次男・げいの死
二月二十七日、
永平節度使の令狐彰が亡くなった。
令狐彰は、安祿山の乱の後、滑州、ごう州を委され、軍を治め農業を勧め、府の倉庫は財物で満ちていた。
その頃、藩鎮は若くて元気のいい若者たちを率いていた。
独り、令狐彰は、貢ぎ物と租税を朝廷にきちんと納めていた。
ただ、未だ参内はしていなかった。
毎秋、三千人の兵士を吐蕃が侵入する長安の西の地に送った。
兵士たちは、自ら、食糧を持って行った。
歩いている時、道で旅人に食糧を贈る人がいても、皆、受け取らなかった。
秋が過ぎ、収穫物があり、食糧が豊かでも贅沢をする事はなかった。
節度使の令狐彰は、范陽で生まれ育った。
父親は、母子を置き、長安に帰った。
ただ、父親は、勉学、儒教の教育はちゃんと行っていた。
范陽に住む者として、その地方の節度使・安祿山に仕えた。
安祿山の反乱、そして死から、史思明に節度使が変わった。
史思明は、令狐彰を抜擢した。
だが、その時、“忠節”と云う言葉を考えた。
本来の主は、唐の皇帝である。
官軍に移ろう。
節度使の皆に声をかけた。
我は、官軍に付く。
強制はしない。
今までは、我の考えに従って、反乱軍で戦った。
上意下達、僕固懐恩も部下を連れ回鶻に走った。
部下とは云え、たまたま僕固懐恩の下に配属されていた、郭子儀の部下たちであった。
意思なんか、聞か無いのである。
だが、官軍、賊軍、好きな方を選べ。
と、云ったのだ。
皆は、令狐彰に従った。
永平節度使の令狐彰と将兵は、信頼関係があったのである。
令狐彰の病が急に悪くなった。
掌書記、高陽の斉映を呼び、一緒に自分の死後のことを相談した。
高映は、令狐彰に、節度使として代わる人を代宗に請うように勧めた。
令狐彰の子供は、洛陽の自宅に帰らせるようにした。
子供には、跡を継ぐ権利がある。
それを、利用しようとする者が必ず現れる。
子供が苦しむ事になる。
令狐彰は、意見に従った。
遺言書で伝えた。
昔、魚朝恩が、史朝義を破った時、滑州を欲しがった。
我は、聞かなかった。
それで、蟠りが出来た。
魚朝恩が誅殺されるに及び、我は、病で寝るような目にあっている。
生死は、恥に背くようなものである。
我は、今、もう間違いなく起きられない。
倉庫や、牧場の家畜の書類、戸籍はまず閉じる事。
軍の将軍、兵士、州県の役人は、安心して命令を待つように。
伏見の吏部尚書・劉晏、工部尚書・李勉は、大事を委せられる。
早く、我に代えるよう、陛下にお願いするように。
我の子供、建たちは洛陽の自宅に帰らせた。
令狐彰は、亡くなった。
将軍、兵士は、次の節度使に、息子の建を立てようとした。
建は、死んでも従わないと誓った。
一家をあげて、西の長安に移った。
三月一日、
令狐彰の希望通り、李勉が永平節度使となった。
吏部侍郎の徐浩、薛ようは、二人共、元載、王縉の一党であった。
徐浩の妾の弟、侯莫陳ふを、美原県の尉とした。
徐浩は、京兆尹の杜斉に付いていた。
車馬の供給や、駅の往来を仕事とする者であった。
また、薛ようは長安の尉を真似ていた。
御史大夫・李栖いんは、書状を上奏して、弾劾した。
礼部侍郎・万年県の于邵たちは、安心していた。
于邵は、薛ようの罪を恩赦がある前に上奏した。
恩赦にあえば、罪が軽減されるからである。
恩赦の発表の後なら、罪はそのままで赦しはない。
代宗は、怒った。
次男・げいの体調が悪く、死ねば、恩赦が下される。
そんな事を計算しての上奏なのである。
夏、
五月十一日、
徐浩を明州別駕に、薛ようをきゅう州刺史に貶めた。
五月十二日、
杜斉を杭州刺史に、于邵を慶州長史に貶めた。
朝廷は、次第に、静かになった。
五月十七日、
鄭王・げいが亡くなった。
“昭靖太子”を贈った。
皇太子の位の追贈である。
五月十八日、
間違えて、京城の囚人だけを赦した。
五月二十九日、
詔で、改めて、全国の囚人を赦した。
皇太子の恩赦である。
一地方での恩赦でなく、国を挙げての恩赦が相応しい。
死刑が流刑となり、流刑以下は放免された。
紫玉とげいに感謝したのである。
げいは、昇平の良き兄であった。
紫玉は、昇平の母親の役割をこなした。
だから、後ろ楯が無いにも拘わらず、紫玉を貴妃に任じた。
こういう形で謝意を示したのである。
娘は、華陽のこともあり、続いて生まれた女子は皆、生まれながらの公主であった。
男子は、皇太子・かつ、次男のげい、靖羅の子・迥の三人以外は、未だに封じていなかった。
げいは、三十一才での死であった。
息子は、二十人生まれている。
三十才以下の十六人の息子は領地を持たない、只の皇子であった。(一人、早死にした息子・遐も追封したのは遅かった。)
皇子を持つ妃たちの不満は、大きかったであろう。
皇帝の子は、生まれてすぐに封じられる。
領地を貰い、その地の名前を冠した王になるのである。
だのに、放ったらかしだ。
妃たちは、靖羅には敬う形を取りつつ、心の中で恨んでいた。
一人、上手いことやって。
珠珠に手を下したのは、靖羅なのに。
後で後宮に入った妃たちも、漏れ聞く話に事情はわかっていた。
陛下の大切にしている者に手を出せば、竹篦返しをされる。
我子に。
代宗にとっては、珠珠のことに対する仕返しであった。
そなたたちは、不満か?
朕だって、不満だ。
そして、華陽には、誰もが優しかった。