泳ぎの練習
十一月の終わりの日である。
安祿山が、挙兵した頃である。
激しく流れる黄河が、凍るような寒さである。
華陽は、代宗の懐に入り、浴堂殿を訪れた。
代宗は、華陽を松と竹に預け、支度を整えるように云った。
代宗は、男子ゆえ、ささっと着替え、先に湯殿に入っていた。
父上と一緒が嬉しい華陽は、元気よく登場した。
代宗は、大きな声を出した。
滑るから、危ない。
声を落として、
ゆっくりとね。
驚かせて、御免。
さぁ、体が冷えてるだろう。
温まってからだ。
ち~上のお腹にいたから、ぬくぬく。
そうか。
じゃあ。
まず、お話だ。
お魚さんは、水の中でなければ生きていけない。
華陽は、空気の中でなければ生きていけない。
お魚さんは、空気の中ではしばらくすると、死んでしまう。
華陽は、水の中では、空気が無いから生きていけない。
だから、水の中では、外にいるお魚さんみたいに、死んでしまう。
華陽が、池の水を全部飲んだら、死なないけど。
そんな事出来ないだろう。
象さんだって、おおきい桶の水くらいしか、飲まないんだから。
だから、華陽は、絶対に、顔が水に浸かっている時は、息をしてはダメ。
分かった?
聞いてた?
えへっ、もちろん。
じゃあ、
最初は、顔を浸ける練習。
華陽、息を止めて、
はい、顔、浸けて。
代宗は、あわてて、引っ張り出した。
こら、
いつまで、水の中に居るのだ。
死んじゃうぞ。
水でわからないけれど、涙と鼻汁が出ていた。
うゎ~ん。
怖かった。
死ぬかと思った。
お~い、手巾(ハンカチ)を頼む。
代宗は、華陽の涙と鼻汁をきれいに拭いた。
華陽、話は、ちゃんと聞かなきゃ、ね。
もう、息が止められない、と思ったら、顔を出したらいい。
息が出来るから。
さっき、そんな事、言わなかった。
本当だな。
御免、御免。
じゃあ、後、一回。
行くよ。
はい。
うゎ。
上手に出来た。
一度出来たら、もう、大丈夫。
父上が手を引っ張るから、顔、自分で浸けたり、出したらいい。
やってみよう。
手を引っ張って、泳いでる気分になろう。
失敗しても、すぐに引き上げるから。
うん。
やって見る。
偉いなあ、華陽は。
あっ、上手、上手。
今日はここまで。
お腹減ったな。
早く、帰ろう。
華陽、疲れただろう。
お~い。
華陽の着替え、頼む。
後で会おう。
お風呂、泳いで運動したから、汗かいただろう。
華陽、お腹減ってないか。
父上、ペコペコ。
ち~上、
華陽、眠くなっちゃった。
夕ご飯が待っている。
寝ちゃ、ダメだよ。
さあ、着いた。
華陽様、早く来て下さい。
華陽様の願いが叶いましたよ。
なあに?
金魚の顔、見えますよ。
えっ、
華陽は、両手を伸ばして、代宗の首にぶらさがった。
ち~上、大好き。
華陽、この言葉しか云えない。
本当は、もっと、いい言葉があるはずだけど、華陽は、まだ、小さくて、気持ちを伝える術を知らないの。
もっと大きくなったら、言い直す。
それまで、待ってて。
華陽は、大慌てで、金魚のところに、走った。
ち~上、この器、何て云うの?
瑠璃(ガラス)って、云うのだよ。
舶来の品なんだ。
でこぼこが付いているだろう。
付いて無いのが、無いんだ。
一番大きなのにした。
それと、薄いが茶色みたいな色が付いている物もあったが、金魚が良く見えるように、無色のを選んだ。
陛下、御高いのでしょうね。
まあね。
小さな城位の値打ちかな。
でも、都も、何度も蕃族に侵入された。
蕃族に、手荒に扱われダメにしたと思えば、どうって事ないよ。
華陽、顔、見れたかい?
うん。
この子、しっぽがヒラヒラしてる。
きれい。
ひらひらさんって、名前にする。
華陽を恥ずかしそうに見るの。
金魚がか?
華陽には、わかるの。
華陽、金魚と仲良しになれそう。
ち~上、ありがとうう。
泳ぎ、頑張っているんだ。
ご褒美、あげなきゃって思ったから。
ち~上、
それ、変。
だって、今日、初めて泳ぎ習った。
頑張ったご褒美、今日、貰うの可笑しいよ。
今日を見て、明日、ご褒美もらうのは、分かるけど。
華陽が頑張るのが、分かっていたからだ。
華陽には、参ったな。
この年で、意見をするとは。
ハッハッハ。
十二月二日、
郭子儀に、尚書令の役職が加えられた。
尚書令、
真の宰相と云われている。
太宗様が、この職に着かれて以来、敢えてこの職に着く者は誰もいない。
だから、実際に任命はされた者はいない。
郭子儀は、
太宗様が、この官職になられてから、代々の天子様でなければ、着く事の出来無いような、聖なる官職です。
近い内に、皇太子様が、経験されるでしょう。
身分の低い臣下は、その地位に相応しくありません。
と、固く辞退した。
受けなかったのである。
そして、河中節度使を治めるために帰って行った。
代宗は、郭晞から、ひん州であった出来事を聞いていた。
誰の仕業か、想像がついた。
郭家は、昇平の嫁ぎ先と考えている家である。
代宗が、郭子儀を尚書令に任じることに依って、就任しなくても、それだけで、郭家の格式が上がったと云える。
謙虚な郭子儀が受ける訳がないと、分かっていたから任じたとも云える。
ただ、この事によって、郭子儀に対して、良からぬ事を命じられた者は、その行いを躊躇するようになるだろう。
郭子儀の後ろの、皇帝陛下の影を感じて。
郭子儀に対する、謀り事は止む筈である。
代宗は、姿を現さない黒幕を牽制したのである。
郭子儀を守ったと云える。
この年、戸部尚書が、
戸口は、二百九十余万戸、
人口は、一千六百九十余万人
と、上奏した。
代宗は、于てん王・勝を国に帰るように、使いを遣わした。
李勝は、護衛兵として、留まりたいと固く請うた。
そして、国は弟・曜に授けて戴きたいと。
代宗は、これを許した。
于てん王・勝に、開府儀同三司を加え、武都王の爵を賜った。