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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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崔かん

四鎮、北庭行営節度使の馬りんにひん寧節度使を兼ねさせた。

馬りんは、段秀実をもって三使都虞候とした。

二百四十斤の弓を引く有能な兵士がいた。

盗みをし、当然、死刑であった。

だが、馬りんは、生かしたいと思った。

段秀実は云った。

まさに、愛憎がありますが、法律は一つではありません。

韓州、ぼう州といえども、ことわりには、合いません。

馬りんは、その事について、良く議論をした。

ついに、その男を殺した。

馬りんの処には、中には理に合わない物もあった。

段秀実は、力を尽くして争った。

馬りんは、時々、激しく怒った。

周りの者たちは、恐れおののいた。

段秀実は云った。

秀実に、もし、罪があれば、殺してもかまいません。

何で、怒るのですか!

非道に係わる事を恐れます。

寝ていた馬りんは、衣を払いのけ起き上がった。

段秀実は、ゆっくり歩いて外に出た。

かなりたってから、馬りんは、酒を置いて、段秀実を呼んで謝った。

仲なおりの宴をしたのだ。

それからは、軍や州の事は、皆、段秀実と話し合ってから、行動に移した。

馬りんは、ひん寧節度使にいるようにした。

特に、声が美しいと褒められた。

もう、怒った声は出さなくなったのだろう。

二月二十七日、

山南西道節度使の張献誠は、剣南東川節度使も兼ねるようになった。

きょう州刺史・柏茂りんをきょう南防禦使とした。

もって、崔かんを茂州刺史とし、西山防禦使にも充てた。

崔かんは、去年十月、きょう州牙将・柏茂みりん、瀘州牙将・楊子琳、剣州牙将・李昌どうたちと、蜀で戦っている。

三人の牙将と戦ったのに、無事でいたのだ。

強いのだろう。

嚴武が、可愛がった訳だ。


三月二十八日、

張献誠は、崔かんと、梓州で戦った。

張献誠は、かつて、嚴武が生きていた時、崔かんに賄賂を要求した男である。

あれから随分経つが、二人の間は、良い関係とは云えなかった。

当然、位が上のほうの者が、戦いの口火を切ったのであろう。


張献誠の軍が敗けた。

わずか、身一つで逃れた。

旗やらは皆、崔かんに奪われた。


夏、五月、

河西節度使の楊休明が、沙州の鎮(地方の押さえとなる、軍団駐屯地)を、歩いて廻った。


秋、

八月、

国子監の建物が完成した。

八月四日、

釈奠・生け贄を供えて、祀った。


魚朝恩が、高座に登り、“易”の書をり、中の、“ていふくそく”を講義した。

鼎覆そくとは、

周易の鼎の卦で、君主の鼎の足が折れて、鼎の中身(盛り付けられた食物)をくつがえす事。

放り出された食べ物は、ダメになった。

鼎は、三本の足、

三公が互いに協力して、天子を補佐するはずが、三公が任を尽くさず、国家の転覆を招くたとえとする。

三公とは、宰相、大臣の事を云う。

魚朝恩は、この話をして、宰相をそしったのである。

誰が、折れた足なのかなどと云ったのかも知れない。

王しんは、怒った。

だが、元載は楽しんでいた。

魚朝恩は、人に云った。

怒る者は普通の感覚だが、笑う者は推し測れない。


杜鴻漸は、蜀の国境に来た。

聞けば、張献誠が戦に敗けて怖がっていると云う。

人を遣わして、先ず、崔かんの気持ちを知ろうとした。

すべてを聞いた。

崔かんは、謙虚に、そして、たくさんの贈り物でもって迎い入れた。

杜鴻漸は、喜んだ。

共に、成都に着いた。

崔かんを見ると、穏やかで慎み深く人と接している。

規律を破ったことは、一言もとがめなかった。

州府のこと、すべて、崔かんに委せた。

又、朝廷でも、数件、推薦するとの話があった。

だから、崔かんに、節度をもって辞退するように云った。

かつて戦った、柏茂りん、楊子りん、李昌どうたちは、本州の刺史になった。

代宗は、今までの経緯からも、この決定に従わない訳にはいかなかった。


八月十九日、

崔かんをもって、成都の尹とし、西川節度行軍司馬とした。



八月二十一日、

魚朝恩を内侍監に任命した。

宦官の長である。

宦官は数が多いので、“長”といっても、二人いる。

役割り分担をしているのであろう。

それと、国子監の属官とした。

本人が、文武両道と云うのでの任命であろう。

中書舎人の京兆の常袞が、代宗に申し上げた。

学校関係の任命は、さし当たって、優れた儒学者に委せるべきです。

宦官が、率いるのは良くありません。

代宗は思った。

そんなのわかっている。

だが、代宗には、代宗の考えがあったのである。


八月二十四日、

宰相、大臣以下の者たちに命じて、魚朝恩を新しい職場に見送らせた。

盛大に前途を祝福しているように見える。

魚朝恩としたら、何かを仕出かし、帰って来れない雰囲気であろう。

順当に追い出せたと云える。


京兆尹の黎幹は、南山から谷の水を引いて、運河を掘り長安まで引いたが、上手くいかなかった。


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