王亀ん家に変えていいかい?

蓮は、もう、喜ばないから。

そうね、亀って縁起がいいものね。

鶴は千年、亀は万年、って、長生きの象徴だものね。

記念に、石で作った亀を

池の側に置くようにする。

蓮蓮も珠珠も、義母上のお蔭でこの十年、楽しめたわね。

珠珠が、蓮蓮と呼んでいるのを聞いて、“そなたが、蓮の想い人なのね。”って。

珠珠のことを大切にしてくれた。

だから、珠珠を華陽にしてくれた。

早く死んだことを、蓮蓮に申し訳なかったって。

いい方だった。

珠珠が、喜ばない話をしておかなければ。

珠珠の遺体は、見付かっていない。

だから、死んだ年はわかっていない事になっている。

玄宗様の母上も、武后様に殺されて、遺体がとうとう見付からなかった。

叡宗様が亡くなった時、遺体は無かったが、衣を置いて、母上とした。

叡宗様が亡くなったのは、開元四年(716年)、武后様に殺されてから、二十数年たっていた。

だから、蓮は、玄宗様に遠慮して、その年月より長い期間、珠珠におくりなを贈れない。

名無しでいるのは、嫌だろうが、お願いする。

了解してほしい。

理由があるのだ。

頼む。

そうだったわね。

分かった。

ああ、良かった。

珠珠、ありがとう。


八月十六日、

吐蕃、六万の騎兵が霊武に侵入した。

初秋のことで、実った稲を持ち去った。


八月二十八日、

幽州節度使・朱せいが、弟・朱滔を将軍とした五千の精鋭の騎兵をけい州の防秋に遣わした。

安祿山の反乱から、幽州の兵士を未だ用いていなかった。

朱滔が幽州の兵士を連れて来たので、代宗は大喜び。

労を気遣い、厚く褒美を賜った。


八月二十九日、

回鶻が、また使者・赤心を、唐に遣わした。

互市を開くように、一万頭の馬を連れていた。


九月十日、

循州刺史・哥舒晃が反乱を起こし、嶺南節度使の呂崇賁を殺した。

そして、嶺南節度使を反乱の拠り所とした。

(哥舒晃は、哥舒翰とは関係はないようである。)

九月十一日、

晋州の男子・しゅん模が、麻で辮髪べんぱつを結い、竹の篭と葦で編んだむしろを持ち、東市で大声で泣いた。

人は、“何故か?”と聞いた。

答えて曰く、

願わくば、三十字を贈ってほしい。

一字を一つの事となす。

もし、云えば、取るところは無い。

死体を包む筵を請う。

竹篭の中にためて、野に棄てる。

京兆府の者たちも聞いていた。

代宗は、その話を聞いて、呼んで会ってみた。

新しい衣を賜った。

客省の邸に置いた。

前にも出てきたが、蕃族の使者を泊める名目の建物だが、代宗の時代にできた新しい物である。

代宗は、知られて都合の悪い人物を泊めていたようだ。

代宗は、じゅん模に話を聞いた。

三十字の内、一字は“だん”の者。

諸州の團練使をめさせるよう請います。

團練使とは、地方の若い男性を集め軍事訓練を施し、有事の際、郷土防衛に当たらしめたが、その訓練に当たる官を称した。

あと一字は“監”の者。

諸道の監軍使を罷めさせるよう請います。

監軍使とは、軍の目付け役としてこの官があった。

唐では、玄宗の時、宦官を監軍に任じた。

魚朝恩がそうである。


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