南方での戦い
嶺南地方の蕃族の酋長・梁崇牽は、容州を根拠地として、自ら、平南十道大都統と称していた。
西原の蕃族・張侯、夏永たちと兵を連ね、城や村を攻め落とした。
前の容管経略使・元結たちは、皆、蒼梧に集まり、領土である、弁、白、欽、牢、禺、湯、厳、古などの州を治めていた。
蒼梧とは、当時の梧州である。
広州は貿易の都市なので、海に面する嶺南節度使が(観察使ではなく、節度使が)揚子江の南に一つだけある。
その嶺南節度使の西隣に、桂管経略使、容観経略使、よう管経略使の三つの経略使がある。
経略使の防御対象は、夷ろう(ビルマ系山岳民族)である。
ただ、経略使の本部は、広州である。
嶺南節度使の下にあるのである。
経略使の王おうは、蒼梧県の西にある藤州に至った。
そこで私財でもって、兵士を募った。
数か月しないうちに、賊の長・歐陽珪を斬った。
王おうは、喜びの余り、広州に報告に走った。
嶺南節度使の李勉に、容管経略使の拠点である容州を回復したいのでと、兵士を頼んだ。
李勉は、難しいだろうと、した。
王おう、曰く。
大夫、いまだに、兵士を出す程、忙しくありません。
だだ、触れ文を諸州に回すことをお願いします。
千の兵士を応援に出すと、大声で云い触らしますから、どうか、お許し下さい。
巧くいくでしょう。
節度使・李勉は、王おうの言葉に従った。
王おうと、義州刺史・陳仁さいと、藤州刺史・李暁庭たちが、盟約を結び賊を討った。
義州は、藤県の東北にある。
王おうは、兵士を募り、三千人以上を集め、賊兵、数万人を破った。
勢いに乗じて、容州を攻め落とした。
長の梁崇牽を生け捕りにした。
前後、大小、百以上戦い、容州の懐かしい地を全て取り戻した。
諸々の将軍に、各々に命じて、西原蕃を討たせた。
鬱林などの諸州を取り戻した。
これ迄、番禺の賊の帥・馮崇道、桂州の叛将・朱濟時は、二人共、険しく人を寄せ付けない地を利用して乱を起こし、十余州を手に入れていた。
桂州は、桂管経略使の拠点であった。
それを朱濟時に奪われていたのである。
官軍が討伐に行くものの、毎年、勝てなかった。
嶺南節度使の李勉は、部下の将軍・李観と王おうに力を合わせて討つようにと、遣わした。
二人は、その者たちをことごとく斬った。
桂管経略使は、桂州を取り戻したのである。
三月、
五嶺は、全て平定された。
河北地方が、旱魃であった。
米の収穫がほとんどなかった。
米が一斗、千銭になった。
夏が近い日である。
旱魃ならば、いつもより、熱い。
華陽は、王喜ん家に、代宗と誦とで出かけていた。
人通りは少ない。
ち~上、華陽、母上と一緒に住むの、好きじゃない。
華陽、今まで、言わなかったけれど、ち~上は、飢饉だと、食事を質素にする。
だけど、母上は、お構い無しで食べたい物を作らせる。
華陽にも、いかにも高そうな物を勧めてくれる。
食べられない人の事を思うと、華陽も食べられない。
そりゃあ、食べようと思ったら食べられる。
けど、気持ち良くは食べれない。
母上は、そんな人の事、まるで考えてないんだ。
ち~上が、母上のことを合わないと云うのが、分かった。
華陽、ち~上に育てられて良かった。
でないと、きらびやかな衣を着て、髪には簪をいっぱい付けて、顔は真っ白で、紅い紅を付けて、鏡ばっかり覗く子になってた。
そうだな。
華陽の魅力は、くるくる変わる表情の変化にあるからな。
白粉を塗ると、顔が突っ張って、お面みたいになって、表情が消えるからな。
華陽の良い処が、見え無くなる。
ただ、口紅だけは、華陽が可愛く見えて、父上、好きだな。
簪も、一つ、二つは、付けたらいいな。
服装が派手じゃないから、簪も控え目なのにしたらいい。
華陽、ち~上の服装の選び方、好き。
派手なのを着たから綺麗いって、云うのが、そうじゃないって分かった。
その人に合わせて選ぶんだね。
ち~上が、用意してくれたのを着たら、自分でも似合っていると思えた。
母上の用意した物は、華陽のことを考えて選んだ物じゃない。
華陽のことも考えない。
食べ物を食べられない人のことも考えない。
ねえ、何時、ち~上の部屋に帰るの。
当分は、帰れそうにないね。
ち~上の部屋だと、食事しても、罪悪感を感じずに済む。
母上の食事は、見た目も美味しそうで、美味しいんだけど、喉を通らない。
ち~上、華陽を甘やかさないで。
これからも、色々、教えてね。
華陽は、良い子だな。